1、化け物
「ずっと好きだったんだ。俺の恋人になってほしい。」
我が侯爵邸の殺風景な応接間で、ある意味場違いな高級服を纏う青年がベルに言った。
窓からは暖かな午後の日差しが差し込み、テーブルの向かい側に座る彼だけを照らしている。
アレン・ゼナード──顔良し、性格良し、血筋良しと三拍子揃った弱冠21歳の現公爵。
独身ということもあり当然の如く女性人気は高い。
そんな彼から交際の申し出があったとなれば、大抵の貴族令嬢は泣いて喜ぶことだろう。
だが、ベルは知っていた。
アレンの言葉が全て嘘であること。
寧ろ自分は彼に嫌われていること。
そして随分と舐められていること。
*****
アレンに押しかけられるちょうど半年前、ベルはソフィアという男爵令嬢になりきって商店街を歩いていた。
特徴的な銀髪はウィッグの下に隠し、声は少し上げ、闇市で入手した特殊な目薬で瞳の色も変えている。
たかだか街を歩くためだけにここまで凝った変装をするのには理由があった。
ベルの母に当たる女が、この王国と激しく対立する帝国の出身なのである。
かれこれ百年前に終わった戦争の禍根が未だ根強く残っており、王国中の人間がベルを忌み嫌っているため、素顔で外へ出れば罵倒の嵐。
変装なしでは買い物などできやしない。
もともと恨まれていたのは、帝国からやって来た母と彼女を王国に引き入れた父だ。
特に母は帝国の化け物と呼ばれていたらしい。
わざわざ敵地に嫁入りする母の気が知れないが、そんな女と結婚した父も父で頭がおかしく、二人はベルをこの世に生み出すという大罪を犯してしまう。
そしてその数年後、唯一の子供であるベルに化け物の肩書きを押し付けて呆気なく死んだ。
逆境の中でも愛の力で結ばれる小説のような展開は大変結構だが、巻き込まれた方はたまったものではない。
「うちの息子がね、この前化け物退治に行ったのよ。」
「まあ、勇敢ね。怪我は無かった?」
「全く。石を一発当ててきたって。」
「すごいじゃない。」
「もう、息子も私も皆に自慢して回ってるのよ。」
すれ違った主婦の二人組が、そんな話をしていた。
化け物の家に行って石を投げつけるというなんとも子供じみた度胸試し──ありがちな話題だ。
腰の青痣を服の上からさすり、ベルは歩き続ける。
「ソフィア様。」
道の端を進んでいると、一人の少年が緊張した様子で声をかけてきた。
たしか、すぐそこにある青果店の息子だ。
以前一度だけ話したことがある。
「あら、お久しぶりですね。」
上品に。お淑やかに。
ベルはソフィアのイメージそのままに返事をした。
「お、覚えていて頂き、光栄です。」
たちまち少年の顔は真っ赤に染まっていく。
彼の店で売っているりんごといい勝負だ。
「またお顔が見られて嬉しいです。それでは。」
「はい!」
ソフィア──もといベルがその場を後にすると、少年は幸せいっぱいという表情で店へ戻っていった。
彼は、まさか自分の惚れ込んだ相手が化け物だなんて考えもしないだろう。
仮に目の前で正体を明かせば、掌を返してベルを詰るに違いない。
「……?」
考えに耽りつつ歩いていると、近くに人だかりができていることに気が付いた。
立ち居振る舞いからして明らかに貴族であろう男が囲まれている。
周囲とは段違いに高貴な雰囲気。
ここは下級貴族や裕福な平民が集まる商店街なので、伯爵クラスが訪れて騒ぎになっているのかもしれない。
ベルも実際は侯爵令嬢だが、今はソフィア・クラウン男爵令嬢である。
もっとも、化け物に生まれた以上、身分は家畜以下だが。
心の中で悪態をつきながら人だかりの横を通り過ぎる。
すると、注目の的になっていた男が急に動き出した。
その行動が人の群れに道を作り、彼は真っ直ぐこちらへと向かってくる。
嫌な予感がしてベルは足を速めた。
基本的に高位貴族であるほどベルに対する反感は強い。
変装しているといっても骨格までは変えられないし、最悪の場合を考えると彼に近づきたくなかった。
「こんにちは。今日は買い物日和だね。」
しかし、男は容赦なくベルを引き止める。
じろじろと顔を見られている気がして、心臓に悪い。
ベルより頭一つ分背の高い彼は随分整った顔立ちをしていた。
少し首を動かす度に、その黒髪が揺れる。
どことなく中性的な雰囲気があり、穏やかという言葉が似合っていた。
「ええ、そうですね。」
「俺ははただの通りすがりなんだけど、君があまりにも美しいものだからつい声をかけてしまったよ。」
