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彷徨

三人の修身士は、陽光の激しく照りつける砂漠を進んでいた。

AO次元の広大な砂漠は昼と夜とで寒暖の差が激しく、夜は空気中の水分さえも凍結し、地表に白い霜となってへばりつくほどに温度が低下する一方、昼間は強烈な日光と、急速に蒸発した湿気に包まれ、猛烈な暑さとなる。そのため、砂漠に住む生物は昼か夜、いずれかに生存圏を見出し、不適当な時間は砂や、砂漠に点在する奇怪な植物群が繁茂した球体のじめじめした胎内に身を潜める。AO次元人は夜行性だった。

修身士たちは、AO次元の昼夜いずれにもなじむことができないにもかかわらず、灼熱の日差しが焼く砂上へとさまよい出ていた。三人の内部には、AO次元の巨大な太陽にも劣らぬ焦燥の炎が猛り、内臓を黒く干からびさせていた。

三人の働きによって確保したジャングルには、現地人が蓄えていたと思しき食糧が溜め込まれ、飲料水にも不足はなかった。ドーム上の簡単な建築物に蓄えられた弾薬も見つかった。

朝、三人が目覚めてみると、司令官と部下の兵士、そして説教使は姿を消していた。数日分の、食料と水だけが残されていた。

三人は恐慌におちいり、支度もそこそこに、ジャングルから飛び出した。しかし、追いかけようとした足跡は砂漠に消え、現在は行く先を完全に見失っていた。視界一面に、白い砂漠が緩い隆起を描いてどこまでもひろがっている。

黙々と進んでいた三人の速度は、次第に遅くなっていた。やがて、マリアアリスが落胆した様子で戦騎の足を止めた。

「だめだぁ……もう完全においてかれた。なんで? センセー、マリたちのことはどーでもよくなったの……?」

猛烈な暑気にあてられ、声がひび割れている。

「そんなことないよー……」

さなええりながかすれた声を出した。目が虚ろだった。焦点の合わない双眸で、地面を見つめている。ぼんやりと目を閉じていたフィオナナンシーがなだめるようにマリアアリスに言った。

「もおすぐお昼だしい、ちょっと休んでもいいんじゃなあい」

「でも、もうちょっとだけ追いかけたら見つかるかも知んない」

マリアアリスは急に元気を取り戻したかのように、戦騎を進める。聖ディアゴゴンサロ学苑の制服の背中に、木目のように白い塩分が浮き上がっていた。大量に汗をかいた痕だった。頭にかぶった軍から支給された帽子のふちも黒く濡れていた。

「あっ」

さなええりなが声をあげた。目をしばたたかせる。目を細め、顔を横に向けた。砂丘の上部から、ときおり光がちらりと垣間見える。せわしなくまたたく光の粒子が、川面を連想させた。

「水があるみたいー……川かもー!」

「えっ、本当にい?」

フィオナナンシーの声に、安堵したような弛緩した響きが混じる。遠ざかってゆくマリアアリスの背中に声をかけた。

「川だってえ!」

マリアアリスは頑なに拒否する。

「いらない……早く追いつきたい」

フィオナナンシーはいらいらしたようにつぶやく。

「もう、どうせムリだよお」

さなええりなは機首を光の方向へ向け、駆け出した。

「たしかめてみるー!」

さなええりなを見送りながら、フィオナナンシーは憤りをこめて言った。マリアアリスを怒鳴りつける。

「もおお、勝手にい! さな行っちゃったよお?」

さなええりなは体力をふりしぼって戦騎を走らせる。砂丘の頂上近くまで来ると、まばゆい光の洪水に目がくらんだ。驚きとも喜びともつかない声をあげる。目の前の光景が信じられないかのように、立ち止まった。

