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祝福された異端の子  作者: しろうさぎ


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ベネディクタの子、ラルフ


ベネディクタの朝は、いつも穏やかだった。


東の空が白み始めると、台地の上に広がる町に、少しずつ人々の営みが戻ってくる。


石畳の道を荷馬車が走り、商店の主人たちは店先に商品を並べる。


職人街からは木を削る音や金属を打つ音が響き、町の外れに広がる農村では、農夫たちが朝露の残る畑へと向かっていた。


教会の鐘が鳴る。


その音を聞きながら、人々は今日も変わらぬ一日が始まることを、当たり前のように受け入れていた。



ベネディクタ。


周辺地域でも有数の規模を誇るこの町には、周辺の農村を含めて、およそ五万人が暮らしている。


町の中心部には古い石壁に囲まれた区域があり、そこには領主館、教会、神殿、冒険者ギルドをはじめ、町の政治や信仰、経済を支える主要な施設が集まっていた。


町全体から見れば小さな区域にすぎない。しかし、ベネディクタの歴史を語るうえで、この場所は外すことはできなかった。


この町はある奇妙な伝承から始まっている。


遠い昔、この土地へ逃げ延びてきた人々がいた。


戦争や迫害によって故郷を追われ、行く先を失った者たち。


彼らは食料も尽きかけた状態で旅を続け、やがて広大な森を抜けて、この台地へとたどり着いた。


その森には、人間にとって危険な魔物が数多く棲息していた。


後世に魔の森と呼ばれるようになる場所である。


森を抜けること自体、彼らにとって命懸けの行為だった。


仲間を失い、傷を負い、疲れ果てた者たちもいたという。


それでも、彼らは進むしかなかった。


そしてたどり着いた広大な台地の上には不思議と魔物の姿がなかった。


まるで、目に見えない境界でも存在しているかのようだった。


人々には理由が分からなかった。


神々がこの地を祝福したのだと考える者もいた。


土地そのものに特別な力が宿っているのだと主張する者もいた。


だが、人々にとって必要なのは原因を解明することではなかった。


安心して眠れる場所だった。


やがて時が過ぎ、人が集まり、商人が訪れ、職人が工房を構え、集落は町へと成長していった。


その中心となった場所が、現在の三エーカーの区域である。


領主館や神殿が建てられたのは、町が発展した後のことだった。


当初は、ただ生き延びるために集まった人々の小さな集落にすぎなかった。


しかし、その小さな集落は、長い年月を経て大きな町となった。


そして、町の人々はいつしか、この土地をこう呼ぶようになった。


祝福された大地。

テラ・ベネディクタ


すべてが真実であると証明されたわけではない。


それでも、ひとつだけ確かなことがあった。


ベネディクタは、長い歴史の中で、魔物による大規模な侵入を経験していない。


町の人々にとって、それは疑う必要のない日常だった。


魔物は森にいる。

人間は町で暮らす。

冒険者たちは必要に応じて森の周辺へ出向き、危険な魔物を討伐する。


それが、この土地で生きる者たちの常識だった。




ベネディクタの中心から離れた農村の一角。


周囲には畑が広がり、少し離れた場所には同じような農家が点在している。


家々の間を細い道が通り、農作業に使う荷車が行き交う。


朝になれば人々は畑へ出て、夕方になれば収穫した作物を家へ運び込む。


特別なものは何もない。


ごくありふれた農村だった。


そこに一軒の農家があった。


暮らしている少年の名は、ラルフ。


今年でもうすぐ十一歳になる。


背丈は同年代の子供たちと大きく変わらず、体つきもまだ細い。


農作業を手伝っているため、手のひらには小さな傷や硬くなった部分があるが、身体つきはまだ子供そのものだった。


彼の家は、台地の縁に近い場所に建っていた。


裏手から少し歩けば、崖下の向こうに魔の森を見下ろすことができる。


遠くから眺める森は、ただの深い緑に見えた。


