その六十一
二千六百十八
他人の意見に左右される事を気にしている人もいるでしょう。しかしこの事も落ち着いてよく考えてみなければなりません。或る人が何かを言う、尤もに聞こえる。けれど別の人がそれに反対する意見を言う、すると反対の意見なのにそれも尤もに聞こえる。これは本来何もおかしくもないし、自分にそう聞こえる事を改善しなければならないものでもありません。力点重心を置く場所が違えば異なる意見になりますし、その優劣を判断するのが難しい作業である事もその通りだからです。
私は思うのですが、斯ういう時に複数の異なる意見の間で悩む人というのは、『正解を射当てたい』と思っているのではないかという事です。しかし元々正解の無いテーマなのですから、そういうものを探そうとしない姿勢が必要なのではないかと思うのです。正解を射当てるのではなく、『自分が決める』、そして『その責任を負う』。世の中の多くの問題に対処するに当たっては、それがあるべき姿勢ではないかと私は思っています。
二千六百十九
虚しいと思ったら、今自分が一番しなければならないと思う事をしましょう。それでも虚しいと思ったら、自分が立ててそれに従っている、生きて行く方針、目標そのものが間違っていると知りましょう。其処を改めなければなりません。
自分が生きて行く指針を探さなければなりません。茫洋とした気持ちになるでしょう。何をどうすれば良いのか判らないでしょう。それでもそれを探さなければならないのです。それをもたなければ確固たる次の一歩を踏み出せません。しっかりした歩みに、揺るがない目標は必須です。私はこれを動かない真理であると思っています。
二千六百二十
青年も壮年も、生活に子供を必要とします。子供の笑顔や涙を見る必要があるからです。同様に、生活に老人を必要とします。老人の悟りや包摂する様な穏やかさを必要とするからです。
正しい生活、そういうものがあるのなら、其処には必ず子供も老人も居る筈だと私は思うのです。それが無いとなると私は暮らしに何処か欠けた感じを覚え、それを慕い始めるからです。
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