閑話(七十七夜) 日吉、遠江へ旅立つ (魯坊丸の行商間者な件)
おらの名は中村村の日吉だ。
おどは弥右衛門という強者だっただ。
戦になると村一番の活躍で、ご領主様にお褒めの言葉を頂くほどの腕自慢だ。
だども、そんな日は続かなかった。
おどは足を怪我してからかっちゃに働かせて、たまにどじょう掬いをするくらいしかできなぐなっただ。
ぞしで、おらが7歳 (天文12年、1542年)に亡くなった。
かっちゃは御器所村から嫁にきた。
すでに頼れる者もなく、おらは食い扶持を減らす為に光明寺に入れられただ。
だども、お経を読むのはつまらん。
おらはおどみたいに戦場で活躍して、領主様に認められて侍になりたかった。
おらは寺を飛び出して村に帰った。
家に帰ると、竹阿弥という男が上がり込んでいた。
竹阿弥は名主の息子でご領主様 (那古野城主の信秀)の同朋衆というご領主様の話し相手だったというが、病に掛かって職を辞して村に帰ってきた。
村に帰ってきた竹阿弥はかっちゃを見初めて家に転がり込んだ。
かっちゃも朝姉や弟の小竹を食って生かす為に竹阿弥を受け入れた。
寺を出てきたおらは肩身が狭かったが我慢しただ。
天文19年 (1551年)2月。
その日もかっちゃを働かせて、竹阿弥は何もせず、昼間っから酒を浴びていた。
14歳になったおらは少し体も大きくなり、農作業の手伝いや針売りで遠出もできるようになってきただ。
橋で出会った蜂須賀-小六様の紹介で針売りの先が増えた事も大きい。
おらもそれなりの銭を家に入れていた。
その日、酒を控えるように言ったかっちゃに、竹阿弥は暴力を振るった。
「働きしねで何威張っているだ。そういう奴を禄で無しというだだ」
怒った竹阿弥が殴り掛かってきたが、逆に頭突きを食らわせて倒した。
倒れながら竹阿弥が「もう二度と敷居を跨ぐな」と叫び、売り言葉に買い言葉で家を出てゆくと言ってしまった。
家を出るとかっちゃが追い掛けてきて、おらが溜めた銭だと言って一貫文を渡してくれた。
この銭を元手に商売でも始めるか。
無理だ。一貫文を仕度金でできる仕事などはほとんどない。
小六様の家来でもしてもらうか?
しかし、この細い腕で家臣になれるかも怪しく、小間使いなら雇って貰えるかもしれない。
出世は無理だな。
どこかに仕官するにも伝手がない。
熱田神宮を頼るか?
流民に仕事を斡旋しており、食いっぱぐれはない。
しかし、やはり出世はできない。
八方塞がりだや。
生きてゆく手段ならいくらでもあっても、出世して侍になる道がない。
まず、商人を目指し、銭を溜めて算段が先だや。
だが、行商人と言っても元手がない。
針売りでは日々の暮らし、宿代も出ない。
どうにもならん。
そんな事を色々と考えながら歩いていると、おれはいつもの癖で熱田へ向かう道を歩んでいただ。
古渡城を越えた辺りで脇道から出てきた楓様に出会った。
「おや、いつぞやの小僧か」
「楓様、いつぞやはお世話になりました」
「気にするな。それが仕事だ」
楓様は女だが熱田の自警団を率いており、熱田でときどき見かける事があるだ。
年はおらと同じくらいだか、腕っぷしが凄い。
おらに楓様のような強さがあれば、ご領主様に仕官できただが、痩せっぽちのおらでは無理だ。
「どうした。不景気な顔をして、悪い奴に脅されたか?」
「いいえ……」
「何かできる事ではないが、聞くくらいはできるぞ」
おらは楓様に竹阿弥の事を愚痴って、家を飛び出してきた事を白状しただ。
どこかに仕官したいが、痩せっぽちのおらではどこも仕官できない。
そこで行商で銭を溜めて商人になろうと思ったが、元手がない事に気付き、途方に暮れていたと正直に告げた。
何とかしてくれるとは思っていなかったが、楓様が付いて来いと言われ、付いて行っただ。
楓様が向かったのは、いつもの数珠屋であった。
「親父、丁度良い人手を連れてきたぞ」
「これは楓様。人手……おぉ、針売りの小僧じゃないか」
「家を飛び出してきたそうだ。仕事をやってくれ」
