ソフィー・リニエールのみる夢 ―贈られた言葉Ⅴ―
(いいわよ……、こうなったら腹を括るわよ!)
ソフィーはレミエルの話を遮ることはせず、最後まで傾聴する覚悟を決めた。
「母上は、昔から兄上が王位を継ぐことに、異常なほどこだわっていた」
持ち物一つに対しても徹底し、第一王子であるフェリオには次期王として相応しいものを。第二王子であるレミエルにはそれよりも価値が劣るものを与え、差を設けた。
「ある時、兄上が、僕が持っていたリチュのセットと同じものを欲しがった」
レミエルは目の前の盤と駒を指さし、「それがこれだ」と告げる。
マス目以外の部分には草木の彫りが施された円形の盤と、木材を加工して作られた駒はよく磨き上げられており、職人の腕が光る品だ。しかしこの程度のものなら、貴族であれば容易に手に入る。
ソフィー自身、自分の財産でいくらでも購入可能だし、金星のラルスなら父親に頼めば翌日には学院に届くだろう。
「兄上には、第一王位継承者に代々引き継がれるガラス製のセットがあったが、それよりもこのありふれたものを望んだ」
フェリオがこれを欲しがった意図は、弟と同じものがよいという思いだったのか。
それとも、高価なガラス製では気安くゲームを楽しむことができなかったのか。
(……いえ。きっと、レミエルと同じ物が与えられれば、実子と同じように、自分のことも愛してくれていると。そう、確信したかったのね)
フェリオが真に望んだものは、リチュのセットではなく、王妃の心だったのだろう。
けれど、その望みは叶わなかった。
「母上は、どれだけ兄上が懇願しても、僕と同じ物はけっして与えなかった。……一度、これを兄上に渡そうとしたことがあるが、母上に叩き落された」
次期王として相応しくないものは持つな、と一喝して。
王妃が声を荒げる姿を見たのは、それが初めてだったという。
以来、フェリオは彼女になにかを望むことを諦めた。
「周りからすれば、母上の行いは王妃として正しく立派なものらしいが、僕からすれば、あれはただの執着だ。兄上にではなく、フローリア妃へのな――」
レミエルは盤の上から白の女王の駒を手に取ると、黒の女王の駒の横へと移動させた。
隣り合う二つの駒は、まるでなにかを暗示しているかのようにも見える。
「女学院時代、フローリア妃は母上に傾倒していたが、反して母上の方は信奉者が一人増えたというだけの存在だった。けれど数年後、立場は逆転した。……いや、逆転したという言い方はおかしいか。彼女の母上への傾倒は以前変わらずのままだった。変わったのは母上のフローリア妃への依存だ」
「依存……?」
「フローリア妃の巧言令色とは縁のない誠実さは、氷のような女の心にも届いたのだろう」
人のよさが滲み出るほがらかな笑顔。ただ純粋に向けられる尊敬の念。
なにより、『この子だけはけっして自分を裏切らない』と強く信じられるほどの相手は、王宮内ではほぼ手に入らない。
そんな中、王妃付き侍女となったフローリアには、数多くの縁談が舞い込んできた。
実家からも、花の盛りが終わる前にとせっつかれた彼女は、これを王妃に相談した。
「父上がフローリア妃を気に入っていたこともあり、母上は縁談ではなく、側室になることを薦めた」
「……ねぇ。私も女性の感情の機微について聡い方ではないけれど、側室ってそんな感じで決められるものなの?」
自分の伴侶を薦めてくる王妃の気持ちが、前世日本で育った記憶のせいか、いまいち理解できない。恐る恐る問えば、レミエルは平然と言い切った。
「母上は、父上を“国王”としてしか見ていない」
妻としてではなく、王妃として国王に仕える家臣。
それが、彼女が幼いときから王妃教育の中で培ってきた概念だった。
「あの人には、主体性というものがないからな」
断言するレミエルに、ソフィーは首を傾げる。
「主体性がない? けれど、王妃様は女性の人権についても声をあげていらっしゃるわ」
一昔前までは女性は乗馬すら許されず、許されたとしてもドレス姿で横すわりの姿勢のみ。それを改善させたのは王妃の力添えだと、女学院でリリナから教わっている。
男性有利の社会で、女性権利への変革を求めることは、王妃とて難しかったはずだ。これを可能とするだけの行動力をもっている女性が、主体性がないとは思えない。
しかし、これにレミエルは光を失った紫水晶のような瞳を向けて言った。
「王妃としての軸なら確立している。だが、あくまで“王妃”としてのみだ。一個人の感情は欠如している。あの人は、王宮の理に則りさえすれば、すべてが正しいと信じているからな」
フローリアに側室を提案したことも、フェリオの持ち物に対し、レミエルと差を設けることも、すべて基準は“王妃”という立場から生まれていた。
「フローリア妃は側室の座を欲して、縁談の話を母上に相談したわけじゃない。ただ、一言母上に望んでほしかっただけだ……」
縁談を退け、自分の傍にいて欲しいと――――。
その言葉があれば、彼女は一生独身を貫き、王妃に仕えるつもりだった。
「……貴方、いやにフローリア様への心情に詳しいけれど、それは王妃様から直接お聞きしたものなの?」
「あの人がそんな話を他人にするわけがないだろう。フローリア妃の日記を読んだんだ」
「日記?」
日記といわれ、そういえば自分も天馬への手紙と称する日記を読まれたことを思い出す。
この男は、人様の日記を読むのが趣味なのか。
「悪趣味よ!」
「それについては認めよう」
「読んだことがバレたら、王妃様から大目玉を食らうのではない。さすがにそんな理由で私まで連累を受けるのは御免よ」
「母上も日記の存在は知らない。僕が勝手に見つけたものだからな」
「勝手に……って、どうやって?」
「母上が保管しているフローリア妃の衣装箱の中に隠されていたものを、六歳の時に隙をついて取り出した。乳児だったころから、箱の高さに対し、深さにわずかな誤差があったことがずっと気になっていたからな」
「あ、貴方、乳児の時の記憶があるの?」
「君にはないのか?」
「普通ないわよ……」
絶対記憶をさも当然とばかりに言われ、ソフィーはため息を吐く。
(しかもこの男、空間知覚まで高いってことじゃない)
図書館内に隠し扉が存在することに気づいたのも、その能力ゆえだろう。
(なぜ神様はこんな男に二物を与えたのかしら……)
思わず舌打ちしたくなる。




