かれなで
注:悲しいハッピーエンドです。なんかモヤっとする終わり方かもしれませんので、そこだけ留意してお読み下さい。
離れなで(goo出典)
[連語]《動詞「か(離)る」(下二)の連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+打消しの接続助詞「で」》離れてしまわないで。とだえてしまわないで。
「橘の花の宿とふほととぎす―今も昔恋ふなり」〈新千載・夏〉
記憶など継がない
けれど、私の中の何かが貴方を求めるのです
離れなで
<最後の最初>
<キミ>は旧家に奉公していた。
古式床しいお屋敷で、毎日を忙しく働いていた。
主人夫婦は厳格であり、他の奉公人も仕事には厳しいが普段は<キミ>を殴る蹴るはしなかった。
けれど、<キミ>は不満だった。
お屋敷の離れ。
外鍵で封じられた玄関、格子のはめ込まれた窓。
近づいてはいけないと堅く言いつけられているその離れ。
それが<キミ>の不満の元だった。
「おにさま、あたしです」
淡い雲の掛かった十六夜の日に、<キミ>はつま先立ちでこっそりと離れの窓を覗き見る。
「いけないよ、キミ。ここに来てはいけない。見つかっては折檻されてしまう」
「あたしは構いません!そんなの怖くないです!」
月明かりが差し込む窓越しに、星のように光る髪が見える。
小さな<キミ>にはそれしか見えない。
「キミ、大きな声を出すものじゃないよ。本当に見つかってしまう」
焦った<おにさま>が窓から離れた。
「ごめんなさい、おにさま!だから…お隠れにならないでください……!」
声を小さくして切実に訴える<キミ>に、<おにさま>はそっと首を振った。
「あたし、握り飯を作ってきたんです!初めて作ったんです!おにさまに、食べて欲しくて!」
<キミ>は桟を掴み、必死に格子の隙間から手を差し入れる。
無言で差し入れた手を振っていると、そっと、薬指の爪に触れるものがある。
爪に、こんなに鋭い感覚があるなどと知らなかった<キミ>の手が弛緩する。
ほろりと手から落ちた歪な形の握り飯が、<キミ>の爪に触れた白い掌へ落ちた。
「もう行きなさい、キミ」
膨れ上がる、触れたいという欲求を拒むように<おにさま>の気配が離れる。
「おに、さま……」
「ありがとう、ちゃんと食べるからね」
すう、と引き戸の音がして<おにさま>が去ってしまったのを知った<キミ>は、名残惜しそうに何度も何度も離れを振り返り見た。
キミ、キミ、キミ
<鬼>は冷えた握り飯をそっと頬張る。
「……これが、美味しい……」
子供の手では上手く握れないのだろう、食んだそばから崩れ落ちる。
米粒一つ逃さぬように、袖へと落ちた粒をウデを上げてそのまま唇で掬い上げた。
ありがとう、キミ
握りとは言えなくなったソレを一口、一口――ほろりと、こぼれるものは米粒だけではない。
ほろり、ほろりと落ちたのは
キミ、キミ、キミ
キミ、キミ、キミ
けん、けん、と嫌な咳が闇夜に木霊する。
「キミ、おやすみ。体を悪くしているのだろう?」
ひょろりと伸びた<キミ>は、もう爪先立ちをしなくてもいい。
星の光のような髪、白磁のような肌、晴れた冬の日のような瞳。
美しい、美しい<おにさま>をキミはいつでも見ることが出来る。
「私は、平気、です」
言ったそばから――けん――と鳴く。
「キミ……」
格子から差し出された掌が、<キミ>の頬を撫でる。
「心配なんだよ、キミ、心配なんだ」
「おに、さま……」
キミは<おにさま>のその手を包む。
「わかりました、休みます。元気になって、また来ますから……」
離れる指先が寂しい
そう思ったのはどちらか
その後、<キミ>が<おにさま>の元を訪れることは無かった。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<何れかの中のどれか一つ>
小さな楓の木には、毎年毎年その傍で咲く、愛らしい花があった。
それは、場にそぐわぬと言う家主の都合により根から取り攫われ終わった。
<何れかの中のどれか一つ>
二匹の蝶が、ヒラヒラと戯れるように風に舞っている。
寄り添い、離れ、また寄り添うその蝶を別つのは、無邪気な声を上げる子供の持った虫取り網だ。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<最初の最初・キミ>
