侯爵令息は令嬢の救出に向かう
エーデルブルーメの前でマルティナと別れたあとの、エリオット(リオン)のお話です。
彼女を一目見た時、『逃してはならない』と思った。
どうしてそう思ったのかと問われれば、明確には答えられない。
ただ何となくそう思ったのだ。
それは『勘』と呼ばれるもの。或いは『直感』。
俺は昔からそういった類のものが人よりも鋭かった。
それはかなりの確率で当たるし、そのお陰で危機を脱したことだって幾度となくある。
だから今回もそれなのだろう。
そうでなければ初めて会った人に対してそんな思いは生まれてこないはずだ。
その思いを抱いた相手――彼女は『ルティナ』と名乗った。
いや、名乗らざるを得なかったと言った方が正しいか。何せ彼女は言い間違って『ル』と発したようだったからな。
それなのに俺は、彼女が言い直すことにもどかしさを覚え、気付いたらその先を促していた。
普段ならば相手が言い直すまで待ち続けるのに、俺らしくもない。
一方先を促された彼女は、言い逃れようと懸命に足掻くも、しまいには観念した。まあ、俺が逃げ道を塞いだのも一端としてあるかもしれないが……。
それはともかく。彼女は俺の愛称も間違えた。ゆえに好きなように呼んでくれと言ったら、彼女は俺に『リディ』という愛称を付けてきた。
それを聞いて女性みたいな愛称だと思ったが、彼女から『私だけの特別な呼び名』だと言われてしまっては拒否できない。寧ろ『悪くないな』と思ったくらいだ。
それに、屈託のない笑顔で言われたら反論などできるはずもない。しかも、その笑顔が物凄く可愛いのだから余計始末に負えない。
結果、『何だコレ、反則だろ。可愛い』と笑顔を向けられる度に悶えた。
まあそんなわけで、俺の直感は当たっていたと思う。
話せば話す程彼女の人柄に触れ、ますます惹き込まれていく。
普通の令嬢と違って庶民と接するのを厭いもしないし、兄をうんざりさせていた令嬢たちと違って媚を売ることもしない。
更に、ルディから聞いたのか俺の好きそうな話題を振ってきてくれたりと心配りも素晴らしい。
だから、彼女を何としてでも俺の許に留めて置きたくて、俺らしくない言動を何度もした。
柄にもなくしょんぼりしてみたり、破顔してみたり。
そんなふうに俺を突き動かす彼女が愛らしいと思った。
もしかしてルディは俺の好みに合わせて彼女を紹介してくれたのだろうか。だとしたら俺は彼に一生頭が上がらないだろう。
何せ俺の好みど真ん中なうえ、性格も合う。これ以上の女性は現れないのではないかと思ったくらいだ。
ただ一つ難があるとすれば、未だに彼女の素性がわからないことだ。
瞳の色や雰囲気はどことなくルディに似ており、ルディの姉か縁者ではないかと睨んではいるものの、その正体は一切謎である。
とは言え、今度のパーティーで彼女のエスコートをする予定のため、どこの誰なのかはすぐにわかるだろう。
ルディは家格も釣り合いが取れると言っていたので、何の憂いもなく婚約までいけそうだ。
けれど、先程のあの別れ方が少し気になった。
途中までは何の問題もなかったはずだ。そう、ローエンシュタイン嬢の話をするまでは。
あの時、話の流れでローエンシュタイン嬢と婚約させられそうになった経緯を、ルティナに話していた。すると突然ルティナが帰ると言い出し、足早に帰ってしまったのだ。
その時の俺はどうしていいのかわからず、去って行く彼女の後ろ姿を見ているだけで精一杯だった。
俺は何か失態を演じたのだろうか?
