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植物男子の恋の育て方  作者: いなば海羽丸
8 植物男子の恋人
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8-4

 俺は黙って伊吹さんの返事を待つ。すると、彼はしばらくして、深いため息を吐いてから、応えてくれた。


「……あんまり急ぎたくないんだけど、お泊まりしたい?」

「したい」

「……わかった。じゃあ、おいで――……あ、着替えだけ取ってきたほうがいいね。タオルとか……歯ブラシはとかは予備があるから」

「うん」

「ちゃんと社長に断ってくるんだよ」

「わかってますよー、もう……子どもじゃないんだから」


 俺は口を尖らせながら、心の中で盛大にガッツポーズをする。父にはさらっと話しておけば大丈夫だろう。そのうち、真実を話さなければならないタイミングは来るだろうが、当分は秘密にしておきたいところだ。桜介さんには警戒しつつも、俺はまだ秘密の職場恋愛を堪能していたい。


 俺はその日、伊吹さんの家で、はじめてひと晩を過ごした。早く恋人との関係を深め、なにもかも知りたくて気を逸らせる俺の手綱を、伊吹さんはしっかり握って抑制し、優しく丁寧に、ゆっくりゆっくり導いてくれた。


 とはいえ、俺たちはなにも一気に関係を深めたわけじゃない。シングルベッドで横になり、数えきれないくらいのキスをして抱き合ったあと、互いの体の熱い部分に触れ合っただけ。快感に酔いしれながら果て、眠る前には手を繋いで、また何度もキスを交わした。


「ゆっくり進もうね、急ぐ必要はないんだから」


 伊吹さんはそう言って、照れくさそうに笑い、俺は頷いた。それから眠気がやってくるまで布団に包まり、おしゃべりをして、どちらともなく唇を欲しがりながら、やがては睡魔に襲われる。


 世の恋人たちがどういう初夜を過ごすのか、俺は知らない。ただ、俺と伊吹さんの初夜はちょっとのんびりしていたかもしれない。途方もなく長くて、少し恥ずかしくて、どこかもどかしくて。けれど、熟した果実から滴る蜜のように甘く、多幸感に満ちていた。






***






 翌朝。まぶたの裏に朝日を感じて、目を開けた俺の視界に一番に映ったのは、伊吹さんだった。彼は乱れたままの長い髪を掻き上げ、とろんとした表情で俺を見つめている。まだ寝起きで、少し髭が伸びていて、けれど、向けられた微笑みはとてつもなく色っぽくて、まだ寝ぼけ眼なのに、俺はドキッとさせられる。


「おはよ……紫苑さん。よく眠れた?」


 少し鼻声でかすれて聞こえたのも、寝起きのせいなのだろうか。俺は愛らしい彼の頬に手を伸ばして、その肌にそっと触れ、唇をふさぐ。触れるだけのキスには、もうだいぶ慣れている。


「うん。おはよう、伊吹さん」


 唇を離して、朝のあいさつを返せば、伊吹さんは目を細める。「キス、上手になったね」と言って、嬉しそうに頬を赤らめて。俺は嬉しくて、恥ずかしくて、布団ごと、彼をめいっぱい抱きしめた。伊吹さんは当分の間、早く彼の恋人として成長したい俺の手綱を握り、抑制することになりそうだ。





***





 その日、俺は伊吹さんと朝のコーヒータイムを堪能してから、彼の愛車に乗って職場に行き、ふたりで手分けして水やりを終えた。それからすぐに出発する。目指すは千葉、房総半島、君津市。伊吹さんの車は、松戸から東京外環自動車道に乗り、市川インターチェンジから高速へ入る。


 伊吹さんは高速道路の運転に慣れているようだった。真っすぐ房総半島へ伸びる高速道路を、延々走る車に揺られながら、俺の胸は高鳴っている。恋人とデートなんてはじめてだ。付き合ってから、俺たちはまだデートらしいデートはしていなかった。ふたりで食事には行っても、いつものラーメン屋くらいなものだったのだ。


 やがて館山道へ入って、市原サービスエリアで休憩をとる。敷地内にはヤシの木があちこちに植えられていて、なんだか南国のような雰囲気だ。店の佇まいも、どこかハワイを彷彿させるような、洒落た店が並んでいる。


 俺と伊吹さんはお土産が並ぶ店内を歩き、特段買う予定もないのに、商品を見て回った。ウィンドウショッピングはあまりしない方なのだが、伊吹さんと一緒にいるせいか、慣れないそれが楽しくてたまらない。


 千葉土産のお菓子や佃煮の瓶詰、地域限定のガチャガチャ。千葉のゆるキャラ、チーバくんのTシャツや帽子。


「そうだ、親父になんか買ってってやんなくちゃ……なにがいいかなぁ」


 不意にそんなひとり言を呟くと、伊吹さんがふと、思いついたかのように返した。


「紫苑さん。いつかさ――本当に、そのうちでいいんだけど」

「うん?」

「うちの親父に、会ってくれない?」

「えっ……」


 俺はそのあと、言葉が続かなくて口を噤んだ。伊吹さんの親父さんは脳梗塞が原因で、重い認知症を患っており、現在、施設に入っている。たぶん、俺が会いにいってもわかるはずがない。だが、そんなことは伊吹さんだってわかっているはずだ。