背後からフィオナナンシーとマリアアリスが駆け寄った。二人とも、思わず声を出した。

三人の前に、青緑色の厖大な水面が広がっていた。さざなみに反射する陽光が無数の宝石のように輝いている。湿り気を帯びた涼しい風に包まれたような気がした。

「スッゲー涼しげ! だねっ! 一番乗りぃ!」

眼前の光景に目を奪われていたマリアアリスははしゃいだような声と共に軽快に戦騎で砂丘を下った。

「あいつう、フィナが呼んでやったのにい……!」

「行こうよー!」

さなええりなに促され、フィオナナンシーも砂丘を下る。河畔の濡れた砂の上に、マリアアリスは飛び降りた。靴底がシャーベット状の砂にざくざくとめり込む。

小走りに、砂ぼこりで白くなったローファーを乱暴に脱ぎ捨てた。片足で跳ねながら、靴下を剥ぎ取る。岸にたゆたう泡立つ水に踏み込んだ。

くるぶしを包み込んだ生ぬるい水の感触に、マリアアリスは生き返ったような歓声を上げる。高揚した面持ちで、背後の二人に振り向いた。

「ねー、早く来なよ! 気持ちいよぉ」

「ラジャ~あ!」

さなええりなも裸足になり、川に入る。水底は、滑らかな砂で埋め尽くされていた。くすぐったそうに笑う。

「やーだー! 足の裏がこそばゆいー!」

マリアアリスはスカートをからげ、ざぶざぶと水の中に歩いてゆく。太ももまで川に浸った。水の感触を確かめているように、うっとりと湧き立つ波紋に目をやった。

「あ~あ、砂がはがれていいカンジ……」

ふくらはぎの半ばまで水に漬かったさなええりなは背後を振り向いた。フィオナナンシーは戦騎にまたがったまま、仏頂面で辺りを睥睨している。さなええりなは不思議そうに訊ねた。

「入らないのー? さっぱりするよー!」

フィオナナンシーは憮然と眉根を寄せた。

「だあって、フィナ、オトコのコだしい」

「あれーっ? そーだっけ? びっくりしたー!」

さなええりなはどぎまぎとしたようすでフィオナナンシーから視線をそらした。とりなすように付け加える。

「でも、さなは気にしないよー」

「ありがとお」

フィオナナンシーは口の端を笑みの形に吊り上げる。戦騎から降りた。

ふと、マリアアリスは顔をしかめる。両手で鼻を押さえた。持ち上げていたスカートが水面に落ちる。ゆったりとした流れがスカートを動かした。マリアアリスは左右を見回した。

数メートル先のきらきら光る川面に、丸く膨らんだ白い袋が浮かんでいた。風船のように張り詰めた表面に、容赦のない日差しがつややかに反射している。穏やかな川の流れに沿って、ゆっくりと水面を漂っていた。

マリアアリスは目を凝らした。丸い袋の四方から、中央で曲がった棒状の枝のような物体が突き出している。ほとんど水の中に隠れた枝には、海草のように破れた青白い布がまとわりついていた。

四本の枝のほかに、一抱えもありそうな灰色の毛玉が水の中でおびただしい毛先を揺らしていた。

マリアアリスのうなじが総毛だった。脳裡に白い閃光が走るかのような錯覚をマリアアリスは覚えた。度を失ってその場からあとずさる。悲鳴を上げた。

「うわわわわわわわっ!」

「どおしたのお?」

手持ち無沙汰に河岸に立っていたフィオナナンシーが、緊張した面持ちでマリアアリスを見た。素早く戦騎にまたがる。川べりで水をすくっていたさなええりなは、取り乱すマリアアリスにきょとんとした目を向けた。

「なにー?」

マリアアリスは両手を広げ、さなええりなに向かって言った。

「だめだめだめ! 見ちゃだめ!」

「えー? よくわかんないよー!」

さなええりなが笑う。マリアアリスはさなええりなの肩をわし掴みにし、力任せに河岸に押し戻した。さなええりなは驚いた表情を浮かべたまま、されるがままになった。

フィオナナンシーが心配そうな様子で声をかける。

「なになになあにい?」

ぐったりと、マリアアリスはかがみ込んだ。倦み疲れたような声音を出した。

「死体だよ。なんかクッサイと思ったらさあ……」

フィオナナンシーとさなええりなは脅えたように川面を見た。マリアアリスの起こした波紋が、白い物体をゆすっていた。

「誰のお?」

「わっかんないけど! 現地人じゃね? 銀髪ギンパだったしぃ。気になんだったら見てくればぁ?」

「うわあ、結構あるよおお……」

川面に浮かぶ死体は一体ではなかった。マリアアリスの発見したものの奥に、さらに複数の浮遊物が見えた。仰向けになっている死体の周辺に手足が突き出している。

三人は言葉を失った。死体を認識した途端、異臭に気付く。あわてて河岸から離れた。おぞましい腐臭の感触は、いつまでも体内に絡み付いて離れなかった。


「寒い……頭、超々々々(アルティメット)痛い」

マリアアリスはがたがたと全身を震わせた。身を切るような寒風が、肌を容赦なくさいなんだ。軍用の防寒コートをはおっても、寒気は容易に耐え難いすさまじさだった。体温を奪われ、意識がぼんやりと輪郭を失ってゆくようだった。

マリアアリスの荒れた唇から、白い息が吹き出す。上空を覆う黒い半球に、無数に穿たれた穴から光が漏れているように星々が輝いている。青い月が冴え冴えと輝いていた。月の周りに、紫色の光輪が鈍く浮かび上がっている。AO次元の凍てつく夜だった。

