5
通信魔法具の開発には、一年かかった。
完成報告の直後から、国内外の様々な魔法機関から注目を浴び、多くの商会が実用化に向けた出資に手を挙げた。
言い訳のしようもない程の下心から開発したものだったので、正直ミアのことしか考えていなかったサイラスは、その反響の大きさに戸惑うことになった。
評判は国王の耳にまで届き『実用化がすすめば、政治、経済の両面において多大な発展につながる発明だ』と勲章を貰えたが、その時のサイラスは、勲章など心底どうでも良かった。
それより、ミアに魔法具を押し付け、『遠く離れていても正常に働くかどうか調べたい』と実験を口実に、毎日話すことができるようになったことの方がはるかに嬉しかった。
通信具で届く声は、実際より少しこもったように聞こえるが、それでも手紙と比べればずっと近くにミアを感じられる。
『サイラス?聞こえる?』と不安げに話すのが可愛くて、僕はしばらく返事ができなかった。
(ああ、ミアだ。ミアの声だ…)
このために僕は研究を頑張ったんだ、と万感の思いが込み上げ、体が震える。
耳を近づけて、ミアがサイラスの名前を何度も呼ぶのを聞いた。まるで、耳元で呼ばれているようで、背筋にぞわりと何かが走る。鼻の奥で、ミアの甘酸っぱい香りが通り過ぎた気がした。
記録できる機能をつければ良かった、と心底思った。
自宅にいるからか、ほとんど毎日話しているからか、ミアは以前よりいくらか寛いで、砕けた様子で色んな話をしてくれるようになった。
ミアのいたずらっぽい幼い面が見え隠れする時もあって、そんなミアを自分だけが知っていることが嬉しくて仕方がない。
さらに、思わぬ幸運だったのは、サイラスにとって大した意味のなかった勲章が魔術師団の中では大きな意味を持つことだった。
魔術師は勲章の数により、位が変わるのだ。
見習い以外の魔術師のローブには、魔術師の木と呼ばれる月桂樹が刺繍されている。そして、位により、その色が変化する。勲章なしは白、そこから、勲章が一つ増えるごとに黄色、赤と上がっていき、三つ以上の勲章で紫となる。
そもそも、勲章持ちは、魔術師団の中でも三割程度しかいない。それも、熟年の魔術師ばかりだ。サイラスは、見習い期間が抜けて早々に上位三割の魔術師に駆け上がった。
話題の魔術師となり、報酬を貰った。
さらに、国王の謁見前に、アドルフに無理矢理髪を切られたために、容姿を馬鹿にされることが少なくなった。
アドルフに言われた時は、不吉な魔物の瞳を晒したくはなくて抵抗したが、ミアが『絶対に似合う』なんて言っておだてるから、つい気分が良くなって了承してしまった。
謁見の際は、これまでフードや髪で何かと顔を隠してきた僕の姿を見に、興味本位の高位貴族も集まってきていた。サイラスを笑いものにしてやろうという算段が透けて見える。
自分を貶めようとする奴らが手をこまねいて待ち構えている中で姿を晒すのが怖くなかったといえば嘘になる。でも、少しでもミアの隣に立てるような男に近づきたくて、背筋を伸ばし、前を見据えて歩いた。
何故ならサイラスには、貴族の連中が噂しているようなあざも、傷もないし、ツノや牙だって生えてない。ただの人間だからだ。
魔物の色をした髪と目をしているが、それだけだ。
ミアの信頼が、サイラスを奮い立たせてくれた。
好き勝手噂していた奴らは、結局何も言わず、サイラスが勲章を賜る間中、部屋の端の方で気まずげに目を逸らして黙っているだけだった。
なんだ、大したことないじゃないか。所詮、貴族の連中なんて口ばかりでどうしようもない。
