親愛なる我が愛しのお姉様方へⅡ
そんなことを考えていると、扉をノックする音が室内に響いた。入室の許可を求める低く落ち着いた声はウォーレンのものだ。
すぐさま木彫りの飾りが施された扉を開けると、分厚い封筒を持ったウォーレンが、にこやかな笑顔で立っていた。
「ソフィー様、おくつろぎのところ申し訳ございません。ロレンツオ・フォーセル殿より、書簡が届きましたのでお持ちいたしました」
「まぁ、わざわざありがとうございます」
礼を言って書簡を受け取ると、腕にズシリと重みがのしかかる。
ロレンツオとは、王の剣に来てから何度となく書簡でのやり取りを行っていたが、今回のものはまた一段と分厚い。
この前の話し合いの結果、いくつかの変更点があったことが関係しているのだろう。
(医科学研究所の銀星たちを、本格的に動かす事前準備もあわせて行うと仰っていたし、これから書簡が増えることはあっても、減ることはないんでしょうね……)
自分が望んだ夢のためとはいえ、書簡の重みを直に感じると、少しだけ憂鬱な感情が顔を出す。
(……ん?)
この感覚には覚えがある気がする。
既視感の正体が何か考えると、終わらぬ書類の山をデスクに広げ、遠い目で時計を見つめた前世での残業の日々が思い出された。
あまり嬉しくない懐かしさに、つい書簡を見つめる目が半眼になる。
「ソフィー様?」
伏せたまま顔を上げないソフィーを不思議に思ったのか、ウォーレンに気遣わしげに名を呼ばれ、ハッと我に返る。
「申し訳ありません、ウォーレン様。少し考えごとをしておりました」
「なにか心配事でも?」
「いえ、そうではないのです……。実は、先立って上の方々から事業の許可をいただいたものですから、気を引き締め直しておりました」
慌てて場をごまかすように、ウォーレンに笑顔を向ける。
(危ない危ない、つい素がでてしまったわ)
一人前の淑女は疲れた表情など晒さない。どんな時でも、毅然とした態度を崩してはならない。女学院で、毎日のように教わったことだ。
例え、たった数か月の間であったとしても、自分は女王の薔薇の生徒だったのだ。無様な姿をさらしては、女王の薔薇でいまも学院生活を送っているクリスティーナやリリナたちの名まで傷つけてしまう。
一瞬漂ってしまったかもしれないサラリーマンの哀愁をかき消すように、ソフィーは愛らしい笑みで淑女の礼を取った。
「これから慌ただしくなるかと思いますが、どうか今後も引き続きよろしくお願い致します」
片手に重い書簡を握っているとは思えぬ優雅さで礼を取る少女に、ウォーレンがこちらこそと紳士的に礼を返す。
「この先、事業のことでロレンツオ様の所へお伺いする機会が増えるかと思うのですが、その時は、その都度ウォーレン様たちにも、事前にお伝えしておいたほうがよろしいでしょうか?」
ウォーレンたちの護衛は、あくまで寄宿舎や学院内でのみではあるが、外出するならばやはり彼らにも一言伝えるべきだろうかと思っての質問だった。
だが、その返答はソフィーが思いもしないものだった。
「ソフィー様が、研究所に足を運ばれるのですか? 何も貴女様が行かずとも、ロレンツオ殿をお呼びすればよろしいではありませんか」
「え……ロレンツオ様を、ですか?」
凄みさえ感じさせる怜悧な美貌と、王国屈指の知能、高貴な血。
すべてを持ち合わせている男の顔を思い出し、ソフィーは真顔になった。
――――あの男に、来いと命令できる人間が、この王国にいったい何人いるのだろう。
ファースに聞いた話では、ロレンツオは相手が黒星五つの聖騎士ですら自分が認めた人間以外は眼中になく、呼び出しを受けても五回に四回は断るとか。その一回の訪問ですら、条件付きだという。
銀星の生徒内での噂話程度で、本人に確認をとったわけではないため真偽のほどは分からないが、そういった噂を聞くだけで、簡単に動かしていい男でも、動く男でもないことは明白だった。
しかし、ソフィーが命令すれば、あの世にも美しくも恐ろしい笑顔を浮かべて「喜んでお伺い致しましょう」と言いそうだ。
