努力
弟の告白を聞き、協力を始めた日から圭司の生活は変わった。
弟の説得力のある発言により、明らかに自分より豊富なサッカーに関する知識、経験があると感じさせられてしまった。その言葉を偽りと判断するには難しく、結果として圭司は弟に協力を申し出た。
もっともその内容は自分自身にとってもメリットのある話であった。
弟は成長段階に合わせたトレーニングを圭司に教えてくれたのである。それらを圭司が実践することで弟も同種のトレーニングを行うことができる環境づくりこそが圭司の協力であった。
「歳に合わせてトレーニングの内容って変えないといけないのか?」
「うん。大人になるまでの間ってどんどん身体ができていくんだけど、その成長スピードってばらつきがあるんだ」
弟は言う。12歳以下の小学生期は神経系の発達時期であり、技術的な要素が最も向上するこの時期は、技術習得のために何度も反復する必要がある、と。
「神経系? それってなんだ? 反射神経とかの話か?」
「うーん、細かく説明するのは難しいけど、反射神経とかそういういろんな神経が伸びる時期ってことかな。いろんな神経を使って身体に馴染ませることで技術が伸びるくらいに考えてくれればいいよ」
「けど、それじゃぁ俺はもうテクニックは伸びないってことか?」
圭司は春から中1である。弟の言う神経系の発達時期を過ぎていた。
「いや、もちろん人それぞれだし、兄貴はまだまだ上手くなる。それは俺が一番知ってるから大丈夫! けど、その時期ごとに伸びやすいトレーニングがあって、兄貴がこれから迎える中学生、高校生の時期は俺ら兄弟が特に頑張らないといけないトレーニングを行うべき時期なんだ」
中学生期は呼吸循環器系の成長時期に入る。この年代では骨格が大きくなり、心臓や肺の入る肋骨の器も大きくなっていく。心肺機能を鍛え、スタミナを最も強化しやすい時期なのである。
そして、高校生期は筋肉系の発達が著しい。この時期から男性ホルモンの分泌が盛んになる。それに合わせて瞬発力やパワーを強化するのである。
「俺も兄貴もテクニックはあったけどフィジカルが弱かった。だから大怪我もした。今からスタミナを鍛えて、身体も鍛えればきっとすごい選手になれると思うんだ」
「で、その練習方法を竜司は知っていると」
「うん。前はB級ライセンスってゆう資格も取ってたし、何よりリハビリ中にトレーナーさんに教えてもらったり、めちゃくちゃ勉強したからね」
弟は誇らしげながらも、どこか悲しそうな表情で圭司を見つめていた。
二度目の人生を歩み始めた弟に対し、圭司はどういう姿勢で接するかが決まりきっていなかった。だが、弟が真剣に自分のことを案じてくれていることは感じていた。
「わかった。お前の言うことを信じて努力するよ。具体的なメニューは学校行く前の朝練と、週に1回は部活とは別にスイミングに通うってことでよかったよな?」
「うん。兄貴に便乗して俺もスイミング始めれた。ありがとね」
「水泳はどんな意味があるんだ?」
「もちろん持久力の強化が第一かな。それと、アクアトレーニングって知ってる?」
その言葉に首をふる圭司。
アクアトレーニングと呼ばれる水中運動。負荷をかけずに筋力を上げつつ、筋力のバランス修正や体幹の強化といった効果があるのだと言う。
「アクアトレーニングも含めてやり方はちゃんと教えるから、その代わり毎朝俺の練習にもつきあってね」
そう言って笑う弟を見て、テクニックの面でもこの弟から色々と教えてもらうことになるんだろうな、と圭司は近い未来を思案し、不思議な感情を覚えた。
自分より精神年齢、知識、経験全てで上回る弟に教えを乞うなどという経験をしている兄は世界を含めて己一人であろう。
弟に教えを乞うなんて恥ずかしいと思う自分がいる。
しかし、弟は真剣に自分のことを案じてくれている。自分の才能を信じてくれている。
それに応えたい、と圭司は思っていた。
「あとは食事か」
「うん。バランスよく1日4000キロカロリーを目指して、好き嫌いなく食べないとね。俺らは好き嫌い多いけど、今食べないと後で絶対に後悔する。兄貴の食事に合わせて俺のメニューも変えてもらうんだからよろしくね!」
圭司は弟に聞いた内容を自分が調べたことにして母親に相談していた。安西家の食卓は劇的に変わりつつあった。
「朝練前にはバナナを1本だよな?」
「うん、空腹でトレーニングするのは危ないからね」
バナナはカリウムが豊富に含まれており、筋肉のけいれんの原因となるカリウム不足を防止できる。また、デンプンが多くてグリコーゲンの蓄積にも有効であり、消化もよいという。
「運動後と寝る前は特に重要だから忘れないようにね」
弟は言う。身体をつくるにあたって成長ホルモンを最大限に活用すべきだと。
成長ホルモンの分泌が活発な運動後30分以内は鮭おにぎりと100%オレンジジュースで糖質とタンパク質の摂取、就寝前は入眠効果とタンパク質の摂取のために温めた牛乳を飲む。
「食べることでもこんなに色々考えないといけないんだな……サッカー選手になるって大変だな」
「違うよ兄貴。俺らはただサッカー選手になるんじゃない。すごいサッカー選手になるんだ」
「そっか。そうだよな。すごいサッカー選手になるならこれくらいやらないとな」
「うん。3か月続ければ絶対身体が変わってくる。俺を信じてよ」
この後、安西家の食卓は劇的に変わることとなる。
タンパク質や必須アミノ酸、カルシウム、ミネラルといった栄養素を摂るため、ゆで卵に牛乳、レバー、豆腐といった食材が毎日食卓にあがるようになっていく。
サプリメント代わりにミロを混ぜた牛乳が朝食に必ず一杯。野菜は火を入れてとにかく大量に食べる。栄養素が壊れる面はあるものの、生野菜だけでは毎日適量を確保するのが難しいためである。
日々の練習に飽き足らず、食事面でもできる工夫は妥協をせずに行う。
これらの努力の成果は、数年後大きく花を咲くこととなる。