忌避色である黒い髪と目を晒すのは何となく落ち着かなかったが、それ以来サイラスは、時々フードを被らず過ごすようにした。
見習い時代からよく雑用を言いつけてきた伯爵家のジャイルズや、僕の身分をこき下ろしていた同級生である公爵家のロナルドが、皮肉をぶつけて来ることもあったが、僕はもう、奴らの言うことを聞く道理はない。
僕が奴らを無視しても、指示に背いても、責めることは出来ない。何故なら、いくら身分が高かろうと、白の衣だからだ。
特に、ジャイルズには二年にわたって、彼のローブの洗濯や革靴の手入れまでやらされた。あの屈辱を絶対に忘れてなどやるものか。
『平民のくせに、思い上がるなよ』と言われたので、黄色い刺繍を見せるようにしてせせら笑ってやった。
ああ、あの悔しそうな顔ったらなかったな。
魔術師としての力もないくせに、産まれた家だけで驕るなんて浅はかなことだ。僕は、自分の力で地位を手に入れた。あいつらとは違う。
サイラスは胸のすく思いだった。
しかし一方で、それより厄介なことが起こった。誉めそやして、擦り寄ってくるものが現れたのだ。見え透いたお世辞ら気分が悪い。
通信魔法具はまさに金脈で、それを掘り当てたサイラスには、あらゆる者が媚へつらい、取り入ろうとしてくる。告げ口のような真似をして、わざと誰かを貶めたり、頼んでもいないのに評判を広げてみたり。
それがもう、ただただ鬱陶しい。
サイラスには夜会の招待状が殺到したが、疲れるだけだし、ミアと話す時間は短くなるし、どれひとつとして出たいとは思わなかった。それでも、父に言われれば断れない。
流石のサイラスでも、大恩ある父の顔にこれ以上泥を塗るわけにはいかない。
夜会は、貴族連中の嫉妬や淫猥、侮辱が複雑に絡み合って、澱んでいて、おちおち息もしていられないほどだ。
今までは遠巻きに、ひそひそと悪口を言っていた香水臭い女が、蠅のように集まってきて、好き勝手に評価される。
サイラスの黒い髪と瞳すら、美しいと言い出す始末だ。
お前らに分かるもんか。
侮辱され、蔑まれ、忌避される色だ。何の苦労も知らないお前らが、美しいなどとよく言えたものだ。
腹立たしくて仕方がない。
そういう時、サイラスはいつもミアを思い出した。
ミアの赤毛は、あの女より、もっと深くて赤い食べ頃の杏色。その髪を魚の骨のように柔らかく編んでいる。
ミアは、あの女みたいに青白くない。少しだけ日に焼けて、健康的で滑らかだ。
そんなことを考えて、何の返事もしないサイラスに、女性達はまた勝手に呆れたり、怒ったりして離れていく。そうして今度は『平民のくせにお高く気取ってる』と騒ぎ立てるのだ。
ミアとまるで違う。ミアは、真に思いやりに溢れている。沢山の人に会ってそれがようく分かった。
決して、サイラスの心の庭に勝手に入って、踏み荒らしたりしない。サイラスからその扉を開けるまで待って、ふわりと微笑んでその中心にすとんと座るのだ。
ちくちくつついたり、掘り返したり、勝手に水をあげたりしない。
ああ。もし、ミアがあんな風に僕に目配せしてきたら、僕は一目散に駆けていくのに。
ミアが手に入るなら、どんなことだってするのに。
どうして一番欲しいものは手に入らないんだろう。
半年経つ頃には『傲慢で気難しい魔術師』と言われ、社交界で遠巻きにされるようになった。
こんなものが、社交というなら、はみ出し者で良かったと思う。サイラスの周りはようやく静かになった。
アドルフは『すまんな。もう少し、環境が良くなるかと思ったんだがなぁ』とぼやいていたが、以前と比べて良いか悪いかと言われれば、断然良い。
例えどんなにサイラスの心が凍っても、ミアが僕を溶かしてあたためてくれる。
