第十一話 帰りの新幹線と次の約束
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
京都駅の新幹線改札前。
電光掲示板には、次々と列車の案内が表示されていた。
「……これですね」
俺はスマートフォンの予約情報を確認した。
名古屋行きの新幹線。
列車名、発車時刻、号車、座席番号。
すべて間違いない。
「悠真さん、準備できました?」
「ええ。荷物も揃っています」
「じゃあ、帰りましょうか!」
藤宮さんが改札へ向かう。
俺もその隣を歩き始めた。
三日前。
同じ駅に到着したときは、これから何が始まるのか、ほとんど想像できていなかった。
だが、今は違う。
リュックサックには、京都で買った土産物。
スマートフォンには、三日間で撮影した写真。
そして、まだ折り畳んでいない京都府の観光地図が入っている。
「……荷物、増えましたね」
「そうですね! 私もお土産がいっぱいです!」
藤宮さんが紙袋を持ち上げた。
「重くないですか?」
「大丈夫ですよ!」
「持ちましょうか?」
「えっ?」
「両手が塞がっていると、改札を通りにくいでしょう」
「あっ、ありがとうございます!」
彼女から紙袋を一つ預かり、改札を通る。
別に大したことではない。
単に、片手が空いていたから持っただけだ。
それなのに、藤宮さんは随分と嬉しそうだった。
◇
ホームへ上がると、ちょうど別の新幹線が出発するところだった。
白い車体がゆっくりと動き始め、やがて速度を上げていく。
「……そういえば」
「はい?」
「初日に新幹線へ乗ったときは、少し緊張していたんですよ」
「そうだったんですか?」
「ええ。乗り間違えたり、降りる駅を間違えたりしないかと」
「ふふっ、悠真さんらしいですね!」
「……慎重と言ってください」
「慎重ですね!」
即答だった。
どうにも、からかわれている気がする。
俺たちが乗る新幹線が到着した。
降りる人たちを待ってから乗り込み、指定された座席へ向かう。
「あっ、悠真さん!」
「はい?」
「帰りは窓側、座りませんか?」
「いいんですか?」
「もちろんです!」
藤宮さんが窓側の席を指さした。
「行きは私が座りましたから!」
「では、お言葉に甘えて」
荷物を整理し、窓側へ腰を下ろす。
ほどなくして、発車を知らせる案内が流れた。
京都駅のホームが、ゆっくりと後方へ動き始める。
「……出発ですね」
「はい!」
藤宮さんは窓の外を眺めていた。
駅の建物が遠ざかり、やがて住宅やビルが次々と視界を流れていく。
京都の街が、少しずつ離れていった。
◇
「……そういえば、新幹線の料金なんですけど」
しばらく車窓を眺めていた俺は、予約内容を確認しながら口を開いた。
「はい?」
「最初に予約したとき、乗車券と特急券について教えてもらいましたよね」
「ありましたね!」
「普通列車と新幹線で、必要な料金が違うという話です」
「そうですね!」
今回の予約でも、通常の運賃と新幹線を利用するための料金を確認した。
だが、実際に利用してみると、少し気になることがあった。
「……つまり、同じ名古屋まで行くとしても、使う列車によって必要な金額が変わるんですよね」
「そうですよ!」
「在来線だけで行くなら、基本的には乗車券で移動できますよね?」
「はい! 普通列車なら、そうですね!」
「でも、新幹線を使う場合は特急料金が必要になる」
「そういうことです!」
俺は改めて画面を確認した。
乗車券は、その区間を鉄道で移動するためのもの。
特急券は、新幹線などの特急列車を利用するためのもの。
第三話で確認した内容だ。
ただ、当時は予約を終えることに集中していた。
料金が分かれている理由までは、深く考えていなかった。
「……速く移動できることに、追加で料金を払っているわけですね」
「まあ、簡単に言えばそうですね!」
「なるほど」
俺はスマートフォンでJRの案内を確認した。
普通列車に乗る場合と、特急列車に乗る場合では、必要なきっぷの組み合わせが異なるらしい。
さらに、特急列車でも指定席か自由席かによって条件が変わる。
「……思った以上に種類がありますね」
「そうなんですよ! 私も細かな制度までは覚えていません!」