幼さゆえに、<キミ>は自分の不遇を理解していなかった。
母が存命のうちは良かった。
胸に抱かれ、乳房を食み、腕の中で穏やかに眠った。
けれど、母は直ぐに死んだ。
父は段々と<キミ>を構わなくなり、いつ頃からか泣けば殴るようになった。
自我の無い幼子のうちにそんな目に遭っていれば、十になって奉公に上がったお屋敷を不満に思うことは無かった。
言われた仕事が終わらなければ、飯は抜きにされたし、失敗をすれば殴られたが、実父のそれに比べれば優遇されているとも思った程だ。
「君、邪魔だ」
当主の息子が、廊下を拭く<キミ>を邪険に扱う。
「もぅしわけ、あり……」
舌っ足らずに謝ろうとするが、言葉が終わる前に腹を蹴られた。
「ぐうっ……」
「吐くなよ」
それだけ言い置いて、当主の息子は部屋へと下がった。
その人を見つけたのは奉公に来て初めての冬のある日だった。
たまに、キヌが夜も更けてからこっそりと離れに向かうの知った。
戻るとその手には着物やら褌、敷布を抱えている。
身を擡げた好奇心のまま<キミ>は凍みる雪の日、朔月に身を隠し離れへと向かった。
「誰か、いるの?」
格子窓に手を掛けて、小声で呼びかけるが何の反応も無い。
けれど、確かに衣擦れの音がした。
「あなた、だぁれ?」
確かにそこに居るのに、答える声は無い。
「あたしね、あたし……」
名前が出てこなかった。
そこで、自分の名前を忘れてしまったことに気付いた。
それがとてもとても寂しいことだと、気付いてしまった。
「あた…し……」
ほろほろと、勝手に涙が頬を伝った。
静かな泣き声のまましゃくり上げていると、ポンと頭を撫でられた。
咄嗟に顔を上げると、格子窓から伸ばされた白い、白い手がそっと引っ込んだ。
それが、無性に嬉しかった。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<何れかの中のどれか一つ>
その犬が飼われて一年、主人が死んだことを犬は理解しているのか。
家族がどんなに連れ帰ろうと、気付けば首紐を外して主人の墓の前に居る。
「もう、あの人はいないのよ?」
優しい夫人の声にも視線を寄せるだけで、墓の前で伏せている。
「お前は、あの人が大好きなのね……」
犬は、ずっとその墓の傍に居た。
<何れかの中のどれか一つ>
風が吹いて、波が起った。
風は止まり消え、波紋も暫く経って消えた。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<最初の最初・鬼>
ソレは自分が何であったか疾の昔に忘れていた。
竹林に囲まれた離れの中。
必要最低限、若い女が来て世話をして去っていく。
暫く経つと女は老いて、新しい女が来る。
中には、情に絆されたと言って胸元に擦り寄る者も居た。
ソレには何故女がそんなことをするのかわからなかった。
ソレを押し倒し、ソレのマラを咥え、白く膨かな太股の肉置きを露にソレの上に跨ぐと腰を振った。
ソレの胸が何やらぞわりとし、得も言われぬ感覚に驚いているとソレの何かが爆ぜた。
女がぐったりと圧し掛かり、はぁはぁと息をつく。
そんなことを数度されていると、突如離れの戸が乱暴に開けられる音がして、女が殴られた。
翌日から数日間、誰もソレの元へ来ることはなく、ようやっと来たのは男だった。
しかしその男はソレを意味も無く殴った。当主にばれぬよう、見える場所を避けて殴った。
耐えて暫く、老いた男は来なくなった。
そうしてどれだけ過ぎただろう。
ある日、小さな子供の声がした。
息も凍る、寒い夜だった。
「誰か、いるの?」
薄明かりに、小さな小さな手が桟を掴むのが見えた。
幼い声に、小さな手に、何故かソレの胸を込上げる何かがあった。
ソレは思わず身を震わせた。
「あなた、だぁれ?」
ソレは答えたい、と思った。
しかし、問いに対する答えをソレは持っていなかった。
「あたしね、あたし……」
嬉しそうな声が、急に尻すぼみになったかと思うと嗚咽に変わった。
「あた…し……」
どうにかしてやりたい、その涙を拭ってやりたい。
ソレの想いは、初めての<感情>と言うものだった。
恐る恐る、格子窓から手を差し出した。
艶やかな黒髪に、そっと手を置いた。
(あぁ、これはなんだ……?)
