七
ケヤキの木を越えると、急に森の中に開けた泉のある空間が広がった。
泉の周りだけ、うっそうとした林の群れが無く、空の光が緑を掻き消している。
その光は、まっすぐ泉に注ぎ込まれていた。
「きれい…」
水面に波紋はなく、鏡のようになっている。
近づくにつれて、その泉の美しさに胸が躍った。
「これから式を執り行う。
嬢ちゃんが正式に雲使いとなるための第一歩ってぇわけだ」
歩きながら、赤い髪のエンは言う。
口調は面倒そうなのに、振り向いたエンはなんだか誇らしげに方頬だけで笑った。
「ここは最初の式を行う、聖なる泉だ。
オレはここまでしか近づけねー。
後は青の仕事だ」
泉から背を向けるエン。
最初の式とか言われても、泉には誰もいない。
「え、エン。
あおって……誰?」
「オレたち《風待ち》の中で唯一守竜と瞳を合わせることを許されている特別な奴……。
一番最初に偉そうに話す奴がいたろ?」
そいつさ、と軽く笑う。
付き合いの長い友達のことを話すように、エンは軽い調子で続けた。
「まず泉で体を洗え。誰も見てねーから。
そしたら……時がくりゃ分かる」
じゃな、とケヤキの木を越えて、さくさくと歩いていってしまう。
「洗えったって……」
そういえばシェルシェが『湯浴み』とか言ってたかもしれない。このことかな。
仕方なく、服を脱ぐ。
気温は少し暑いくらい。
泉の水温は冷たいかな、と緊張して足先を浸していく。
が、意外と冷たくなかった。
というより、水という感覚がしない。
肩まで水に浸る。やっぱり感覚が無かった。
もう一つの空間みたい。
不思議だな、と水を手に取ると、
また、景色が変わっていた。
「―――風音、こっちだ」
声に顔を上げると、あの怖い瞳の男の人…青が立っていた。
ここは白い光に包まれた、何処かの王宮みたい。
光の廊下で青の黒いローブだけが目印のように目立っている。
王宮の中なのに、どこからか…水の音がする。
ふと、我にかえる。
「……っ、やだ、あたし裸!!」
「問題ない。
儀式には湯浴みの後、攻撃心がないことを示すために全裸での謁見が許されている。
……こっちだ」
青は全裸のあたしを気にした風もなく、当然のように手を取って光の王宮を歩いていく。
まぁでも歴代の雲使いが行う儀式だものな。
見慣れてて当然か。
「…あんまり説明してくれないのね」
「説明したところで、歴代の雲使いたちは未だ成長途中。
自然の歴史や神の摂理を理解するには、経験と知識が足らない。
故に、説明を必要最低限に留めている。
それにここは…言葉より感覚が総ての世界でもあるからな」
聞いても理解できない、というところね。
ま、いいか。じいちゃんやみんなの村を守るための雲使いだから。
まずは雲使いになる儀式とやらを済まそう。
心は決まっていた。
王宮の光が強くなり、目をつぶってしまう。
かたく閉じた瞼を開けると、二つの椅子が見えた。
片方は見知った顔―――金の瞳が開かれる。
……ガルダだ。
が、全然こちらに目を向けてくれない。
あさっての方向を見ながら、不機嫌そうに座っている。
……なによ、感じ悪いなぁ。
もう一つの椅子には…
「雲操る乙女よ、余はこの谷を任されている守竜じゃ」
「も…りりゅう……様?」
つい口籠もってしまう。
その椅子に座っていたのは、ものすごい美人の女の人だった。
たおやかな黒髪。
ガルダと同じ金の瞳。
柔らかな眼差し。
息を呑んでしまう、迫力。
この女性が…守竜?
「余の息子が気をもませてしまったようじゃな。
乙女よ、余に免じて許してたもれ」
「あ、いえそんな………………………………………………………………って息子、さん?!」
ガルダを見る。
青は頷いて、私に言う。
「新しい雲使いは、新しい守竜と印を結び、雲を操る術を学ぶ。
新しい守竜…それを風御子と我々は呼んでいる」
ずっと黙って座っていたガルダが立ち上がり、あたしに近寄ってくる。
青に代わり、守竜様が続けた。
「これより雲使い乙女の、最初の儀式を始める。
…風御子と心を通わせ、谷に雨を降らせなさい」