しかし、ラルフはその森に不用意に近づいてはいけないと、幼い頃から教えられていた。


「魔の森の中には、町の近くにいる獣とは違うものがいる」

父は、いつもそう言っていた。


「小さな魔物なら、見つけて距離を取ればいい。だが、森の奥にいるものは別だ。相手の姿を見てから逃げようとしても、間に合わないことがある」


父は斧を使う人だった。


大柄というほどではないが、農作業で鍛えられた身体には無駄な肉が少なく、太い柄を握る手には力があった。


ラルフは、そんな父の姿を何度も見てきた。


ラルフ知る限り、父は本格的な冒険者ではなかったが、近隣の住民から頼まれれば、魔物の討伐や護衛、家畜の捜索などを引き受けていた。


母もまた、父と一緒に依頼を受ける冒険者だった。


母が得意としていたのは、回復魔法。


怪我をした人を治療し、必要に応じて薬草を使い、依頼の途中で仲間が負傷しても対応できるようにしていた。


二人は、普段は農業を営みながら、冒険者としても活動していたのである。


「父さん、僕もいつか魔の森の魔物を倒せるようになるかな?」


幼い頃、ラルフはそんなことを尋ねたことがあった。


「倒せるようになるかどうかは、分からんな」

「えっ?」

「強くなれば何でもできる、というわけじゃないからな」


父は斧の刃を布で拭きながら続けた。


「自分より強い相手と戦わなきゃならないこともある。自分より弱い相手でも、油断すれば怪我をする。大切なのは、勝てる相手かどうかを見極めることだ」


「じゃあ、勝てない相手だったら?」


「逃げる」

父は、あっさりと言った。


「逃げるのも立派な判断だ。生きて帰れば、次に何ができるか考えられる。死んでしまえば、それまでだからな」


その言葉を聞いたとき、ラルフは少し拍子抜けした。


冒険者というのは、もっと勇敢で、どんな相手にも立ち向かうものだと思っていたからだ。


父は、そんなラルフの顔を見て笑った。


「勇気と無謀は違う。そこを間違えるなよ」


ラルフは、その言葉を覚えていた。



ラルフが11歳の誕生日を迎える1ヶ月前

その朝も、父は斧を持って畑へ出ていた。


母は台所で朝食の支度をしていた。


ラルフは食卓の前に座り、焼いたパンをちぎりながら、父が帰ってくるのを待っていた。


「ラルフ、スープが冷めるわよ」


母が鍋からスープをよそいながら言った。


「分かってるよ」


「分かっている人は、そんなにぼんやりしないものよ」

母は笑った。


母は、父とは違った意味で頼りになる人だった。


穏やかで、面倒見がよく、誰かが困っていると放っておけない。

近所の人が怪我をすれば、頼まれる前に様子を見に行くこともあった。


ラルフが小さな怪我をしたときも、母はいつも回復魔法を使ってくれた。


「痛いのは、怪我をしたことを身体が教えてくれているからよ」

母は、そう言っていた。


「だから、痛みが消えたからといって、無理をしていいわけじゃないの。ちゃんと休むことも大切なのよ」


父が戦うための教えを与えてくれるなら、母は生きていくための教えを与えてくれた。


ラルフにとって、二人は何よりも大切な存在だった。


朝食を終えた頃、父が家へ戻ってきた。


斧を肩に担ぎ、額の汗を拭っている。


「今日は、昼前にギルドへ寄ってくる」

父が言った。


「また依頼?」

母が尋ねた。


「ああ。近隣の集落へ続く街道で、魔物を見たという話があったらしい。念のため、街の近くを確認してほしいそうだ」


「街道の確認だけ?」


「そうだ。大した仕事じゃない。周辺を調べて、問題がなければ報告して帰ってくる」


母は少し考えた。

「それなら、夕方には戻れそうね」


「そのつもりだ」


父はラルフの方を見た。

「畑の水やり、頼めるか?」


「うん。任せて」


「よし。帰ったら、斧の振り方をもう一度教えてやる」

ラルフの顔が明るくなった。

「本当?」

「約束だ」

父は笑い、ラルフの頭を軽く撫でた。


母も支度を整え、父と一緒に出かける準備を始めた。


二人はいつも、依頼を受けるときには一緒に行動していた。


父が前衛を務め、母が後方から支援する。


