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九十三夜 師走は忙しい (水野家の寝返りと前田家からの手紙の件)

 〔天文十九年 (一五五十年)十二月下旬〕

 東美濃に招かれていた曲直瀬道三が帰ってくると親父(織田信秀)の診察をしてもらった。

特に重い病気ではなく、寝不足と心労が祟って倒れたようだ。

 今年は信光叔父上も三河で手一杯だった。

清須の織田信友へ牽制を林秀貞に任せ、親父は尾張の内政を一人で背負い、国防も少ない兵力を流動的に動かして今川勢の侵入を防いでいた。

 結果だけ見れば、東尾張で今川方に屈した領地は荒らされず、織田方を貫いた領地は荒らされた。

 しわ寄せは俺にも回る。

尾張に尋ねてくる高貴な方も増え、千秋季忠と一緒に接待した。

郡司(ぐんじ)に所属する従五位の次官(すけ)から従八位の主典(さくわん)が多い。

千秋家は熱田神宮の長官・大宮司職を世襲し、従四位の官位を貰っているので、季忠への挨拶としてやってくるのだ。

訪れる理由は様々だが、金持ちの織田家に銭を強請る為にやってくる。

倒れるほど忙しい親父の名代として季忠に頼まれた。

接待の時間は長くもないのだが、相手がどんな方でどのような経歴を持つのか、和歌などの教養に秀でていれば、そちら方面の知識も事前レクチャーされる。

このプロフィールを覚えるのに時間が取られる。

もちろん、年次行事の神事と宴会に参加し、中根南城では各所から送られる年間の総決算と来年の予定の確認に大忙しだ。

体を鍛える稽古の時間、昼寝、読書時間を十分に取ると、半刻(一時間)単位で忙しい日々を送った。

今日も接待が終り、城に戻ってきて風呂に上がった所で、暖房の効いた部屋で湯涼みをしながら、千代女が周辺の状況を簡潔に知らせてくれた。


「大殿はしばらく療養し、末森の内政を信勝様に任せる事が決まったそうです」

「信勝兄上か」

「お年も十六歳(満15歳)。元服も済まされたので内政から実務を仕込むつもりと思われます。体格は大殿譲りでがっしりとしており、真面目で勤勉家と窺っております」

「土田御前似の信長兄ぃと逆か」

「はい。信長様は自由奔放な方で町人、農民、下級武士に慕われておりますが、信勝様は礼儀正しいので上級武士に慕われているそうです」

 

 戦国の世の評価などすぐに変わる。

 要するに、戦が強ければ靡き、戦に負ければ侮られる。

安祥城の攻略戦で初陣を飾り、武功を上げた信広兄上はその活躍もあって安祥城の城代に抜擢された。信長兄ぃと家督争いとなって多くの領主が信広兄上を尋ねた。しかし、安祥城を奪われて人質となったので、その評価も地に落ちた。

家臣の城で預けられ、誰も信広兄上の名を出さない。

 信長兄ぃは『うつけ』と呼ばれているが、初陣を勝利したので一目置かれている。

 信勝兄上も初陣に勝利すれば、評価が上がるのだろう。


「次に今川の動きから丹羽家と水野家が今川家に従属したと思われます」

「丹羽氏勝と水野信元が裏切ったのか?」

「いいえ、織田弾正忠家を見限ったのではなく、両属したと思われます」

「両属か」

「織田弾正忠家との同盟を維持しつつ、今川家と密約を結んだとみて間違いないでしょう」

 

 それなら間違いない。

この秋、沓掛を越えて長根と横根まで今川勢は進軍している。

 しかし、長根と横根の村に被害はなく、乱取りされたのは周辺の村々だった。

 長根と横根を所有する丹羽氏勝は末森に呼び出された。

長根と横根の者が独断で今川方へ兵糧を納め、難を逃れたと言い訳をしている。

知立神社も今川家に降伏しているので刈谷城への道は開けていたが、刈谷周辺の村が襲われたとは聞かない。

 刈谷の水野(みずの)-信近(のぶちか)が今川方へ通じているという噂が立っているが、信光叔父上が処断する様子がない。

 おそらく、水野信元が今川方と通じているのを容認しているのだろう。


「千代、信元の裏切りはどう思う。擬態か、それとも本気か?」

「私には判りかねます」

「俺も判らん。信元は思慮深い。どれだけ織田家の情報を今川方へ漏洩するか判らぬので近づけない」

 