三人は体力を消耗する日中の行動を避けて日が落ちてから、失踪した説教使とその仲間を追うことにした。川から流れてきた死体によって、その上流に現地人とDT次元人の戦闘があったものと推測できた。説教使から教わっていた第一陣開拓軍の駐屯地の方角とおおむね一致した為、進む方向に迷いはなかった。

昼は戦騎の作った日陰で休み、夕刻から動き出して、すでにかなりの時間がたっていた。日が沈むと共に下がった気温によって、砂漠の表面には薄く霜が降りている。白い地面が闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。ほの白い地面の上を、コートを着込んだ三人が戦騎を並べて進んでいた。青い影が戦騎の足元にわだかまっている。

「い、言わなくてもお、わ、わかってるよお」

フィオナナンシーの舌がもつれている。寒さのあまり、ろれつが回らなくなっていた。さなええりなはかちかちと歯を噛み鳴らしている。うつむき加減に頭をもたげていた。

虚ろな声音で、マリアアリスはさなええりなに声をかける。

「ね……さな。親いたんでしょ? どんなカンジか教えてよ」

マリアアリスの上半身が左右に揺れている。まぶたが空色の瞳を眠たげにおおいつつあった。さなええりなは物憂げな小声で返答する。心臓の鼓動がなぜかうしろめたいことをしているかのようにわずかに早まった。

「え……交通事故で死んだよー……」

マリアアリスはうわごとのようにつぶやく。

「生きてるときどんなだったのか聞きたい……マリ、国民創生施設そうせい出身だから」

フィオナナンシーが震える声で忌まわしげに吐き捨てた。金色の双眸が星の光を宿し、怒りに燃えるかのようだった。

「くく、くっだらなあい! あ、あんな連中、ク、クッソだよお!」

さなええりなは小さく声をあげた。

「……どうして、そんなヒドイこと言うのー……?」

フィオナナンシーは口を閉ざした。マリアアリスはつぶやく。

「フィナは、産児施設さんじの残留児童だから」

フィオナナンシーは傷ついたような顔付きで、マリアアリスを睨みつけた。食いしばった歯の間から言葉を押し出す。

「え、偉そうに説明しないでよお」

「で? って言う。そんなのマリよりマシでしょ。親すらいないわけだし」

マリアアリスは抑揚の少ない調子で言った。

「い、いないほうがよっぽどいいよお、むかつくだけだもおん!」

フィオナナンシーはふてくされたように返す。

マリアアリスはかすかに甘えるような気配でさなええりなに頼む。

「お話して……?」

さなええりなは、ため息をついた。

「あんまり思い出したくないかもー……」

「どうして?」

不思議そうなマリアアリスに、さなええりなは怒ったように言う。

「だって……だって……さな、泣いちゃうかもー」

「いやだったら、よしなよお。マリも無理言うなってえ。かわいそうじゃなあい」

「ゴメン。怒った?」

さなええりなは力なく頭を振った。

「ゴメンなさい」

マリアアリスはほとんど聞こえないほど落胆したような声を出した。

さなええりなは、物憂げな翠玉エメラルド色の瞳をそっとマリアアリスに向けた。深くかぶったフードの端から、小刻みに震えるマリアアリスの白い鼻先が見えた。両手を挙げ、ふうっと白い息を吹きかけた。じっと手のひらを見つめているようだった。手のひらをフードの中へ入れる。手のひらを頬に当てているのだろうか。幼い仕草に没頭するマリアアリスへ、さなええりなは憐れみを感じた。ためらいがちに声をかける。