互いの役割を理解しているからこそ、危険を避けながら仕事をこなすことができるのだと、ラルフは聞かされていた。


「行ってくるわね」

母が玄関で振り返った。


「畑、あまり無理しないようにな」

父も声をかけた。


「分かってるよ」

ラルフは笑って答えた。


ラルフにとってはいつもの見慣れた光景だった。




夕方になっても両親は帰ってこなかった


ラルフは最初それほど気にしていなかった。


仕事が少し長引いているのだろう。


魔物の痕跡が見つかれば、周辺を詳しく調べることもある。

帰りが遅くなることは、これまでもあった。


ラルフは食事の支度をし、両親が戻ってくるのを待った。


しかし、夜になっても帰ってこなかった。


翌朝になっても、帰ってこなかった。


二日目。


三日目。


日が経つにつれて、ラルフの胸の中に不安が膨らんでいった。


父と母が最後に受けた依頼は、危険な討伐任務ではなかった。


街道の安全確認。


普段から請け負っている仕事のひとつだった。


それなのに、どうして帰ってこないのか。


ラルフは冒険者ギルドにも足を運んだ。


ギルドの記録には、両親が依頼を受けたことが残っていた。


しかし、依頼の完了報告はなかった。


街道沿いの集落にも、二人の姿を見たという者はいなかった。


捜索が行われた。


街道の周辺を調べ、立ち寄りそうな場所を確認し、魔物の痕跡も探した。


それでも、何も見つからなかった。


足跡も、持ち物も、二人がどこへ向かったのかを示す手掛かりも。



「……ごちそうさま」


ラルフは、小さくつぶやいた。

食卓の上には、食べかけのパンと、冷めかけたスープが残っていた。


1ヶ月が過ぎても父も母も帰って来なかった。


向かい側の椅子は、空いたままだった。


父がいつも座る椅子。


その隣には母が座り、ラルフの食べる様子を見ながら、今日あった出来事を聞いてくれた。


今は、誰もいない。


ラルフは食器を片づけ、家の外へ出た。

畑仕事をしなければならない。


作物は、世話をしなければ育たない。


父がいなくても、母がいなくても、畑は待ってくれなかった。


だが、十歳の少年ひとりで、これまで両親が担っていた仕事のすべてをこなすのは難しかった。


そんなラルフを隣家の一家が支えてくれた。


食事を分けてくれることもあれば、畑仕事を手伝ってくれることもある。


ラルフが無理をしようとすると、休むように声をかけてくれた。


そして、隣家にはリアという九歳の女の子がいた。


リアも幼くして母を亡くしたこともあってか、両親がいなくなったラルフに対しても態度を変えなかった。


以前と同じように声をかけ、同じように話してくれる。


周囲の大人たちが気を遣って言葉を選ぶようになったことを、ラルフは感じ取っていた。


何かを尋ねるときも、どこか遠慮がちだった。


まるで、ラルフが壊れやすいものにでもなってしまったかのようだった。


リアには、そうした遠慮がなかった。


それが、今のラルフにはありがたかった。


「ラルフ、おはよう!」


畑へ向かおうとしたとき、リアが声をかけてきた。


その少し後ろには、一匹の猫がいた。

茶色と白の毛並み。しっぽの先だけが白く、歩くたびに、その先端が小さく揺れている。

猫は、リアの足元を離れたり近づいたりしながら、のんびりと歩いていた。


「おはようリア。マリーも一緒か」


ラルフが声をかけると、猫は顔を上げた。


そして、まるで自分の名前を理解しているかのようにラルフの方へ近づいてきた。


「にゃあ」


小さく鳴き、ラルフの足に身体を擦りつける。


ラルフはしゃがみ込んで、マリーの頭を撫でた。


マリーは目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らした。


「マリー、またラルフに甘えてる!」


リアが少しだけ頬を膨らませた。


「私よりラルフの方が好きなのかな?」


「そんなことないよ。たまたまだって」


「昨日もラルフのところにいたよ?」


「そうだったっけ?」


「そうだよ!」


リアは不満そうに言ったが、すぐに笑った。


マリーはリアの飼い猫だったが、ラルフにとっても馴染みのある存在だった。


