尋問
目覚めた説教使の前に、何かが投げ出された。
床に当たった小石大の物体は、説教使の額にぶつかり、回転しながら説教使の眼前に現れた。
説教使はもうろうとした意識の中、じわりと広がる不安を感じていた。目の前に転がっているものは、師匠のフベナルルイス使から託された車輪架だった。表面にAO次元人の文字が刻印されており、万一の場合に見せれば、AO次元人に仲間として受け入れられる、と説明された品だった。師匠が説教使の安全を気にかけて渡した車輪架は、いまやAO次元人との内通を疑わせる危険な物証となっていた。
説教使は、両手両脚を縛められ、床に寝転がっていた。その前に置かれた簡易な椅子に、司令官が腰掛けている。その周りを、武装した兵士が居並んでいた。マリアアリスは、説教使のそばに同じように手足を縛られ、うずくまっている。
そこは開拓地に建てられた司令部の一室だった。
司令官は、床にぼんやりと視線を向ける説教使を見下ろしていた。説教使のそばにしゃがみこんでいる兵士に声をかける。
司:『意識は戻ったか』
兵:『まだ意識がはっきりしないようですね』
司:『そうか。死にそうになってるんじゃないのか』
兵:『いえ。けがは安静にしていれば命に別状はありません。手当ても済んでおります』
その時、部屋のドアが開いた。ドアの向こうで、兵士が室内に声をかける。
兵:『連れてまいりました』
司:『じゃ、始めるか』
小さくため息をつき、司令官は周囲の兵士に言った。兵士たちは緊張した面持ちで、ドアを見る。室内に入ってきたのは、HF次元人だった。二十代後半程度、長身の痩せた男二人組だった。
男たちは上目遣いに室内を見回し、肩をすぼめて丁寧に頭を下げる。DT次元の言葉で挨拶した。
?:『ヨオシク、オネガシマ』
司:『お前たちの仲間から始めろ』
?:『ハイ、ワカリマタ』
二人組は顔を伏せ、そそくさとDT次元人たちの前を通り抜ける。力なく床に座り込むマリアアリスを目の当たりにし、低く声を漏らした。短いささやきに、狂おしい渇望が底流となって声の抑揚をほんのわずかに失わせていた。
マリアアリスは近寄ってきた二人を見上げた。双眸をぎらつかせ、噛み付くように言い放つ。
「近づかないで!」
二人組みは互いに顔を見合わせ、小さく笑いを漏らす。マリアアリスをもの欲しそうに凝視しながら、そっとささやいた。
「おう、おんどれ、HF次元から来たんかい、おお?」
マリアアリスは無言で、二人組に敵意に満ちた視線を投げつけている。二人組は苦笑した。
「あのな、わしらおんどれにちょっと聞きたいことあんねん。な~に、大したことやあらへん。ええか、よぉ聞けよ」
もう一方の男が、手元に握りこんでいた紙片を広げた。
「えーとな、なんや、『説教使が現地人のスパイしていたことを知っているか。あるいはそれに類似した行動を見たことがあるか。気がついたことは何でもいいから話すこと』……ちゅうこっちゃ。おとなしゅう言うこと聞いといたほうがええで~。でないとえらい目に会うでえ」
笑いかける二人組に、マリアアリスは声高に言う。
「うるせー、バーカ! 何にも知らねーよ! 知ってても言うか! キモオヤジ!」
二人組の表情に苛立ちがかすめる。声の調子を低く落とした。
「この後でな、もうちょっと機嫌良うして、わしらと付き合うてくれるんやったら、手加減したっても良えで」
「ちょっと痛い痛い~言うて、適当に調子合わしたあとに、知ってること全部言うてくれたら良えんや」
二人組はなぶるような口調でマリアアリスに言う。マリアアリスは事情が飲み込めないまま、男たちから逃れようと懸命に身をよじらせた。
二人組の意図に気付いた説教使が、鋭く言った。
「やめなさーい! 質問ならわたしにするのでーす!」
二人組はぎょっとしたように動きを止めた。脅えた表情で説教使へと目をやる。兵士が説教使の口に布切れをねじこんだ。
「気にする無い。続けなさーい」
「すんまへん、気ぃ遣わしてもうて、えろうすんまへんでした」
二人組に指示を下す。二人組は平伏せんばかりのようすでぺこぺこと兵士に頭を下げた。