込上げるのだ、何かが。
込上げて、泣きたくなるほどに嬉しかったのだ。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<何れかの中のどれか一つ>
朽ちた荒ら家で、一人の男が女を抱きしめていた。
そこに蜻蛉が飛んできたが、たった一日で死んでしまった。
<何れかの中のどれか一つ>
己が白いモヤだと、ソレは気付いた。
何かが足りない気がして、その何かを探そうとしたが日の光に露と消えた。
離れて終わぬよう、途絶えて終わぬよう
ずっとずっとナニカがナニカを捜し求め
ナニカもナニカをずっとずっと捜し求む
<最初の最後>
「無事なのか、それだけでも教えては頂けませぬか」
<鬼>は、格子窓の柱を握る。
嫌な咳の音が、母屋中に充満しているのに気付いていた。
世話役として来ていたキヌも、<キミ>と同じような咳をしていると思った矢先倒れた。
今日来たサチが、キヌが亡くなったと言う。今日からサチが世話役だと言う。
「他にも病を得た者が多いのでしょう?キヌの他はどうなったのか教えては頂けませぬか」
サチは何も言わない。言葉を交わすことを、当主に禁じられているのだ。
「お願いだ、教えてくれ、教えて……」
美しい顔を悲しげに歪めて、去ろうとするサチに縋った。
顔を赤らめたサチだが、結局何も言わずに離れを後にしてしまった。
何度問うても答えは得られず、ついに<鬼>は<鬼>であることをやめた。
「言え、言わねば我は此処を出る!そう当主に伝えよ!あの子は、あの子はどうしたのだ!言え!!」
<鬼で在ったモノ>は知っていた。
己を囲うこの一族の始まりも、何故己が囲われているのかも。
全てを忘れた振りをしていた。
己を鬼と信じ、鬼を飼えば幸福が訪れると信じ、そうして意味の無い呪いを離れに張り巡らせて<鬼>を囲った気になっていたのだ。
長い、長い生に飽いていた<鬼>はそれも良かろうと囲われているうち、全てを忘れたような気になっていたのだ。
<鬼で在ったモノ>の気に押され、サチが足を縺れさせて母屋へと向かう。
暫くして、顔に恐れを張り付けた当主が<鬼>の前に現れた。
「あの子、とは……誰のことで御座いましょう……」
(これが、あれの子孫か)と、<鬼>は無感動に見遣る。
「名は知らぬ、覚えておらぬと言うていた、君と呼ばれ、お前と呼ばれるだけだと」
<鬼で在ったモノ>の言葉に、当主の後ろに控えていた老僕が何かを耳打ちする。
「ま、まことか……」
青い顔をする当主に、<鬼で在ったモノ>は酷く顔を歪めた。
「なんだと言うのだ!」
怒号に身を竦め、震える声で当主は絶望を<鬼で在ったモノ>に齎した。
「おキヨは、亡くなった……と」
離れてしまわないで
途絶えてしまわないで
ずっとずっと、君を探していた気がするんだ
<最後の最後>
<鬼で在ったモノ>が朽ちた離れで目を閉じている。
手を添えているのは人の成りをした人でないモノ。
ソレは<鬼で在ったモノ>が<キミ>と呼び続けた者の姿をしていた。
「生まれ変わりを待つなど出来ぬ。私を知らぬお前などいらぬ」
