90.偽物姫を終える時。
また泣き出してしまった私が落ち着くのを待ってから預けていた赤いローブを返してくれたセルヴィス様は、
『そろそろ行くか』
と、そのまま私を抱き抱え、現在クローゼアの王城内を堂々と闊歩している。
「……重く、ないですか?」
「むしろ軽すぎて心配になる」
確かに自力で歩くこともままならない状態ではあるが、城内でお姫様抱っこなんてヒトの視線が痛すぎる。
赤いフードを深く被り蜂蜜色の髪と天色の目を隠す私は、
「あ、あのっ。どこかに行きたいなら人目につかない道を」
小声でそう提案するけれど。
「何を憚る必要がある」
と即時却下される。
「ですから、私の存在は」
今、この王城にはイザベラがいるはずだ。
本物がいるというのに、偽物の私が同時に城内で目撃されるのは非常に不味い。
だというのに。
「リィルはこの国の第二王女で君は俺の妃だ。文句がある奴は俺が全部切り捨てる」
そう言ってセルヴィス様は譲らない。
「とりあえず、この程度の事でうちの貴重な人材を減らすのはやめてください」
「この程度、だと」
背筋が凍るほど冷たい声と狼みたいに喉元を喰い千切りそうな獰猛なオーラを放つセルヴィス様は、
「リィルへの今までの仕打ちをこの程度?」
分かりやすく非常にお怒りで、畏怖の念を覚えるどころか視線が合うだけで射殺されそうだ。
普段温厚なワンコみたいなビジネス暴君だからたまに忘れそうになるけれど、そういえばこの人は先代から帝位を奪い取り容赦なく血縁を処刑した人だったと思い出す。
「それに帝国皇帝陛下の寵愛を受ける妃への不当な扱いは我が国を軽んじられるのと同義だ」
到底受け入れられないと突っぱねる。
無慈悲で残忍な一面も持っている彼が私のために怒っている。
『君が枷になってくれるなら、俺はきっと化け物にはならない』
そう言ってくれたセルヴィス様のために私ができること。
それは、少し勇気を出すことだ。
「ヴィー、顔が怖いです」
「すまない、君を怖がらせる気は」
慌てたセルヴィス様の声に被せ気味に、
「"冷酷非情な暴君"はそんなに簡単に感情を露わにしてはいけません。涼しげに睨むだけで十分です」
あなたが今からするのは戦争ではなく舌戦でしょう? とダメ出しする私。
驚いたような紺碧の瞳と視線が交わりクスッと笑った私はコテンとセルヴィス様の方に身を預ける。
「リィル?」
「せっかく見目がいいのですから、使えるものはなんでも使わないと。その点、私の敬愛する"暴君王女"は徹底していたでしょう?」
私のお姉様はすごいのよ、とドヤ顔で自慢した私は、
「でも、私のために怒ってくれたのは嬉しい。ありがとう」
誰かに心を傾けられるのはこんなにもくすぐったく、温かで。
私はそれに応えたい。
今の私は暴君王女じゃないけれど。
「そうですね、顔を隠すのはやめましょう。私はこの国の第二王女リィル・カルーテ・ロンドラインなのですから」
フードを取った私は堂々と顔を上げる。
「私を正妃に迎えてくださるのでしょう? ふふっ、私は少々高くつきますので覚悟してくださいね?」
暴君王女らしさを意識してセルヴィス様にそう尋ねれば、
「この程度の我儘、帝国の主である俺にとって甘噛みにもならない」
楽しげにセルヴィス様が応戦する。
「では、クローゼアと帝国のこれからを決めに行きましょうか。話し合いで、平和的に」
そうしてたどり着いた玉座の間の重い扉を軽々と開けて、私達は望む未来への一歩を踏み出した。
**
ーー3年後。オゥルディ帝国にて。
「わぁ〜本当にすごいっ! なんて色鮮やかで素敵な庭園なんでしょう」
見事だとセルヴィス様が称賛する庭園を初めて見た私は感嘆の声をあげる。
「リィルなら絶対気に入ると思っていた。やっと、約束が叶ったな」
私のはしゃぎようにクスッと笑ったセルヴィス様は、そのまま私を引き寄せて抱きしめる。
「それに婚姻衣装を纏う君は想像以上に綺麗だ」
ずっとコレが見たかったと満足気な声が耳に落ちてくる。
クローゼアの売国を目論みこの国に渡った時は想像できなかった未来。