「俺が会っても……その、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。理解できるどうかは僕もわからないけど、でも会ってほしんだ。親父に君を紹介したい。恋人として」

「でも、俺は男だし……怒られない……?」


 親父さんは怒ると、かなり感情的に激昂するタイプだったと聞いている。俺は途端に不安になった。まさか、伊吹さんが同性愛者だということを、親父さんが知っているとも思えない。どの程度話して理解できるのかわからないが、俺を恋人だと紹介しても、喜んでもらえないのではないだろうか。――そう危ぶんだが、伊吹さんはかぶりを振る。


「大丈夫。今はいつもぼんやりして、話しかけてもあんまり反応しないから、昔みたいに声を上げることはないよ。心配しないで」

「そうなんだ……」


 それはそれで、悲しいことだ。しかも、そんな状態の親父さんに、恋人とはいえ、部外者の俺が会っていいものだろうか。俺は黙り、不安感を抱きながら頭を巡らせるが、そんな俺を見つめ、伊吹さんは穏やかに話を続けた。


「そのうち会ってって約束しても、どんどんわからなくなっちゃうと思うんだ。だから、なるべく早めに会ってほしくて」


 伊吹さんがそこまで言うなら、俺に異論はない。親父さんに会って、ちゃんと恋人としてあいさつをすることで、伊吹さんの気が済むなら。もし、今も母が病を患ったまま生きていたとしたら、俺も同じことを思うかもしれない。


「わかった、予定決めよう」

「ありがとう」


 それから俺たちは、サービスエリア内のカフェでコーヒーを買って、ベンチに座った。さすがにここでは潮の香りまで届かないが、秋の風が心地いい。海が近くなっているせいか、出発したときよりも少し風が強まっているような気がする。君津まではあともう少しだ。


「うーん……あと三十分くらいかなぁ。ずいぶん来たねぇ」


 そう言って、伊吹さんはコーヒーを左手に持ち、右肩を回している。俺はハッと気付いた。もう少し運転に慣れていたら、ここでスマートに「よかったら運転代わるよ」と言って、恋人を休ませてあげられたのかもしれない。だが、今の俺には自信がなかった。車は運転しても、父の軽トラか、自家用車で家の近くのスーパーへ買い物に出る程度。高速なんか、教習所の教習で一度走っただけだ。


「ごめん、代わってあげられたらよかったんだけど」

「え?」

「運転、高速とか……もうちょっと慣れたら、今度は俺が運転するよ」


 俺の言葉に、伊吹さんはきょとん、と目を丸くして俺を見つめる。だが、すぐに「ふふ」と笑みをこぼして、肩を叩いた。


「そのうちね。楽しみにしてる」

「うん……」


 早く大人になりたい。俺の気はあいかわらず逸るばかりだ。もちろんすでに成人しているし、酒も飲めればタバコも吸える。――いや、そういった習慣はないが、ちゃんと仕事をして、収入だってある。けれど、伊吹さんに比べると、俺はなにもかも経験不足で幼い。そんなふうに感じてしまう。


 伊吹さんに早く追いついて、カッコいい大人の男になって、彼の恋人として堂々と隣に立ちたいのに、俺はやっぱりひと回り分、未熟だ。しかし、伊吹さんは言う。


「紫苑さん、ここ数年、オージープランツって流行ってるじゃない」

「あぁ、ミモザとか?」

「そうそう。アカシアもオリーブもユーカリも、みんな成長が早いでしょう。あっという間に花をつけて、すぐ立派な木になっちゃう」

「うん」

「でもね、その代わり彼らの寿命は短いんだよ。成長が早い分、木が柔らかいから枝は折れやすいしね」


 そこまでの話で、伊吹さんがなにを言おうとしているのか、察してしまった。要するに彼は「焦らなくていい」と言いたいのだ。だが、俺は口を尖らせる。


「ゆっくり成長する木の方が、寿命が長くて丈夫だとしても、俺は木じゃないし……早く伊吹さんに追いつきたいよ」

「気持ちは嬉しいけどね。でも僕は、そう言いながら、仏頂面してる今の紫苑さんもすごく可愛いと思うし、愛おしいんだ」


 伊吹さんの甘い言葉が風に吹かれて、さらりと聞こえる。ほぼ同時に、ぶわっと、頬が熱を帯びた。その表情の艶やかなことといったらない。


「だからさ、急がないで。まだ二十代前半の紫苑さんと付き合えるのは、今しかないんだから。この時間を、ゆっくり堪能させてよ」

「……伊吹さんがそう言うなら、まぁいいけど」

「ありがとう」


 伊吹さんは嬉しそうに微笑んでいる。その横顔を見つめながら、俺も釣られて頬が緩んだ。同時に、心の中で確信する。やっぱり、俺は一生、伊吹さんには敵わないかもしれない。


 きっとこの先、ゆっくりゆっくり、伊吹さんに成長を見守られながら、こうして導かれて成長していくのだ。まるで成長の遅い植物を育てるように。何年もかけて花を待つように。実が生るのを待つように。そんなふうに愛情をかけながら、彼は俺という恋人を、大人の男に育てていくつもりなのかもしれない。


 だったら、俺は俺で、彼の期待に応えるしかない。自分の中に芽生えたばかりの恋を、伊吹さんへの想いを、ひたすらに育てていくまでだ。

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