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長安幻晶録~仮面の侠客と少女と道士~  作者: 米俵猫太朗


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簫雨、二人に増える

「狸が喋った!!」


 光は跪いた姿勢から尻餅をつき、背後に倒れた。


「紹介しよう。球球(きゅうきゅう)、こちらは別の世界からきた踊り子、光だ。光、こちらは峨眉山(がびさん)いちの狸、球球だ」

「光おねえさま、球球がご挨拶を申し上げます」


 球球と呼ばれた狸は光の方を向き直り、こちらにも叩頭する。


「きゃわいい~! 光です、よろしくね~! そっか雨さん、待ち合わせだけど人じゃないって、狸だったでやんすか!」


 異世界の踊り子は驚きつつも素早く納得し貴公子を見上げた。何せ既に都で多くの妖怪変化を目にしている。里山にいる話す狸など可愛いものだろう。


「そういう事だ」


 簫雨(しょうう)は光が立ち上がるのを手助けしつつ、首肯する。


「この子に会わせる為にあっしをここまで? 嬉しいな~」


 喜ぶ少女は球球へ駆け寄り抱きしめ、狸は苦しそうな声を上げた。


「光おねえさま、苦しいです!」

「本来の目的は違う。球球、それ」

「はいよ!」


 簫雨は光の腕の中にいる獣に声をかけると、一声で己の衣服をはぎ取りそちらへ投げる。聞いた球球も大喝一声、踊り子の戒めから抜け出し宙を舞う衣に身を投げた。


「ぽん!」

「ありゃりゃ!?」


 気の抜けた音と光の声が響く。それが消えた後に残ったのは幻晶侠(げんしょうきょう)と簫雨が並び立つ姿であった。


「雨さんが二人!? いや違う、球球ちゃんが化けたでやんすか!?」

「その通りです、光おねえさま」


 簫雨の姿になった球球が、元の声でそう応える。


「球球は峨眉山、いや唐随一の変化術の持ち主でな」


 幻晶侠の姿になった簫雨が、己の仮面や銀の装束を確認しながら付け足した。


「化け狸だってでやんすか……」

「ああ。目くらましの為に時折、俺の姿で過ごして貰っている」


 点検が済んだ幻晶侠は続いて球球の着こなしを確認し手助けする。


「幻晶侠のおにいさまはわたくしの一族を救って下さいました。そのお返しには、まだまだ足りないくらいです」

「この度の旅は少し長いぞ。俺は背中を負傷した上に、迷子になった同行の少女を探しながら帰省する事になっている。大丈夫か?」


 そう訊ねる幻晶侠の声には、光が聞いたことの無い程の気遣いや憂いの色があった。


「問題ありません。……問題ない。傷の痛みよりも、輝く玉石(ぎょくせき)を見失った悲しみの方が強いさ」


 そう応えるのは簫雨の姿になった球球である。途中からは声も、話す内容も簫雨そのものだ。


「うわ、本物の雨さんみたいな言い方! ……て迷子になった少女とか輝く玉石ってあっしの事ですか?」


 目を丸くしていた光は、しかしある事に気づいて両者の顔をまじまじと見つめた。


「そうだ。光にはこれから、俺と行動を共にして貰う」

「い!? 雨さんになった球球ちゃんを故郷へ帰らせて、幻晶侠とあっしは長安に帰るってこと!?」

「いや、俺たちも成慶(せいけい)には向かう。但し隊商よりずっと早くに到着する予定だ」


 それから幻晶侠は枝で地面に図を書いて説明した。隊商はまだ数日かけて四川へ戻る。だが幻晶侠と光は僅か一日で成慶に戻り、特に幻晶侠は殊更に姿を衆人に晒す。

 そうする事によって、間違っても幻晶侠と簫雨が同一人物であると誰も思わないようにする。成慶と長安の両方で活動する彼にとってその工作は非常に重要であり、既に何度も行っている事なのだ。


「確かに雨さんがどっちかへ行く度にそっちに幻晶侠が現れたら、じき誰かが不審に思うか……。しかし化け狸を使ったアリバイトリックとは、双子を使うより理不尽でやんす!」

「アリババとっくり?」

「光はどうも回教徒(イスラム教徒)の知り合いがいたようでな」


 説明を聞いた光が唸る間に、幻晶侠と球球も知識の交換を行った。


「では球球は宿の方へ参ります。いつもの部屋ですよね?」

「いや、今回は二番目の部屋だ。宜しく頼む」

「あ、球球ちゃん無事でね!」

「光ねえさまこそ! では」


 ランタンを拾い歩き出す球球へ光が名残惜しそうな声をかけると、簫雨の姿は謎めいた笑みで返した。


「ああ、可愛かったでやんす! もう少し雨さんの姿にならずにいてくれれば良かったのに!」

「……聞こえたぞ。では我らも行こう」


 幻晶侠はそう呟くと有無を言わせず光を抱き抱え、軽功を駆使して飛び上がった!




 峨眉山の枝や葉が、黒い影となって後方へ飛んでいく。内功を鍛えていない少女は夜目が効かず、時折その影を目で追うのみだ。


「このまま山を登るでやんすか!?」

「それも良いが、そうすると球球の到着と大差なくなるな」


 息一つ乱さず幻晶侠は応えた。そして最後の枝を一蹴り、大きく飛び上がると空中で何かに掴まりくるりと回転し、宙に留まった。


「空中浮遊!? いや、鎖か!」


 光が叫んだ通り、幻晶侠は縦に伸びる鎖に掴まっていた。全体が黒く塗られており、その上端は上へ伸びつつ夜空にとけ込んで先がどこにあるか知れぬ。一方、下の方は……岩壁に空いた洞穴の中へ消えていた。


「ほらあなだ!」

「ああ、穴だな」


 幻晶侠は地面に着地すると驚く光をそっと降ろし、身を屈めその穴へ入っていく。だがすぐに大きな、人が二人は入れそうな葛籠を抱えて外へ出てきた。


「なんすかそれは? 野宿の為のキャンプ用具……ではないでやんすよね?」


 葛籠から幻晶侠が出した大きな布や縄、鍋の類を見て光は首を傾げた。ここで宿泊してしまっては球球の身代わりに大きく遅れをとるからだ。


「ああ、野宿はしない。これは天灯(てんとう)を改良したものだ」

「テント? やっぱりキャンプ用具でやんすか?」


 幻晶侠は光に説明しようとして諦めた。その代わりに手を素早く動かし、それを組み立てて行く。


「分かった! 気球だ!」


 やがて、出来上がったそれを見て光るが叫んだ。葛籠の上には小さな櫓が組まれ鍋の中で火が轟々と燃えている。その上には暖かい空気を含んで大きく膨らんだ布と、それらを繋ぐ縄……。


「きゅうきゅう? まだあの狸に未練があるのか?」

「違うでやんす! それ、暖めた空気で空へ浮かぶ乗り物でしょ? あっしの世界ではそれを気球と呼ぶのでやんす!」


 光が『気球』と呼んだそれは、彼女の言う通り既に宙へ浮かびつつあった。幻晶侠は光に向けて親指を立てながら、葛籠と例の黒い鎖を別の縄で繋ぐ。


「一目で仕組みを理解するとは、光は聡い子だな。その通り、これは火に炙られた空気が上へ向かう仕組みを利用して、空へ浮く乗り物だ。これで峨眉山の頂上まで一気に行くぞ!」

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