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向井
山の木々から青い霧があがっている。煙のように。
「まだ起きていらしたのですか。向井さん」
時刻が丁度十一時を指したころ関医師は部屋の中に忍び込むように入ってきた。
向井はカーテンをひいて外を見ていた。祭りのかがり火がまだ少し消えずに残っていた。
「きれいですね」
向井はぼんやりと消え入りそうな声でつぶやいた。
「そうですね。私には少し恐ろしくもありますが」
そういうと、関医師は向井の楽しみを遮るようにカーテンを閉じてしまった。そして、彼は腕を組んで向井の表情をじっと観察した。
「向井さん、今日はなにか変なものが見えたり、聞こえたりしましたか?」
「いえ」
簡単に答えると、まだ窓の外に焦点があった彼の黒目が医師を睨んだ。
「ここは精神病棟ですか?」
鼻で笑いながらジョークを言っているように向井は口角をあげたが、関にはその顔がどう見ても笑っているようには見えない。
「いえいえ、とんでもない。ただ聞いてみただけです。あ、部屋に外から鍵をかけられていることをもし気にしていらっしゃるなら、あれは祭りが近くなると必ずすることですので安心してください。祭りが近くなると山の者が片割れを求めて人を連れ去りにくるという言い伝えがあるものですから、この病院ではそうする伝統になっているのですよ」
しかし、説明しても向井の目にやどる不気味な光は変わらなかった。逆にその攻撃的な視線は鋭さをましていた。
「関先生。あなたは私がここに入院する前にも私と会ったことがありましたよね。あなたはどういうわけか初対面のように振舞っていましたが。私の態度をみて覚えていないと思ったのでしょうか?私は思い出したんです、ついさっきあなたのことを。そして、あなたはどうやら私がここに入院したときから、ずっと私を監視しています。私は何となくは分かっています。あなたが私に何をするのか」
関医師の人当たりの良さそうな笑顔は、向井が話している間に消えていた。彼は白衣のポケットから手を抜いて、そっと向井に歩み寄った。




