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五十四夜 千代女の決意

 〔天文十七年 (一五四八年)十一月初旬〕

 今年も新嘗祭が近付いてきた。

熱田神宮に奉納される稲は、氷上姉子神社から神主らが斎田に入って、田植歌にのせて早苗を植えた稲と決まっている。

氷上姉子神社には、熱田神宮を創建した宮簀媛命(みやすひめのみこと)が祀られており、『氷上山 (火上山)』と呼ばれる丘陵上に鎮座し、熱田神宮の創祀以前に草薙剣が奉斎されたという伝承が残っているのだ。

今年は俺も稲を受け取る行事に参加することになった。

大高城の北にある氷上姉子神社には、舟で米を受け取りに行く。

伊勢湾内と言っても波が高いので、さくらと紅葉が俺を挟むように座り、間違っても海に落ちないように気を使ってくれていた。


「魯坊丸様。どうして中根の米ではダメなのです。わざわざ海を隔てた氷上に米を取りに行くのですか?」

「前も言っただろう。氷上姉子神社には宮簀媛命が祀られているからだ」

「宮簀媛命が持っていた草薙の剣はヤマトタケルの持ち物でしょう。そんな大事な剣をどうして別の場所に持って行ったのです。意味がわかりません」

「逆だ。元々、氷上に住んでいた尾張氏が海を隔てた熱田に進出した。そして、自分らはヤマトタケルの意志を継ぐ者と主張して、周辺の民を従えた。その象徴に熱田神宮に草薙の剣を収めた。氷上が尾張氏の故郷なのだ」

「故郷ですか?」

「甲賀の望月家の故郷は諏訪だろう」

「そうですね。本家が諏訪にあります。でも、どうでもいいです」

「そんなものだろうな。だが、さくらみたいに考える者もいるが、本家を大事に思う者もいる。その者の気持ちを蔑ろにすると、一族の結束が乱れる気がしないか?」

「おぉ、婆さんとか、気にするような気がします」

「その婆さんを慕う者もいるだろう」

「おります。さくらは叱られてばっかりだったので慕っていません」

「さくらはともかく、一族が乱れぬ為に本家の顔を立てる。同じように祖先の神社から米を受け取って、その米で祖先の霊に感謝する。顔を立てている訳だ」

「なるほど、何となくわかった気がします」


反対の席で紅葉がクスクスと笑っていた。

紅葉は俺の説明が上手だと褒めてくれるが、さくらは絶対にわかっていないと俺は感じていた。

さくらの何となくは当てにならない。

今回、氷上の民が俺に興味を示し、氷上姉子神社の神主から参加を求められた。

何でも大野で造船所を建設中なのだが、地元の大野や氷上の民を動員して土木工事を進めている。

その手伝い賃で多く民が潤っており、一気に俺への関心が高まっていたらしい。

神社の鳥居前の浜では、大勢の地元民が俺を出迎えてくれた。

俺は客寄せパンダという訳だ。

俺は同行しただけで、特に仕事はなかった。

米を受け取って持ち帰るだけだ。

熱田に戻ると、無事に届いたことを神々に報告すると、米は倉に収められた。

新嘗祭まで少し空くので、俺は熱田神宮を後にして中根南城に戻った。


熱田の町が活気に湧いていた。

平針街道を東に進むが、行き交う旅人の数が増えている。

その分、千代女の眼光が険しくなった。

先日は、どこの手の者かわからぬが、襲ってきた一団がいた。

千代女らの実力で排除したが、知名度が上がるのは良い事ばかりではない。

凄腕の暗殺者が現れて、千代女らの誰かが傷つくのは嫌だな。

そんな考えは杞憂に終わり、今日は無事に中根南城に戻って来られた。

城に入ると、伝言役の小者がやってきた。

客間には、望月(もちづき)-兵大夫(ひょうだゆう)が二十三人の少女を連れてやってきているそうだ。


「お久しぶりでございます」

「報告は届いている。拠点作りで忙しい中を悪いな」

「いいえ、織田様から資金を頂いて望月家の拠点を作らせてもらっております。忙しいなどと愚痴を言っては申し訳が立ちません」

「六角の家老が一人、三雲(みくも)-定持(さだもち)に睨まれていると聞いたが大丈夫か?」

「そのような愚痴を言ったのは吉棟(よしむね)ですか。まったく口が軽い」

「苦労を掛けたようだな」

「気になさることはございません。出雲守が望月の為と信じて力を貸しただけのことです」

「そうか」

「しかし、魯坊丸様の新たな提案のお陰で、北伊勢に勢力を持つ後藤家を味方に出来ました。もう三雲家を恐れる必要もございません。今後は、六角家の重臣の一人である望月出雲守として、お手伝いさせて頂くと言付かってきました」