「藤宮さんでもですか?」
「はい! だから、予約するときに確認するんです!」
それを聞いて、少し納得した。
旅行に慣れているからといって、すべての交通制度を覚えているわけではない。
必要なときに調べ、目的に合ったものを選ぶ。
それでいいのだろう。
「ちなみに、今回は新幹線にして正解だったと思います」
「おっ、どうしてですか?」
「初日に山鉾巡行を見る必要がありましたから」
「ああ、そうですね!」
「時間を優先したのは、合理的な判断だったと思います」
藤宮さんが小さく笑った。
「合理的、ですか!」
「ええ」
「悠真さんって、旅行のことでもお仕事みたいに考えますよね!」
「……癖なんでしょうね」
費用。
所要時間。
乗り換え。
それぞれを比較し、目的に合った方法を選ぶ。
普段の仕事で行っている条件整理と、それほど変わらない。
ただ、今回は一つ違うことがあった。
「……次に移動手段を選ぶなら、もう少し早く調べてみたいですね」
「早く、ですか?」
「ええ。今回は、藤宮さんの提案を受けてから調べ始めたので」
俺は予約画面を閉じた。
「行き先が決まった段階で、いくつか方法を比較しておけば、選択肢が増えるかもしれません」
「……悠真さん」
「はい?」
「それって、次の旅行の話ですか?」
「……まあ、そうなりますね」
藤宮さんが一瞬黙った。
そして。
「ふふっ!」
「……何ですか?」
「いえ! 嬉しいなと思いまして!」
どうやら、また何かおかしなことを言ってしまったらしい。
◇
新幹線は、滑らかに走り続けていた。
窓の外には、建物や田畑が交互に現れる。
遠くの山並みを眺めながら、俺はスマートフォンの写真を開いた。
最初に表示されたのは、祇園祭の山鉾。
大勢の人々が綱を引く姿が写っている。
次は、辻回し。
巨大な鉾が交差点で向きを変える瞬間だ。
その次には、湯豆腐の御膳があった。
「……あれ?」
写真を順番に見ていると、妙なことに気づいた。
「どうしました?」
「食べ物の写真、思ったより少ないですね」
「そうですか?」
「ええ。湯豆腐と、今日の市場で食べたお菓子くらいしか」
「ふふっ、悠真さん、食べる方に集中してましたからね!」
「……そうでしたっけ?」
「そうですよ! 湯葉も気に入ってましたし!」
確かに、あれは美味しかった。
帰ったら、近所のスーパーでも探してみようと思っている。
さらに画面を進める。
清水寺。
二条城。
伝統工芸品の展示。
そして、二人で撮った写真。
清水寺での一枚は、俺の表情が少し固い。
一方、二条城で撮ったものは、多少自然な顔になっていた。
「……本当ですね」
「何がです?」
「写真を撮られるのにも、少し慣れたみたいです」
「あっ、昨日の写真ですね!」
藤宮さんが画面を覗き込んだ。
「ふふっ、いい写真ですよね!」
「そうですね」
並んで写っている二人。
知り合ったばかりとは思えないほど、藤宮さんは楽しそうに笑っている。
俺も、最初の頃よりは自然な表情になっていた。
「……そういえば、藤宮さん」
「はい?」
「初めて会ったとき、俺のことを信用して大丈夫なのか聞きましたよね」
「……ああ!」
彼女が思い出したように笑った。
「言ってましたね! 知らない男の人と旅行するのは危なくないのかって!」
「ええ」
「ふふっ、懐かしいですね!」
「まだ十日も経っていませんけどね」
「あはは! そうでした!」
思わず俺も笑ってしまった。
道路脇で段ボールを掲げていた女性。
偶然、車に乗せただけの相手。
その人と、今は京都から名古屋へ向かう新幹線に乗っている。
「……あのときは、本当に旅行することになるとは思っていませんでした」
「私は、行けたらいいなって思ってましたよ!」
「そうなんですか?」
「はい!」
藤宮さんは、少しだけ声を落とした。
「でも、ちゃんと来てくれるとは思っていませんでした」
「……え?」
「だって、初対面の人から急に旅行に誘われたら、普通は断るでしょう?」
それは、確かにそうだ。
俺だって、なぜ了承したのかと聞かれたら、うまく説明できない。
ただ、祇園祭の写真を見て、少し興味を持った。
旅費や予定を調べているうちに、行ってみようと思った。