「あのー……ちょっとなら、ハナシしてもいいよー」

さなええりなへ、マリアアリスは虚ろな視線を向けた。口元からかすれた声が流れ出た。

「マジで?」

さなええりなは固い面持ちでうなずいた。

「……うん」

「聞いてらんないしい! ちょっと向こう行くう」

フィオナナンシーは二人から距離を置いた。

「あのさあのさ、家にいるのってオトーサンとオカーサンとだけってマジ? 人少なくね?」

マリアアリスは急きこんで質問する。さなええりなは苦笑した。

「妹がいたよー。さな入れて子供は二人―!」

「ええー? 皆で四人しかいないのぉ? じゃあ、家に誰もいないとかってあんの?」

「あるよー。っていうか、そーゆー時のほうが多いよー!」

「そうなんだぁ。じゃあ、ご飯とか食い放題じゃん」

「そーだねー! 好きなメニュー作ってくれた時とかー!」

「え? 作んの? わざわざ手で? 誰が? さな?」

「んーんん? お母さん! たまーにお父さんとか、さなもー!」

「えぇ? スゴくね? ご飯って家で作れるんだ!」

「そーだよー?」

いつの間にかフィオナナンシーが近寄ってきていた。さりげなく会話に加わる。

「マリ、どこの給食会社メシだったのお?」

マリアアリスは素直に答えた。

「マリんとこは、“好野屋すきのや”」

「フィナのは、“ダクドナルド“だったあ」

「どっちも、たまに家族で行ったりしたー!」

「じゃあ、家ではなに食べてたの?」

「いろいろー! ハンバーグとか、魚とか、とんかつ、ポテトサラダ、オムレツ、カレー、うどん……あと、ご飯とお味噌汁―!」

さなええりなの声は張りを取り戻していた。

マリアアリスとフィオナナンシーは感心したようにうなずいた。

「そんなに、種類あるんだあ!」

「ファミレスじゃん!」

「マリとフィナはどんなカンジー?」

マリアアリスは考えながら回答する。頭痛は気付かないうちに快癒しているようだった。

「納豆定食、カレー、牛丼、で朝昼晩。ほとんど毎日繰り返し。飽きちゃって、小6くらいから、もう施設うちではほとんど食ってなかったな。勝手にバイトしてその金でファミレスとか行ってたよ」

「基本、ラッキーセットお。メニュー選べなくてオモチャついてなかったけどお。フィナも姉ちゃんによく外連れてってもらったけど、そこでもいっつもダクド入るんだよね、好きだってさあ」

フィオナナンシーは笑みを含んだ様子で言った。さなええりなが興が乗ったように声をあげた。

「子供のときは、“ダック”とか食べたかったー! 家だとキライなものもあったから、おすしとか、お刺身とかキライー!」

「あー、マリは野菜がぜんぜんダメ。あの臭いと味って口に入れるものじゃねーよ。だからメロンとかも食えないし」

「フィナは、炊いたお米食べれないんだあ。ぐにぐにしてて、ぜんぜん食べ物とか思えなあい。あのらかさと、甘っぽい味がちぐはぐしてて、それが嫌あ」

「だったらドリアとかは? 他にはオムレツ、ピラフもあんじゃん」

「うん、ドリア好きい。オムレツとか、ピラフはあ、ちょっとねえ……米むき出しがNGかなあ。パスタとかはOKえ」

「あー! さなもパスタ好きー! カルボナーラとかー」

「マリも! 今度帰ったらさぁ、ドリアとかパスタとか食いに行こうよ!」

マリアアリスの提案に、他のふたりは華やいだ声をあげた。

「やーん、楽しそうー! どこにするー?」

「大型雑貨店(東行ハンズ)の近くにイタリアンレストラン(サイデリ屋)あるよお」

「いいね! じゃー駅前広場(ポチ公前)に集まろーよ」

「ラジャー!」

「わかったよお……でも、マリ遅刻すんじゃないのお?」

「そんなわけないじゃん! ……あれ、何のはなしだっけ」

「あのー……さなのお母さんがつくるご飯―!」

「お、そうそう、そう言えばあと一個聞きたいことがあってさ……あの、オカーサンって、ご飯作る他になにするの?」

「ん……あとは、お掃除、お洗濯かなー。あと、どっか連れてってくれたりとかー」

「知ってるよお。公園とか、遊園地とか行ったりするんでしょお?」

「そうだよー! お誕生日にね、東京ディズミーランド(TDL)連れてってもらって、ニッキーとかと写真撮ったりしたことあるよー」

「フィナも遠足で行ったことあるう! スチィッテ大好き!」

「マリも! あとさ……」

マリアアリスは唐突に言葉を切った。困惑したフィオナナンシーがさなええりなを見る。

丸めた背中に、引き攣れたような震えが走っている。うつむいた顔を両手で覆っていた。かすかな声と、鼻をすする音が交互に聞こえる。さなええりなは声を殺して泣いていた。

「やあっぱりい。やめといたほうが良かったんじゃないのお」

抑えた声で、フィオナナンシーはマリアアリスを批難する。マリアアリスは怒ったように抗弁した。

「うるせーよ、周りがわたわたするようなことでもないじゃん」

「うん……大丈夫―……」

さなええりなは、しゃくりあげながら言った。フィオナナンシーはあきれたように言う。

「気をつけないと、鼻水凍っちゃうよお」

「うん、わかった……」

マリアアリスがさなええりなにハンカチを差し出した。四つ折りにたたんであるが、皺がよって四隅が丸まっている。マリアアリスは手元のハンカチを見て、驚いたようにつぶやいた。

