デビュー戦
透けるような青空の下、暖かな春の日差しが柔らかく降り注いでいた。
4年生としての始業式を終えて数日後、竜司は所属する少年団――鷹取キッカーズの練習試合に参加していた。
竜司の所属する鷹取キッカーズは、鷹取小学校の小学生を対象とした少年団である。
還暦を迎えて会社を二代目に譲った社長が監督を務め、OBであり、高校選手権にも出場経験のある20代後半の若いコーチ、数人のパパさんコーチというスタッフ陣。月水金の夕方に練習を行い、土日は相手が見つかれば練習試合を行っている。
小学生年代は学年ごとの体格差が大きいため、チームに所属する人数にもよるが、一般的には学年ごともしくは2学年ごとにチームを分けて活動することが多い。鷹取キッカーズは2学年ごとにまとめて活動している。
もっとも一定の体格があり、実力がある子に関しては飛び級で昇格させることもあり、竜司は2年生の頃から4年生のチームでプレイしていた。
低学年の頃から4年生相手に無双していた竜司の実力は、高学年にも知れ渡っており、充分なフィジカルを備えていると判断された竜司は春から高学年チームへ昇格していた。
この日の鷹取キッカーズの相手は、同じ区内にあり、共に中堅レベルという評価のライバル西陣少年団であった。
ライバルとの新年度最初の対決とあって、コーチ陣、父兄のボルテージがそれなりに上がる中、竜司の本格的な小学校サッカーデビュー戦は始まった。
鷹取と西陣は互いに4-4-2のオーソドックスな布陣。鷹取が中盤をフラットに並べてるのに対し、西陣はトップ下を置くダイヤモンド型の布陣。
竜司のポジションはセンターハーフ。もう一人のセンターハーフを6年のキャプテン相川剛士が務める。
「コーチ、ざっくり分けるとキャプテンが守備、俺が攻撃みたいな感じで考えればいいんですよね?」
「おう、そういうイメージでいいぞ。4年の試合でやってた感じでやればお前なら大丈夫だ」
28歳独身、鷹取小学校の教員兼コーチである司馬貴教は知っていた。目の前の少年が明らかに年齢離れしたテクニック、センス、知識を持っているということを。
竜司の持つ技術が異質なことはそのボールさばきを見れば分かる。しかし、本当に恐ろしいのは小学生離れした変幻自在、臨機応変なプレイスタイルである、と司馬は考えていた。
低学年のサッカーというものは、ボールに全員が集まる――いわゆるお団子サッカーになることが多い。けれども竜司が入るとその限りでなかった。
こぼれたボールの先には竜司が必ずいて、ボールを的確に散らし続ける。竜司が一人で点を決めるわけではない。やろうと思えばいくらでもできるはずなのだが、この少年は『サッカーをまだ理解できていない子供たち』をそのプレイで操り、ゲームを創ってしまうことができるのだ。
現役時には全国大会にも出場し、それなりに『凄いプレーヤー』は知っている。けれど、この年齢でこのレベルに到達している選手を、司馬は見たことがなかった。
天才、その眩しすぎる才能を導くプレッシャーは半端なものではなかった。正直3年生の時点で高学年相手にも十分プレイする実力はあった。
「けど、まぁやっとフィジカル的にも整った。さぁ思いっきり暴れてこい!」
チームのタクトを4年生に託すという鷹取キッカーズ。しかし、その判断に異論を挟む者は誰もいなかった。
試合は攻める鷹取と守る西陣という構図となった。
これまでであれば実力が拮抗していたため、片方に流れが大幅にいくようなことはなかった。しかし、この日は違った。
「くそ、全然隆につながらない」
西陣のキャプテン植田敦はぼやいた。西陣の攻撃は彼らのエースである岡田隆を経由して組み立てる。しかし、この試合では隆へのパスがことごとく通らない。おかげでCBである植田は大忙しだった。
「なんなんだよ、あの3番」
今まで見たことのない選手が鷹取の中央にいた。隣の小学校のライバル同士、お互い顔見知りだ。サッカー上手い転校生とか漫画かよ、と愚痴りながらも必死に足を動かす。
傍目ではそれほど動き回っているようには見えないにも関わらず、鷹取の3番は西陣のパスをいとも簡単にインターセプトするのだ。
「こりゃ手に負えん……しかもボールが全然とれないし……」
3番は奪った勢いのまま前進すると、するすると西陣の選手達の間をすり抜けていく。明らかに自分たちとはレベルの違うテクニックに翻弄される様は時代劇の殺陣のような美しさすら醸し出していた。
もっとも相手役を務める西陣の選手達は疲労感ばかりが募っていくのだが。
「やばい、3番ハンパないって!」
ボディフェイントだけで突破された植田のその悲鳴は、西陣イレブン全員の総意であった。
前半終始攻め続けた鷹取は5-0という大差をつけていた。
後半、西陣はFW1人だけを前線に残し、それ以外の人員全てを完全に下げた。本来攻めるべきシチュエーションである――にも関わらず、バイタルエリアをガチガチに固めてきたのだ。
勝利するのは難しい。だが、これ以上一人の選手に好き勝手させない。
そんな意思のこもった布陣であった。
鷹取のキーマンとなっている竜司には随時マーカーをつけ、ボールを持った際には必ず二人以上で襲い掛かる。
必死の形相で竜司に追いすがる西陣イレブン。
「そっちがその気なら、利用させてもらおうかな」
西陣の選手たちはポジションの歪みすら気にならなくなっていた。
意図的にプレイするサイドを偏らせ、逆サイドにスペースを作り、そのスペースを上級生に攻めさせる。数的優位となった鷹取はその優位性を生かしてさらに西陣を攻め立てた。
固めたにも関わらず、更に広がる点差。ここでまた竜司はプレイを変える。
(リードは充分。色々試していかないとね)
竜司は意図的に相手に囲まれ、数人相手にキープを試みる。身体、目線、足先の動きで相手を翻弄し、腕を使って空間を確保。上級生相手の接触にもしっかりと打ち克つ。
西陣にも体格では竜司を超える選手もいるのだが、軸のぶれないその姿勢が生む地面からの確かな反発力が、竜司の身体に力強さを与えていた。
これは竜司がかつての自分に足りず、これからの自分に必要と考えて努力してきたものの一つであった。
「これはこれでいい練習だな。やっぱ実戦で磨かないとね」
竜司が引き付ければその分他の選手はフリーとなる訳で、竜司の右足が再三好機を演出し続ける。
厳しい状況を自身を高める最良のチャンスと捉えて目を輝かせる竜司であったが、後半15分を過ぎると複数人に囲まれた状況にまで慣れ始める。
ボールは左右に散らされるだけでなく、時にバックパスも交え、緩急がつき始める。緩急の差に全くついていけない西陣はその展開についていくことができず、生まれた隙を容赦なく突かれてしまう。
試合は圧倒的に鷹取のものとなっていた。
「やっぱ天才……いや怪物だな」
小学生年代で見れるはずのないレベルの老獪なゲームメイクを見つめ、司馬は思わず口走っていた。
この二週間後、全国少年サッカー大会――いわゆる全少の福岡県予選が始まる。8月に東京ひまわりランドで開催される全国大会への道のりを、怪物は歩み始めた。