色男、乙女の帯を解かんとす
「あわわ!」
光は彼を避けようとして、均衡を崩し廊下へ倒れ込みそうになる。一方、身体を斜にして衝突を防いだ紺衣の青年は荷物を持っていない方の手を伸ばし彼女の腰を掴んで支えた。
「両手に貴重な品を持つ事になるとは。大丈夫か?」
「はい、ありがとうございま……いぃ!?」
光は救いの主の声を聞き礼の言葉を途中で止めた。その冷静な声、趙思浚の青よりは濃い紺色の服、女の腰を支えるのに慣れた手付きから、相手が誰かを察したのである。
「ううう雨さん!?」
姿勢を戻し、踊る様な身のこなしで室内へ戻った光は距離をとりそう叫ぶ。
「いかにも。簫家当主が趙医局の賓客、光殿にご挨拶申し上げる」
持ち手のついた駕籠を脇に置き、優雅に拱手するのはまさしく幻晶侠の正体、簫雨であった。
「あっしを追ってきた!? でもどうやってここが分かったでやんす?」
「再会の抱擁よりもそちらか。だが欲張りは嫌いではないぞ、答えよう。……俺の部屋から無くなった物を見れば明らかだった」
簫雨は駕籠を拾い指を上に向けくるくると廻しながら客室へ入る。その高慢な姿を見た光は椅子の後ろへ移動し、その背を盾にして顔だけを覗かせた。
「俺の衣装一式とかんざしがそれだ。光は踊り子だが、頭は帽子で隠して髪留めを使わない。となるとそれは換金目的とみるべきだ。他に金目の物も失われてないからな。ならば最初に探るは質屋で間違いない」
言われて光は自分の頭部を触る。趙思浚に正体を明かした時より帽子は既に無く、あるのは乱れた頭髪のみだ。
「都とは言え朝方から開いている質屋はそう多くない。博徒か酔客相手の店、しかも大通りや朝市に近い所から廻れば無駄足も少なかろう」
簫雨の語りに光は内心で頷く。確かに彼女は運良く質屋を発見したが、もしそれが裏通りの奥であれば見つけることもなく、運良く目にしても近づく事を躊躇っていたであろう。
「店は三件目で的中となった。そこの店主に銭を握らせ売り手の特徴を聞けば光のその時の風体と状態が分かる。空きっ腹に茶しか入ってなければ次は飯屋だろう。これまた三件目だ。そこで小僧に同様の手段で訊ねれば目的地が分かり、そこでの騒動が分かり……という案配だ」
貴公子はそこで一息、間を置いた。
「初歩的なことだよ、光」
「がーん! 言いたかった台詞を言われてしまったでやんす!」
光は頭に置いていた手をそのままに、髪を掻き毟った。
「だが謎が一つ残っている。今度は光に答えて貰おう。なぜ俺の館を抜け出した?」
「え!? そ、それはですねぇ……」
少女はどう答えたものかと言い淀む。踊りの師匠から、簫雨の様な人物に近づいてはならぬと厳命されているから……が一つであり、元の世界へ戻る術を趙思浚に求めて、というのもある。或いは簫家の家業が受け入れられぬものであると思ったから、とも言える。
「口に出せぬなら身体に聞いても良いが?」
「ぬ!?」
簫雨は光の目にも止まらぬ早さで、しかし風も起こさず滑らかに立ち上がり彼女の背後に立った。
「何を!?」
焦る光に何も応えずに、簫雨は彼女を後ろから抱き締める。
「ご、拷問!? この世界は拷問のハードルが低すぎるでやんす!」
「俺がお前をおいてあの美姫の元へ行ったのが気に喰わなかったか? だが物事には順番というものがあってな」
簫雨は片手で光の髪をかき分け、露わになった彼女のうなじのすぐ近くでそう囁いた。もう片方の手は腰を掴んでいる。何度も触れてきたその手は、しかし今までとは違う熱を持っていた。
「そ、それは別に……気にしてなかったでやんす! たぶん、うん。えっと、あ……」
背後から感じる吐息と体温に、光の思考は乱れた。より深く彼女に触れようとする簫雨の片手を両手で押し留めようとするが力が出ない。
「あっしはそんな気はさらさらねえで……や……」
「その割には随分と身体がほぐれているな? 思浚が良い準備をしたか?」
昼食後に神医が宮女に教導し、光にも施した按摩は閨房での『女の動き』を良くする為のものである。もっとも趙思浚も光もその効用を正確には知らぬ。
だだ簫雨はその意味を知っていた。
「そういうことするのは……まだ駄目で……」
光は僅かに残った理性で抵抗するが、貴公子から漂う淫靡な香りと甘い声に屈しかけていた。
「そうか。分かった、ならば夜まで待とう。それまでは寝台に座って語り合おうか?」
「いや、そういう意味じゃ……。しかもベッドに行ったら……する……でしょ?」
「ベッド? するとは?」
簫雨が訊ねると光は顔を真っ赤にして俯いた。その隙に男は女を抱え上げ、寝台まで運ぶ。
「きゃっ」
寝具の上に寝かされた光は、甘い悲鳴を上げた。身を起こそうともがくが全身に力が入らず、むしろ誘うような動きになる。
「先に服を返して貰おうかな。脱がすぞ?」
それを見れば簫雨も、さすがに声に粘りが出る。
「雨さんのえっち……」
かすれた声を聞いて光るはそう呟いた。そして観念したかのように頭を上に向ける。
「えっちか……。聞いた事は無いが、賞賛の言葉かな?」
「馬鹿……」
簫雨を罵る光の声も溶けそうであった。その身体に貴公子の指が迫った。
「光殿、失礼します」
「キキキ」
趙思浚と孫悟空が声をかけて客室へ入ってきたのは、簫雨の指が光の帯を解いた、まさにその時であった。