「よろしく頼む」

「お任せ下さい」


先日、硝石の造り方を望月家に譲渡してもよいという話を千代女にすると、望月(もちづき)-出雲守(いずものかみ)の名代として、出雲守の甥の吉棟がやってきた。

兵大夫は京、堺、兵庫、富田林、今井、大津、坂本、小浜、敦賀、大湊、桑名に拠点を作っている所であり、忙しく動き回っていたからだ。

望月家の金の回りがよいと感じた三雲-定持だ。

望月家と同じ甲賀であり、隣接する三雲家は六角家の家老の一人であった。

織田家との仲を勘ぐって、その家老から望月家の謀反を疑われては肝が冷えただろう。

そんな出雲守の愚痴を吉棟が教えてくれたのだ。

俺は望月家の領地に織田家の荷置き場を置きたいと要望し、その見返りに熱田の琉球交易に六角家も参加しないかと提案した。

熱田は土佐から博多、薩摩の坊津から琉球と平戸に船を出しており、硝石を堺、博多、平戸、琉球の四ヶ所から入手する手立てを持っている。

信光叔父上にも許可をもらって、六角家に船を貸すので一緒に交易しないかと持ち掛けた。

京を行き交う織田家にとって、その途中の六角家との仲は良好な方がいいのだ。

吉棟はかなり困惑した顔をして持ち帰った。

硝石の作り方の譲渡、土地の一部貸し出し、琉球交易という重すぎる決断が出来ずに、望月に持ち帰ったのだ。

数日後、吉棟は出雲守に叱られて戻ってきた。

出雲守は硝石の製造法が交換条件ならば、出雲守は定持の陰湿な追求くらい屁でもないと豪語したらしい。

内々に出雲守は六角義賢と面会し、家老後藤(ごとう)-賢豊(かたとよ)の父である隠居の但馬守が末森を訪ねた。

六角家と同盟とまで一足飛びに決まらなかったが、現代風に言えば、通商条約を結んだ。

取次役は後藤家が行い、連絡役が望月家と正式に決まった。

まぁ、この約定は織田家が買った鉄砲や硝石などを六角家に融通するというものだ。

今後、船を貸す話などを徐々に進めてゆく。

堺を通じて明国との交易を独占していた三雲家にとって手痛い話だが、六角義賢は複数の交易方法を手に入れたことになる。

今まで以上に三雲家から厳しい目で見られるが、六角家のお墨付きをもらったので楽になったらしい。


「魯坊丸様、よろしいでしょうか」


話が済むと、千代女から連れてきた少女らの説明がなされた。

鶴、亀、茜、朝顔、福、牡丹(ぼたん)の五人は望月家が用意していた補充員であったが、千代女が大型の増員を望んだことと、周辺の村から織田家と縁を持ちたいという要望が重なって、山中-鹿(しか)、山中-(ちょう)、伴-(くま)、美濃部-綾、美濃部-藤、美濃部-美輪、野田-百合、杉谷-菫、葛木-菖蒲、倉治-木通、池田-栗、滝-菊、和田-松、高峰-竹、上野梅ら十二家十五人が追加となった。

因みに、彼女らは小さい家ながら姫なので、各家から二、三人の小者が付いてきており、述べ二十八人の小者も増えた。

これだけの大所帯となったので指導役として急遽追加されたのが、何見(かみ)姉さんと乙子(おとこ)姉さんだ。

二人は千代女の先輩であり、千代女を鍛えた姉弟子となる。

皆との挨拶が終わると、千代女が一段と頭を下げた。


「魯坊丸様。お願いしたき儀がございます」

「改まってどうした」

「お仕えして、まだ一年にもなりませんが、魯坊丸様が真の主君と確信を持っております」

「そうか」

「ここに来たときは、意に沿わぬ婚儀を回避できた恩を返すことを考えておりましたが、魯坊丸様は私の想像を完全に超えておりました。最初は、まだ三歳なので私好みの主君に育てようなどと浅ましいことを考えておりました」

「そうなのか。気に入らぬことでもあったか? 仕事を回し過ぎたか?」

「むしろ逆です。私が如何に無知で、何もできない子供だったかと思い知らされました。魯坊丸様は、美濃の斎藤利政殿も凌駕しておりました」

「そうでもないぞ。むしろ、振り回されておる」

「いいえ、我らを使って斎藤利政殿の急所を突いております。魯坊丸様以上に我らを自在に使える主君はいないと確信に至りました。千代女は一生魯坊丸様にお仕えするつもりでございます」

「それは嬉しくおもう」

「つきましては、これより魯坊丸様のことを御主君(しゅくん)あるいは主様(あるじさま)と呼びとうございます」

「主ではあるが、そう呼ぶのは止めて欲しい」

「駄目ですか?」

「魯坊丸様ではいかんのか?」

「それでは他の者と同じです。他人行儀過ぎます」

「主君、主は止めて欲しい」

「…………」

「そんな目で見ても駄目だ」

「では、せめて若様と呼ばせて下さい」


千代女がそれ以上は引いてくれなかった。

こうして皆が俺を若様と呼ぶようになり、千代女らとの距離がぎゅっと近くなった。


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