 俺も野田家を三河に送った。

熱田神宮の交易を保証させる為に今川義元に便宜を図って貰っている。

多少の上納もしている。

信長兄ぃに知れたら、裏切りと弾劾されそうだ。

 両属のみなら裏切りではない。

 それが俺の見解だ。

俺は水野家の分家を懐柔する為に熱田屋を使って、治水と農産の技術を伝えている。

 その技術は信元に伝わっている。

 そもそも天白川で大規模な土木工事を行っているので、織田家の土木技術が優れているのは知れている。

 帰蝶姉上が輿入れで『蝮土』を知った信元が欲しがったので、ある程度はくれてやった。

 但し、塩水選からはじまる農業の技術指導は行っていない。

 それでも中根村の田植えなどを視察させていたのか、均等植え(正条植え)を見よう見まねで真似て、ある程度の成功を収めていた。

 信元も蝮殿(斎藤利政)と一緒で油断がならない。

堆肥の作り方まで盗めていないと思うので、来年はかなりの量の『蝮土』を要求してくるだろう。


「あの信光叔父上が気付かない訳もない。しばらくは放置だ」

「承知しました。いずれにしろ、知多の千賀衆が気に掛けておりますので、定期的に情報は入ってきます」

「千賀の水野嫌いも大概だな」

「若様が水野信元を警戒しているので、千賀をはじめ、佐治、荒尾も安心して若様を支持してくれています」

「そういう意味で信元も役に立っているのか」

 

 汗も乾いたので湯涼みを終え、談話室を出て部屋に戻る。

 台所に面する通路を通っていると、台所奥の座敷で滝川(たきがわ)-資清(すけきよ)がタダ酒を飲みにきていた。


「魯坊丸様、お久しぶりでございます」

「資清もご機嫌だな」

「中根家に届けられる酒は特別に美味い」

「酒代も馬鹿にならん。たまに中根家の為に仕事をしてくれ」

「そう言われると思いまして、よいものをお持ちしました」


資清が懐から手紙を取り出した。

 隣で飲んでいた男が手紙を受け取って届けてくれる。

 もちろん、手紙は一度侍女が受け取ってから、中身を確かめてから俺に渡された。

 手紙を見て、俺は驚いた。


「資清、この手紙は本物か⁉?」

「魯坊丸様を騙してどうします。まぁ、家長の前田(まえだ)-利昌(としまさ)殿は境界を中間に置くのに大激怒したそうですが……」

「であろうな。一度使者を送ったが、すでに埋めている熱田の埋め立て地まで自分らのものだと主張したくらいだからな」

「嫡男の利久(としひさ)殿が説得し、甥の慶次郎(けいじろう)前田(まえだ)-利益(とします))が時世を見ぬ愚か者と罵倒したそうです」

 

 資清は滝川一族の者だ。

 親父は甲賀から滝川(たきがわ)-貞勝(さだかつ)を誘致して忍び働きをさせた。

 その褒美として、貞勝は池田家の娘を嫁に貰って池田家に婿入りした。

 池田家を継いだ貞勝は甲賀から滝川一族の者を呼び寄せた。

 資清もその一人だ。

 同じように呼ばれた滝川(たきがわ)-益氏(ますうじ)の子が慶次郎であり、親父が気に入って、前田利久の養子にさせたらしい。

 これも滝川家の働きに対する褒美の一環だ。

 その慶次郎は利久の弟で三男の安勝(やすかつ)の娘を妻にする事が決まっているらしい。

 慶次郎は武芸に長け、機転も利く。

 機転が利くから塩田の価値を見出し、熱田衆に貸すという策を披露したという。

 だが、利昌は聞き入れない。

 切れた慶次郎が利昌を罵倒したそうだ。


「慶次郎の罵倒が利いたのかは判りませんが、前金を預けた上で荒子城の東南にある漁村まで続く塩田を貸し上げてもよいとなりました。利久殿を説得した某の成果ですぞ」

「熱田から一里(四キロメートル)先の漁村までだと」

「魯坊丸様なら造作もないでしょう」

 

 塩田と言っても広大な領地の貸し賃が造作ない訳があるか。

 だが、顔がにやける。

 年に数回、満潮と高波が相重なって使い物にならない都合のよい土地は埋め立てが終わっている。

すでに尽きた。

満潮時の深さが増すほど盛る土の量が増え、手間が掛かる。

これで浅い塩田が手に入ると思うと笑いが止まらない。


「利昌殿の出された条件は使用の有無に問わず、一年間の土地代を支払う事のみです」

「それにしては安いな」

「利昌殿とって使える土地は、潮が満ちても残っている土地のみです」

「なるほど、塩田は別途協議か」

 

 海を埋め立てるのは膨大な費用が掛かる。

 手間賃を考えても貸す費用も大きく変わるし、前田家にも一部負担しろと言われても堪らない。

 厄介事を避けたのだろう。

 手の平を返した、利昌は何を考えている?

 俺はしばらく思いを巡らせた。


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