「使ってほしいけどぉ、これ、平気かなあ……」

さなええりなはポケットに手を入れ、自分のハンカチを取り出す。

「ありがとう。でも、さなのあるんだー」

濡れた顔をごしごしとこすった。

「なんか、砂と汗でごわごわしてる」

マリアアリスは拍手するように自分のハンカチを両手で叩いた。煙のように丸く舞い散るほこりが、一瞬、青い月影に白く映えた。フィオナナンシーが悲鳴を上げる。

「うわあ、汚ったなあい! 信じらんなあい! それ他人ひとに渡そうとするってえ」

「マズいよね、えへっ」

マリアアリスは頭をかいた。その場を繕うように照れ笑いする。

涙をこぼしているさなええりなの双眸が、マリアアリスへと向いた。ふと鼻からくすぐったそうな笑い声がこぼれる。

「ウフフ!」

フィオナナンシーもつられたように笑顔を浮かべた。

「あは……」

嬉しそうに、マリアアリスは笑い声を上げた。

「えへへへへ!」

「ウフフフッ!」

「あははははは!」

頭上遥かに光を仰ぐ海底のように、しんしんと冷え込む暗い夜の底で、ささやかな火を灯すかのように三人は笑いあった。


夜闇が透き通っていくかのように朱色に染まっていた。

影となった地平線の黒い稜線の向こうから、炎のような夜明けがその兆しを見せている。黒い夜空には、焼け焦げたようにくすんだ褐色の雲が浮いていた。色あせた月が雲にまぎれ、夜空に溶けている。

騎乗した三つの影が、早足で進んでいた。いずれも緊張した面持ちで、油断なく進行方向を見つめている。遠雷のような轟きが前方から響き渡っていた。小高い砂丘が視界をさえぎっていた。

三人の修身士は、砂丘を越えた。激しい雨音のような破裂音が三人をとりまいた。思わず戦騎の足を止める。夜明け前の暗がりに閉ざされた眼下のようすに目を凝らした。

砂丘のなだらかな下り坂のはるか下方に、蟻の様に行く筋もの列をなした無数の影が蠢いていた。隊列は砂漠の隆起に沿っており、高くなった場所を、身を隠す覆いとして利用しているようだった。列の間には、丸く背の低いドームが設置されている。

影は、つま先ほどの大きさのAO次元人の姿だった。おのおのが長い銃らしきものを携えている。

影の群れの奥に、おそらく銃槍の斥力弾と思しき閃光が星空のようにいくつも光っている。三人の位置からちょうど正反対の方向に、第一陣開拓軍の集落が存在するようだった。三人がたどってきた大河が大きく湾曲し、そのカーブの内側に沿って大きめのジャングルが繁茂している。ジャングル周辺の地面も、砂の色とは異なって薄く緑が勝って見える。不毛の砂漠の真ん中に忽然と出現した肥沃な土地だった。

開拓軍に相対して、巧妙に隠蔽されているだろうAO次元人のようすが、三人からは完全に見てとることができた。

砂漠に光が明滅し、爆音が轟く。それに倍する火薬で撃ち出す銃器の発射音が絶え間なく聞こえてくる。

AO次元人の圧倒的な人数に、三人は立ち尽くした。

「これって……向こう側に行かないとだめってこと?」

マリアアリスが苦しげにつぶやいた。目的地が見えているのにもかかわらず、まっすぐ目指すことができないことに焦れていた。

「でもお、あんな人数、絶対こっちがやられちゃうよお」

怒りと共に、フィオナナンシーが抗弁する。

「やってみなきゃ、わっかんないでしょ!」

今にもその場からマリアアリスは飛び出しそうな様子だった。せわしなく戦騎の前脚が、霜を引っかいている。

「ここで、立ってたらばれちゃうかもー!」

不安げな表情を浮かべたさなええりなが、マリアアリスを引き止めた。砂丘の奥へと後じさりする。

三人は戦騎から降り、地面に伏せた。コートの下で、霜がつぶれる音がする。

「念のため、シエロプ使おー? 声でばれちゃうかもー」

「わかった」

「そうだねえ」

三人は拡張知覚を起動した。

途端に、文字列表示を行う空白に真っ赤な文字が点滅した。

教:「マリアアリス殿、さなええりな殿、フィオナナンシー殿。前述の三名は、至急連絡乞う パンフィロロドリゴ使より」

三人は思わず互いの顔を見合わせた。説教使からの通信だった。

説教使から発信されているシエロプ通信用の通常電波を受信したようだった。拡張知覚は、体温を利用した化学反応バッテリーを使用して電波を発信するために出力が低い。説教使は近くにいるはずだった。三人の顔が、光が差したように血色を取り戻す。

