コーチの依頼
水曜日の夕方。鷹取小学校の校庭では鷹取キッカーズの面々が練習に勤しんでいた。2面に分けたグラウンドは片方が5・6年、もう片方が4年以下に分けられている。
全国少年サッカー大会の福岡支部予選は既に始まっており、県大会出場を目指して順調に勝ち進んでいる鷹取キッカーズ。
土曜日には福岡支部予選の準決勝、その試合に勝てば決勝が行われることになっており、週末の試合に備えてミニゲームでも気迫のこもったプレイを見せる子供たち。
彼らを見つめながら、コーチの司馬は悩んでいた。
司馬は鷹取キッカーズのコーチであると同時に鷹取小学校の教員でもある。担当は4年生。竜司の隣のクラスの担任であり、まだ若く親しみやすい性格の彼は、父兄、子供たちから人気のある教師であった。
しかし、どんな仕事でもトラブルはつきもの。まして教室という小さな箱庭の中は、子供なりの問題が大小山積みである。
GWが近づきつつある4月後半、子供たちも新しい集団に慣れ始めた時期である。しかし、そこに乗り遅れる子もいる。学年が変わったタイミングでよくある話であるが、司馬のクラスでも明らかに馴染めていない子がいた。
その子はおそらく自分に自信がないのだろう。いつもオドオドしており、このまま馴染めないと、最悪の場合いじめにつながる可能性まである、と司馬は懸念していた。
このような時、教師の取れる道は少ない。子供たちの様子を注意深く観察し、輪の中に入っていくよう手助けはできる。しかし、できるのはそこまで。最終的にはその子自身が変わらないと解決まで至れないのだ。
子供とはいえ、いや、子供だからこそ彼らなりの友好関係というものがあり、大人が仲良くしなさいと言って関係が良好になるとは限らないのである。
「なんとか馴染んでくれないかな……せめて自信がつけばなぁ……」
現時点ではいじめが発生しているとは思っていない。しかし、このまま放置するわけにもいかない。そんな仕事の悩みに思考をとられていた司馬であったが、ピッチに響く声で意識を練習に戻した。
「淳くん、今の絶対間に合った! なんで諦めたの!?」
6年生FWの田中淳のプレイを指摘する声であった。発したのは飛び級で昇格させた唯一の4年生である竜司。
竜司が右サイドのスペースに出したロングフィードは、確かにギリギリの位置へのパスであった。淳は途中で間に合わないと判断し、スピードを緩めてしまった。
しかし、竜司のボールにはバックスピンがかかっており、着地後に減速していた。淳が諦めなければ間に合ったように司馬の目には見えた。
もっとも、正直なところ淳が諦めたのも仕方ないと司馬は思う。
淳以上に淳の能力を把握しているのではないか?
そんな思いにかられるほど、淳の限界を見越したパスであった。受け手によっては出し手が悪いと思ってしまうのも仕方ないだろう。
「いやいや、今のはパスミスだろ! そっちがちゃんとパス出せよ!」
「淳くんなら絶対にギリギリで間に合うはずなんだよ!」
憮然とした表情で言い返す淳。ピッチの上で言い合う二人をキャプテンの相川が仲裁している様を見て、コーチである司馬はため息をついた。
竜司という少年は逸材である。その能力に疑いはなく、言動も理知的。テクニック面では6年生も含めてチーム内で飛びぬけた実力を持っている。
小学4年生でこれほどの実力を持っていれば、普通は天狗になるところであるが、この少年はそんなそぶりすら見せない。驕ることなく、見下すこともなく、常に向上心を持って練習に励む姿は、既にチーム全体に強い影響力を持っていた。
しかし、問題がないわけではない。自身に常に高い要求をし続けているためか、この少年は仲間にも常に限界ギリギリのプレイを求めてくる。
それ自体はよいことであり、求められた相手の成長にもつながる。しかし、その求める相手が小学生である以上、その意図を全て酌めるほどみながみな大人ではないのだ。
そのため、今回のような言い争いが生まれることも頻繁にあった。普通はチーム内に軋轢を生んでしまうかもしれないのだが、この少年は恐ろしいことにその反発を別のベクトルに修正してしまうのである。
「淳くんなら絶対間に合う! チームで誰よりも速い淳くんが届かないはずがないよ」
「そ、そうか? けど本当にギリギリで間に合わないと思ったんだけど……」
「ギリギリだからこそ意味があるんだよ! 通るかどうか紙一重だからこそディフェンスもためらうし、通れば間違いなくビックチャンス! 試合なら淳くんがヒーローだよ!」
竜司の実力、特にそのサッカーセンスがチーム内で随一であることは既に広く浸透している。その竜司から己の快足を褒められ、まんざらでもないという表情になる淳。
「それに、俺は淳くんのスピードを計算してバックスピンもかけてた。年下で頼りないかもしれないけど、俺のこと信じてもらえない?」
「い、いやお前の実力を疑ってなんかないよ。分かった。今度からは諦めないようにするわ。けど、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ優しくお願いできないか?」
「うん。俺ももうちょっと取りやすくするから、次はよろしくね」
(こいつ、俺より話し方うまいんじゃないか?)