それだけだ。
「……まあ、結果として来てよかったですよ」
俺がそう答えると、藤宮さんが顔を上げた。
「本当ですか?」
「ええ。そうでなければ、次の移動手段を調べようなんて思いませんから」
「……ふふっ」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね!」
◇
「ところで、悠真さん」
しばらくして、藤宮さんが少し改まった声で呼びかけてきた。
「はい?」
「八月って、夏休みは取れますか?」
「……八月ですか?」
「はい!」
俺は頭の中で会社の休暇制度を思い出した。
うちの会社には、八月中に三日間の夏季休暇を取得できる制度がある。
土日と組み合わせれば、ある程度まとまった休みを確保できる。
有給休暇も使えば、さらに長くすることは可能だ。
「夏季休暇はありますけど、まだ申請していませんね」
「おお!」
「……もしかして、また旅行ですか?」
「はい!」
予想どおりだった。
藤宮さんは、満面の笑みを浮かべていた。
「実は、八月に行ってみたいところがあるんです!」
「どこですか?」
「東北です!」
「……東北?」
思わず聞き返した。
「はい! 東北地方です!」
「随分と遠くなりましたね」
「ふふふ、そうですね!」
俺はスマートフォンで日本地図を開いた。
愛知県から、東北地方へ視線を移す。
青森県。
岩手県。
宮城県。
秋田県。
山形県。
福島県。
東北地方は六県あるらしい。
「……結構広いですね」
「そうなんですよ!」
「それで、東北のどこへ?」
「それは、これから一緒に考えたいなって!」
「……まだ決めていないんですか?」
「行きたいお祭りは決まってますよ!」
「祭り?」
「はい! 八月の東北は、夏祭りが盛りだくさんなんです!」
藤宮さんは嬉しそうに話し始めた。
大きな灯りを使った祭り。
華やかな踊り。
街全体が賑わう行事。
どうやら、祇園祭とはまた違った祭りが数多くあるらしい。
「……それを見に行くんですか?」
「そうです!」
「ちなみに、何日くらい必要なんでしょう?」
「うーん、行きたいところを全部回るなら、結構長くなりますね!」
「……それは、休暇の確認が必要ですね」
「ですよね!」
俺は地図を眺めた。
京都なら、名古屋から新幹線で比較的短時間の移動だった。
だが、今度は東北だ。
単純に同じ方法で考えるわけにはいかないだろう。
鉄道。
飛行機。
現地での移動。
県をまたぐなら、宿泊場所も重要になる。
「……まず、会社で休暇が取れるか確認してみます」
「本当ですか!?」
「ええ。予定がわからないと、計画も立てられませんから」
「やった!」
藤宮さんが嬉しそうに声を上げた。
「じゃあ、また一緒に旅行できますね!」
「……まだ決まったわけではありませんよ」
「そうですね!」
そう答えながらも、彼女は笑顔のままだった。
俺は地図を閉じた。
東北地方。
今まで、旅行先として考えたこともなかった地域だ。
祭りの名前も、ほとんど知らない。
だが。
「……藤宮さん」
「はい?」
「今度は、俺にも少し調べさせてください」
彼女が目を丸くした。
「えっ?」
「今回の京都旅行では、観光地をほとんど藤宮さんに選んでもらいましたから」
「はい」
「次は、行き先や移動方法も含めて、俺の方でも調べてみようと思います」
藤宮さんは、しばらく黙っていた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「……何ですか?」
「いえ、悠真さんが自分からそう言ってくれるとは思っていなかったので!」
「……別に、そこまで大げさな話ではないでしょう」
「大げさじゃないですよ!」
彼女は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、お願いしますね!」
「ええ。休暇の確認が先ですけどね」
「はい!」
窓の外へ視線を戻す。
流れていく景色。
少しずつ近づいてくる名古屋。
京都旅行は、もうすぐ終わる。
だが、次の予定について考えている自分がいた。
◇
「まもなく、名古屋です」
車内アナウンスが流れた。
「……着きますね」
「そうですね!」
二人で荷物を整理する。
