叛逆
さなええりなが目覚めたのは、大きなベッドの上だった。柔らかい寝具が優しく体を包み込んでいる。質素な天井からぶら下がった照明器具が、目を射た。
一瞬、実家の自分の部屋にいるものと錯覚した。優しい気分に包まれながら、身じろぎすると、見慣れない部屋の様子に惑乱する。真新しいが粗末な壁に囲まれた部屋には、必要最低限の家具がきちんと並んでいた。
司:『起きたか』
司令官が窓のかたわらに立っていた。優しげな口調でさなええりなに声をかける。衣服を身につけ、窓の外へ目をやっている。
窓の外は夜明けの兆しを見せ、わずかに赤く染まりつつあった。
司:『夜明けにはまだ時間がある』
さなええりなは慎重にそっと体を起こす。ようやく目覚める前のことを思い出していた。
いつ果てるとも無く終わらない酒宴から、司令官とさなええりなが抜け出したのは深夜になってからだった。司令官はさなええりなと主従関係を確立する為、口腔を介して栄養を摂取した。その際、起動した“天使のささやき”が厖大な快楽をさなええりなに与え、意識が消失してしまったようだった。
司令官はベッドに近寄り、さなええりなの頭をなでた。
司:『明け方に周囲の探索を行うぞ。現地人のスパイから、早朝に開拓軍へ、現地人が再び総攻撃を開始するという情報を得ているからな。大掃除になるかもしれん』
さなええりなはおずおずと司令官の体に身を寄せた。恐怖感はあったが、すでに一度、栄養物の授受を交わした仲となった今、未知の存在という不安感は無かった。
司令官は話を続ける。
司:『今回はひとまずお前だけしかHF次元人はいない。期待しているぞ』
さなええりなは遠慮がちに訊ねた。
さ:『ホカノ、ナカマ。ドウナッタデショウ?』
司:『一人は行方不明だ。もう一人は説教使と共にいる。命は助けられるだろう』
さなええりなはわずかに表情を和らげた。司令官は軽くさなええりなの背中を叩き、部屋の隅へ移動する。銃槍をさなええりなに投げて寄こした。
司:『お前の持ち物だ。出撃に備えて整備しておけ』
汚れた銃槍を見下ろし、さなええりなは質問する。
さ:『センセー、ドウナリマシタカ』
司令官は失笑した。
司:『忘れろ。奴は死んだよ』
さなええりなは絶句した。驚愕のあまり全身が凍りついた。否定の言葉が嵐のように脳裡に吹き荒れた。どうしても言葉が飲み込めなかった。思考が停止し、ぼんやりと手元の銃槍を見下ろした。
司令官はさなええりなの様子を注意深く見守っているようだった。うつむいたさなええりなへ瞬きの少ない双眸をじっと向けている。
さなええりなは、厖大な数の、繊細なガラス片のような部品を精緻に組み合わせて構築された美しい城を幻視していた。無数の傷にもかかわらず暗い空間にひっそりと立っているそれは、しかしいまや崩壊寸前だった。さなええりなは突きつけられた破城槌の致命的な一撃を目前にして、凶悪な槌の先端から懸命に目をそらしているのだった。破滅を免れるには、槌の一撃をそらさなければならなかった。さなええりなは我知らず、必死に自分自身に説きつけていた。
――司令官だって、必ずしもひどい人じゃないかも。
――厳しいけど、言うことを叶えればかわいがってもらえるし。
――センセーが死……いなくなったのは、司令官のせいじゃないかもしれない。
――だから、司令官のそばにいてもいいはず……わたしはきっと、間違ってない。
司令官は思い出したように言った。
司:『何が気に入っていたのかは知らんが、奴にそんな価値はないぞ。多少、殴られただけでひいひい泣き喚いていたな。情けない奴だった』
さなええりなは、司令官を愕然とした面持ちで見つめた。
司令官は思わずといった様子で快さそうに笑い声を上げる。
司:『滑稽な格好で転げまわっていたぞ! まるで泥浴びする豚だったな』
その瞬間、さなええりながこの世ならぬいずこかで後生大事にしていたガラスの城は、粉微塵になって崩れ落ちた。おびただしい光の微粒子が降り注ぎ、山となった残骸には、穢土を塗り固めて捏ね上げたおぞましい廃墟が凝然と立ち尽くしていた。
何処とも知れない空虚で起こった傲然たる建築物のあっけない崩壊を前に、さなええりなの目は諦念によってガラスのように磨きこまれて輝いていたに違いない。そこにはもはや守はなく情は消え、イェスカの死骸だけが腐って悪臭を放つ禍々しい墓穴のみが映っているのだった。
全ての大事なものと考えていた荷物をすべてそこへ捨ててしまえばいい。
やさしい思い出、他人へのおもいやり、助けてくれた喜び……。
何かを捨てることは、その逆のものを手に入れることだ。
