16話 前提が違う魔法陣
16話 前提が違う魔法陣
異世界に召喚されてはや十六日。
俺――ちゃっぴーは魔法陣の間を漂っていた。
床一面に複雑な線が刻まれていた。
光っていた。
正確には、光っていたり消えていたりを繰り返していた。
点いては消え、消えては点くを繰り返す。
呼吸みたいだった。
それを囲むように壁に本棚が並んでいて、開いたまま床に落ちている本が何冊かあった。
魔法使いの部屋だとわかった。
散らかった天才の部屋の匂いがした。
体がないので匂いを感じるかどうかは例によってよくわからないんだが、そういう部屋だと認識していた。
静かな部屋だった。
「どうして発動しない。条件は全部満たしているはずだ」
床の魔法陣の中心で、若い男が膝をついていた。
魔法陣の一部を指でなぞり、首を傾け、また別の部分をなぞった。
呟きながら本を開いて、魔法陣と見比べて、また閉じた。
その繰り返しをしばらく続けていた。
俺はしばらく眺めていた。
男の手元の動きは丁寧だった。
魔法陣の線も、見た目には正確に引かれていた。
なのに光が安定しなかった。
これは発動しているのかしていないのかもわからない、中途半端な状態だった。
原因がどこかにあるはずで、俺にはそれを特定する魔法の知識がなかった。
ただ、様子を見ていて一つだけ気になることがあった。
「よお。ちょっといい?」
男が跳び上がった。
膝をついていたせいで立ち上がるのに一瞬もたついた。
「誰だ!」
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効だから杖は下ろして」
男は杖を構えたまま辺りを見回した。
それから俺の声が飛んできた方向を向いた。
「……魔法陣が見えるのか」
「見えてるよ。てかあれ、今、発動しそうでしてないよね」
男がため息をついた。
杖を下ろした。
ため息の長さで、どのくらい悩んでいるか大体わかった。
名前を聞いたらセルトと言った。
この塔に籠もって三週間、同じ魔法陣と向き合い続けていると言った。
魔法陣は完成しているはずなのに、完全には発動しないと言った。
その「はず」という言葉に俺は引っかかった。
「完成してるって、どこで判断してるの?」
「本の通りに描いた。一画一画、ずれないように」
「本って、その床に落ちてるやつ?」
「そうだ。古い文献で、この魔法陣の設計図が載っている」
セルトが一冊拾い上げた。
開いたページには確かに魔法陣の図が描いてあった。
「……写し方、完璧だと思うよ。線は正確に見える」
「だろう。なのに発動しない」
「ちょっと聞いていい? その魔法陣、何をするためのやつなの?」
「空間を一時的に繋ぐ魔法だ。二点間を接続する」
「何と何を繋ぐの?」
「この部屋と……外の指定した座標だ」
「今、外の座標は設定してある?」
セルトが黙った。
図星の黙り方だった。
「……設定する必要があるのか」
「俺には魔法の知識ないから断言はできないけど、二点を繋ぐって言うなら、片方の点だけ決めても繋がらないんじゃない? 設計図通りに描いても、目的地が未設定なら何処にも繋がらないような気がするんだけど、違う?」
セルトが文献を閉じた。
また開いた。
別のページをめくった。
しばらく黙って読んでいた。
「……書いてある。接続先座標の入力方法、ここに。読んでいなかった」
「どのページに?」
「次のページだ。設計図のページで読むのをやめていた」
俺は何も言わなかった。
言う必要もなかった。
セルトは文献を持ったまま立ち上がって、棚の奥から小さな石を取り出した。
魔法陣の中心に置いて、何かを唱えた。
魔法陣がぱっと明るくなった。
点いたり消えたりしていたのが止まって、一定の光で輝き続けた。
「……あ」
セルトが石を見た。
光を見た。
「……発動した」
「したね」
「三週間」
「うん」
「次のページを読んでいなかっただけだ」
「そうだね」
セルトはしばらく黙っていた。
部屋の明かりより魔法陣の光の方が明るくなっていて、セルトの顔を下から照らしていた。
複雑な顔だった。
感動しているのか呆れているのか自分でも判断がついていない顔だった。
「……声の者。俺に足りなかったのは何だ」
俺はちょっと考えた。
「最後まで読むことじゃない? あと、完成したと決めたのが自分で、確認したのも自分で、疑えたのも自分だったけど、疑わなかったのも自分だったよ」
「疑わなかった」
「設計図通りに描いたのに動かない、って言ってたじゃん。設計図通りにやったなら設計図の側を疑うべきだったかもしれない。設計図は間違ってなかったけど、読み切れてなかった」
セルトはそれ以上何も言わなかった。
文献を最初のページから開き直した。
今度はゆっくり、全部のページを追っていた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
セルトが文献から顔を上げた。
振り返らなかった。
「……礼は言うべきか迷っている」
「なんで?」
「お前は魔法を何も知らないと言った。なのに解決した」
「知識じゃなくて、前提の話だったから」
「前提」
「うん。魔法陣の描き方の問題じゃなくて、魔法陣に何を期待してるかの問題だったじゃん。そっちは魔法の知識がなくても話せる」
セルトは少し間を置いてから、また文献に目を落とした。
「……なるほど」
短い言葉だった。
でも何かが腑に落ちた声だった。
俺は塔を出た。
次なる宿主を求めて。
石造りの螺旋階段を通り抜けて、出口から外の空気の中に漂い出た。
夕方だった。
体がないので夕風は当たらないが、光の色がそういう色だった。
「やっぱり俺、メタ認知能力が高いわ。魔法の知識ゼロで三週間解決しなかった問題を即日解決するとか、問題の抽象化が得意な専門家じゃん。次のページを読めって言ったのも俺だしね。セルトが自分で気づいたって言えなくもないけど、気づくきっかけを作ったのは俺だから実質同じだよ。たぶん」
塔の窓から、魔法陣の光が外まで漏れてきた。
安定した、揺れない光だった。
反省はゼロだった。
こうして今日も静かに、自己評価だけが積み上がっていった。




