30話「小動物と肉食獣」
夜風に乗ったどこかしらで開催されているお祭りの匂いが鼻腔を刺激する。
風にのった炭火の香りがさらには空腹までを助長する。
今朝は確か、食パンにマーガリンを塗った物と、オレンジジャムを加えたヨーグルト、それから貰い物のマスカットを二粒。
お昼はカロリー補助食品を軽く口に入れ、それからというもの今の今まで何も口にしていない。
その為空腹は必然として大きくなるばかりで、音を立ててそれを主張してくる。
それに今日は心身共に既に疲れ果ててしまっている。
けれども、帰ったなら今日は少し自分へのご褒美も兼ねて張り切って、炒飯でも作ってみようかなと、そんな風に思う。
と、そんな事を頭の中繰り返し考えている現在、目の前では原因不明、謎の姉妹喧嘩が繰り広げられているのであった。
「そのぉ〜…もしかして、お姉ちゃんの彼氏…ですか?」
「──────なっ///!?」
「あっあはは…どうだろう…ね?」
返答に困り頬を苦々しく吊り上げていると、視線を隣に位置する彼女、鹿内 凛へと流す。
それが気に入らなかった様でほんのりと頬を赤く染め上げて憤慨の意志を示す。
憤慨だけに、フンガーっ!てそんな感じ。
意志、態度だけでなく実際にふんがふんが言いながら腕を回して怒る様はなんとも珍妙で滑稽だと思う。
「どうだろうも何もありませんよっ!即答してください即答をっ!」
そんな風に息巻いて彼女は妹である鹿内 菜月へと視線を移すと、小さな口を大きく開き一拍置いて
「わっ私に彼氏だなんて…──────!!」
『有り得ないよねっ──────!!』
と彼女お得意の自らを卑下する発言、その言葉を言い切るのを待たずいたずらに掻き消された事を受け、溜飲は下がるどころか上がる一方で今度は怒りで顔を真っ赤に染め上げた。
「なぁっ!?菜月!それは一体どう言う意味ですかっ」
「そのままの意味だよ〜お姉ちゃんにこんな中性的なイケメン彼氏だなんて、分不相応…勿体ないよっ!」
「いっ!妹のクセに!!生意気ですよ!」
「それに、この人はどっからどう見ても外見は女の子…」
ふと、横を見れば驚愕に見開かれたまんまるとした目と視線がかち合う。
事態を把握するのに少しばかり時間を要したが、彼女が何を目にし、何を思ったのか、その真意を慌てて汲み取ると、そう言えばそうだったよなぁと自分でも忘れていた事に遅れて気づく。
僕、高柳 梓は現在女の子。
ではなく正真正銘、男の子の姿なのだ。
「誰っ!?一体誰なんですか…あなたはっ!」
ボリューム調整機能を取っ払ったコンポの様に通りの良い声を響かせる彼女にほんの少し気後れすると、既に乾いた笑いでもって対応する他に無かった。
「あ…あははは…」
それを受け、目を輝かせた彼女、鹿内菜月は一歩二歩と僕との距離を小気味よい靴音を立てて縮めると、両の手を徐ろに力強く握り、笑顔に大きく開かれた口内、八重歯を怪しくチラつかせ、こう言ったのだ。
「イケメンさん!菜月とお付き合いしませんかっ?」
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「だってぇ〜?私お姉ちゃんより年下なのに彼氏出来たことだってあるし〜…」
「手を繋いだ事だって──────あるんだからっ!」
そう言ってソファに浅くかけた僕の隣、肩の触れる距離に座る彼女は、まるで姉である凛に見せつけるかの様に両手をにぎにぎと感触を楽しむ様に、握っている。
なし崩し的に家の中へと押しやられ、またなし崩し的に夕飯を食べていく事になった現在、炒飯の事は諦め事態の経過を見守り、あわよくば収束させようと画策している。