春になったら大々的に式をあげようといったセルヴィス様の言葉通り、私は今日セルヴィス様と数年越しに結婚式を行う。
「綺麗だなんて。そ、それは衣装が素敵だからでっ、私よりもずっとセルヴィス様の方が」
「綺麗だ。それに、リィルがコレを着て俺の隣にいることに意味がある」
やっと君を正妃として紹介できるのだからと、セルヴィス様は感慨深そうにそう言って私を見つめる。
正妃にする、とセルヴィス様は言ってくれたけれど私が敗戦国の王女であったことや体調が優れなかったこともありすぐに正妃として隣に立つことはできなかったから。
「お待たせして、すみません」
「大したことはない。それに"待て"は得意なんだ」
そう言ったセルヴィス様はぴょこんと狼の耳を出す。
「ちょっ、こんなところでダメですよ!!」
「触らないのか?」
「触……りたいけども! ダメなものはダメです」
断腸の思いでモフモフの誘惑を断る私。
「それは残念だ」
揶揄うようにそう言ってセルヴィス様はケモ耳をしまう。
「もう! あとで覚悟しててくださいね。めちゃくちゃモフリますからっ」
不敬だと咎められないと知っている私の宣言に、
「これから先いくらでもそんなは時間取れるだろ。君は俺の妃なんだから」
セルヴィス様は見惚れるくらい綺麗に笑った。
リープ病を発症し、あとはもう死を待つだけという段階まで進んでいた私が"生きたい"と未来を望んでから3年。
私は今もセルヴィス様の側で生きている。
この3年、本当に色々あった。
イザベラと入れ替わっていた点については、
『王女を寄越せとは言ったが第一王女と指定した覚えはない』
というセルヴィス様の一言と、
『王女の名前の間違いについては目を瞑ってやるから今すぐ訂正しろ』
という要求で私の存在が公に明かされ事実上不問になった。
クローゼアには王女が一人しかいないというのは有名な話だったし、クローゼア王が実権を握ったままだったならきっと通らなかっただろうけれど。
クローゼアへの襲撃を把握していたイザベラが王を守るという名目で王城から父を王領に逃し全権を一時的に預かっていたので、話し合いは思いの外スムーズに進んだ。
そのまま鬼の居ぬ間に売国しようと思ったのに、
『リィルが本当に望んでいるのは、売国ではないだろう』
と、セルヴィス様に一蹴され代わりに提案されたのは同盟国としての平和協定だった。
セルヴィス様が取り出したのは私が綴った植物園の活用方法。
オゥルディ帝国で植物園を見た時から思っていた。
クローゼアにはサーシャ先生をはじめとした元カルーテ国民には薬学に優れた人材が多くいる。
彼らを帝国に派遣できれば新たな薬の研究が可能だ、と。
それをクローゼアで活用できずにいた件の貿易港を拠点に他国に輸出すれば十分利益を見込める。
それは少しずつ実現していき、その度にクローゼアと帝国のわだかまりも解けていった。
一時は不吉とされていた双子を隠していた王家の闇を皮切りに公爵家や王臣の不祥事がこれでもかというばかりに公表され、民意は王家から離れかけたけど。
帝国と友好な関係を築き敗戦後荒れていた国を立て直したイザベラへの国民の支持は高く、ついには先代を王位から退かせイザベラが女王として立つことになった。
先代を退かせるために、
『印象操作が必要ね!』
と嬉々としてイザベラが企画したのは演劇で。
クローゼアとオゥルディ帝国で、双子の王女に降りかかった悲劇と冷酷な皇帝の恋物語が上映された。
それはイザベラの目論見通り人々の心を掴んだけれど。
『さすがに嘘が過ぎない!?』
と突っ込んだ私に、
『あら、リィルったら。本当の話をちょーっと盛っただけでしょ? 8割くらい』
しれっと言ってのけたイザベラはやはり女優だとしみじみ思う。
リープ病の治療方法の模索。それが一番難航したけれど。
クローゼアで隠していた鉱山の開発が進んだことで魔力を貯めることのできる鉱石が見つかったことで事態が好転した。
その珍しい鉱石に興味を示した魔塔の協力が得られ、病巣のみに的確に必要な魔力量を当て毒を毒で打ち消す治療法が開発された。
そのおかげで今も私は生きている。