マ:「センセー、マリいるよ!」

さ:「さなもなんとか生きてます☆」

フ:「フィナもね」

三人は息を凝らして答えを待った。つかの間の沈黙が、恐ろしく長い時間に感じる。

空白に、文字列がさっと走った。それぞれに身をこわばらせ、小さく声を漏らしていた。

教:「おお! おお! これは現実でしょうか? わたしは夢を見ているのではないのでしょうか!」

マ:「夢じゃないよ? センセー!」

さ:「ちょっとおおげさですね♪」

フ:「いちおー、みんな元気!」

興奮のあまり、三人は歓声を上げ、互いの体を抱きしめあった。あわてたように口に手を当て、声を潜める。

教:「守よ! 守よ! 感謝します! 感謝します! 修身士たちをお助け下さいまして、感謝の極みでございます! もうわたしはどうなっても構いません!」

マ:「ダメダメ! マリたちと会うまで無事でいてよ!」

さ:「お怪我はどうですか?」

フ:「近くにいるんですよね、きっと」

教:「そうです。それより皆さんは無事ですか? 怪我などしていませんか?」

マ:「大丈夫、問題ないよ。それよりセンセーどこいんの?」

教:「わたしは第一陣開拓軍の集落にいます。そう、あなたがたにわたしは謝罪せねばなりません。何も言わず森から去ったことを、怒っているかもしれませんが」

フ:「怒ってないから」

さ:「気にしないでください☆」

マ:「みんな、センセー信じてるもん!」

教:「ありがとうございます。わたしはむしろあなた方から大事な何かを教わっているような気がしてなりません」

三人は忍び笑いを漏らした。

マ:「今から行くよ!」

教:「それが、問題がありまして……今は来ないでください」

フ:「現地人でしょ? 今見えてる」

教:「そんな近くにいるのですか? 危険ですからすぐに離れなさい。現地人がいなくなったらまた呼びましょう」

さ:「待ってください、センセー! 現地人に勝てそうでしょうか? 相手はとても人数が多いですよ」

さなええりなはちらりと砂丘の向こうへ視線をやった。先頭は続いている。

教:「大丈夫だと思います。もっともわたしは戦闘に参加していませんが。ですが、現地人を撃退できることは間違いありません」

フ:「なら、フィナたちはしばらくこの場をはなれていたほうがいいよね」

教:「はい。今すぐにでも」

マ:「ホントに大丈夫? 困ってない?」

教:「大丈夫ですよ。ですが、皆さん、至らぬわたしを心配してくれてありがとう」

マリアアリスは心配そうに戦闘の喧騒に耳を傾ける。さなええりなと並んで戦場を見つめた。

フ:「まー、確かにフィナたちにできることもないし、ちょっと離れてたほうがいいかも」

そのとき、ひときわ大きな鯨波が眼下の戦場から湧き起こった。現地人の動きがいっそうせわしくなる。小さな人形が並んだ戦列は、蜘蛛の長い脚が一歩一歩進んでいくかのように、第一陣開拓軍の陣地に接近しているようだった。現地人の全身と共に、銃槍と思しき銃火はその数を減じてゆく。