男の手が、マリアアリスの胸元を乱暴に掴んだ。
「こいつきったならしい格好しとるけど、めっちゃ若いんちゃうかぁ? 肌ぁつるつるやん」
無遠慮にマリアアリスの体を撫で回し、二人は笑い声を上げた。
激昂したマリアアリスは、怒鳴り声を上げた。
「ふざっけんじゃねーよ! 触んな! 死ね! ブッサイク!」
嫌がるマリアアリスには頓着せず、二人は舌先でアイスクリームをなめるように、肌を手のひらでゆっくりとなでる。欲望に目をらんらんと輝かせ、息を荒くした。
「ほんまや、こいつ多分高校生くらいやで。わし、女遊びようしたさかい、声の感じですぐわかんねん」
「家出少女っちゅうやつか……かなんなあ……ちゅうか、どこまで家出しとんねん! 次元超えてもうとるがな!」
言うと同時に、男はマリアアリスのほおを張り飛ばした。マリアアリスは不意打ちに声もなく床に倒れ伏した。
男たちはけたたましく笑った。
兵士たちはどっと笑い声を上げる。司令官は静かな面持ちで、熱心に二人組を見詰めていた。
兵:『始めたようです』
二人組を連れてきた兵士がほくそえんだ。司令官に言う。司令官は感心したようにうなずいた。
司:『なるほど。ああいう芸をもっているのか。妙な連中もいるもんだ。で、アレはなにを言ってるんだ?』
兵:『コンビトークコメディショーだそうです。“ミルエルマノス”と名乗っているようです。本来なら、コンビトークでは、“常識から逸脱した発言をする者”(グラシオソロ)に対して、“常識を踏まえて指摘する者”(レクト)が、指摘を入れるごとに暴力を振るう決まりになっているのですが、その矛先を尋問相手に振り替えているのですね。そこがシュールで受けているようです』
司:『そうか、確かに愉快な光景ではある。全く、変わった尋問係だな。ハハハハ』
司令官はすがすがしげな笑い声を上げた。
二人組はやや緊張した面持ちでちらりと司令官を盗み見た。司令官が笑っていることを確認し、安堵したように相好を崩す。
「わしら、まだまだいけるやん。今日も絶対ウケルで~」
「よっしゃ。ほしたら、行くで。コンビトーク、“父ちゃん(パッパ)”」
二人は呼吸を合わせるように一旦沈黙する。兵士たちは期待の笑みを浮かべながら二人組を見守った。一人が口を開いた。
「あ~も~、仕事やってられへんわ。せっかく法律破って性風俗店の呼び込みしとんのに、だ~れも入らへん。ケッチくっさいのお! 貧乏人は全員死ね!……あ、父ちゃん(パッパ)! こんなとこに何しに来とんねん! わし連れ戻しに来たんかい。連れて帰るんやったらやぁ、わし殺して死体にして持って帰れや、このションベンたれジジイが!」
「なんやと?……子供のクセに親にそんな口を叩きくさるとは、もう見苦しくて、見てられへんっ……!」
言いながら、男はじっと相手の顔を見つめる。
「めっちゃ見とるがな!」
叫んだ男が、マリアアリスの顔面を握りこぶしで力いっぱい殴打した。マリアアリスは悲鳴を上げた。
「ぎゃっ!」
マリアアリスの体が床を転がる。鼻から鮮血が滴った。あまりの苦痛に体が瀕死の虫のように蠢いている。
どっと兵士たちの間からさざなみのような笑い声が湧き立った。司令官も機嫌よさそうに微笑んで見入っている。
二人組は会話を続けた。
「息子よ……わし、ほんだら目当ての性風俗店行くわ」
「おどれはわざわざこんなとこまで何しに来とるんじゃ! コッラァ! オムツしとるくせに、風俗来んなや!」
男は高々と足を背中のほうへ振り上げ、ボールのようにマリアアリスの腹部を蹴りつける。
「ぶがぁっ!」
マリアアリスの口から異臭を放つ茶色の液体が噴出した。激しく咳き込む。そこへ、男はさらにかかとで数回、体を踏みつけた。
「あっが、ぐぇはっ!」
わめき声を上げ、マリアアリスは体を丸めた。
DT次元人たちの笑い声が室内に満ちる。
「しかし息子よ。ちょうどよかった。もっと長い遊興時間および行為内容にしたいから、金貸してくれや」
「排泄制御不可状態やからって、ねんがら年中オムツしとる分際で、わしに風俗代借りるんかい! 糞食いゴキブリ!」
「ぐぎゃああっ! いぎぃっ!」