雄弁に語り、鋭い切っ先の様な切り口で姉へと捲し立てる妹である菜月は姉である凛へと、執拗なまでのマウントポジションを取り、その反応を楽しむかのようにケタケタと怪しい笑いを浮かべている。
「くぅ!妹のクセに妹のクセにぃ〜っ!」
想像通り、期待どおりの反応をお届けしてくれる彼女に菜月はご満悦な様子で、一通り笑い終えるとふぅ…と短いため息をつくと背もたれのクッションへとぼふぁっと音を立てて身をうずめる。
ケープハイラックス…じゃない、ダッシー…じゃなかった…鹿内凛、彼女の反応を見るに、恐らくその手の経験に置いて、既にして妹にあらかた先を越された後なのだろう。
何を言われても、返す言葉は「妹のクセに!」の一辺倒。
何を言われても致命的、急所に当たる彼女を妹である鹿内 菜月はそれを面白おかしそうにからかう。
それが彼女たち姉妹の恒例行事の様なものなのだろう。
そしてなにより姉である彼女のその圧倒的語彙力の無さが、圧倒的敗者の立場を如実に物語っていて、戦う前から既に勝負は決まっているのだと、かなしきかな姉妹の立場逆転を鮮明に表している。
あぁもぅ、勝ち目のない戦いはおやめなさい…とそんな哀れみの気持ちにさえ苛まれる。
「こんな地味を絵に書いた様なお姉ちゃんにこんなイケメン彼氏だなんて……有り得ないですよ…ねっ!」
バチコーンッと飛んできたウィンクを既でかわし、どっちの発言に便乗しても面倒だなと愛想笑いでもって沈黙を貫く。
「ふぅ〜ん…クールなんだぁ?」
なんてあらぬ誤解を誘発してしまったが時すでに遅し、肩から腕、鼠径部から足先までを怪しく撫でる彼女に、もはや恐怖の様なものすらも感じる。
わなわなふるふると身を震わすばかりの小動物の様な凛はうっすらと敗北の涙の様な物を浮かべ、恨みがましく見つめている。というより生意気にも眼光鋭く威嚇している。
「ねぇお姉ちゃん?…彼、紹介してっ?♡」
「絶対絶壁完璧にぃ──────!!」
「紹介だなんてしてやりませんともっ!第一彼とはそんな間がらでもないですし?逢い引きなら私の目の届かない森の奥ででも勝手にしたらいいじゃないですかっ!」
「この…──────びっちっ!!」
「はっはぁっ!?びっちぃ!?」
突如として鳴り響く開戦のゴング。
睨み合う両者。
額をゴッチリとかち合わせ交差する眼光。
バチバチと火花の散るエフェクトがどこからともなくやって来る。
上背は妹が上、姉はやや骨太でウエイトの差は無いに均しい。
リーチ差は菜月がやや長く、総合的に凛が不利か…。
妹である菜月が初撃虚を着いて肩口へと掴みかかろうとしたその瞬間、懐へと音もなく潜り込んだ凛は襟首をむんずっ!と掴んだ勢いそのまま、背中へと菜月を押し上げ、転がし──────叩き付ける。
「──────むんぎゃっ!?」
衝撃を受け跳ね返る身体。
珍妙な鳴き声をもらしピクピクと身を震わす菜月。
歴史的番狂わせ。
背負い投げ一本による衝撃のKO。
ぐるぐると目を回す妹を見下ろし、勝ち誇ったなんだか嫌な顔で「ふんっ妹のクセにっ!」なんて語彙力の無いヒールの様な役割をこなすと、気絶した妹を尻目に自分の荷物をがさごそと携帯端末を取り出す。
──────ぱしゃッ!
シャッター音が、響く。
「な…なにしてるの?」
「記念、ですから。姉の勝利の。」
そう言って満足そうな笑顔を浮かべると、ソファの空いた隙間、僕の隣へと勢いよく身をおとした彼女。
「可愛さなんてなくても、強さは全てを凌駕します。覚えておくといいですよ?」
腕を組み、足を組み、知恵の輪の様な姿となった彼女は未だ継続中の嫌な顔をドヤ顔へと昇華させると、満足気に、そう言った。