マ:「センセー? なんかすごい声聞こえてきたけど、平気?」

マリアアリスの問いかけに、説教使からの返答はなかった。

さ:「答えてください! お願いします」

フ:「どうかしたの? センセー」

答えを待ち、三人はシエロプの画面を注視する。説教使の返事はない。ほどなくして、さなええりながつぶやいた。

「なんかー……」

さなええりなは言葉を飲み込んだ。かたわらのマリアアリスへ顔を向けた。マリアアリスは身を乗り出し、脅えたように目を見張っている。うわごとのように言った。

「まずいことになってんじゃないの……」

「確かにい」

顔をしかめ、フィオナナンシーがうなずいた。立ち上がり、戦騎のそばへ寄る。

「早く逃げないとお」

すでに夜は赤々と明けていた。桃色に燃える太陽から差し込む曙光が空を焼いている。地面を覆っていた霜が溶け、空気が湿り気を帯び始めていた。

マリアアリスはごろりと地面に仰向けに寝そべった。戦騎にまたがるフィオナナンシーを無表情に見る。

「相談だけど……マリ、今すぐセンセーのとこ行きたい」

フィオナナンシーは目を丸くする。さなええりなも、あっけにとられてマリアアリスを見た。フィオナナンシーは努めて真剣に取り合おうとしない様子を装った。

「遠回りするしかないねえ。それとも川泳いでくう?」

不安げにさなええりなが言う。

「どっちにしても、現地人に見つかっちゃうよー!」

「ここからまっすぐ行くの」

マリアアリスの顔には仮面のような微笑が張り付いている。水色の瞳が据わっていた。瞳の奥がじりじりと燃えている炎のような光を帯びている。

フィオナナンシーはあきれたように返答する。

「はああ? 頭おかしくなったのお? フツーに現地人に殺されちゃうよねえ。良くても、捕まっちゃうだけだしい」

抑揚の少ない声音で、マリアアリスは言った。

「かも知んない。つか、そうかも。でも、やってみないとわかんなくない?」

「でも、危ないよー、個人的にはオススメできないー!」

「さなは、隠れてたほうがイイかもね」

冷淡なマリアアリスの言葉に、さなええりなは傷ついたように口を閉ざした。

フィオナナンシーはマリアアリスを叱り付けた。

「センセーは、少しの間逃げろって言ったよお? 言うことは聞かないとお。だから行っちゃダメえ!」

「だからって、開拓軍、今にも負けそうじゃん。負けたらセンセー、死んじゃうかもしんないじゃん。ここ来た時の、あのカルロススハイツ使(センセーの友達)みたいに……車輪架にかけられちゃうかもしんないじゃん」

「それはフィナたちだって変わんないよお? 何もできることなんてないのお!」

「開拓軍が無くなったら、マリたちどうなるの? こんな外次元でサバイバルできると思う?」

フィオナナンシーは言いよどんだ。

「それはあ……でもお、それと無謀なことするのは話が違うもおん。頼むから一緒に逃げようよお」

押し付けるようだったフィオナナンシーの声に、懇願が混じる。さなええりなも懸命に説得した。

「どっちかって言えば、ちょっとでも生き残れる確率が多いほうを選ばないとー……やっぱり逃げた方がいいよー!」

マリアアリスは身もだえするように体を起こした。戦騎にすがりつく。苦しげに言った。

「でも、マリ、もうガマンできないよ。もう少しだってじっとしてらんない」

身軽に戦騎に飛び乗った。機体の側面に取り付けた銃槍を手に取る。戦騎の座席付近の収納スペースに格納されていた複腕機構が自動的に立ち上がり、背中に装着された。

さなええりなとフィオナナンシーは仰天した。マリアアリスに手を伸ばす。

「ちょ、ちょっと待ってー!」

「なあに、やってんだよお!」

乱暴な動作で、マリアアリスは二人の手を振り払う。激しく頭を振った。頭痛に苦しんでいるかのように、額に手のひらを押し当てる。二人に訴えた。

「センセーがまたいなくなるかもって思っただけで、もう頭が変になりそうなの! すぐそこにいるのに! ……ゴメン、マリ一人で行くから!」

フィオナナンシーの体が、マリアアリスに飛びついた。両手で騎乗したマリアアリスの腰を抱くようにしがみつく。

AO次元こんなとこで死んでもいいのお? HF次元(元の世界)に戻りたくないのお?」

マリアアリスは丸く見開いた目でフィオナナンシーを見る。勢いよく吹き出した。身をよじって哄笑する。

金色の瞳を怒りに燃やし、フィオナナンシーは言った。

「なあに笑ってんだよお?」

マリアアリスは憤怒に顔をゆがませ、吐き捨てるように言った。

「ボケたこと言ってんじゃねーよ、マリたちいらない子じゃん! HF次元(元の世界)から捨てられたから、AO次元こんなとこまで来てんじゃん! 戻るとこなんかねーし、戻りたくもねーよ!」

突然、ほおを平手打ちされたような驚いた表情で、フィオナナンシーはマリアアリスを見上げる。思わずマリアアリスの言葉を否定する。

「フィナは違うもおん!」

「違わない! 残留児童のクセに! 親からいらねーって拒否られたクセに!」

噛み付くようなマリアアリスの剣幕に、フィオナナンシーは気圧されたように黙り込んだ。顔色が、ロウのように蒼ざめる。

「もうやめてよー!」

泣き出しそうなさなええりなへ、マリアアリスは容赦なく声を荒げた。

「うるさい! いっつも人ごとみたいにふにゃふにゃして! さなだってマリと一緒なんだからね? だいたいディメンズ校なんて入れられてる時点で、世の中の誰にも必要とされてないってことなんだからね!」

さなええりなは両目を涙で潤ませる。声を震わせて必死に抗議した。

「そんな言い方、ひどいよ―!」

長々とマリアアリスは息を吐き出した。煮えたぎる感情を必死に押し殺そうとしているように、全身をこわばらせている。

「マリ、よくわかんない。みんなはどうして帰りたいって思ってるの? みんながよくわかんないよ……マリだってホントはこんなとこヤダ。元の世界に帰りたい。でも、帰ってどーなんの? こっちに来てからのほうが楽しかったし。センセーとかいてさ……。死ぬとかそんなのどーでもいい!」