振り返ればあっという間に月日は流れていったけど。
私が痛みに苦しみ眠れない夜も。
嬉しいことがあった日の朝も。
私の側にはいつもセルヴィス様がいてくれた。
「どうした、リィル?」
耳に馴染む声で私の意識は今に戻る。
「いえ、ただ約束が果たせる日が来て嬉しいな、と。シエラたちに会えるのも久しぶりですし、それに……」
私は紫紺の瞳とヴァイオレットブルーの長い髪をした社交界の華だった彼女のことを思い出す。
私と同じ、偽物を演じていた彼女。
彼女は獄中で自殺したことになっているが、今は名を変え彼女を知るヒトのいない地で彼女の王子様と共にその才を発揮している。
これから先も監視が外れることはないだろうけれど。
「見逃してくれて、ありがとうございました」
「覚えがないな」
セルヴィス様はそう言って紺碧の瞳を瞬かせる。
全部を飲み込んでしまいそうな夜のような人だから、きっとこの程度の秘密を飲み込むなんて彼には大した事ではないのだろう。
「いいえ、なんでも」
だから、私も全部全部飲み込んで、
「本日は皇帝陛下の寵愛を受けるたった一人の妃を堂々と演じてみせますね。例の演劇のモデルだと期待されてますし」
堂々と彼の隣で顔をあげようと思う。
セルヴィス様が私が正妃になるなら不要だとなくしてしまったので、この国にはもう後宮は存在しない。
とはいえこれから先も野心の多い貴族達との化かし合いは続くだろうから、契約妃だった時以上に頑張らねばと気合いを入れる私。
そんな私をじっと見たセルヴィス様は、
「寵愛は演技じゃないんだが、我が妃は随分疑り深いようだ」
不満気な声を上げる。
「えっと、それはモノの例えといいますか」
やばい、なんか余計なスイッチ踏んだと焦る私を前に揶揄うように口角を上げるセルヴィス様。
「リィルには身をもって理解してもらわなくては、な?」
獲物を捕食する狼みたいな紺碧の瞳に捕まって抗えなくなった私の視界は狭まり、そのままセルヴィス様に口付けられた。
「ヴィー、これ以上はだめっ」
何度目かの触れ合いの後、白旗をあげた私から名残惜しそうに離れたセルヴィス様は、
「仕方ない。今はこれで勘弁してやる」
そう言って私の手を取り指先に甘噛みした。
「なっ、もう! ……せめて場所は考えてください」
「人払いはしてあるが?」
「そういう問題じゃ」
外だと咎める声は色香を隠さないセルヴィス様の甘い声にかき消され、私の言葉は行き場を失う。
せめてもと睨んでみるが、
「ふはっ、そんな顔をしても可愛いだけだぞ」
私の天色の瞳には上機嫌なセルヴィス様が映るだけ。
「ようやく君を正妃にできる、とこれでも浮かれているんだ。大目に見て欲しい」
甘えるようにそう言われ、自分でもじわじわと頬に熱を持つのが分かる。
結局のところ、私はこの人に勝てないのだ。
「ところで、テーブルを彩る花は赤で良かったのですか?」
帝国の式典は青が主流でしょう? と私は話題を変える。
「いいんだ。俺の国なのだから、俺の好きな色にする」
異論は認めない、と暴君らしく言い放つセルヴィス様。
「昔は赤い花なんて嫌いだと言っていませんでした?」
私が揶揄うようにそう問えば、
「生きていれば好みも変わるだろ」
だって、赤はリィルの色だからとセルヴィス様が私の髪に留まる赤い花を指す。
「まぁ、そんなわけで。リィルも犬派に鞍替えさせてみせるから、覚悟しておくといい」
不敵に微笑むセルヴィス様は、私の髪を掬うとキスを落とす。
セルヴィス様の挑発を受け、私は大事なことを伝え忘れていたと思い出す。
「鞍替え、はしないと思います」
怪訝そうなセルヴィス様に耳を貸してと屈んでもらい、
「実は私、根っからの犬派なんです。猫派はイザベラ」
と最後の偽りを正す。
セルヴィス様がリィルを望んでくれたから、厭われ、偽物姫だった私はもういない。
「今日も素敵な日にしましょうね、ヴィー」
尻尾が出ていたら全力で振っていそうなセルヴィス様に抱え上げられ、私は偽物姫に終わりを告げたのだった。
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