二十八夜 いつもの忙しい日常
〔天文十七年 (一五四八年)夏五月五日〕
今日は目出度い『端午節句』だ。
という訳で、梅雨になる前に土蔵や奥の間にしまっている鎧・兜を風に晒す為に庭に出し行きます。
あぁ、察した。
剣道の武具って、滅茶苦茶に臭い。
割と高額なので中学や高校でクラブに入った人は部活のお古を貸してもらうのだが、死ぬほど悪臭が漂っている。
防具に付いた汗の臭いが取れない。
今はリアルに鎧・兜を身に付けて戦場にゆき、何にも鎧を身に付けた儘で戦う。
汗泥、血だらけになってだ。
その汚れが染み込んでおり、梅雨の前に洗って干しておかないと死ぬほど臭くなる。
藏や家臣の鎧・兜が干されており、そちらから芳ばしい臭いが…………⁉
この時期の風物詩だ。
さて、古代中国の季節行事を『五節句(七草の節句、桃の節句、端午の節句、竹(笹)の節句、菊の節句)』と呼び、季節の変わり目に体調を崩す方が多いことから邪気が漂うとされた。
熱田神宮でも邪気を払う祈祷で忙しい。
大宮司の千秋季忠が一緒に参拝者を祓う行事に参加して欲しいと願ったが、昨日は松本元吉と津田助五郎を連れて熱田の酒造所の案内をし、明日は臨時の熱田会議で戻らねばならない。
中根南城は猫の手も借りたいほど忙しいので断った。
そこに俺の爺様である大喜嘉平が訪ねてきた。
「魯坊丸様。完成しました」
「何が完成した?」
「鈴入りのお手玉です」
「嘉平爺ぃ。早速いくぞ」
「はい」
大喜嘉平爺ぃは母上の父であり、俺の祖父だ。
孫も可愛いが、孫娘はさらに可愛い。
大喜嘉平爺ぃと一緒に妹である里の部屋に突撃だ。
先触れも出していないのに侍女らが足音だけで俺達を迎えてくれた。
俺の顔を見るだけ里はご機嫌だ。
嘉平爺ぃも孫娘の顔を見てニヤけている。
「里。これが新しい玩具の『鈴入りお手玉』だ。侍女に早速やってもらう」
「おにぃ、たま」
「里様。今日はお手玉です。やってみせますね」
里付きの侍女がお手玉をくるくると手の上で回すと、チリン、チリンと音がする。
それに合わせて里の手が回る。
あぁ、今日も里は可愛いな。
妹がこんなに可愛いものとは思わなかった。
里に「おにぃ、たま」と言われたときに、胸をズキュンと撃たれた気がした。
まず、『揺り籠』を造らせ、その上空でクルクルと回る『ベビーツリー』を備え付けさせ、『ガラガラ』と『積み木』も造らせた。
舐めても大丈夫なように、すべて天然素材だ。
木造りの人形やぬいぐるみを作成させており、ピアノのような鍵盤器も作成中だ。
琴をベースにした弦楽器も造らせよう。
お手玉の中に入った『鳴り物お手玉』を差し出されると、里が「あう」と言ってお手玉を叩く、するとチリンとなって喜ぶ。
気に入ってくれたようだ。
音がなるとにっこりとする里が可愛い。
「嘉平爺ぃ、もっと沢山の玩具を造るぞ」
「何でも言って下さい。造らせてみせます」
「期待している」
幼い頃に教育が重要と誰かが言っていたような気がする。
赤子の教材は何だろうか?
読み書きはできないが、物語を聞かせることができる。
寝る前に本を子守歌のように読ませ、起きるときは美しい音楽で目覚めさせる。
そうか、太鼓、ギター、笛のような楽器を造ろう。
音楽隊を作って、里に音楽を聴かせよう。
ストーリーパフォーマンスができる楽器隊も編成しようかな?
