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騎士様とハーブの箱庭  作者: 藤乃 早雪
第三章 寂しがりのレモンバーベナ
25/41

第25話 違う、そうじゃない

「スズ!? どうしたの?」


 ボロボロになって帰ってきた私を見て、店番をしていたルクスさんは目を丸くした。


 エリックは泣き止んだものの、まだしゃっくりが止まらず、ぐずぐずしている。


「私が転んで、血が出たのを見てびっくりしてしまったみたいで」


 ルクスさんは弟の前に片膝をついて、名前を呼ぶ。


「エリック」


 怒られると思ったのか、エリックはビクッと体を強張らせた。


「怪我はない?」

「……うん」

「よかった」


 ルクスさんはふっと優しく微笑んで、弟を抱き寄せる。

 一度乾いたエリックの目が、またうるうると潤んでいった。


「ごめんなさい。本当は、僕が走ったせいでスズが怪我したんだ」

「私がどんくさかっただけですよ」


 追いかけていたのがルクスさんだったら、こうはならなかっただろう。私こそ保護者失格だ。


 けれど、ルクスさんは私を責めることも、エリックを叱ることもしなかった。


「いい? エリック。君はルトヴィエ公爵の息子だ。お金持ちで、才能もたくさんあるだろうけど、それを自慢したり、押し付けては駄目だ」


 ただ穏やかに、弟の目を真っ直ぐ見つめて言う。


「その力は、人を見下すためでなく、守るためにあるんだよ」

「守る……?」

「そう。よく考えてごらん。エリックならきっとできるよ」


 六歳の子にはまだ難しい話に思えたが、何か響くものがあったのか、エリックはこくんと頷いた。


「スズは傷口を流しておいで。治療セットがあったはずだから、探しておくよ」


 私は庭に出て、普段水やりに使われているホースで汚れを落とす。


 ここまで湖から水を引いているらしく、いつでも綺麗な水を使えるのは本当にありがたい。


 ルクスさん……お兄さんというより、お父さん……いや、騎士様みたいだったな。


 エリックを諭す姿を思い出して、笑みが溢れる。

 

 騎士様みたいって、そういえば本当にそうなんだった……。


 今は庶民と変わらないシンプルな恰好だけど、きっと現役時代は騎士団の服が似合って、かっこよかったんだろうな。


 なんて妄想をしていると、ルクスさんがタオルを持って来てくれる。


「大変な思いをさせてごめん。僕が面倒を見ればよかった」

「いえいえ、私に運動神経がなさすぎました」


 ルクスさんに促され、私は店の脇に置いたベンチに腰を下ろす。

 

「大きな怪我はなさそうだね」


 ルクスさんは一緒に持って来た箱から、軟膏を取り出すと、「ごめん触れるよ」と言って膝と腕の傷口に薬を塗ってくれた。


 そして、その上にガーゼをあて、包帯を巻こうとしてくれる。


「このくらいの怪我、放っておいても治りますよ」

「化膿するといけないから、念のため巻いておこう」


 ルクスさんは応急処置が上手かった。


 何も考えず「上手ですね」と伝えると、「嬉しくないことに、慣れてるからね」という言葉が返ってくる。


 どこか影のある、寂しそうな表情――。


 ルクスさんが、どこでどのようにこの技術を身につけたのかを悟って、私は不意に彼を抱きしめたくなった。


「ありがとうございます」

「これでエリックも、少しは大人しくなってくれるといいけど……」


 二人で苦笑いをしながら店の中へ戻ると、黒っぽい塊がルクスさんの足にドーンと突進してくる。


「エリック、危ないよ」


 ルクスさんはやれやれと溜め息をつく。

 一方、ぶつかってきた弟は兄を見上げて、キラキラした顔で宣言した。


「兄上、決めた。スズを僕の婚約者にする!」


 ……えーーーーっと? 


 どうしてそうなった?


 私もルクスさんも、しばらくその場に固まってしまった。


「きゅ、急にどうしたの……?」


 珍しくルクスさんが動揺して噛んでいる。


「だって、スズはどんくさいし弱いから、僕が守ってあげないと」

「……僕が言ったのはそういうことではないかな。押し付けては駄目って言ったよね」


 おろおろする兄をよそに、エリックは無邪気な発言を続けた。


「スズ、僕が大きくなったら結婚しよう!」


 断れられるとは思っていない、自信満々なプロポーズに、私は「いいですよ」と微笑んだ。


 隣でルクスさんが「えっ」と変な声を上げる。


「でも条件があります。私、優しくて、賢くて、仕事ができる人と結婚したいんです」

「僕がそうなればいいってこと?」

「はい。なのでまずは、お店の手伝いをしてくれませんか?」


 エリックはパァァァと顔を輝かせ、「やる!」と元気に返事をした。

 

「スズ……それはちょっと……」

「子どものごっこ遊びですよ」


 子どもが「先生と結婚する!」と言っていても、そのうち忘れてしまうのと一緒で、エリックも大きくなったら私のことなんて何とも思わなくなるだろう。


「これで明日は店を開けるかもしれません」


 私がそう言うと、ルクスさんは少し困った顔で「そうだね」と答えた。

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