こういったことに不慣れな所為か、彼女の気持ちがわからない。怒っているのか失望したのか……。
こんな俺がまた会いたいと言ったら彼女は承諾してくれるだろうか……。
失意のうちに邸に戻った。
***
その夜。
夕餉を終えて自室で寛いでいると俄かに階下が騒がしくなった。
何事だろうか。念のため帯剣して下の階に行く。
すると玄関ホールに、昼間職人街で会ったローエンシュタイン嬢がいた。
彼女は何やら執事のティルマンと言い争っており、その顔は幾分青い。それを見て、何だかとてつもなく嫌な予感がした。
「何事だ?」
「エリオット様……」
「大丈夫だ、彼女は問題ない。……どうなさいましたか、ローエンシュタイン嬢?」
彼女の相手をしていたティルマンを下がらせ、ローエンシュタイン嬢の前に出る。
普段十七歳とは思えないくらい落ち着き払っている彼女が、今は年相応に慌てふためいており、事が重大なのだと嫌でもわかった。
「夜分に先触れもなく申し訳ございません。ですが一刻を争うのです。イストゥール様。どうか、どうかお力添えを!」
「ちょっ!?お、落ち着いてください。一体何があったのですか?」
彼女は余程動揺しているのだろう。俺の胸倉を掴んで顔を寄せてきた。
一刻を争うと言っていたので焦っているのはわかるが、これでは埒が明かない。一旦落ち着かせるために彼女の両肩に軽く手を添えてそっと引き離す。
それによりローエンシュタイン嬢は落ち着きを取り戻した……わけでもなく、勢いそのままに口を開いた。
「ティナがっ!ティナが攫われたのですっ!」
彼女の言葉に、もうこれ以上無理だというくらい目を見開く。
ルティナが何だって?
……攫われた?
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、やや遅れて今すぐ彼女を助けに行かねばという思いが湧き上がった。
そんな俺に対してローエンシュタイン嬢は少し落ち着きを取り戻したようで、静かに事の顛末を語り出す。
「わたくし、ティナと約束をしたので彼女の指定する場所でずっと待っていたのです。ですが、いつになっても来る気配がなくて……。それで彼女の侍女と一緒に捜し始めたのです。そうしましたら、彼女が職人街の西大通りの脇道に入っていくのを見た方がいらして……それでそこを中心に捜索いたしましたの。そこで見知らぬ馬車が物凄い速さで走り去っていったとの情報を得ましたわ。紋章も何もない簡素な馬車だったそうです」
「その馬車はどちらの方角に?」
「真東の方に、あっ……」
その話を聞いてやにわに走り出す。
彼女の身を案じればこそ、居ても立っても居られなかったのだ。だが――
「お待ちください!」
後ろからローエンシュタイン嬢に呼び止められ、渋々足を止めて向き直る。すると厳しい表情の彼女と目が合った。
「単独行動はいただけませんわ。然るべきところに話を通して応援を要請なさってはいかがでしょう?」
そこで漸く自分が焦燥感に駆られていることに気付いた。
それを抑えるために一度深呼吸をしてから、執事のティルマンに指示を出す。
「ティルマン、すぐに使いを出して今の話を聖騎士団の団長に伝えてほしい。話せばすぐに団長が采配してくれるだろう。それから馬を用意してくれ」
「かしこまりました」
ティルマンは一礼をしてこの場から去って行った。
それを見届けることなく、すぐさまローエンシュタイン嬢の方を向く。
「ローエンシュタイン嬢。もうこんな時間ですのであなたは邸に戻られた方がいい。何かあったら必ずご連絡をすると約束いたします」
「え、ええそうですわね、わかりました。わたくしは邸に戻ります。イストゥール様、どうかティナをよろしくお願いいたします」
「はい、命に代えましてもルティナを救い出しましょう」
深く頭を下げてきたローエンシュタイン嬢を安心させるため、言葉を選んで紡ぐ。
すると彼女はさっと頭を上げるや、眉尻を下げて困った表情を浮かべた。
「ティナが助かってもイストゥール様がご無事でなければ意味がありません。ティナが悲しみますわ。お二人とも無事にお戻りくださいませ」
「ありがとうございます、ローエンシュタイン嬢。それでは、私はここで失礼いたします」
彼女に軽く会釈をし、速やかに向きを変えて外に出る。外には既に馬が用意されていた。
