親愛なる我が愛しのお姉様方へⅢ
押し黙り、じっと自分の胸元辺りを見つめる紫星の少女の視線に、ウォーレンは首を傾ぐ。
「ソフィー様?」
「――え? し、失礼しました! えっと、ロレンツオ様の件でしたね」
“それ”をマジマジと見つめていたことに気づき、ソフィーは慌てて謝罪を口にした。
すぐに話を戻そうとしたが、ウォーレンの方がソフィーの視線の先、熱心になにを見つめていたのかが気になったようだ。
「ゴミでもついておりましたでしょうか?」
「いいえ、そのようなことはございません!」
光沢のある黒衣に、ゴミなどついているはずもない。ソフィーは大きく頭をふった。
「ですが……」
「本当にゴミなどではないんです!」
話の途中で気を散らした上に、自分の好奇心を優先するなど淑女にあるまじき無粋な行為だ。
だが、いまさら「なんでもありません」と口を噤むこともできず、ソフィーはずっと不思議に思っていた疑問をウォーレンに告げることにした。
「初めてお会いした時から、ウォーレン様の黒星の記章が気になっておりまして」
「記章――……ですか?」
ほんの一瞬、ウォーレンの反応に間があったが、ソフィーはそれを妙に思うことなく続ける。
「はい。星三つを賜っていらっしゃるジェラルド・フォルシウス様とは、記章のデザインが少し違っているのが、前から気になっておりまして」
「私の記章と、彼の記章が違うなどということはないはずですが」
同じデザインのはずだと、ウォーレンが自分の記章を手に取り、訝る。
星によってそのデザインは異なるが、黒星の記章は二本の剣が重なるように刻まれ、それを囲うように薔薇の花が描かれていた。
「あ、デザインが違うというと語弊がありますわね。正しくは、中央下に描かれた薔薇の花びらの数が、ジェラルド様の星より一片少ないのですね、でした」
質問の仕方を間違えましたと訂正するソフィーに、ウォーレンの瞳がいつもより開かれる。微かな動きではあったが、彼が驚きの表情をソフィーに見せるのは初めてだった。
本心を表とせず、表情を隠すことに長けている人だと思っていただけに、そんなに驚くようなことを聞いたのだろうかと、ソフィーの方が慌ててしまう。
「なにか失礼な質問だったでしょうか?」
問うと、ウォーレンはすぐさま否定した。
そして、いま一度じっくりと記章を見つめたあと、ソフィーに対して頭を下げた。
「申し訳ございません。ソフィー様にご指摘を受けるまで失念しておりました。確かに、昔、職人が代替わりした際、花びらの数が一枚増えたと聞き及んでおります」
「まぁ、そうだったのですね」
なるほど。ジェラルドの記章は新しく、ウォーレンの記章は古いデザインというわけか。
特段奇異なことを聞いたわけではなくよかったと胸をなで下ろすソフィーとは反対に、ウォーレンの表情は予想外と言わんばかりだ。
「このような細部に、よくお気づきになられましたね」
実際、記章は指二本ほどの大きさもない、幼子の手のひらに収まる程度のもの。
しかもメインは二本の剣であり、それを飾るように散らばる薔薇の花びらの数など、一見して分かるものではないだろう。
なによりも、記章を見て誰もが見つめる先は、そのデザインではなく星の数だ。
二本の剣の下に品よく配置された星が、いったいいくつ並んでいるのか。
大半の人間が気にする箇所にはまったく興味のないソフィーは、頬を緩ませ答えた。
「薔薇は一番好きなお花なので、気になってしまって」
正確に言えば、クリスティーナに出会って一番好きになった花だ。
あの華やかな美貌に似合うのは、同じく華やかで美しい薔薇であり、クリスティーナ本人も、一番好きな花。だからこそ、ソフィーにとっても薔薇は特別なのだ。
「国花が一番お好きとは、素晴らしい御心です」
ウォーレンが目を細め、微笑む。ソフィーは、その微笑に微笑みで返しながら、内心ヒヤリとした。
(国花? そういえば、そうだったわね)
薔薇がオーランド王国の国花だったことなど、まるっと忘れていた。
ソフィーにとって、薔薇イコール国花ではなく、薔薇イコールクリスティーナだ。
そもそも、ジェラルドとウォーレンの記章に描かれた花びらの数に気づけたのも、ジェラルドの端整な顔を見ていると『なぜイケメンはイケメン税を取られないのか。とっても不服!』という妬みに似た感情がにょきにょき出てしまう己を落ち着かせるために数えていたにすぎない。
花びらを一枚一枚数えては、薔薇の妖精のごとき愛しい姉であるクリスティーナに想いを馳せていただけだ。
とても褒められたことではない理由で気づいた産物に、ウォーレンはソフィーの観察眼に感服したと賛辞の言葉を贈ってくれる。
(社交辞令なのでしょうけど、過分な称賛が胸に痛いわ……)
ソフィーとしては、ジェラルドと対峙するたびに視線を記章に集中させ、脳に叩きつけるほどガン見したせいで、ウォーレンの記章を初めて見たとき、花びらの数が少ないことに気づいただけの話だ。観察眼などという、素晴らしいものでは一切ない。
そんな淑女らしからぬ理由を口にするわけにもいかず、なんともばつが悪い思いでソフィーは微笑む。痙攣しそうな右頬を、華奢な指で隠しながら。
この居たたまれなさは、まるで金星五つ星の金獅子と、銀星五つ星の稀代の天才を相手に話をした時にも味わったなぁとソフィーが感慨にふけっていると、いまさらながらあることに気づいた。
(そう言えば私、黒星五つの方を知らないわ)
金星、銀星の五つ星には最初から興味があったため、名を知っていたが、黒星五つの人間にはいままでまったく興味がわかなかったため、姓も名も、身分すら聞いたことがない。