夢が広がる。
「魯坊丸様。おられるか」
「定季か。一緒に里の玩具を造ってくれる気になってくれたか」
「暇ができれば手伝いましょう」
「定季が手伝ってくれれば、里の教材も作りやすくなります」
「そうですな。幼い頃から学ばせるのは、これから重要になります。それも早急に考えましょう」
「そうか、手伝ってくれるか」
「手伝いましょう。人手を育てねば、この城が回りません。しかし、その前にこの急場を乗り切るのが先と申した筈です。少し用があって席を外していると、どこかに消えてしまう方がいます」
「それ、はいかんな」
「そのお方は人の十倍はお仕事ができる方です。そのお方が居なくなると作業が止まってしまうのです」
「定季がいるではないか?」
「それでは私が政務の間から動けなくなるのです。魯坊丸様がいる間にせねばならぬ仕事もあるのです」
「すまん。嘉平爺ぃが来て浮かれてしまった」
朝から政務に追われて、庭を見ながら休憩を入れていた。
嘉平爺ぃがきたので忘れていたが、俺は普請の計画書の見直しの為に中根南城に戻ってきた。
忠貞義兄上と黒鍬衆に天白川の河川護岸工事と新兵の育成を押し付けた。
俺や定季が居なくとも大丈夫だ。
だが、内政と外交は得意ではない。
八事の内政と、平針・島田との交渉は俺と定季でやっている。
養父の忠良は無能ではないが、内政が特殊過ぎて手伝えない。
領民や兵の士気を上げる為に領内の視察が仕事だ。
不満や陳情を聞くのも重要だ。
話を聞いてくれる良い領主と評判である。
「それと源七が嘆いていた。魯坊丸様がいないと、船大工が要求している製図が完成しないと」
「源七なら大丈夫です。もう一人で書ける筈だ」
「流石に無理でしょう」
「無理かな?」
源七は狩野の絵師であって設計士ではない。
俺も基本を囓っただけで、造船の専門家ではないので試行錯誤しながら作ってゆくしかない。
まずは、少し大型のヨットを造船する。
軍船の小早をベースに和船の平底と宋船の竜骨の違いがあるが改良できると熱田の船大工が言った。
しかし、大型化となるとは難しい。
そこでヨットを連結して双胴船として、新しい三百石船の原形とすることにした。
それらに区画を分けた浸水対策と防水塗装を色々と試すつもりだ。
帆船に必要な技術が溜まるまでの間に合わせだ。
双胴船なら喫水の浅い湊でも使える。
まだ喫水の浅い湊が多く、大型船が使える湊は限られるからだ。
もちろん、外洋用の中型の帆船も平行して造るが、まず竜骨のヨットで技術を成熟させてからだ。
狩野-源七は出来る子だ。
頼んでいるのは船の製図だけではない。
他には熱田で規格の角材などを造り、設計図も頼んでいる。
木材の規格化が重要だ。
現地で組み立てて小屋ができるようなプレハブ造りの屋敷の基本製図が完成すれば、それを元に角材を分業して作らせることができる。
間に合えば、肥料を作る小屋もプレハブ工法で一気に建てたい。
「定季、肥料小屋の場所の選定は終わりましたか?」
「まだ、測量も終わっておらん。測量した部分から選定をさせている途中だ。長根と八事の領内だけで手一杯なのに、那古野・末森・守山に建てる肥料小屋の選定までこちらがせねばならんのだ」
「文句ならば、信光叔父上に言って下さい」
「言えぬから、魯坊丸様に愚痴っているのです」
平手政秀が美濃に赴いて和睦が成立した。
同盟の話はこれからだ。
白石(石灰)を大量に購入する約定をもらってきた。
こちらが望む十分の一にも満たないが…………向こうの生産力がその程度だから仕方ない。
一先ず、那古野、末森、守山の領内の一部のみ、来年の春からはじめる。
津島や勝幡の簡易測量から帰ってきた者らは、今度は那古野、末森、守山の測量に向かってもらった。
また、領内の精密測量があと回しだ。
「これ以上、仕事を増やしても仕事が回りませんぞ」
「わかっている」
「本当にわかっておられますか?」
「大丈夫だ」
「本当でしょうな」
「ところで、里の教材の件だが…………」
定季が大きな溜息を吐いた。
夕食になると、家臣や監督らが中根南城に戻ってくる。
中根家一同が揃って食事だ。
と言っても、俺を含めて養父と母上のみだ。
忠貞義兄上は新兵の教育に忙しく、八事の宿舎から戻る時間を惜しんで欠席となった。
里が同席するのは来年からだ。
大広間で報告と発表が終わると、場所替えの発表がなされた。
