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モブだった俺が異世界で主人公になれたのに、なんで誰も幸せにならないんだ?  作者: 深海周二


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第21話 引き金

 雨は夜明け前に上がっていた。

 石畳が濡れて光っている。湊は東棟の廊下を台帳を持って歩きながら、窓の外でそれを確認した。北の中庭は、光がいちばん遅く届く場所だ。東棟と西棟の壁が空を狭めていて、昼を過ぎてから初めて日が落ちてくる。

 リリアが配置換えになって四日が経つ。理由を確認しようとして、やめた。確認できることと、確認しても意味がないことの区別が、この王宮では大事だ。

 窓の外に、北の中庭が見えた。

 リリアがいた。石畳の苔を布で拭いている。今朝のリリアの動き方は、いつも通りだ。丁寧にやろうとして、丁寧にやろうとするあまり、一点に集中しすぎる。その動き方が、四日前と変わっていない。

 昼前、東棟の廊下でリリアとすれ違った。

 「如月様」

 「ああ」

 リリアが話した。今朝、北棟の壁沿いで聞こえてしまったこと。石の突起が影を作っている場所に二人がいた。遠くて顔はわからなかった。白い衣と、顎髭のある男。届いたのは断片だったとリリアは言った。「血筋」という言葉と、「使うも使わぬも」という言葉が聞こえたこと。白い衣の返した声はよく聞こえなかった。雰囲気が普通じゃなかったから、近づかなかった。

 リリアは湊の顔を見ながら話した。話しながら、湊の顔が最初から最後まで変わらないことが、少し怖いとリリアは言った。

 「それはグラナードとエリシア殿下だ」と湊は言った。

 「たぶんそうだと思います。よく見えなかったので」

 湊が少し間を置いてから言った。

 「蓮司に言うな」

 「え」

 「他の誰にも言うな」

 リリアが首を傾けた。なぜ、という顔だ。なぜ、とは言わなかった。湊の声の静かさが、いつもと違う種類の静かさだったからだ。いつもの静かさは距離がある。今日の静かさは、距離がなかった。

 「はい」とリリアは言った。

 足音が遠ざかった。

 湊はしばらく、足音の消えた方向を見ていた。


 あの「はい」の重さを、湊は廊下に立ったまま確認した。確認してみると、軽かった。軽い、ということは、リリアにとってその「はい」は約束ではなかった、ということかもしれない。了解だった、という可能性がある。了解と約束は違う。了解はその場で理解したという意味だ。約束は守るという意味だ。

 どうせろくなことにならない、と思った。

 思いながら、その言葉が今日は、リリアの足音の消えた方向を向いていた。

 夜、湊が東棟の廊下を戻りかけたのは、仕事が終わってからだった。

 渡り廊下の手前で、足が止まった。

 石柱の向こうに、人の気配があった。二人分だ。声は届かない。距離がある。ただ、気配の種類でわかった。一方は蓮司、もう一方は、リリアだ。

 湊は石柱の手前に立った。向こうからは見えない。

 中庭の端の石段のあたりに、二人がいた。蓮司がリリアの隣に立っていた。先週より近い距離だった。近い、ということに、蓮司は気づいていない。ただそこに来た、という距離だ。

 リリアが石畳を見た。見てから、顔を上げた。

 何かを話し始めた。

 声は届かない。ただ、話しながらリリアの体が少し固くなっていくのが、ここからでも見えた。固くなっている、ということは、話したくないことを話している、ということだ。話したくないのに話している。なぜ話しているかは、湊には今夜、半分しかわからなかった。 わからなかったが、残りの半分の輪郭は、見えた。

 この人なら、とリリアは思ったのだ。

 蓮司の顔が変わった。

 変わり方を、湊は石柱の手前から見ていた。邪気のなさが剥がれていった。剥がれた下から出てきたものを、湊は今夜初めて、蓮司の顔の上に見た。この男が三秒黙るときの顔ではない。もっと長い、もっと重い何かが、蓮司の体の中で固まっていく速度があった。固まりながら、向かっていく先が決まっていく速度だった。

 湊は渡り廊下を引き返した。

 北棟の方向から足音がしたのは、夜が深くなってからだった。

 蓮司の足音だ。速い。向かっている。重心が前にある。ただ今夜の前傾は、いつもより深かった。深い前傾で向かっているとき、この男は止まれない。湊はそれを五年間で知っている。

 足音が廊下の角を曲がった。北棟の方向だ。グラナードの執務室がある方向だ。

 湊は廊下に立った。

 走れば間に合う。

 しかし足は動かなかった。

 動かなかった理由を確認しようとして、確認する前に足音が消えた。消えてから、湊はしばらく廊下に立っていた。

 「蓮司に言うな」と言った。「誰にも言うな」と言った。そして「はい」とリリアは言った。

 あの「はい」の意味を、今夜の湊は改めて確認した。確認してみると、やはり約束ではなかった。単なる了解だった。了解と約束は違う。了解はその場で理解したという意味だ。リリアはその違いを知らない。知らないまま「はい」と言った。

 保留の箱を探した。

 箱がなかった。

 あるべき場所に、何もなかった。今夜初めて、箱が消えていることに気づいた。気づいたのが今夜だというだけで、消えたのはもっと前かもしれない。いつ消えたかを確認しようとして、蓮司の足音が角を曲がった今夜のことが来た。それよりもっと前、リリアが夜明け前に扉を叩いた夜のことが来た。もっと前、東棟の廊下で引き返した夜のことが来た。

 廊下を歩いた。

 リリアは理由を知らない。知らないまま、蓮司に言った。言ってしまった。言ったことが今夜の王宮を動かしている。動いた先に何があるかを、湊は半分だけ知っていた。

 どうせろくなことにならない、と思った。来た。今夜は来た。ただ今夜のそれは、いつもと向きが違った。前を向いていなかった。湊自身を向いていた。

 廊下の冷たさが、足の裏から伝わってきた。


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