今もさほど興味があるとは言えないが、紫星を賜ったことを考えれば、情報として知っていて当たり前だろう。このまま知らずにいれば、無知な人間の烙印を押されてしまう。
「あの」
ウォーレン様と声をかけ、黒星のことを聞こうとした瞬間、正午を知らせる鐘の音が鳴り響き、ソフィーの声をかき消した。鐘の音に気を取られ、問おうとした言葉が喉の奥で消える。
ああ、もうそんな時間なのかと、目の前の作り棚に置かれた卓上時計に目をやると、ウォーレンもそれに倣う。時計を確認したウォーレンは一歩下がり、美しい所作で一礼を取った。
「これは大変失礼いたしました。ソフィー様の大切なお時間を、これ以上奪ってはなりませんね。私はこれで退出いたします」
「いえ、そんな。とんでもありませんわ」
無駄のない動きで退出するウォーレンを扉が閉まるまで見送ると、ソフィーはそこでロレンツオの件がまだ途中だったことを思い出した。
正直、紫星の権力行使の話も、記章の賛辞もこれ以上会話を広げたい話ではなかったため、ソフィーとしてはウォーレンの退出は助かったが、ウォーレンの方はどうなのだろう。紫星を語るウォーレンの雰囲気や声からいって、あれで話が終わっていたとは思えない。
あのまま話をしていたら、紫星とは――という力説を受け、本当にロレンツオを呼び出す段取りを取られていたように思う。
それに、ウォーレンはこれ以上ソフィーの時間を奪ってはならないと口にして退出したが、彼の滞在時間はさほど多かったわけではない。
「記章の話をした時のウォーレン様の表情、なんだか少し変だったような?」
気にしなければ気にならないほどのかすかなものだが、ほんの少しウォーレンの態度はいつもよりおかしかったように思う。
「記章の話をしたからかしら?」
ウォーレンにとって、記章の話はあまり触れてほしくなかった事項だったのだろうか。
一瞬そんなことを考えたが、薔薇の花びら一枚の差異に、ウォーレンが困ることなどあるように思えず、ソフィーはしばらく閉じられた扉を考え込むように見つめた。
「弱ったな……」
赤い生地に、金の刺繍があしらわれた絨毯の上を歩きながら、ウォーレンはため息を吐く。
鳴り響いた鐘の音を理由に退出したが、不自然な退出だっただろうか。
あの聡い少女が、変に思っていなければいいが。
まさか、記章の違いを指摘されるとは思っていなかった為、完全に虚をつかれてしまった。
手のひらに握っていた記章をいまいちど見つめ、ウォーレンは「うーん……」とうなる。
「古いものを持ってきたのは失敗だったか。やはり、新しく作らせるべきだったな」
記章は、星が増えるたびに前のものを王国管理の役員に返し、新しいものを受け取る。
だが、返還したからといって、それが他の者に使いまわされるわけではない。記章はその者が亡くなるか、星をはく奪されない限り、王国の保管庫にて厳重に管理されるのが通例だ。
ウォーレンは今回の任務にあたり、前の記章を保管庫から取り寄せていた。
昔、花びら一枚の違いという、変更があったことなどすっかり忘れて――――。
これは完全に自分の落ち度だ。
ソフィーには多く伝えなかったが、本来代替わりしたからといって記章のデザインを変える予定はなく、花びらの数が変わる予定もなかった。
新しい職人が間違え、花びらの数が一枚多くなってしまったのだ。
あまりにも微々たる差異に、当の職人も、確認した役人も、常に胸に掲げていた黒星すら花びらの数が変わったことにまったく気づけなかった。
変更から十年以上がたったある日、それを指摘する者が現れミスが発覚したのだ。
すでに十年という月日の中で、新しい記章の方が多く作られ黒星たちの手にも渡っていたため、花びらの一枚少ない古い記章の方を回収し、現在はすべて新しいものに統一されていた。
つまり、ウォーレンの記章は、本来黒星の記章としては存在しないものとなるのだ。
(しかし、普通気づくものかねぇ……)
美しく描かれた薔薇の花びらを何度見つめても、なぜこれが裸眼で分かるのかが不思議だった。
新旧を二つ並べて見たとしても、その差異に気づける人間がこの世界にどれだけいるのか。
毎日手に取り、手入れを行い、胸に掲げる黒星たちでさえ指摘されるまで気づけなかったほどの差異に、まさか紫星の少女がこんなに早く気づくとは――。
「裸眼で気づかれたのは、あの方以来だな」
その人物は、この国で記章の変化に気づいた唯一の人間だった。
まさか、もう一人存在するとは。
まだ少女といわれる年だというのに、浮ついたところがないのも“彼”に似ているかもしれない。ちょっと変わった雰囲気をもつところも。
遅くなりましたが、2020年1月16日(木)に拙作「転生前は男だったので逆ハーレムはお断りしております」がアース・スターノベル様より刊行されました(/・ω・)/フォオオオ
書き下ろしも書かせていただきました(/・ω・)/フォオオオ
【書き下ろし】「ソフィー・リニエールというご令嬢~とあるサロンでの密談~」
【書き下ろし】「ソフィー・リニエールというご令嬢~バートの嘆息~」
【書き下ろし】「ソフィー・リニエールというご令嬢~クレトの選択~」
【初回版限定同梱版】「ソフィー・リニエールの日記」
【とらのあな 様】「サニーの生きがい」
【WonderGOO 様】「拝啓 天馬 事件です」
【メロンブックス 様】「また一つ、風習が生まれました」
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