さすが侯爵家の執事だ。こういう時の彼の力量はいつにもまして素晴らしい。
俺は彼の手際の良さに感嘆しつつ馬に跨ると、即座に馬を走らせて邸をあとにした。
馬の速度は襲歩――全速力だ。
今は夜なので人通りも疎らで、その人たちも道の端を歩いているために人を撥ねる心配もない。何の気兼ねもなくルティナの許に向かえそうだ。
ただ、彼女が連れ去られた情報はあれど、その正確な位置まではわからない。
それでも、彼女の居場所の目星はついていた。
実は以前から職人街を中心に誘拐事件が頻発しており、ひそかに聖騎士団が調査に当たっていたのだ。
まあ、実際任務に当たっていたのは第二師団で、俺たち第一師団は警邏していただけだが。
ともあれ、俺は副団長なのでその件の打ち合わせに参加しており、いろいろと詳細を把握している。
加えてローエンシュタイン嬢から、ルティナを乗せたと思われる馬車が職人街の東――聖騎士団が誘拐犯のアジトだと睨んでいる建物の方に向かった、という情報を得た。
よって、向かうは誘拐犯のアジト。近々大捕り物をする予定だったため、場所は頭に入っている。
恐らく団長もその件に気付いてすぐに第二師団を派遣してくれるだろう。
ならば俺は、誘拐犯のアジトで第二師団が来るのを待ち、合流してからルティナの救出に乗り出せばいい。
更に万全を期するのならば、合流までの間に情報収集をするという手もある。より安全に彼女を救出できるだろう。
だがこうしている間にも、彼女の身が危険に曝されているかもしれない。そう思うと、それだけでよいのかと自問してしまう。
本音を言えば、すぐにでも彼女を救出したい。心配で胸が押し潰されそうだ。
こんな状態で、俺は本当に第二師団が来るまで彼女を身守り続けられるだろうか……。
そんな不安を覚えながら馬を駆った。
やがて、職人街の東の外れにある一軒の古びた工房の裏に着いた。
ルティナが攫われた職人街の西側からは大分離れており、もしアジトに目星をつけていなければ、ここを探し当てるのすら難しかっただろう。
馬から下りると人目につかない場所に馬を移し、物陰に身を潜ませながら辺りを窺う。
部下たちの報告によれば、ここは鉄製品を作る工房だったらしい。
もう何年も前に潰れてしまったらしく、放置された建物は所々傷んでいる。
物陰に隠れたまま様子を窺っていると、見張りと思しき二人の男がこちらにやってきた。
今はまだ事に及びたくないため、そのまま物陰に隠れて男たちをやり過ごす。
男たちは俺の目の前を通り過ぎ、裏口から建物の中に入っていった。
それを見届けると、更に情報を得るために身を隠しながら表に回る。
表には見張りが一人いた。長身でがたいのいい男だが、一人しかいないので俺一人でも何とかなるだろう。
だが、少し距離がある。
反対側ならもう少し距離を縮められそうだ。よって一旦引き返す。
するとその途中で、ガラスの一部が欠けている窓を見つけた。
周りに誰もいないのを確認し、そっと中を覗く。
(ルティナ!)
窓から少し離れたところに、手足を縛られて床に横たわっているルティナの姿があった。
彼女の前には、監視役と思われる男が一人。そこそこの手練れのようで、下手に踏み込んだら彼女に危険が及ぶだろうと容易に想像できた。
やはりここはおとなしく第二師団が来るのを待った方がよさそうだ。
すぐそこに彼女がいるのに彼女の許に駆けつけられないのがもどかしい。
その歯がゆさから思わず手を握り締めた。刹那――
『女の様子はどうだ?』
はっとしてその場にしゃがみ込む。声は聞こえるので、中の様子を見なくともある程度の情報は得られるだろう。
と言っても若い男性の声だとか、多分ルティナの前にいた男に話しかけているのだろうとかぐらいだが。
『まだ目を覚ましておりません』
『そうか……おい!』
『はい』
最初に声を発した男がまた別の誰かに話しかけたらしい。今まで話していた声とは違う声がした。
『そっちの具合はどうだ?』
『それが……うまく作動していないのかまだまだかかりそうです』
『なら威力を最大にしてはどうだ?』
『きっ、危険です!いくらまだだとは言えもう長い間やっているのです。そこで威力を上げたら彼女の身が持ちません』
は?ちょっと待て。今彼女の身が持たないと言ったか?こいつらは誘拐した少女たちを売るんじゃないのか?
