五十九夜 福は内、鬼は外
〔天文十八年 (一五四九年)二月三日〕
二月三日は節分だ…………と思っていたけど間違いでした。
節分とは、読んで字の如く、節を分けると書く。
その節は立春、立夏、立秋、立冬の四立、さらにそこから六つに分けた二十四節を意味する。
節分は、立春の前日と説明すると…………立春は正月と定めていると定季から説明された。
忘れていた。
その説明を総合すると、こんな感じだ。
旧正月とは、冬至から二回目の新月を正月と決めている。
冬至は新暦の十二月に起こる。
そう考えると、二回目の新月は新暦の二月頃になる。
一方、立春は二十四節であり、順番に並べると、冬至、小寒、大寒、立春と並ぶ。
これは太陽の通り道である黄道を基準に節を定めている。
しかし、春のはじまりを告げる正月と立春は同じ意味であり、正月を立春と定めて、節を大晦日とした。
十年に一度くらい、立春と正月が重なる正月を朔旦立春と呼ぶらしい。
今日は二月三日。
本当の立春は昨年の十二月二十三日頃であり、一月以上前に終わっていた。
そう言えば、正月の前日である大晦日に邪を払う『追儺』という行事をやっていたのを思い出した。
あれが節分だったのか。
「魯坊丸様。何を勘違いされているのかわかりませんが、立春は正月元日でございます。その前日を節分と言うのならば、節分は二月三日ではなく、大晦日となります」
「その通りだ」
「もう過ぎております。この用意したお面をどうされますか?」
「里が楽しみにしているのでやって頂く」
節分とは、二月三日に豆を蒔いて鬼を払う行事と里に教えた。
そして、節分の為に鬼役の面と福の神役の福面を購入し、養父の鬼面、母上に福面を渡し、鬼役と福役を依頼した。
準備万端で二月三日を迎えたと言うのに、ここで重大なミスが発覚したのだ。
旧暦の二月三日は節分じゃなかった。
夕食に集まったときに謝罪したが、絵本『桃太郎』がお気に入りの里は鬼退治を心待ちにしていると里の侍女が報告したので豆撒きが決行となった。
鬼の面に虎柄の着物を身に付けた養父が里の部屋に乱入すると、鬼が怖かったのか、里が泣きそうになる。
横にいた俺は里の手を握って勇気付ける。
すると、隣の障子が開き、福面を付けた母上が登場し、豆を一粒ずつ俺と里に持たせた。
沢山持たせないのは、里が口に入れない用心だ。
「里、これを鬼にぶつけるのだ。こんな風にだ」
俺は豆を養父に『福は内、鬼は外』と言って投げると、養父が「いたたた」と大きな声で大袈裟に痛がった。
里は「ぶぐ、ぼに」と言って豆をひょいと投げる。
二歳 (一歳二ヵ月)の里は、やっと片言が話せ、ハイハイが上手になった頃であり、投げた豆は里の足元にポトリと落ちたが、養父は当たったような迫真の演技で痛がった。
喜んだ里が笑みを零して顔を真っ赤に染める。
里は興奮すると顔を赤らめるのだ。
母上が豆を次々と里と与え、それを次々と投げると、養父が「いだだだだだっ」と派手に痛がる。
「これは溜まらん。さらばだ」
養父がそう言って廊下を走り去った。
母上が福面を取ると、「頑張りました」と福を抱きしめ、鬼面を外し、虎柄の着物を脱いだ養父も戻ってきて、「里、天晴れである」と褒め讃えた。
こうして、親子団欒の楽しい節分を満喫できた。
義兄上も居ればよかったのだが、新人黒鍬衆の鍛錬で合宿中だった。
義兄上は俺よりも忙しい。
河川改修工事の総監督、黒鍬衆の責任者、村衆の訓練、鉄砲隊の養成などと軍事面のほとんどの役職を押し付けていた。
行事と夕食以外では、ほとんど城に居ない。
毎日、報告と打ち合わせで一日一度は会っているが、寝泊まりは工事現場か、兵の宿舎で寝泊まりしている。
養父と母上が里をまだ褒めていた。
夫婦仲もむつまじく、弟か、妹が増えそうだ。
因みに、まったく血が繋がっていない弟が去年二人生まれたらしい。
まだ、側室の実家に預けた儘なので会うのは数年後になる。
養父の実子であっても中根家を名乗らせるかは、成長を待って決めることになる。
正室以外の子の扱いはそんなものだ。
母上が俺を助ける兄弟は多い方が良いと言っているので、俺に敵対的な態度を取らない限り、中根家に迎えるようだ。
侍女らの掃除が終り、一呼吸空けてから頑張った里にご褒美を上げる。
俺が書いた絵本『灰かぶり』だ。
里に文字を教える一環だ。
余裕のある大きな文字で一ページを書くと、その隣に場面を描いた絵が付いている。