「射精の制御だけは自由自在じゃ。お前もそうして生まれてきたんや……」
「気持ち悪いこと抜かすな、便所ムカデ! 成人映画(AV)男優か!」
「痛だあああがっ!……いだっ……がわあっ……!」
「何言うとんねん。よい子に生まれるよう、誕生日占いで秒単位まで計って出したんやぞ? ヨメ子もあの時は協力的やったわ。きちんと体位まで占ったからな?」
「どんな占いやねん、ほんっま気持ち悪いわ! カンベンしてくれや!」
「……ぅぐあはっ!……えぶぉぉっ……!」
「それはそうと、金貸してや。年金だけでは最高級の子とするのにはちょっと足りひんねや」
「おどれ、母ちゃん(マンマ)が知ったら、殺されるぞ! クソッカス!」
「アホか! ヨメ子はおのれが家出するときに殺したんやろがい!」
「あ、そーやったわ!」
二人組は同時にマリアアリスをメチャクチャに踏みつけ、蹴りあげた。
「ぶふうっ! ぎゃうわ!」
ドアマットのように踏みにじられ、マリアアリスはボロクズのように床に伸びた。顔は血に塗れて真っ赤に染まっていた。
兵士たちは腹を抱えて笑い転げている。
二人組は、司令官に向かってまっすぐ立ち、ぺこりとお辞儀した。
「失礼しましたー!」
万雷の拍手が二人組を押し包んだ。
ぐったりと床に寝ているマリアアリスに、改めて二人組は質問を繰り返す。
「どや、なんか知っとることあるか? 今やったらまだ聞くで」
マリアアリスは低いうめき声を漏らしながら、死んだように横たわっている。全身が焼けるような熱を持ち、わずかでも体を動かせば足の爪先から頭頂部まで激痛が体を貫いた。わずか一呼吸が想像を絶するほどに耐え難い苦痛をもたらす重労働と化していた。
「次からはもう取り返しのつかへんことするで~」
男はマリアアリスの体を組み敷いた。口に太い指を差し込む。片手でマリアアリスの下顎を押さえ、口が閉じないようにする。指先で前歯をつまんだ。一息にねじり折った。
「がーーーーーーっ!」
マリアアリスの全身が弓なりに痙攣した。ねじれた歯の神経がきしみ、ムリヤリ引きずり出される禍々しい音が心臓を恐怖で直撃した。脳そのものが震えるかのような衝撃が体中の隅々までくまなく駆け巡る。巨大な金槌で口元の骨を殴打されるような激痛が何度も爆発した。
あまりの痛みにマリアアリスは息をすることすらできなかった。歯が完全に引きちぎられ、ほんのわずかに痛みが薄らいだ瞬間、こわばった喉に空気が通る。調子の外れた笛のような音が喉の奥から聞こえた。
排泄物の放つ悪臭が立ち込める。マリアアリスの下半身が湿り気を帯びた。
「うわ、こいつ漏らしとるで、最悪やわ! きっしょ!」
男がマリアアリスの体から飛びのいた。舌打ちし、マリアアリスのほおを軽くはたいた。
「どや? なんか喋れや、どブス!」
マリアアリスの顔色は、内出血で紫色に変貌していた。固く閉じたまぶたがゆっくり開く。真っ赤に充血した目が、涙で潤んでいた。
マリアアリスの視界に、血液が付着した四角い白い物体が飛び込んできた。それはマリアアリスの前歯だった。白っぽい紐を短く垂らした爪程度の大きさのそれを、あたかも勲章ででもあるかのごとく意気揚々と男はマリアアリスに突きつけていた。
マリアアリスの中で何かが決壊した。ぼろぼろと大粒の涙が両目から零れ落ちる。わずかに残った冷静な意思が懸命に抵抗しようと試みるが、急激な肉体の反応は押しとどめようもなくマリアアリスを感情の激流へ押し流していった。
マリアアリスは大きなうめき声を放った。黒ずんだ唇が動くたびに、真っ赤な血が床にこぼれた。
「やめて(べで)ぇ……も(ぼ)うやめて(べで)よぉ」
男は凄んだ様子でマリアアリスを睨みつける。
「ほしたらやぁ、知っとること言わんかい、ワレェ!」
「知らな(だ)いよぉ……あたし(だじ)何も知らな(だ)いも(ぼ)ん」
しゃくりあげるマリアアリスに、男はいっそう威嚇するように言った。
「あぁ? そんな言い訳通用する思とんのか、この淫売! 適当なこと抜かしとったら殺すど、外次元人専門の売春婦! 調子乗っとんか、ボケ!」
「知らな(だ)いって、言って(で)るのにぃ……」