「なるほど。あの仕事ですな。判りました」
楓様はそう言うと出て行かれただ。
数珠屋の親父からも事情を聞かれ、おらは楓様に話した事をもう一度話した。
「行商を始めたいが資金がないという訳だな」
「そう言う事だ」
「熱田神宮に仕える気があるならば、お抱えの行商になれるがやってみるか?」
「ホントけ⁉」
「これでも熱田神宮の神官様と取引をしている身だ。神官様から色々と頼まれておる」
「熱田神宮?」
「熱田神宮では、織田様が勝つか、今川様が勝つか、それを見定めねばならん」
「熱田神宮は、織田贔屓でなかっただか」
「小僧、よく聞け。熱田の大宮司様は織田贔屓だが、神官のすべてが織田贔屓でなない」
「そうなのか?」
「今川が勝った時、熱田神宮が火の海にされては溜まらん。本音はどちらとも距離を取りたいという神官が多い」
「そうけ。初めて知っただ」
「織田様に聞かれば大変な事になる。そこいらで話すなよ」
「判っただ」
「そこで今川家が勝つかどうかを確かめたい神官が、今川家の情報を知りたいと言ってきておる。どうだ、行商人として今川領を回る気はあるか?」
「おらに間者になれと言うだか」
「まさか。間者などという大層なものではない。今川領で商売をして噂を聞いてくれば、針と薬、それから色々な日用品を格安で提供してやろうという話だ」
「それはありがたいが、先立つものがねい」
「安心しろ。熱田神宮の為に働くならば、仕度金は貸してやる」
「ほんとけ。今川領で噂を聞くだけで良いだか?」
「噂を聞いて、引き継ぎ役に伝えるだけで商品を段取りしてやろう。その情報を神官に売って俺様が儲ける」
「親父が情報を売るだか?」
「それが俺の本業だ。神官の頼みを聞くのは熱田神宮が扱う商品を格安で手に入れる為だ」
「それをおらに売るのか」
「引き継ぎ役の費用はそこから捻出する。だが、俺の本業は情報の売り買いだ。小僧も情報が欲しいなら売ってやる。その情報を武器に客を増やせ」
「情報で客が増えるだか?」
「今川の家臣ならば、尾張、伊勢、京の情報を欲する。情報を小出しにして商品を売る。それが行商で成功する秘訣だ」
「そういうものだか」
「行商のやり方を教えてやる。行商の元手も貸してやる。悪い話ではないだろう。どうだ、やるか?」
「やるだ」
おらは針売りの行商となって、熱田神宮の為に遠江で今川家の情報を集める事になっただ。
商品は、針、薬、洗濯ばさみ、ろうそく、鏡、かんざし、紅、紙などの日用品も扱う。
代金は年利三割で貸してくれただ。
とんでもない借金だ。
だども。数珠屋の親父の話では、仕入れが安いので三倍の値で売れるらしい。
次回から引き継ぎ役が運び代として、五割増しの仕入れ価格になるが、それでも倍の額で売れるので十分に儲かると言われただ。
おらがやっていた一軒一軒を回る行商と違って、主に市場で品を並べて売る。
そして、怖いのは野盗などに荷物を奪われる事だ。
町を移動する時は同じ行商と一緒に移動するか、侍などの後ろに付いて移動するやり方を教わっただ。
物の値段が判ってきだら、地元で商品を買って、それを運んで売る事を覚えろと教えられただ。
最後に情報を数珠屋の親父に売る。
売った情報は、数珠屋の親父が値を付けて後払いで払ってくれる。
また、欲しい情報があれば売ってくれると言ってくれた。
出発まで10日間は、尾張の城やその殿様の名前をすべて覚えさせられた。
おらがある程度は、尾張の事を知っていると相手に思わせる為の初期投資というらしいだ。
数珠屋の親父は熱田湊まで見送りに来てくれただ。
「日吉、無理はするな。貸した銭くらいはすぐに儲かる。だが、命は一つだ。命あっての物種だ」
「判っているだ。大きな町を行き来するだけにして、買ってくれる客から情報を聞くようにする」
「あぁ、それでいい。お前は間者じゃなく行商だ」
「だども、それでは親父が困らねいか」