<鬼で在ったモノ>が物言わぬ人形を抱きしめる。
もう嫌だと心が泣いた。
何故かは解らぬが、<今生>にて終りまでを共に居たいと切実に思うのだ。
「キヨ、キヨ、キミの名はキヨだったんだよ?」
<おにさま>がそっと人形の頬を撫でる。
「目覚めて下さい、お願いです、目覚めて下さい」
<鬼>が、涙ながらに人形に命を注ぐ。
どれが自分かも解らぬようになったソレは、己の命を限りまで注いだ。
屋敷を壊し、キヨを求めて世を彷徨い、やっと見つけた墓を暴いて骨を持ち去った。
何処へ行けばいいのか解らず、結局この離れに戻り、己の命を骨に捧げた。
何年も、何年も経って、骨に肉が付き、血が流れ、息を吐くようになった。
あと少し、あと少しで目覚めると、ソレは命を注ぐ。
「ほぅ」
息に雑じった声に、ソレは目を見張った。
ゆっくりと開く瞳に、釘付けになった。
「お、に…さま……?」
「あ、あ、あぁ――」
言葉にならぬ言葉を吐いて、ソレはキヨを優しく抱きしめた。
「わかったよ、わかったんだ、君の名前は<キヨ>と言うそうだよ」
弱々しく、キヨの右手がソレの後ろ頭を撫でた。
「キヨ……?私、そう、そうね、キヨ…でしたね……」
微笑む気配に、ソレの心が喜びに震えた。
「私はね、アギと言う」
「おにさまの、お名前……?」
そっと顔を合わせると、アギの流した涙がキヨの頬へと落ちた。
「そうだよ、アギだ」
「アギさま――アギさま……」
「キヨ、キヨ――」
そっと唇を重ねた。
ふわりと、キヨの身が崩れた。
理を冒したというのに、言葉を交わす時間を持てた。
アギにはそれだけで幸福だった。
アギの身も崩れる。
ほろり、ほろり
崩れた身が交じり合い、重なり合って、隙間風に乗って空へと舞い上がる。
重なり合った二つは、魂となり、微笑みあった。
やっと、同じ時を生きることが出来た。
やっと、同じ時で終いに出来た。
もう離れないのだ、途絶えないのだ。
絡ませあった魂は一つに溶けた
それは、幸福な終いだった
拙いお話でしたが、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
今までの作品とかなり毛色が違いますが、如何でしたでしょうか?
結局アギは妖怪なの?とか、思いますよね。作者も疑問です。
でも、一日で死んだ蜻蛉と、白いモヤはキヨです。
アギが魂を戻そうと頑張ってたから、転生したのに戻されて~的な。
モヤっとした終わり方で申し訳ありません。
でも、二人は幸せなんだ。
寄り添って、でも離れ離れになって、いつ亡くなったのか、いつまた逢えるのかわからない。
なんとなく、毎度毎度出逢うけど、記憶があるわけじゃない。
それでも、求めている気がする。
やっと、出逢えた気がして、今度こそ一つになりたくて
やっと、一つになれて消えて往ける。
そのことに幸福を見出す。
そんな意図の作品でした。
伝わったでしょうか?
こういう作品は、自分の発想力・文章力・構成力の無さが思いっきりこれでもか!ってぐらい出てしまうので、普段は書かねぇんすけど、うっかり書いてしまいました(笑