幼い頃から何度も顔を合わせてきた。


ラルフが畑仕事をしていると、いつの間にか近くで丸くなっていることもあったし、家の前を通りかかったマリーが、気まぐれにラルフの膝へ乗ってくることもあった。


リアが遊びに来るときには、マリーも一緒にいることが多かった。


二人にとって、マリーは日常の一部だった。


ラルフがマリーの背中を撫でると、満足そうに尻尾を揺らした。


ほんの短い時間だったが、その光景には、以前と変わらない日常があった。


「……よし。じゃあ、畑に行こうかな」


ラルフが立ち上がると、リアも元気よくうなずいた。


「私も手伝う!」


「いいよ。リアは自分の家の手伝いがあるだろ?」


「もう終わったもん」


「でも……」


「お父さんも、あとで来るって言ってたよ」

リアは、少し得意げに胸を張った。


「だから、ラルフは心配しなくていいの!」

その言い方があまりにも真剣だったので、ラルフは思わず笑ってしまった。


「……ありがとう」

「うん!」

リアは、嬉しそうにうなずいた。


二人は並んで畑へ向かった。


マリーはしばらく二人の後ろを歩いていたが、やがて気まぐれに道を外れ、草むらの中へ消えていった。


いつものことだった。



畑の土は、少し乾いていた。


ラルフは鍬を手に取り、土を起こしていく。


リアも、小さな手で雑草を抜き始めた。

彼女はまだ九歳だから、できることは限られている。

それでも、一生懸命に手伝ってくれた。


作業をしている間は、余計なことを考えずに済んだ。


けれど、村の人々の視線は、どうしても気になった。


通りかかった大人たちが、ラルフを見る。


気の毒そうな顔をする者。


何かを言いたそうにしながら、結局何も言わずに通り過ぎる者。


そして、ときには聞こえるような声で、噂を口にする者もいた。


「もう一か月になるのか……」

「ああ。街道の確認だけだったんだろう?」

「それなのに、何の手掛かりもないとはな」


声を潜めているつもりなのだろう。


だが、風に乗った言葉は、ラルフの耳にも届いていた。


「……もしかしたら、町を出たんじゃないか」

「子供を置いてか?」

「いや、分からんさ。何か事情があったのかもしれない」


ラルフの手が止まった。


リアも、作業をする手を止めた。


二人とも、聞こえていないふりをした。


大人たちは、そのまま通り過ぎていった。


ラルフは、再び鍬を握った。


違う。


父さんと母さんが、僕を置いて逃げるはずがない。


何度も、そう思った。


父は約束を守る人だった。


母は、困っている人を見捨てられない人だった。


二人が自分を置いていく理由など、思いつかなかった。


それでも、帰ってこないという事実だけは、どうしても変わらなかった。


「……ラルフ」

リアが、小さな声で呼んだ。

「大丈夫?」


ラルフは顔を上げた。

「うん。大丈夫だよ」

そう答えた。


リアは、何か言いたそうにしていたが、結局、何も尋ねなかった。


代わりに、ラルフの隣で再び鍬を動かし始めた。


その優しさが、かえって胸に刺さった。


ラルフは、唇を噛んだ。


泣くわけにはいかなかった。


泣いてしまえば、自分が本当にひとりになってしまうような気がした。


だから、働いた。


畑を耕し、作物を世話し、家の中を片づけた。


何かをしていれば、両親がいないことを考えずに済む時間が増える。


何もしていないと、不安が押し寄せてくる。


父と母は、どこにいるのだろう。


今も生きているのだろうか。


それとも、もう二度と帰ってこないのだろうか。

考え始めると、答えのない疑問が次々に浮かんできた。


それでも、ラルフは最後まで考えないようにした。


まだ、諦めるわけにはいかなかった。


読んでいただいてありがとうございます。

初投稿作品でお見苦しいこともあると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

よろしくお願いします_(._.)_


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