色絵の具を用意させて、狩野-源七に描かせた。
源七が「絵が描けるのが嬉しい」と喜びを表現した最高傑作がびっしりとならんだ豪華絵本だ。
襖絵とか、好きなだけ描いていいと許可しているけど、製図が忙しく暇がない。
絵本は俺が『最優先事項』としたので、堂々と製図を止めて傑作を描いてくれた。
源七は天才だ。
見た事がない船などの製図を描けるように、見た事もない物語の描写を文章から読み取って、絵を見るだけで文章が想像できる絵を描き上げた。
想像力が豊かなのだ。
本人はもっと絵を描きたいと言っているが、製図が画ける技術者が揃うまでは解放できない。
日本地図、帆船、旋盤、水車など、俺の言葉を製図にできるのは源七しかいない。
まだ、グライダーなど、描いて欲しい製図が多く残っていた。
因みに、バリスタと一緒にグライダーの製図は描いてもらい、その製図を元に、バリスタと一緒に、スケール四分の一のグライダー製造も依頼している。
この絵本だが、いつものようにお爺の大喜嘉平が気に入った。
中根村のわら半紙に写本して売り出している。
片面すべて絵が埋まっている絵本は無理なので絵の枚数を減らした。
もちろん、その見本絵を源七に描いてもらい、お爺は中根村の子供らに絵の複製を依頼した。
文字は板をくり抜いた板版の凸版印刷だ。
多少は単価が下がるが、木に彫るのも手間はかかるのでそれ程安くなっていない。
大名や富豪なら買ってくれるだろう。
俺は第二弾の絵本『灰かぶり』を読んであげると、里が嬉しそうに聞いている。
俺にとって至福の時間だ。
話の内容は、王様を領主様に変え、魔法使いを陰陽師と改変している。
読み終えると、千代女が控えていた。
シンデレラの魔法の時間の終りを告げた。
俺は里を抱きしめたが、さくら、楓、紅葉の三人が容赦なく、二人を引き剥がし、神輿を持ち上げるように運び出す。
別れに泣く里を見て、俺は、『ノ~』と叫んだ。
「里が泣いている」
「若様、お仕事が待って溜まっております」
「里が、里が…………」
「また、明日来れば、いいではありませんか」
「里が泣いているのだぞ」
「すぐに泣き止みます」
うん、知っている。
里の侍女らは俺が作らせた積み木やお人形などの遊び道具を持ち出して、里を宥めると泣き止むのだ。
お利口にすれば、明日も俺が来るという決め台詞だ。
賢い里はそれを理解する。
まだ二歳なのに駄々を捏ねない里は天才ではないだろうか。
もっと素晴らしい教材を考えねば。
部屋に戻ると親父から伝言を持ってきた岩室-宗順がやってきていた。
朝廷と伊勢神宮へ銭百貫文と新酒、蘇、漆塗りの器一式、鉄式炭暖炉、菓子、果実、椎茸などを含む、述べ三百貫文程度の献上品の納品を無事に終えたことを褒めてくれた。
追加で銭三百貫文も安祥城へ送るように命じられた。
親父はどうやら俺を財布と思っているようだ。
「三百貫文などどこにあるのですか」
「そうですか? そろそろ先月の酒の売り上げが入っていると思っていました」
「織田家への献上金は、十一月に締めて一月に納めております。三百貫文程度なら末森の藏にあるのではありませんか」
「その銭は近々ある戦は当てるそうです。それに魯坊丸様は加藤順盛らから大金を頂いたとか」
「それをどこで」
「もちろん、魯坊丸様が召し抱えた伊賀者からです。申し遅れました。某、大殿より忍び衆の管理を任されました。魯坊丸様から雇った忍びはよい仕事をしてくれます」
俺の行動は筒抜けか。
先月の七日から十四日まで、俺は四回のお祓いを行った。
お祓いに受けたい信者が殺到し、平等を喫する為にお祓いを受ける権利のセリが行われ、 一番値は加藤順盛が百貫文でセリ勝ち、二番値は天王寺屋の三十貫文、三番値は二十二貫文で八人が同額となり、くじ引きで決まった。
最後にセリに参加した者を集めて、合同の払いを追加し、直筆の熱田明神の御札を配った。
喜んだ信者が神宮に献金し、その一部が俺の懐に入ってきた。
他にも正月の行事に参加すれば、アルバイト費が入り、屋台などの売り上げの上納金を含めて、三百貫文のお年玉を手に入れていた。
その三百貫文を親父に貸せと言っていた。
織田弾正忠家へ貸出金は年利一割で美味しいのだが、本当に帰ってくるのか。
もちろん、毎年の上納金から差し引いて、強引に返してもらうけど…………子供のお年玉を取り上げて銀行に預ける親のようだ。
その日、俺のお小遣いが三河の安祥城に消えた。




