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静蛉、改造に燃える

「それで、欲しい物は何かしら?」


 仮面を外し椅子に座る簫雨(しょうう)へ、滅慈(めつじ)は茶の入った湯飲みを渡す。


「師太がお持ちの普賢刀(ふげんとう)をお貸し頂けないかと……」


 若者は受け取った湯飲みを卓に置くと、膝をついて頭を下げた。彼が口にしたのは峨眉派(がびは)が所蔵する至高の逸品の一つだ。その名の通り普賢菩薩(ふげんぼさつ)の加護を受けた聖なる仏具で、滅慈が退魔行を行う際には常に手元にあった武器でもある。


「まあ? あんな物を何に使うつもり? 料理には不便よ?」

「この度の相手は強力な妖魔の類です。それを退治する為に……」


 そう語る簫雨の顔を滅慈は黙って見つめた。


「でも答えは分かっているのよね?」

「はい。愚弟子(わたくし)には資格が無いとお思いですね?」


 その言葉を聞くと老女は若者の手を取り、椅子に座り直させる。


「ええ。それが無いと闘えない者には、それを振るう資格がない」


 そして優しく掌を触りながら続ける。


「それにあなたの手と目には『(きょう)』があった。今の状態では普賢刀は助けになる所か、雨児(うじ)を害してしまうかもしれない」


 滅慈の言葉は厳しいが動作と声音には慈母(じぼ)の温もりがあった。どれだけ大人になろうと、幻晶侠(げんしょうきょう)として復讐の暗き道を歩もうと、彼は彼女にとって可愛い『雨児』である。僧の身では親密に接するにも限界はあるが、寄せる心には限りが無い。


 その温かさに触れて簫雨も胸襟を開きかけた。親の仇が未だみつからぬこと、妖怪相手に苦戦したこと、その苦戦した相手を好敵手の趙思浚(ちょうすしゅん)がいとも容易く一掃したこと、それに脅威を感じて彼に殺意を抱いてしまったこと……。


 しかし俯く簫雨の目に幻晶侠の仮面が目に入った。悪党どもに天誅を与え、復讐を果たす象徴である銀の仮面が、である。


「されば別の道を探るまでです。これにて失礼します」

「雨児!?」


 滅慈から手を離し、その手で仮面をつけて幻晶侠は立ち上がった。全てを打ち明けられるほど彼は純粋ではない。幻晶侠として、富豪として、尊敬される『雨兄さん』として、彼は幾つもの仮面を被る事に慣れていた。慣れすぎていた。


「オンサンマヤサトバン……」


 立ち去る幻晶侠の背に聞き慣れた真言が聞こえた。彼が峨眉山を去り成慶(せいけい)へ向かった時にも唱えられた祈りである。


 あの日は晴天の朝であった。今も空は晴れ、朝日が登りつつある。


「変わらんな、俺もここも……」


 去った、と言いつつも幻晶侠は何度もここへ戻り利用している。また峨眉山の尼僧たちも怨念を捨てるよう幾度も忠言しつつ、強硬的に止めはしない。


 彼はその関係に皮肉なものを感じつつ、静蛉たちの待つ院へ戻った……。




「くがーふがー。もう食べられない……」

「ふむふむ。ならば適時、内力を送って推進力を作るということも……」 


 戻った幻晶侠が見たものは、畳まれた布の上で涎を垂らして眠る光と、顔や手を墨で汚しながら幾つもの図面を書いてる静蛉(せいれい)の姿であった。


師姉(しし)? どうしました?」

「雨弟、この光天女は凄いのよ! お前の火薬で銀翼蝙吉(ぎんよくへんきち)の高度を復活させる手だけでなく、羽根に特殊な角度をつけて上向きの力を得る手段まで……あら? 寝ちゃったのね?」


 静蛉は幻晶侠への説明の為に手を振り、それで初めて光の様子に気づいた。


「腹が膨れた所に師姉の話を聞かされれば昏睡やむなしかと」

「夜中に起こされて無理矢理、連れて来られたとも聞いたわ。つまりお前の責任も半分!」


 側の卓から油条(揚げパン)の欠片を拾い、静蛉は幻晶侠へ投げつける。


「ですが有意義な話は聞けた様ですね」

「ええ。銀翼蝙吉はより高性能になるわ!」

「今は早急に今のままのこれが必要なのですが……」


 姉弟子が図面の何枚かを持ち上げれば、弟弟子は既に宙づりになっている乗り物を指さす。


「もちろん、それは乗って行けば良いわ。改良と実験には時間がかかるし別の機体で……ちっ」


 静蛉は油条を投げた時に手に付いた油が図面に移ったのを見て顔をしかめる。


「整備と準備の方は?」

「万全よ!」


 図面の汚れた部分を手で切り取りながらの返答に、幻晶侠は溜息をついた。何かに夢中になっている時の姉弟子には何を言っても始まらない。長年の経験でそれを悟った弟弟子は、布の上で眠る光の方を見た。


「寝かしたまま乗せた方が早いか……」

「むにゃむにゃ……何ですぅ?」


 こちらの女にも何を言っても無駄だ。そう判断した幻晶侠は光をそっと抱き上げたが、その拍子に少女は目を覚ましたようであった。


「起きたか。さあ、光。飛ばしてやる」

「いい!?」


 貴公子のその言葉で、光は一気に覚醒し、彼の腕をすり抜け自分の足で地に立った。


「どういう意味で『飛ばす』でやんす!? ドラッグもエッチなのも禁止って!」

「この子はまだ寝ぼけているの?」


 幻晶侠に指を突きつける踊り子を見て、静蛉は首を傾げた。

「しかもここは尼寺でやんすよ!?」


 そんな尼僧の姿を目にすると、光は更に激情する。


「申し訳ない師姉。光はこういう子で」

「まあ! でも初めて飛行するのに緊張していないのは良いことだわ」


 静蛉は頼もしい事だ、と笑った。その声を聞いて光は思い出す。


「あーっ! そうだった! 本当にそのグライダーで飛ぶでやんすか?」

「銀翼蝙吉よ!」

「銀翼蝙吉だ」


 姉弟子と弟弟子は同時に名前を訂正した。しかし考えの方を改める気は無いようであった。

 

 光はいよいよ腹を決めた。

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