その五十二
二千百九十二
真夏の日陰の呆然。私はそれを愛します。少し気が遠くなり、私の側が何らの努力をするでもないのにいきなり私の眼前に不思議な世界が広がるからです。確実に数十年の時間が吹き飛んでいます。いや、時間というものに拘束されていない何かが一気に私を包むのです。冬の厳しい風が一層私の意識を明瞭に、先鋭にするのと本当に対照的です。陽炎の揺らめく気温の中で茫々の意識に流され、知らない間に何処かに流されて仕舞います。私は自分が何歳なのかも、何処で働いているのかも忘れます。
それを愉しむ事が出来る人間で居る事です。それは鑑賞や体験の喜び、則ち何かを前にしてそれを味わって愉しんでいるのでは断じてないと思うのです。その時私は、自分を愉しんでいるのだと思うのです。何故か強くそう思うのです。
二千百九十三
私の小説の一番の読者は、多分私自身だと思います。実際、よく読み返します。それも修正などではなく、読みたくて。
何と謂いますか、自分で其処迄読みたいと思えるのであれば、それだけで書く値打もあろうというものです。自分の想うものをかたちに出来るというのは、嬉しいものです。あなたもそういう営みを見付けて下さい。これは何も小説に限らない話です。
二千百九十四
真実の幸福は必ず遠い未来に在るのではなく、今、直ちにこの場に在るものであると信じます。遠い未来に在るのは自分の人生の完成であり、其処に辿り着く迄に既に人に幸福は許されるからです。
『遠い未来、自分は幸せになる』、それを根本的な間違いであるとは謂いません。しかしその言葉が、今自分は不幸であっても未来には幸せになれるという意味で発されるならば、それは間違いであると私は強く思います。今直ちに自分に与えられている幸福に気付かないで居るなら、今後幸せが自分に来てもその時にも矢張その幸せに気付く事はあるまいと思うからです。
二千百九十五
曇っていたのが、書き物を終えて窓の外を見るといつの間にか晴れています。夕方の横から射す陽光が、今迄とは違った街の表情を見せてくれます。硝子や金属に反射する光が眩しく綺麗です。西の片側だけ輝く雲も、何処となく嬉しそうです。
見る対象に命を吹き込む、それは自分でするのです。それを見る者が無意識の間に自分で命を吹き込むのです。それが出来る様に、自分に行動させましょう。
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