二番煎じをかき集めたような口説き文句が頭上から降ってくる。
ベルには、彼がどこの誰なのかまるで見当がつかなかった。
有力貴族の名前はある程度覚えているが、あまり人に会わないので顔は知らない。
「ソフィア・クラウンと申します。」
カーテシーと定型分の挨拶を披露すると、向こうもそれに応えた。
「俺はゼナード公爵家のアレン。」
それを聞いて、ベルの目が僅かに見開かれる。
爵位はもちろんのこと、その淡麗な容姿と人当たりの良さから、ベルとは真逆の意味で有名な人物だった。
「存じ上げております。」
「そう?嬉しいな。」
ベルの手に冷や汗が滲む。
アレンのような発言力のある者に正体が知られては、もうお終いである。
「貴方様とお話する機会があったこと、非常に光栄に思います。では、私はこれで。」
ベルは急いで立ち去ろうとする。
長年かけて作り上げたソフィアという隠れ蓑をこんなところで失うわけにはいかなかった。
「またね。」
アレンが手を振る。
彼と初めて言葉を交わした記憶は、その後時間と共に段々と消える──はずだった。
*****
「お断りさせていただきます。」
ベルはティーカップを口元へ運びながら、アレンと目を合わせることもなくそう返した。
常識的に考えて、侯爵令嬢が公爵であるアレンにこのような失礼を働くことは許されないだろう。
しかし、人間としてすら扱われない環境で爵位云々を気にする必要性は感じなかった。
化け物に恋心を抱いているなどと見え透いた嘘を吐かれたのだから、尚更だ。
「残念。理由を聞いても?」
「それほど重要なことではないでしょう。」
できるだけ冷たく、突き放すように言った。
彼の好意が本物であることは万に一つもあり得ないし、何か裏があるのだろう。
「俺にとっては大切だよ。」
そう言うアレンはまだくだらない茶番を続ける気のようだ。
彼がどんなに頑張ったところで騙されてやるつもりはないので、とっとと諦めて欲しい。
「目的は存じませんが、私はこのような幼稚な罠にかかるほど落ちぶれてはいません。白々しい演技はおやめになったらいかがです?」
「演技?何の話?俺は君を──」
アレンは困惑したような素振りを見せるが、どうせこれも演技なのだろう。
腹の内ではベルを憎んでいるに違いない。
「その態度のことを言っているのですよ。裏があるのでしょう?」
「え、ちょっと待って、何かすごい誤解して──」
苦笑いをするアレンが、こちらを見下しているようで気に入らない。
「ですから無意味だと申しておりますでしょう。大変な自信家とお見受け致しましたが、私を懐柔できるとお思いで?」
絶対に何かある、というアラートが頭の中で鳴り響いていた。
公爵が王国一番の嫌われ者を訪ねて来る時点でいろいろとお察しである。
「だから違うって。……まあでも、拒否された原因がそれならまだ可能性はありそうだね。」
「ありません。」
「君が何をどう勘違いしていても、俺は君が好きだよ。」
「お上手ですね。公爵が女性の間で人気な理由がよく分かります。」
「他のご令嬢じゃなくて、俺は君に好かれたいな。」
アレンが柔らかい笑みを作る。
まさかとは思うが、ここから軌道修正をするつもりだろうか。
あるいは、馬鹿げた発言をすることも作戦の内なのかもしれない。
「結構です。ご存知の通り自慢する相手もおりませんし。もとより公爵のような軽薄な方は好きません。」
「悲しいなあ。」
アレンは言葉とは裏腹に笑顔を崩さない。
「用がお済みでしたらお帰り下さい。」
ベルはアレンを軽く睨んだ。
「もう?俺はまだ話し足りないけど。」
「お帰り下さい。」
ベルはもうほんの少し目に力を入れる。
こういうときでも品性を捨てきれないのは貴族令嬢の性だろうか。
「残念だけど、家主がそう言うなら仕方ないね。今日はこれでお暇しよう。」
「ええ、お早く。」
「冷たいなあ。見送りはしてくれないの?」
「私をどこぞのご令嬢と勘違いしていらっしゃるようで。誰が嫌いな相手にそのようなことをするのですか。」
「ショックだなあ。」
「微塵もそうは見えませんね。」
「それはほら、君と話せて嬉しかったから。」
アレンがまた笑った。
本当に外面だけは良い男だ。
口から飛び出す言葉がどれもこれも嘘ばかりで、話していると疲労感が溜まる。
「じゃあね。好きだよ。」
最後まで胡散臭いセリフを吐き続けて、アレンは漸く侯爵邸を去った。




