九十夜 熱田衆一抹の不安(今川義元の出陣の件)
〔天文十九年 (一五五十年)十月半ば〕
銅板に思いを巡らせていると、博多から帰ってきた商人の番になっていた。
土佐経由で博多交易もはじまっており、行きは豊後の府内に寄り、帰りは安芸の国を通過する。
安芸では毛利家から秘密理に割安で銀を購入する。
九州の大友家は、二月に大友-義鎮は『二階崩れの変』を起こし、当主義鑑を殺害して強引に家督を奪った。
その際、弟の晴英に大内家の家督を継がせると宣言した為に大内家に大きな波が渦巻いている。
詳しい時系列は以前の小早川-隆景の手紙に書かれていた。
鵜呑みにできないので今回は博多帰りの商人に山口の様子を見に行かせた。
「山口では初秋に陶隆房と内藤興盛らが謀反を起こすという噂が流れ、大内-義隆様も兵を集め、館に立て籠もる事件が起こりました。あくまで噂でした。今も町衆はそわそわしておりました」
「義隆殿はそれでどうした? 噂が出て、何もせぬというのはあるまい」
「武官の敵対心を下げる為に評定衆の相良-武任を解任しました。側近の冷泉-隆豊は陶ら武断派の討伐を進言したが受け入れなかったとの事です。また、武任殿も陶隆房の嫡子長房に娘を嫁がせようと画策したみたいですが、失敗したようです」
「隆景殿は何と言っていたか?」
「安芸に寄った際にお会いしましたが、毛利家は問題ないと事です。今回は手紙も預かっておりません」
「そうか。問題ないと言われたか」
毛利家に問題ない。
つまり、『大寧寺の変』が起こるのか。
大友家が大内家の家督争いに介入した。
去年、隆景から貰った手紙には、隆房は義隆を隠居させ、嫡子の亀童丸(義尊)を持ち上げて『主君押込』を画策していると書かれていた。
毛利家の当主隆元は義隆の養女を妻にしているのを理由に断ったと書かれてあった。
毛利家は中立を維持し、隆房の計画は豊前守護代の杉-重矩の密告で失敗し、武任の暗殺も失敗して謹慎を言い渡されて立場を失ったとあった。
このまま『大寧寺の変』が起こらないのかと思った。
しかし、二月の『二階崩れの変』で急変した。
隆房は思わぬ救援を得たのだ。
義隆も大友晴英を大内家に迎え直し、大内家の家督を晴英に譲ると言い出した。
大内家の家督は大友-義鎮の腹一つなった。
しかし、どうして義隆の権威がないのかが謎だ?
義隆は従二位兵部卿だ。
従二位は公方様より官位が高く、兵部卿は武家の長を意味している。
征夷大将軍と同格か、それより高い役職に就いた。
九周北部と備後、備中まで手中に収め、正式な遣明船で莫大な利益を出している。
戦場に出陣しないので武断派と呼ばれる武官の不満が貯まっている。
そう聞いていたが、大友家に対する弱腰が謎だ。
やはり噂通りの男色家であり、美男の相良-武任に騙されて傀儡にされていたのか?
だが、それでは武任が政治と軍略の双方に長けている事になる。
暴走する守護代の武断派を放置するとは思えない。
何がどうなっているのか、まったく判らない。
はっきり言えるのは、毛利家も大内-義隆を見限ったという事実だ。
史実通りに大内家は滅びそうになっている。
色々に考えている間に、報告を終わっていた。
次は西熱田の埋め立ての報告だ。
工事は順調で埋め立て地が拡大している。
他国から商人や労働者が流入し、熱田とその周辺の人口が増え、物が売れて景気を上がっている。
熱田は順風満帆だ。
笑顔が溢れる報告が終り、ポツリと三河の話を切り出した瞬間に会場が凍り付いた。
「東三河に今川義元公が御成になったとか」
一瞬の沈黙が走った。
春先から熱田衆の顔ぶれが変わっている。
熱田城主の三割が自前で雇った足軽を連れて三河に逗留しており、名代として息子や親族の城代が参加していた。
長逗留という事もあり、物資を運ぶ佐治水軍の船に乗って一時帰国する者もいる。
その者らから三河の戦いが聞こえてくる。
重原城は河川を対今川に備えて整備した堅固な要塞だ。
来迎寺城も逢妻男川と猿渡川に挟まれた左右が沼地と天然の要害の山城だ。
織田の兵は各城に分散して配置された。
信光叔父上は重原城を山岡河内守伝五郎に任せて、東知多の亀崎城まで引いた。
そこから船で兵を輸送して駒場に逗留する今川方の背後を襲わせる。
海は水野と佐治の水軍連合が無双状態であり、好きな所で上陸し、神出鬼没の戦いを繰り返している。
もちろん、太原雪斎の罠に討ち取られた武将もいる。
中根家は土木工事が得意という事で敵が居ぬ間に空堀の拡張などで大忙しらしい。
戦で死ぬ心配がなくて安心だ。
福谷城の陥落で尾張に侵入を繰り返すようになったが、夏からずっと膠着している。
そして、今川義元の出陣で今川方が攻勢に出ているという。
だが、今川の本隊である駿河勢は参戦していない。
太原雪斎は城の弱点を探っているのではないだろうか?