フィオナナンシーの身体がびくりと波打った。さなええりなが、息を呑む。その場の空気が凍りついた。

「ちょっと、危ないー……!」

銃槍の銃口が、フィオナナンシーへ向いていた。マリアアリスは銃槍を突きつけながら言う。

「離せよ! ……もう止めんな」

信じられないといった顔付きで、フィオナナンシーは両手をほどいた。マリアアリスは二人を睥睨する。

呆然と見守る二人を尻目に、マリアアリスは砂丘から飛び出した。戦騎を駆り、戦場を目指して猛然と突き進む。押し止めようのない焦燥の炎が、全身を焼き焦がしていた。一分一秒ですら耐え得ないほどの渇望が臓腑を腐食している。マリアアリスは止むに止まれぬ衝動の炎と化して斜面を駆け下りた。

悄然と、フィオナナンシーはマリアアリスの駆け去る姿を見つめていた。

「どうかしちゃったみたい、あの子お」

さなええりなが不安げな面持ちでフィオナナンシーへ向けた。

「どうしよう? 追いかけないとー!」

気の抜けた顔付きで、フィオナナンシーはつぶやいた。

「どうしようもないよお。フィナたちは、逃げよう」

「でもー! ……見殺しになっちゃうよー……そうだよ、マリも、センセーもー……」

さなええりなはフィオナナンシーと遠ざかるマリアアリスを交互に見た。やきもきと足踏みする。動悸が高まった。視界に映る光景が突然速度を速めたかのように見えた。後頭部からうなじにかけて、かっと熱感が広がる。背中を突き飛ばされるように走った。

「さなも行く!」

さなええりなは戦騎にまたがった。ごそり、と機体を支える四つの脚が立ち上がる。フィオナナンシーは愕然と棒立ちになった。その眼前で、さなええりなを乗せた戦騎は身軽に走り去る。

「えええ! マジでえ?」

フィオナナンシーは頭を抱えた。両目を固く閉ざし、何度も舌打ちする。眩暈を起こしたように、しゃがみこんだ。胸郭の内部にいっぱいに張り詰めていた苦悶が、どこかに穴が空いて、流れ出すような気分になった。

「あああ、もおお!」

わめき声と共に、フィオナナンシーは勢いよく立ち上がる。あわてて戦騎に飛びついた。自暴自棄におちいったかのように、大声で悪態をついた。

「ばあか! マリもさなもホントにばああか!」

砂丘から駆け出し、フィオナナンシーは二人を追った。

さ:「待ってください!」

距離が離れているため、さなええりなは拡張知覚で通信する。マリアアリスは黙殺した。

さ:「お願いです!」

マリアアリスは銃槍を構えた。背後のさなええりなを警戒するような鋭い目付きで見据える。いまいましげにつぶやいた。

「止めんなって言ったじゃん」

体内で憤懣が荒れ狂っていた。凶暴な意志が熱鉄のように湧き立ち、わずかに残った理性さえ蒸発させていた。

――邪魔したら、殺そう。

マリアアリスは、当然のことのように決心していた。

体をねじり、背後へと振り向いた。戦騎の速度を落とす。徐々にさなええりなの姿が大きさを増した。そっと銃槍の斥力弾を発射する引きスイッチに指を添えた。

さなええりなは安堵するような微笑を浮かべた。まっすぐマリアアリスの方へ走り寄る。

針先のような冷たく鋭利な緊張が、マリアアリスの指先を貫いた。ぴりぴりとほおの肉が引き攣れる。視界全体がほの白く光を帯びたように変貌した。つかのま、時間が引き延ばされる。さなええりなの動きが間延びしたように遅くなった。

マリアアリスの眼前から、さなええりなの姿が消失した。マリアアリスは素早く前へと顔を向ける。

さなええりなはマリアアリスを追い越していた。前方へと躍り出る。ちらりとマリアアリスのほうへ顔を向けた。高々と銃槍を頭上に掲げ、声を張り上げた。

突撃サンティアゴ!」

「え?」

マリアアリスはぽかんとさなええりなを見た。さなええりなは繰り返す。

「突撃! 突撃!」

進行方向へ向けて、さなええりなは銃槍を振り下ろす。

呆然と見つめていたマリアアリスの顔に、明かりが点灯するかのように笑顔が浮かんだ。高揚した笑い声を上げ、さなええりなの声に唱和する。

突撃サンティアーゴ!」

張り切った様子の二人を冷淡な目で眺めつつ、背後のフィオナナンシーは、うんざりしたようにつぶやいた。

「こうゆうのって苦手なんだよねえ」

後ろへ振り向くさなええりなと目が合う。フィオナナンシーは恥ずかしそうに叫んだ。

突撃さあんてぃああごお!」

「突撃!」

「突撃!」

さなええりなとマリアアリスはフィオナナンシーへ快哉を叫ぶ。フィオナナンシーはひそかに赤面した。

三人は機首を並べ、現地人の陣地目指して走った。


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