(それがまた怖いのよ……)
あの心の奥底さえ見通そうとする灰色の瞳を思い出し、ソフィーは唇が引きつりそうになるのをなんとか堪えながら、言葉を選ぶ。
「ロレンツオ様もお忙しいでしょうし。わざわざご足労いただくのは忍びないですわ」
「本来ならば、紫星であるソフィー様が伺う必要など一切ありません。あちらが来るのが道理です」
間髪入れずに、さも当然とばかりに言われ、ソフィーはうろたえた。
「いえ、それはさすがに」
「ソフィー様、貴女は紫星です。紫星は、黒星、金星、銀星、銅星五つを賜った者すべてを合わせても、紫星に匹敵しない、特別な存在なのです。決して、他の星と同列に考えてはいけません」
言いよどむソフィーに、紫星の優位性を考えれば至極当然だとウォーレンは言う。
確かに、星の価値で言えばそうかもしれない。
けれど、それはある程度の身分と実績があれば、の話だ。
今はまだなんの実績も上げていない身を考えれば、紫星を盾に、銀星五つ星のロレンツオを呼び出すのは気が引ける。
(銀星たちに、ロレンツオ様を顎でこき使っていると思われたくもないし)
この先、紫星の権力を使って、多くの人間を使役しなければならない場面は必ずでてくるだろうが、それは時と場所と場合を十分に考慮した上で判断したかった。
ここはお得意の美辞麗句で、遠回しに回避しようとソフィーは唇を開くが、その前にウォーレンに一番痛いところを突かれる。
「ソフィー様があちらに何度も足を運んでいると聞けば、周りの貴族たちはやはりロレンツオ殿がこの事業の要なのだと勘違いする人間も多くなりましょう。それは、フェリオ殿下のご意思とは異なるものです」
下水道計画の要はソフィー・リニエールであり、ロレンツオ・フォーセルはその下。
あくまで、ソフィー・リニエールがこの事業の最高責任者。
その為に、ソフィーは紫星を、特別な星を賜ったのだ。
銀星五つも御せぬなど、紫星としての価値を貶める行為――――ウォーレンはそう言いたいのだろう。
(それは、そうなんでしょうけど……)
ウォーレンの言うことはまったくその通りであり、正しい。
(けれど、貴族社会でいうならば、異質な正しさではないかしら?)
過去の前例をみても、紫星という星は長い間王室に仕え、身分、実績と申し分ない初老の男性が賜るのが主だ。名誉職として賜ることの多い紫星を、王都ではお茶会すら出席していなかった十四歳の男爵令嬢が賜ったとして、その価値は変わらぬと誰が言えるだろう。
黒星の生徒たちの反応からみても、ありありと分かる。彼らの反応は、紫星に対しては確かに無礼ではあるが、ある種当然の反応でもあるのだ。
(逆に、私が紫星を賜ったことに、不服の一つも感じさせないウォーレン様の方が普通ではないような)
彼は、最初の挨拶のときから、ソフィーを“紫星”として、なんの偏見も疑念も抱くことなく接してくれた。
吉と出るか凶と出るか分からぬ男爵令嬢の紫星に対して、男女や身分に関係無く、紫星として扱ってくれる。そんな存在は極めて稀だ。
そしてその稀な存在は、なぜか星五つを賜った人物たちに多い。
金星五つのアラン・オーバン。
銀星五つのロレンツオ・フォーセル。
(ウォーレン様って、よほど地位の高い方なのかしら?)
そうでなければ、銀星五つの侯爵家の出でもあるロレンツオを、こうも簡単に動かして然るべきだとは進言しないだろう。
(けど、このお年の地位のある方が、わざわざこんな小娘の護衛なんて普通しないわよね?)
ジェラルドのような年頃ならば、何事も経験とばかりに選抜されることはあっても、ウォーレンの年ではそれはないだろう。
(寄宿舎を守って下さる護衛の方々も、皆大人の紳士という感じの方々ばかりだし。これが普通の聖騎士の考え方なのかしら?)
星の数はウォーレンより一つ少ない黒星二つだが、皆、職務を全うしながらも、ソフィーが快適に暮らせるよう配慮してくれている。その気遣いと対応を考えれば、ウォーレンが大きく異質とは言えない気もする。
(でも……)
気になることは、もう一つあった。




