1.始まり
「ユリア様、また地下資料庫ですか?」
「うん!」
ポーネ王国第三王女ユリアは、満面の笑みで振り返った。
白いワンピースの裾をひらひらさせながら、彼女は抱えきれないほどの古文書を持っている。
「だって見て! 三百年前の祭礼衣装の記録だよ!」
「普通の姫君は宝石を喜ぶんですよ……」
侍女はため息をついた。
ーー
ポーネ王国は古い歴史を誇る国だった。
広大な領土も強力な軍隊もない。
しかし世界有数の歴史遺産と学術資料を保有している国だ。
国民の多くは考古学や歴史研究を愛し、学者たちは発掘された欠片一つにも目を輝かせた。
そんな国で育ったユリアも例外ではない。
ただし彼女の場合は研究者ではなく芸術家だった。
発掘された遺物や歴史的建造物を描くことが大好きなのである。
「お父様が言ってたの。歴史は未来への手紙なんだって」
ユリアはそう言って笑った。
王も王妃も、民から敬われる穏やかな君主だった。
国を思い、人を思い、そして何より三人の愛娘を深く愛し、丁寧に育てていた。
長女シエルは次代の王として勉学に励みながらも、暇を見つけてはピアノを弾く。
二女メロディは国宝級の歌姫。
そして三女ユリアは絵描き姫。
誰もが認める仲の良い家族だった。
だからこの平和が永遠に続くと思っていた。
あの日まではーー
ーー
事件は諸国外交会議で起きた。
各国の王侯貴族や外交官が集まる盛大な晩餐会。
ポーネ王国からは王女ユリアを名目上の代表とし、大使や学者たちを含む代表団が派遣されていた。
だが、外交経験に乏しいユリアに政治の話は難しい。
退屈しのぎに、席から見える壁画へ目を向けていた。
描かれているのは初代国王の戴冠だろうか。それとも有名な遠征の一場面だろうか。歴史書で読んだ内容と見比べながら、ユリアは密かに想像を膨らませた。
(難しい外交の話より、国の歴史でも語ってくれないかしら)
その気持ちは、きっと国の大使も同じだったのだろう。
考古学や遺跡の話では生き生きとしていた彼も、外交の駆け引きとなると口数が少ない。
そんな様子を見ていたケルファ王国の大使が、ふっと笑った。
「ポーネ王国とは不思議な国ですな」
周囲の視線が集まる。
「国費を使って石ころ集めをしているとか」
会場がざわめいた。
ポーネの学者たちの顔色が変わる。
だが大使は気にする素振りもない。
「古い壺だの瓦礫だのを掘り返して何になるのやら」
大使の言葉に、周囲からくすくすと笑い声が漏れた。
ユリアは唇をきゅっと結ぶ。
それらは先人たちの歴史だ。国の宝だ。
何故このような侮辱を受けるのか。
だがケルファの大使は止まらない。
かなり酒が回っているようだった。
本来なら外交の場で口にしないような言葉まで、酔いに押し流されるように次々とこぼしていく。
周囲の視線が集まることに気を良くしたのか、それとも酔いで理性が鈍っていたのか。
大使の視線がポーネの民族衣装へ向いた。
鮮やかな刺繍が施された前開きの伝統衣装。
ポーネ人の誇りだった。
「それにその服です」
大使は肩をすくめた。
「まるで古代人の仮装ですな」
その瞬間。
ポーネの大使が立ち上がった。
「撤回していただこう」
低い声だった。
「我が国の歴史も文化も理解せぬ者に、侮辱する資格はない」
「ほう?」
「この衣装を侮辱することは、我が国の歴史そのものを侮辱することと同義だ」
「貴国は先人の遺産を尊重しないのか」
ポーネの学者も鋭い声で問いただす。
「先人の遺産?」
大使は鼻で笑った。
「価値のない石ころに価値を見出す趣味はありませんな」
大使も譲らない。
笑っていた者たちも異様な空気を察したのか、次々と口を閉ざしていく。
張り詰めた空気の中で交わされる言葉に、ユリアは息をするのも忘れ、ただ黙って成り行きを見届けるしかなかった。
気付けば目尻に涙が浮かんでいた。
自分が馬鹿にされるだけなら耐えられたかもしれない。
けれど侮辱されたのは、自分の愛する国だった。
父や母が守ってきたもの。
学者たちが人生を捧げてきたもの。
それらを「石ころ」と笑われたことが、たまらなく悔しかった。
ユリアは唇を噛んで大使を睨みつけた。
だが、今の自分にはそうすることしかできない。
それがまた悔しかった。
たった数分前まで華やかだった晩餐会は、まるで別の場所のように冷え切っている。
誰も口を開かない。
音楽も、談笑も、すべてが止まったようだった。
当然ながらこの一件は、外交問題へと発展した。
ーー帰国後。
王城は重苦しい空気に包まれていた。
「由々しき事態だ」
王は頭を抱えていた。
ケルファ王国内では強硬派貴族が勢いを増し、開戦論まで出ているらしい。
「戦争になれば遺跡が……」
学者たちは青ざめた。
戦火は文化財を容赦なく焼き払う。
数百年。
あるいは数千年残った歴史が一瞬で消える。
ポーネにとってそれは耐え難いことだった。
「なんとか和平を」
王妃が言う。
自国の歴史や文化を侮辱されれば頭に来る。
だが、あの場で真っ向から言い返すことが最善だったのかはわからない。
相手の挑発に乗せられてしまったようにも思えた。
もしかすると相手は最初から、この反応を引き出すつもりだったのではないか。
「まさか我が国を侵略するための口実に……」
その可能性に気付いた大使が顔色を失う。
ポーネの文化を侮辱し、意図的に反発を招く。
それを理由に対立を激化させれば、開戦の口実になり得る。
だが、幸い救いもあった。
問題解決のためポーネに派遣されて来たケルファの特使団が、開戦を望んでいなかったことだ。
彼らは自国の非を認め、度重なる謝罪と関係修復の意思を示した。
強硬派の存在こそ認めたものの、少なくともあの侮辱が国の総意ではないことは明らかだった。
しかし同時に、事態が長引けば長引くほど、開戦を主張する国内の強硬派の発言力が増すことになるとも訴えた。
何度も協議が重ねられた。
謝罪だけでは足りない。
だからといって戦争も望まない。
城の中は普段の和やかな空気が嘘のように張り詰め、誰もが緊張した面持ちで行き交っていた。
ユリアはそんな家族や重臣たちを、不安を抱えながら見つめることしかできなかった。
いつもならば心が躍る歴史の資料を見ても、大好きな絵を描いてもユリアの胸が晴れることはなかった。
ーーあのとき私は何もできなかった。
私が王族としてもっと上手く振る舞えていれば、何か変わっていたのだろうか。
答えの出ない考えが頭の中を巡る。
ユリアは足早に地下書庫へ向かった。
まるで、不甲斐ない自分から逃げるように。
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