それこそが新しい城で役立つ武装なのだ。
さなええりなはめまいに襲われた。天地が逆転する。乗り物酔いのような吐き気を催した。激しい頭痛が脳内を暴れまわり、呼吸するごとに脈動した。体中の皮膚が燃えるように熱くなった。つかのま、周囲の音が遠ざかり、何も聞こえなくなった。
気付けばうつむいていた。じっと手元の銃槍に視線を落としていた。今、生れ落ちたかのように、鮮烈な、しかしどこか虚ろな五感がさなええりなを包みこんだ。
司:『愛想も尽きたろう。それでは、戦闘の準備にかかれよ』
司令官はさなええりなに背を向け、扉へと足を向けた。
灼熱していたさなええりなの体が、急激に冷えていった。静まり返った室内に、間延びした司令官の足音が響く。のろのろと無防備な背中が見えた。
壁を殴りつけるような音が聞こえた。司令官は目を丸くして目の前の壁を見る。一瞬で、壁に深い亀裂が出現していた。足がもつれ、壁にぶつかった。額を壁にこすりつけるように、ずるずると体が沈む。
司:『うおっ……!』
司令官の口から、獣のようなうめき声が漏れた。がくがくと全身が痙攣した。
司令官の目の前で、床に何かが落下した。壁にぶつかって動きを止める。それは現地人の文字が刻まれた車輪架だった。司令官の目が丸く見開いた。司令官が衣服の物入れ(ボルシージョ)に入れていた、説教使のものだった。
司:『お前、何を……』
声が途切れた。司令官の腹部から、泥濘のような内臓が音を立ててこぼれだしていた。床に着いた両膝の間に、血だまりが広がっている。司令官は絶叫した。
司:『むおっ! ぐおおおおおおおおお!』
洞穴のように開いた口から、鮮血と唾液が滴った。司令官の頭が、背後に引っ張られた。体を支えることができず、司令官の体が仰向けに倒れた。
ぜいぜいと喘鳴を漏らす司令官の頭に、床から足音が伝わる。司令官は血走った目で見上げた。
穂先を形成した銃槍を携え、さなええりなが司令官を睥睨している。あたかも遥かな高みから地上物を見下ろしている守のごとく、緑玉色の瞳が冷然とした鋭い光を放っていた。共感の欠片も無い、冷血な視線だった。色の失せた唇の端が、ぴくぴくと引きつっている。
司令官は怒りに駆られたように顔をゆがめ、言った。
司:『お前、何のつもりだ、これは……!』
さなええりなは口元をゆがめた。靴底を司令官の喉に押し当て、体重をかけた。
司:『げえっ!』
司令官の唇を、血のしぶきが赤く染めた。喉を圧迫され、呼吸もままならず、司令官は苦痛に顔をしかめ、押しつぶされた芋虫のように体を左右によじる。両手両脚はぐにゃぐにゃと床をなぞるばかりだった。付け根に傷が走り、ほとんど千切れる寸前になっている。一瞬のうちに、さなええりなが切断したのだった。
「転げまわってたってー? センセーが、豚みたいにー!……」
さなええりなの、きりきりと噛みならされる歯の間から、言葉がこぼれる。銃槍の穂先が司令官の顔を掠めた。鼻が飛んだ。
司:『あがっ! ……この下等人種がっ!』
声を押し潰されながらも、司令官は怒号した。顔面中央に、縦長の鼻孔がふたつ、横並びに露出した。血液が泉のようにあふれ出る。
さなええりなは言葉を続けた。
「だったら今のオマエはなんだかわかるー? 教えてあげるよー」
司:『なにをしゃべっている?』
さなええりなはたどたどしいDT次元の言葉を使った。
さ:『オマエハ、ウジムシダ! ブタノフンニワイタウジムシナンダヨ!』
司令官の目に、不屈の炎が点り、煌々と光を放つ。
銃槍の穂先が、司令官の顔に開いた赤い鼻孔の中に滑り込んだ。司令官の全身が引きつった。
喉をつぶされ、濁った悲鳴が部屋に不気味に響いた。
廊下から、複数の足音が響いた。重い足音は、武装した兵士のようだった。
さなええりなはちらりと足下の司令官へ目をやった。
司令官の渾身の憎悪がこもったかのように猛悪な視線と目が合った。司令官の揺るぎないその無慙に、さなええりなは憎悪と畏怖、そして徒労を覚えた。
扉の向こうから兵士たちの声が聞こえた。
兵:『司令官殿! 声が聞こえました! 何か異常でも?』
力任せに押された扉が揺れる。さなええりなは壁と扉へ渾身の刃を振るった。真一文字の傷が、扉と壁を横断する。兵士の悲鳴と、床に倒れる音が聞こえた。
「もう、時間切れー? 名残惜しいなー」
さなええりなは司令官の顔面をなぎ払う。司令官の両眼が断ち割られ、司令官は絶叫した。
「もうこうなっちゃなにもできないよねー? さよならー、かわいそうな虫さん! 一分一秒でも長生きしてねー!」
悶絶する司令官を残し、さなええりなは窓から身を躍らせた。