僕は、満足した日々を送っていた。
そんな時だった。
『北の山でドラゴンが出たらしい』
その一報が届いたとき、僕はそれが遠い国の出来事のように聞いていた。
ドラゴンは、まさに、災害だ。数十年に一度、こうして人里近くに現れては、人を襲い、畑を焼き払い、建物をなぎ倒していく。命尽きるまで人を襲って暴れまわる。ドラゴン一体で国がつぶれた例はいくつもある。
新聞は日々ドラゴンの動向を追い続け、市民の不安を掻き立てた。
王城も、もっぱらドラゴンの話ばかりで、それ以外の話題を失ってしまったようだった。
人々の不安に煽られるようにドラゴンは活動範囲を広げ、ついには住民が襲われることとなった。
反乱でも起こしそうな勢いの市民に国王もようやく重い腰を上げ、精鋭による討伐隊が結成することが発表された。
ドラゴンは警戒心が強いので、大人数での討伐は悪手だ。討伐には、腕の立つ騎士、治癒術に優れた神官、そして、優秀な魔術師が求められた。
僕の魔力量は魔術師団の中で最も多い。
何となく、呼ばれるだろうという予感めいたものがあった。
だから、アドルフが眉をひそめ、苦悩をたたえた表情で、サイラスに任務を告げた時も、ああやっぱり、と思っただけだった。
アドルフからは、少しお酒の匂いがした。愛情とは違うかも知れないが、アドルフとは師弟のような関係で、目をかけてもらっていたのは事実だ。
勘違いでもいいから、僕を惜しんでくれていたのなら嬉しい、と思った。
サイラスはというと、不思議なことに、何も感じなかった。
成功の確率は半分程度だろう。所詮使い捨てだ。
国王は、任務に参加する五人全員の勇気に、と勲章を与えた。周囲の奴らが口々に知ったような口を聞いて、耳触りのいい言葉を並べ立てるが、実際はいい気味だと思っているのが透けて見えた。
そういうものなんだろう。仕方がない。
恐怖や不安はなかった。サイラスの人生が終わるとするなら、最後はミアの笑顔を思い浮かべて死にたい、と思っていた。
ミアは、出立の前、僕に会うために王都に来た。嬉しくて、身体が震えた。それだけで、任務を受けたことに意味があったと思った。
ミアは『行かないで。危ないことはしないで。成功なんかしなくていいから、無事に帰ってきて』と泣いてくれた。
ヘーゼルナッツのような温かみのある翠の瞳から、きらきらと宝石が溢れていくようだった。
その時、ミアの中には僕しかいなかった。
ミアの心が、僕でいっぱいになっていた。
言葉にならない感情があふれ出し、身体中の血がたぎって、衝動のままにミアを抱きしめた。ミアの身体は柔らかくて、あたたかくて、サイラスの腕にすっぽりと納まるくらい小さかった。
ミアの香りを嗅いで、震えるその背中をさすりながら、サイラスは、心の奥の仄暗い欲望がどろりと零れだすのを感じた。
僕がもし、この任務で命を落としたら、ミアは僕のことを生涯忘れないだろう。僕のことを思い、涙を流し、花を手向ける。
それはそれで、悪くないかもしれない、と。
自分勝手で、頭のおかしい考えだとは分かっているが、サイラスにとって自分の命の価値とはそんなものだ。それ一つでミアを一生縛り付けられるなら悪くはない。
だからサイラスは、文字通り命を使うつもりで任務に参加した。常人ならできないような捨て身の攻撃も怖くはなかった。
自分の存在をその命を持ってミアに刻み付けたい、とそんなことばかり考えていたのだから。
結果としては、奇をてらったその攻撃が功をなし、見事打ち倒すことができた。光がなくなり、動かなくなったドラゴンの上に立ち『ああ、殺しちゃったな…』と少し残念にすら思った。