座席の周囲に忘れ物がないことを確認し、降車の準備をした。
やがて、新幹線が速度を落とし始める。
見慣れた街並みが近づいてきた。
そして、名古屋駅に到着する。
「……ただいま、ですね」
「お帰りなさーい!」
藤宮さんが笑った。
「まだ自宅には着いていませんけどね」
「そこは気分ですよ!」
「……そういうものですか」
二人でホームへ降りる。
三日前、ここから京都へ向かった。
あのときと同じ駅。
同じように行き交う人々。
だが、俺の鞄には京都の土産物が増えている。
そして、スマートフォンには、次の旅行先になるかもしれない東北地方の地図が残っていた。
◇
「それじゃあ、悠真さん!」
駅の構内で、藤宮さんが立ち止まった。
「はい」
「三日間、ありがとうございました!」
彼女が深々と頭を下げる。
「こちらこそ。案内していただいて、助かりました」
「ふふっ、楽しかったです!」
「俺もです」
素直にそう答えると、藤宮さんが嬉しそうに笑った。
「また連絡しますね!」
「はい。東北の件も、休暇を確認したら連絡します」
「お願いします!」
彼女は大きく手を振り、人混みの向こうへ歩いていった。
俺も自宅へ向かうため、別の方向へ歩き始める。
こうして、初めての京都旅行は終わった。
◇
自宅へ戻ると、まず荷物を片づけた。
洗濯物を分け、土産物を取り出す。
西陣織の名刺入れ。
錦市場で購入した漬物。
そして、八つ橋。
机の上に並べると、三日間の出来事が少しずつ思い出された。
「……結構買ったな」
普段なら、ここで使った金額を計算するところだ。
もちろん、今回も支出の記録は残す。
それは、これからも変わらない。
ただ、名刺入れを手に取っていると、昨日見た西陣織の製作工程が思い出された。
細かな糸。
職人の手元。
完成した美しい模様。
自分で選んで購入した品だからこそ、使うのが少し楽しみだった。
「……明日から、これを使うか」
古い名刺入れから名刺を移し替える。
そして、机の引き出しにしまった。
次に、京都府の観光地図を広げる。
京都市。
宇治市。
宮津市。
舞鶴市。
今回、実際に訪れたのは京都市内だけだ。
地図には、まだ行っていない場所が数多く載っている。
その隣へ、日本地図を表示したスマートフォンを置いた。
「……東北か」
六つの県。
広い地域。
祭りも、観光地も、今はほとんど知らない。
だが、今回の京都旅行では、知らないことを一つずつ調べていくうちに、少しずつ地図の見方が変わっていった。
次も、同じように調べてみればいい。
そう思ったところで、スマートフォンが震えた。
『悠真さん! 無事に帰れましたか?』
藤宮さんからだった。
『はい。今、荷物を片づけています』
『よかったです!』
続けて、何枚かの写真が送られてきた。
祇園祭の山鉾。
清水寺。
二条城。
そして、二人で撮った記念写真。
『三日間、ありがとうございました!』
『こちらこそ、ありがとうございました』
『次の旅行も楽しみですね!』
その文章を見て、俺は少し笑った。
次の旅行。
まだ休暇も取れていない。
具体的な行き先も、何も決まっていない。
それなのに、彼女はすでに楽しみにしているらしい。
……まったく。
気が早い人だ。
だが。
今回は、社交辞令だとは思わなかった。
『そうですね。まずは休暇を確認してみます』
送信。
そして、少し考えてから、もう一通送った。
『東北の祭りについても、調べておきます』
すぐに返信が届いた。
『やったー! よろしくお願いします!』
俺はスマートフォンを置き、もう一度、日本地図へ目を向けた。
京都から、東北へ。
随分と遠い。
だが、遠いというだけで、行けないわけではない。
どうやって行くのか。
何を見るのか。
何日あれば回れるのか。
考えなければならないことは多い。
「……さて、何から調べようかな」
俺はパソコンを起動した。
貯金が趣味だった俺に、もう一つ、休日の予定ができようとしていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
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