津島に建てる酒造所に配置する人材の発表だ。
少し前に八事領が中根家に編入されて見習いを監督に昇進させたばかりであり、下から掬い上げるのは不可能であり、八事の新米家臣の教育も終わっていない。
派遣できる人材がいない。
そこで熱田の酒造所の建設に関わった者の多くを責任者として津島に回すことにした。
ここに居ない者は後で通達される。
酒造所の建設長、工場長、事務長の三人に津島への異動の通達が…………そして。
「連、熱田酒造所の総長を命じる。嶋、熱田酒造所の建設長を命じる。村上吉之助、熱田酒造所の事務長を命じる。薄、津島酒造所の副総長を命じる。夜目、士分に召し上げ、政務所の勤務を命じる」
「えっ、わたしですか?」
「連、悪いが玉の輿はあと回しだ。熱田酒造所の建設長、工場長、事務長を束ねて欲しい。これより二十貫文二人扶持だ」
「え、え、えっ…………私が士分で家臣ですか⁉」
連以外は驚いて声も出ない。
俺と定季で考えたウルトラCは一人でできる奴がいないなら数人で組ませてやらせようだ。
その筆頭が俺の侍女と女中だ。
連は侍女長であり、俺の仕事を最初から手伝っていたので内容を把握して能力に問題ない。
ヤル気が玉の輿に全振りされている問題児だ。
俺の世話を放棄して女中に任せるいい加減なところがあるが、監視さえ怠らなければ能力に問題はない。
熱田酒造所で酒を造るのは杜氏に任せ、事業計画通りに進める能力が問われる。
そこで真面目で融通が利かない女中の長子を総長補佐としてセットにしておくる。
長子の役職位は中間に上がり、大抜擢もあって裏切らないだろう。
俺にすべてを報告するので、連はサボることができない。
同じ侍女の嶋は処理能力が足りないが、作業の流れをすべて把握している。
能力が足りない部分を、総長に抜擢した連に建設長や工場長の仕事を補わせる。
津島へ向かう薄は生後半年ほどに途中で追加された優秀な侍女であり、事務作業が得意な子である。
この子が抜けるのは定季にとって痛手らしいが、紅葉が優秀なのですぐにフォローできそうなので放出することにした。
熱田酒造所の工場長は津島酒造所の総長兼工場長となり、その補佐として津島酒造所の副総長として送る。
同じく、侍女の夜目は侍女だった福が出てゆくことになり、補充で侍女に昇進した女中だった優秀な子だ。
政務の中間として入ってもらい、中根南城の政務の家臣を引き抜いた穴を埋めてもらう。
他にも俺の女中だった満、黃、餞が津島、熱田、中根南の中間に昇格して事務の仕事を手伝ってもらう。
そして、俺の元からいなくなった侍女長に抜擢されたのが千代女だ。
「私が侍女長で宜しいのでしょうか?」
「千代女以外に誰がいる。それよりさくらが侍女筆頭の方が心配だ」
「そこに同意します」
「何故ですが、不肖さくら。魯坊丸様の為に身命を賭してお仕えします」
千代女が侍女長、さくらが侍女筆頭、楓と紅葉はそのままの侍女だ。
次の俺の女中は中根の神社教室から優秀な子を八人ほど引き抜いて、母上がさくら共々教育してくれる。
千代女は肝心の護衛が手薄になりかねないと不安らしい。
「魯坊丸様。伊賀と同じく甲賀の者を召し抱えても問題ございませんか?」
「問題ない。それ所が、周辺を探る者が欲しい」
「では、父にその要望を伝えます」
千代女は望月出雲守に手紙を書くそうだ。
人事異動のメインは俺の侍女と女中だが、それぞれの部署から数名ずつ抜いて津島に回すので大変なことになった。
しかも引き抜かれた人材は各部署で優秀な者であり、その穴を埋める為に各代表や監督が頭を抱える。
人事の異動は来月であり、一ヶ月で引き継ぎを終えなければならない。
その引き継ぎ作業に加え、通常通りに大量の仕事を抱えている。
定季も新しい女中に事務仕事を教える余裕などない。
そこで息子の良勝らに丸投げした。
出て行く侍女と女中と相談して、一ヵ月で使える者に仕上げろという命令は無茶だろう。
無茶でも命じられた良勝らはやり遂げねばならない。
代表や監督らも見込みがある奴を抜擢して、出てゆく奴らに丸投げした。
立つ鳥跡を濁さずってか?
出来る奴にすべて押し付けるのが標準になってきた気がする。
俺の家臣は成長著しいな。
皆、頑張れ!
そう祈りつつ、合唱してお寝むについた。
里と一緒にグライダーに乗って空を飛ぶ夢をみた。
おぉ、次の玩具は模型グライダーだ。