日頃話していても、時々自分より年上と話しているような感覚すら感じる少年を見ながら、司馬は改めて竜司の異質さに驚いていた。
自分の実力を踏まえつつ、あえて下手に出ることで、年上のFWを説得してしまった小学4年生。この少年を普通の小学生と考えるのはやめた方がいいのかもしれない。
彼に相談してみるのも一つの手かもしれない――そんな気持ちになった司馬は、自分の力不足を感じていた。
竜司の朝は忙しい。6時に起きると15分で準備を終わらせ、自宅近くの公園で早朝練習に勤しむ。竜司の住む地域の小学生は集団登校で登校することになっており、練習に費やせる時間は1時間。常ならば1時間目一杯使って練習するのだが、この日は違った。
15分ほどいつもより早く切り上げ、ボールの上に座った竜司は、前日にコーチの司馬から相談された内容を思い返していた。
隣のクラスにいる、弱気でクラスに馴染めていない同級生――川上修人という少年と友達になってほしいというお願いであった。
担任である司馬は、1か月近く経ってもクラスに馴染めていない川上のことが心配らしい。
精神年齢で言えば既に40を超えている竜司からすると、それほど大きな問題なのかという感想であった。
子供同士、それなりに時間がたてば馴染めるような気がする。実際、竜司がかつての人生でスクールの子たちに教えに行った時など、別々の学校の子供たちでもすぐ仲良くなっていたような記憶があった。
(あの時はサッカーがあったから簡単に仲良くなったのかな? けど、俺が友達になったからって解決するもんなのか?)
竜司にはサッカー選手としての経験はあっても、教師の経験も子育ての経験もなかった。自身が友達になることが、その子にどう影響するかはよく分からない。とはいえ日頃お世話になっているコーチからの依頼である。竜司としても適当にこなすつもりはなかった。
「ま、クラスに馴染めないんなら、もっと広い範囲で馴染ませちゃえばいいよな」
集団登校で歩く小学生の列の中、竜司は隣を歩く川島伊織に相談を持ち掛けていた。
伊織は竜司の二軒隣に住む同級生で、竜司が引っ越して来て以来の腐れ縁である。
かつての人生では小学2年生で北海道へと転校したためそれほど親密ではなかったのだが、今回は諸事情で転校がなく、幼馴染のような間柄になっている。
伊織は鷹取キッカーズのチームメイトでもあった。入団のきっかけは竜司からの誘いであったのだが、誘った竜司がどんどん飛び級していったため、ほとんど一緒にプレイしたことはない。それでもそのプレイに憧れていたし、いつか追いついてやる、とライバル心を持っている。
伊織は目標でありライバルと思っているものの、二人の関係は良好であった。竜司が困ったり、何かしようという時に相談する相手は、毎朝顔を会わせ、気心の知れている伊織であることが常だった。
「川上くん? 知ってるよ。2年の時に一緒のクラスで名簿順も近かったし」
「へー、そうなんだ。川上ってどんなやつ?」
「うーん、あんまりしゃべらなくて、確かマンガが好きだったはず。いつもオドオドしてるから、足速いのにあんまり目立たない子だったなぁ」
「そっか。足ってどれくらい早いの?」
「あれ、覚えてない? 去年の運動会でうちのクラスでアンカーしてたの」
「あ、あいつか。俺ギリギリで抜かれたんだよな」
そう言った竜司の脳裏に浮かんだのは昨年の運動会でのリレー。
トップを争う2組と3組。3組が僅かにリードしながらアンカーである竜司にバトンが渡ったのだが、その差を2組のアンカーにギリギリで逆転されたのだ。
どんなに鍛えても上には上がいる、と感じた悔しさを思い出す。
確かにあの時、普通ならアンカーが持て囃されるはずの状況にも関わらず、それほど2組のアンカーに人が集まっていなかったような気がする。
劇的な逆転勝利に貢献したにも関わらず、本人が一番驚き、動揺していたようだった。
「そうそう。竜司すごいくやしがってたじゃん」
「ふーん、そっか。あいつが川上か」
「川上くんがどうかしたの?」
「いや、ちょっとコーチに頼まれててさ。伊織、今日の昼休みちょっとそいつ紹介してくれない?」
その日の昼休み――身体の成長のため、いつもは昼寝している時間であったが、竜司は伊織と一緒に隣のクラスに顔を出した。
自分の席で本を読んでいる川上に歩み寄ると声をかける。
「川上くんって君?」
その言葉に目線を本から上げる川上。突然声をかけられて動揺しているのか、その視線が左右に動いている。竜司は机の横に座りこみ、目線を下げて話しかけた。
「俺、隣のクラスの安西竜司。川上くんってマンガ好きって聞いたんだけど、本当?」
「う、うん。そうだけど、誰に聞いたの?」
「誰って、ま、それはいいじゃん。てか、あのマンガ知ってる? 『ボールは友達』ってやつ」
「う、うん。もちろん。よく読んでるよ」
竜司が某週刊紙で連載中の人気マンガの話をふり、竜司のお気に入りのシーンを話し始めたところ、当惑しながら川上も自分の好きなシーンを話し出した。
共通の話題で一頻り盛り上がり、川上の表情が緩んだのを確認した竜司は突然話題を変えた。
「ところでさ、川上くんって足速いんだよね? 去年リレーのアンカーやってただろ?」
「う、うん。そうだけど……そ、それがどうしたの?」
「で、翼くんが好きだと。となると、決まりだな」
「え!? な、なにが?」
「うん。一緒にサッカーやらない? 明日から鷹取キッカーズの体験練習参加してみてよ。大丈夫! 少年団だからお金もそんなにかからないよ!」
「い、いや、安西くんに声かけてもらうとかすごい嬉しいけど、僕みたいなやつにはサッカーなんてできないよ」
「大丈夫! 川上くんには足が速いってゆう才能があるんだから、使わないともったいないよ!」
「そ、そうは言っても僕みたいに体がちっちゃい奴なんかにサッカーなんて難しいよ」
「いやいや、サッカーは身体のでかさなんかで決まらないよ。なんだったら俺が証明してみせるよ。とりあえず、体験練習に参加して、週末の試合見においでよ。俺が見せてやるからさ、体格の差なんてひっくり返せるってことをね」
そう言って笑った竜司は、川上にはとても眩しいものであった。