ソフィー・リニエールのがんばる毎日Ⅷ
「私としては、シモン様とお話できたことは、とっても有意義なものだったから感謝しているのよ」
シモンは土を愛している。
ソフィーは水への執着がある。
どちらにもついて回るのは『微生物』。
農学全般に詳しいシモンは、土壌病害、有害線虫への緑肥を使った防除対策まで多岐に渡る造詣が深い。農業が統計学であることも理解しており、アキサス地方における数十年に渡る天候、作付面積、収穫量を数値化し、長い年月をかけて記し、データ化していた。
「初対面であいさつの第一声よりも先にそんな秘匿情報を見せられた時は、私も驚いたけれど。情報の開示は、シモン様からの誠意と謝罪のお気持ちだと思うわ」
「そんなことが……」
「あの場にファースも呼ぶことが出来たらよかったのだけど、さすがにロレンツオ様からの許可が下りなくて。医科学研究所への入所が決まっているとはいえ、さすがに特別扱いはできなかったわ。ごめんなさい」
「いえ、当然のご判断です!」
ファースは先日、卒院前から医科学研究所への入所が決まった。しかも試験免除という破格の扱いだ。
彼ほどではないが、銀星の中にもすでに数名、声がかかっている者がいる。研究所側が、今年の卒院生に相当な期待を寄せているのは明らかだった。
「でも、そうですか……安心しました。シモン様は、社交時期ですら王都への滞在は必要最低限の期間しかいらっしゃらない方なので。てっきり、よほど僕の無学にご立腹されて直訴されにいらっしゃったのかと……」
「やだ、前にもまったく問題なかったって、伝えたじゃない」
「……相手はあのシモン様ですし、ソフィー様はいつも僕たちに配慮して接して下さるので……。でも、それだけ素晴らしい対談であったなら、僕も胸を撫で下ろせます」
「ええ、とても! 可能ならば、シモン様とはもっと詳しく議論を深めたかったのだけど、途中でネルト様からストップが入ってしまって……」
浄化システムは機密情報扱いのため、後々もめぬよう、事前にロレンツオにも伺いを立てていた。
農業学に精通しているシモンには、医科学研究所も助言を求めることが多い。彼ならばと許可がおりた上、当日はロレンツオとネルトも同席してくれたのだ。
しかし、話し始めて数時間が経過すると、
『ソフィー様、ここまでにいたしましょう。護衛の方から、決められた時間を過ぎた場合は早急に止めてほしいと言われております。……際限がないからと』
誰がそんな助言をしたのか考えなくても分かる。ソフィーの性格を熟知してきた男の策略(?)で、楽しい時間は終わってしまった。
「その点については残念だったけれど、シモン様は
満足してくださったわ。念のために用意しておいた顕微鏡も性能が高いと大変気に入ってくださって。お土産としてお渡ししたら、とても喜んでくださったの」
顕微鏡は、エリークのためにソフィーが作らせ、リニエール家で使用しているものだったが、どうやら医科学研究所のものよりも解像度が高かったようだ。
珍しくロレンツオが驚いたように目を開き、横でネルトがすぐさま片手をあげて「うちにもください!」と声をあげていた。
そんなことをなにげなく話すソフィーに、ファースは頬を引き攣らせた。
「銀星の重鎮も、ソフィー様に関わると形無しですね……」
「えっと……」
隣でぼそりとラルスが呟く。ファースは立場上同意しなかったものの、否定もせずに黙り込んだ。
「ですがソフィー様、シモン様の難航理由には納得できますが、サミュエル様は違うのではないでしょうか。ただ僕が至らなかっただけで……」
ファースと違い、自分の不徳をいまだに引きずっているとばかりに、ラルスが言う。
「サミュエル様の場合はね、それを確かめるためにあえて難航させたのよ」
「あえて?」