駿河を出発した義元が、今月に入って東三河に到着した。
各領主に安堵状を出している。
今月中に岡崎まで兵を進めるだろう。
総勢二万人まで膨れ上がった今川勢が総攻撃を掛けてくると噂が流れている。
「魯坊丸様、織田家は大丈夫なのでしょうか?」
「さぁ、どうだろうな」
「信秀様も出陣されるのでしょうか?」
「義元が国境を越えて尾張に侵入すれば、義元の首を取る好機だ。父上もその好機を見逃すはずもない。追加で農兵、作業員をかき集め、末森は総勢一万人以上の兵力で攻勢をかけるだろう」
「勝てますか?」
「知らん。織田方も総勢一万八千人程度だ。噂通りならば兵力差はない。しかし兵の熟練度や士気の高さがどうなるか判らん」
「織田が負ければ……」
「もちろん、熱田は焼け野原になるな」
俺が少し脅すと、皆が少し項垂れた。
馬鹿らしい心配だ。
ここまで慎重に事を進めていた義元が豹変して攻勢に出るとは考えられない。
今川勢が損失を恐れず、兵を休ませないで攻め続ければ、来迎寺城や重原城も落城している。
双方、三千人以上の兵を失うだろう。
互いに大きな被害を出し、戦は終わる。
太原雪斎は総攻撃を仕掛けず、織田勢の動きを制約し続けている。
織田家にどれほどの兵をかき集められるか?
それを見定めたいのだろう。
親父も今川家を騙す為に兵を出し惜しんでいる。
狐と狸の化かし合いだ。
可哀想なのは撒き餌にされた諸将達だ。
確か、井伊-直盛が率いる井伊勢に大きな被害を出たと聞いた。
熱田衆が義元の尾張侵攻を真剣に悩んでいるようだ。
そう、不安そうな顔をするな。
俺は熱田衆の不安を払拭する為に、近くに悠然と座っていた加藤順盛に聞いた。
「順盛殿。水兵を鍛えるのに、どれほどの時間を要しますか?」
熱田水軍を束ねる加藤順盛が「一年で船を揃え、兵を調練できたならば、逆立ちで熱田を一周してやるわ」と吠えた。
俺は淡々と皆に聞かせた。
「三河湾の制海権を織田家が掌握している限り、義元は尾張に攻めてきません」
「そ、それはどうしてでしょうか?」
「戸田家は田原城を失っても船で逃げ、敵が去ると奪い返しまた。重原や来迎寺も奪われても奪い返せます。大将の首は末森にあり、重原や来迎寺も襲っても首は取れません。まず、兵を失うだけなので今川義元はそんな無駄な戦いはしません」
「ですが……」
「末森まで攻めてくるのではないかと心配なのでしょう」
「その通りです」
「尾張まで攻めてくれば、三河にいる尾張勢が退路を断ちます。退路を断てば、今川の兵は動揺して士気を落とします。『尾張の虎』と呼ばれた父上ならば、そこで総攻撃を仕掛けて義元の首を取るでしょう」
「なるほど」
「退路を断たれぬ為に三河の海岸に兵を残せば、末森を襲う兵は少なくなります。織田家が負ける訳もありません。負けると判っている戦いを今川義元はしません」
「では、義元は三河に残り、先鋒を尾張の奥深くに侵入する可能性はありませんか?」
「あります。ですが、奥深くまで侵入すれば、父上も動きます。また、平針方面から攻めてくれば、整備した平針を荒らされたくないので追い払いましょう」
「そんな事が可能なのですか?」
「俺にできないとでも……」
そっと疑問の声を上げた者の方に手翳すと、「滅相もございません」と平伏した。
熱田衆の皆も「そうか、大丈夫か」と呟きながら顔色を戻した。
追い打ちを掛けるように順盛が怒気を混ぜて「今川など恐れるに足らん。魯坊丸様の力の前にひれ伏す。魯坊丸様が信じられぬか」と怒鳴りつけた。
熱田の海岸を備える為に皆には協力して貰う必要がある。
俺は理由を付け加えておいた。
「三河湾で織田家が海を支配している間、今川勢は尾張の奥深くまで攻めてきません。三河で船を建造し、水兵を整えるのに二年は掛かります」
「二年後はどうなりますか?」
「熱田まで攻めてくるでしょう。ですから、熱田から東の海岸を固めています。天白川から植田川の護岸に壁を建てています。しかし、猶予は二年しかありません」
「二年でございますか?」
「その二年で防備を固め、兵を充実させるかが、織田家の勝敗の鍵となるでしょう」
千秋季忠が各城の領主が足軽を召し抱えて兵を増やしており、熱田も水軍、守護兵、見回り隊の兵を増やしていると付け加えた。
そこで一つ疑問を持った者が声を上げた。
「魯坊丸様。熱田海岸の守りを強化しているのは判りました。平針の加藤家、島田の牧家とも協力も致します。しかし、笠寺の山口家の協力を求めないのはどうしてでしょうか」
「笠寺の山口本家は竹千代の脱出に加担した。山口-教継殿の心情は知らんが、そもそも笠寺衆は笠寺別当季忠様を認めておらん。今は従っているが、情勢が変われば、いつ裏切るかも判らない。そんな連中を信じられるか」
「笠寺は信じられませんか」
「その態度を示さぬ限り、俺は信じない」
半分嘘だ。
史実で教継が裏切っているから信じていない。
教継は遠目で見た事があるだけであり、どんな人物かも知らない。
知らないので信じない。
俺は義元が攻めてこないと断言したが、一抹の不安は残っている。
それは尾張の繁栄ぶりだ。
尾張が琉球交易をしていたなんて話を聞いた事がない。
すでに史実と違っている。
織田家の国力が増し、放置すれば今川家を凌駕すると義元が考えた瞬間に、尾張と今川の大合戦が発生する。
それがいつかは判らない。
永禄三年まで、義元が気付かない間抜けならば楽だろう。
そう思いつつも、少しでも遅れて欲しいな~という夢を描いていた。