「困らん。頼んでいる奴はたくさんいる。腕っぷしがよい奴らなら、あちらこちらを回って情報で儲ける奴もいるが、お前がそれをやれば、命がいくつあっても足らんぞ」
「親父が困らねいならそれでいいだ」
数珠屋の親父はおら以外にも多くの人に行商を頼んでいると言った。
そして、舟は熱田湊を就航し、知多を巡り、渥美半島の越戸湊、遠江の懸塚湊へと渡って行っただ。
懸塚湊で熱田神宮から預かった札を見せて、銭を払って舟関所を通って待ちに入っただ。
おらの身分は熱田神宮の神人だ。
関を越えるには身分書がいる。
建前としては野盗や敵の兵を通さないだ。
だども、僧、大道芸人、遊女は素通りできるのでがばがばだ。
本音は銭が欲しいだ。
湊の近くの広場は毎日のように市が立つ。
舟から下りてきた人、これから乗る人に物を売る。
おらと同じ行商もいる商品を並べていた。
物を売りたいならば、広場を管理する役人や商人、あるいは寺、神社に銭を納めるだ。
懐の乏しいおらはそんな銭も惜しい。
数珠屋の親父から教わった裏技は、市に近い川側で商品を並べる。
川や海は誰の物でもないのでタダとなる。
そして、市が近い場所には厄介な奴らは来ない。
変わりに役人らしい者が来るので、数文を出してお目こぼしを願う。
商品をたくさん並べないのがコツだ。
おらは小さいのでお目こぼしして貰えると、数珠屋の親父が言っていた。
おらは市に近くで天竜川の土手の上に立つ藤の木の下で布を敷いて商品を並べた。
熱田で買ってきた洗濯ばさみが飛ぶように売れた。
懸塚町の商家では、熱田の洗濯ばさみが人気だそうだ。
洗濯物を干す時、洗濯物が飛ばないように挟む竹串の変わりに使える。
しかし、洗濯ばさみは安価なのでたくさん入って来ない。
同じような物を売る店もあるが、熱田の商品と違ってすぐに壊れるらしいだ。
高くすると売れないので余り入って来ないと聞いただ。
市から少し外れた川の土手まで足を伸ばす者は変わり者だと知っただ。
話を聞きくる者は多いが、品を買ってくれない。
日が欠けてきて店仕舞いの時間だ。
洗濯ばさみのお陰で、今日の宿代は稼げたので良しとするか。
そう思っていると、一人の侍が品を眺めた。
「これは何だ?」
「炭団だ。炭より長く燃えるので、暖を取るのに便利な品だ。まだ、寒い日もあるので、少しくらい売れるかと思って買ってきた」
半分ホントで、半分ウソだ。
かなり前に針を売りに行った時に、作り方を盗み見た。
それ以来、冬は針の変わりに自作の炭団を売って儲けの足しにしていた。
前に並べていたのも自作の炭団だ。
宿代を稼げない時は、野宿で暖を取ろうと考えていた。
そこに年が同じ頃の若侍が顔を出した。
お付きの者がいるので、若様のようだ。
若侍は一つ一つの商品の使い方を聞く。
また冷やかしか、そう思いつつ説明した。
「出していない商品はあるか?」
「あとは薬くらいだ」
「薬だと! 何の薬だ」
「傷薬、腹痛止め、熱止めなどなどだ」
「全部買おう。いくらだ」
侍は一番高い薬を全部買うと言っただ。
一瞬で借金が消える額だ。
もちろん、また商材を買うので借金が無くなる訳ではないだが、まさか一瞬で薬が全部売れるとは思っていなかっただ。
「小僧。また薬は手に入るか?」
「取り次ぎの者が次の舟でくるので、十日ほど後になる」
「あるだけ買う。城まで持ってきてくれ」
「しろ?」
「名乗ってなかったな。某は頭陀寺城城主である松下-長則が一子、加兵衛(之綱 )である」
「本物の若様でしたか」
「驚くな。今日は忍びでこのような身なりだ。その辺りの小倅と間違っても仕方ない」
「無礼の数々、お許しくだせい」
「気にするな。それよりも薬だ。また戦が起こる。傷薬と熱止めをあるだけ買おう。城まで持って来られるか」
「どの程度が手に入るか判りませんが、お届けします」
「頼んだぞ」
加兵衛はそう言うと去っていっただ。
侍を諦めて商人になろうと考えてやってきた遠江であった。
だども、加兵衛との出会いから再び侍への道が開けるとは、このときのおらは思ってもいなかっただ。