マリアアリスは幼児のように号泣した。いらだった様子で二人組は顔を見合わせる。兵士へ振り返り、おずおずと報告した。
男:『知ラナイ、言テマス』
司:『そういえば、現地人スパイの顔を見せてやったらどうだ? 顔見知りかもしれん』
兵士の一人が返事をし、部屋から姿を消す。ほどなく戻ってきた時、腕には現地人の首をぶら下げていた。眠るように目を閉じている首を、マリアアリスの前に鎮座させる。
二人組は尋問を再開した。マリアアリスの頭を床に押し付けた。
「おう! こいつ知っとるんちゃうんか! 今度マトモなこと言わへんかったら、目ぇつぶすど!」
マリアアリスはなすすべも無く泣き声を上げる。二人組は立ち上がった。マリアアリスの体を、身動きできないように踏みつけた。一人がしゃがみ、マリアアリスの閉じたまぶたの下に指先を押し込もうとする。
その時、異様な咆哮が部屋中に響いた。
滑稽とさえ思える食肉用の動物を思わせる声は、説教使から発せられていた。説教使は全身を波打たせ、床を転げまわった。闇雲に兵士たちの足にぶつかり、布キレで塞がれた口から奇怪な叫び声を放っている。発狂したかと疑われるような光を帯びた、憤懣に満ちた目で周囲を睨みつけた。
室内の兵士たちは、唖然と説教使の狂態を凝視していた。つかのまの沈黙の後、部屋は爆笑の渦に巻き込まれた。司令官も椅子の上で背中をそらし、天井を仰いで哄笑した。満面を笑みに崩し、司令官は言った。
司:『お前、一体それは、豚の真似か?』
更なる笑いの発作に突き動かされ、兵士たちは全員身をよじって大笑いする。二人組もにやにやと愛想笑いを浮かべた。
怒りのあまり、説教使は全身をぶるぶる震わせていた。渾身の力で両手足の縛めを引っ張る。皮膚が破れ、血が飛び散った。しかし、縛めを引きちぎることはできなかった。猛烈な勢いで頭を振り、口から丸まった布の玉を吐き出した。
教:『わたしに聞けばいいだろう、わたしがスパイなのだから! そのHF次元人に惨い仕打ちはは止めてくれ!』
説教使が猛然と咆えた。あまりの凶暴な声に、兵士たちは気圧されたように静まり返った。たった一人、平然としていた司令官は嘲笑を浮かべた。
司:『ほう? それは本当か。あの現地人の顔は見たことあるか?』
教:『はい、知っています!……一度会ったことがあります』
説教使は捨て鉢な様子でわめいた。実際には身に覚えは無いことだった。しかし、自分の持ち物から車輪架が見つかったことから、言い訳は無駄なことだと諦観していた。
司令官はわが意を得たりとうなずいた。
司:『だろうな。こいつもお前と同じものを持っていたんだ。ちなみにそれは現地人の持っていたものだ』
靴先で床に落ちている車輪架を示し、司令官は薄く笑った。兵士の中には、司令官の守に対する不敬な態度に不安を抱く者もいるようだった。青い顔でひっそりと祈りの清句をつぶやく。
部下の様子に全く感知せず、司令官は質問を続ける。
司:『では、もうひとつ聞くが、お前の師匠とやらも一枚噛んでいるのではないか?』
説教使は固い表情で否定した。
教:『いいえ。師は……いや、フベナルルイス使は違います』
司:『どうかね? とりあえずひととおり手順を踏んでみようじゃないか』
司令官は部屋の隅で小さくなっていた二人組に声をかけた。
司:『おい! 今度はこいつを尋問しろ!』
男:『コレ……コノ、ヒト』
おそるおそる二人組は説教使を見る。説教使の強烈な目付きに、二人組は顔色を失った。司令官に促された兵士が、説教使の縛めを厳重に縛りなおし、床を転がることができないように手足を固定した。さらに、布で顔全体を包み込む。
兵:『よし、やれ』
短く命令を下す兵士へ、二人組は何度も卑屈な表情でお辞儀する。慎重に説教使のそばへ寄った。脅えきった様子で、ひそひそとささやきを交わす。
「こんなん初めてや。大丈夫か? いけるか?」
「いくしかないやろ。わしら、無事に勤め上げて、生きて元の場所に帰るんや!」
「……頼むで!」
深呼吸した男の一人が、やや緊張した声音で言った。
「コンビトーク、“ダッチロール”」