そう報告を受けたと思ったのだが、何やら雲行きが怪しくなってきた。
これは早々に彼女を救出する必要がありそうだ。
だが単独であそこに乗り込んで、彼女にもしものことがあってはならない。なら、どうする?
男たちの会話を耳にしながら考える。
『……死にそうになったら即座に止めればいいだろう?とにかくこの女は危険だ』
『そんな簡単な話ではありません!その状態が続けば、彼女はやはり死ぬかもしれないんですよ!』
『ま、その時はその時だ。また別の商品を手に入れればいい。そんなことはどうでもいいからつべこべ言わずにやれ。いいか?これは命令だ』
『……はい』
……。
握り締めたままの手に更に力が入る。
機会を窺ってからと思っていたが、今すぐ行動に移すべきか?
そう考えていると、また別の男の声が聞こえてきた。
『あの時攻撃されたのをまだ怒ってるのですか?彼女を生け捕りにすると決めたのはあなたではないですか』
『だからこうしておとなしくしているんだろう?』
『ああ、そうだったんですね。それは失礼しました。それにしても、彼女をただ手放すのも勿体ないですね……』
(なっ!?)
もう機会なんてどうでもいい。第二師団を待っていたらルティナがいろいろとやばい。こっちで勝手にやらせてもらおう。
急いで正面入り口に向かうと腰に佩いていた剣を鞘から引き抜き、見張りの男目がけて走り出す。
見張りの男は側面からの奇襲に驚いたのか、剣を引き抜くのが僅かに遅れた。それを見逃す程俺はお人好しではない。
男の前まで行くと、鞘から抜かれたばかりの男の剣を己の剣で薙ぎ払う。
すると剣は男の手から離れ、勢いよく真横に飛んで軌道上にあった木にザンッと突き刺さった。
しかしそれで終わりではない。即座に身体強化の魔法をかけると、呆然と自分の手を見つめる男に回し蹴りを食らわせる。
斬り捨てることは簡単だ。
だが、俺は死で全てを終わらせたくないし、楽な逃げ道を用意したくもない。
「はぁっ!」
「ぐほっ!!」
身体を強化した上に回転を加えたことによって更に攻撃力を増した俺の蹴りは、見事男の体側に命中した。
何かが砕ける鈍い音を微かに立てながら、男が斜め後方へと吹っ飛んでいく。そして男はそのまま木にぶつかって動かなくなった。多分気絶したのだろう。
暫くは目を覚まさないだろうからこれはこのまま放置して、あとは駆けつけた第二師団に丸投げしよう。
それよりも今はルティナだ。
中には最低でも六人はいる。
俺が今一番すべきことは彼女を優先し、やつらの手から彼女を守ること。脱出させるのはそのあとでもいい。
ただ、ルティナの前にいる男が厄介だ。
俺がほかの者と戦っている間に、彼女を人質に取ったり危害を加えたりする可能性がある。
それを防ぐには短期決戦が一番だが……本気を出してごり押しすれば何とかなるか。
そうと決まれば即行動だ。
(……ああ、くそっ!ルディがいればもっと早く事が運んだだろうに!)
俺はこの場にいない相棒を恨めしく思いつつ、意を決して突撃した。
初デート時の彼の心境や、多々あった彼らしくない行動の真意、(そこまで解読不能ではないですが)虫食い状態になっていた彼の言葉の全容と、マルティナが攫われた際の彼の行動、全てを纏めてみました。
因みにエリオット(リオン)は恋愛初心者です。男友達や騎士団の仲間内でわいわいしているのが常だったため、女性の扱いに慣れていません。
パーティーなど公式的な場面なら教本通りにこなせるのですが……。