「サミュエル様は人脈の広い侯爵家の方だもの、リドホルム家とリニエール家の威光は魅力的だわ。恩を売るためにも、断るつもりはなかったはずよ。でも、どれだけ親と家格が偉大であっても、次世代の子が未熟ならば未来は薄い。サミュエル様にとって、品種改良の種の良し悪しは問題ではないわ。ただ、ラルスと私の力量を図ったのよ。貴方と私、どちらも試されていただけ」
「え?」
「貴方が合格したから、今度は私の番。私たち、どちらも合格判定して頂けてよかったわね」
重ねた両手を頬の横に添え、ソフィーが愛らしくほほ笑む。少女らしい仕草は視覚をくすぐるが、軽やかな声は容赦のない事実を突きつけてくる。
二人は一瞬黙り込み、すぐに感情をこみ上げさせた。
「「…………大人って、ずるい……!!」」
「仕方ないわよ。貴方たちには、お二人のやり方が強引に見えたかもしれないけれど、相手がその先に何を求めているのかまで見通して動く――その勉強になったと思ってほしいの。」
「は、はい! 精進いたしますっ」
姿勢を正し、膝の上で握った拳に力を込める。その様子に、ソフィーは穏やかに二人を見つめた。
その視線にラルスがむずがゆいような顔で瞳を揺らすと、一つため息を吐いた。
「……いつか、僕もソフィー様のように広い視野を持てる人間になりたいと願っておりますが、目指すにはまだまだ遠いと痛感します」
「私? 私は性別からして、あまりラルスのお手本にはならないんじゃないかしら」
本音は性別だけが理由ではなかった。自分の前世といまの年齢を足しても、ラルスとは開きがあり、なにより、ソフィーのベースは前世だ。見てきた世界がそもそも違い過ぎる。
「私ではなくて、どなたか別の方が……」
ソフィーもあれこれと考えるが、一番に思い浮かぶ存在は金獅子アラン。
だが、こちらも目標にするには年齢が遠い。
「ファースにとってのロレンツオ様みたいな存在っていらっしゃらないの?」
「ロレンツオ様、みたいな方ですか……同じお年で、優秀な方と言えばお一人いらっしゃいます。ですが、あの方は金星の中でも出自からして少し特別なので、目標とするにはあまり……あ」
ラルスの言葉がふっと途切れた。
なぜか引きつるような顔で、窓を凝視している。
「どうかしたの?」
「あの、ソフィー様……」
ラルスの視線の先には、ソフィーが住まう寄宿舎があった。
その門の前に立つ人影を指さす。
「ジェラルド様が寄宿舎で待たれていらっしゃいますが……」
ラルスの戦々恐々とした言葉に、ソフィーは「そうでしょうね」と軽く答えた。
「驚かれないのですか?」
「ジェラルドのことだもの。私がラルスたちの馬車に乗り込んだことはどこかで見ていたはずだから、先回りすると思っていたわ」
「え……」
そういえばソフィーは『今日はこのまま寄宿舎まで雲隠れできるわね』と言っていた。
寄宿舎まで、と。
つまり、ソフィーの中では想定内だったということになる。
「いまからまたお説教の続きよ。――まったく、どうしてあんなに口うるさくなっちゃったのかしら」
ふぅと、憂いたため息を吐くソフィーに、ラルスは素朴な疑問を投げかけた。
「でしたら、最初から逃亡されないほうが得策だったのでは?」
「うーん。でも、身体が勝手に逃げちゃうのよね。もう逃げるのが染み付いちゃったのかしら」
悪気のない言葉と共に、馬車が止まる。
ソフィーは二人に別れのあいさつを交わすと、タラップを降り、軽やかに寄宿舎へと進んでいった。
少し遠くに見えるジェラルドの顔は、無表情ながらも怒りのオーラをまとっていた。
そんな、同学年、いや大人ですら恐怖で足がすくんでしまいそうな護衛の元に、ソフィーは飄々とした顔で戻っていくのだ。
「「つ、強い……!」」
色んな意味で無敵な少女に、二人は思わず言葉を零した。
次回更新予定はゴールデンウイーク中になるかと思います('ω')ノ
※ゴールデンウイークとかねーよ、って方は仲間ですね('ω')ノ




