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 一般の成人男性と比べ、一際大きな身体を持つこの大男、名はラードルフといった。

 ラードルフはその持ち前の体格の良さと、不精をすれば直ぐに顔半分を覆い隠す髭のせいで、初対面の者にはいつも恐怖を誘っていた。

 といっても、その事にあまり悩んだ記憶はない。それは、人里から離れた場所に家を構える代々木こりの家系に生まれた事と、その木を買い付けにくる商人ぐらいしか、これといった関わりが無かったからだろう。木を切り出す作業に適した大きな身体を、両親が大層喜んだこともあるからかも知れない。

 なにより、勝ち気で世話焼きな商人の娘のおかげでもあった。

 やれ髭がコワイから抜けだの、やれもう少し身綺麗にしろだの、娘からヤイヤイと言われている内に恋仲となってしまったのは、当然の流れといえた。

 結婚して半月がたち、娘が身籠ったかと思えば、女の子を出産し、あっという間に月日が流れた。


 可愛いアンジェリカ。可愛い天使(アンジェ)

 なんて小さな、儚げな存在!


 母親そっくりの可愛い我が子に、ラードルフはたちまち夢中になり成長を見守った。


 ―――幸せだった。


 ラードルフの天使がヨチヨチ歩きから、おしゃまで少し生意気になってきた頃、悲劇が一家を襲った。

 流行り病という病魔が、慈悲無く牙を剥いたのである。

 あっという間に幼い天使を奪ったと思ったら、看病に疲れた愛する妻にまで浚っていったのだった。

 何もかも、一瞬きの間に失ってしまったラードルフは、次こそは自分の番だと覚悟したが、一向にそのときは訪れない。病魔は、日々の仕事で鍛えられた彼の健剛な身体には見向きもしなかったのである。

 そして何もかもに嫌気が差したラードルフは、その後、文字通りの転落した生活を送ったのだった。





 なんの縁か、転がりこんだ盗賊団の先で、一組の父子に出会った。

「みてみて、ととさまぁ」

「んー、どしたよフィル。父さまに見せてみな。おっ、綺麗な石だなぁ。こんなまん丸石は父さまだってなかなか見つけられないぞ。フィルは凄いなぁ!」

 甘えて擦り寄る子供を抱き上げる男に、ラードルフは憎悪した。柔らかい弾力のある頬に唇を寄せ、子ども特有のふわふわの髪に顔を埋める男に、堪らなく嫉妬した。


 ―――アンジェリカ。俺だってアンジェリカさえ、生きていれば。


 かつてのラードルフが味わった至福の時を、何の疑いもなく譲受するこの男が憎らしい。

 父子を見ていると胸の奥に押しやっていた喪失感が何度も甦った。

 毎晩のように、酒を浴びるように飲み、仲間からも何度も諌められた。

 そして、珍しく酒を飲まなかった日のことである。

「実は、おたくの頭目さんに言ったこと。全〜部、まるごと、嘘なんだよね」

 酒瓶片手にラードルフの寝ぐらにひょっこりと現れた子どもの父親は、てきぱきと持参したつまみを広げながら何気無い口調でさらりと言った。

 ラードルフの口からは、歯の隙間に入った食べ滓を取るためにくわえていた小骨がポロリと落ちる。ちょっと待て、この男。今なんと言った?

「貴族の隠し子、駆け落ち、うんぬん、真っ赤な冗談」

 この男、自身をとある屋敷に仕えていた身で、この子どもは屋敷の一人娘との間に出来た息子だとのたまっていた筈だ。更には貴族の娘が唯一生んだ一人息子として、後に身代金がたっぷり取れる、とも吹き込んでいた。

 狩人の毒に侵された父親は、一人残されるであろう子どもを、然るべき迎えが来るまで、どうかここに置いてやって欲しい、と頭目に相談したのをラードルフも隣で聞いていたから知っている。冷ややかな表情で、仮にも世話になったかつての雇い主に対し恩を仇で返す所業を「お嬢様との仲を認めて貰えなかった当然の報いです」とまで言い放った、とんでもない男だったはずだ。

「いやまてよ、駆け落ちは駆け落ちかもしんない。ハニーは閉鎖的な村からほぼ浚うように連れてきたから」

「ちょっと待て、テメェ。何でそんな事を俺に言う?」

 今の話が本当ならば、父子は即座に殺されても文句は言えない。

 誰もが脅え身体を竦み上がらせたラードルフの低い声音にも、男は飄々とした態度を崩さずにニヤリと笑った。

「うちの“フィルメリア“、可愛いでしょ? 自慢の“娘”なんだ」

「!?」

「子どものうちは、性差の違いなんて些末な事だよね。特にうちの子はパッと見てわからないようにしてるし、だったら何で判断するかって言うと、名前や仕草とかだ。愛称は男の子みたいだけど、ちゃんと名前で呼んだげるとアラ不思議、可愛い女の子の名前になっちゃった! が、うちの子の隠し味。いやー、なかなか付けるのに悩んだよ」

 ぺらぺらとよく回る舌が、ラードルフの聞いていない事まで喋りまくる。

 開いた口が塞がらないとは、この事を言う。しかし、何故その事を今俺に言う?

 そんなラードルフの困惑を知ってか知らずが、男は酒瓶を傾けながら残りをラードルフに渡した。

 そこで初めて男は真剣な表情になった。

「子どもの内はそれでいい。十分だ。けど、問題は年頃になってきてからだ。……ヒゲさぁん、あの子がそこそこ大きくなったら、ここから一緒に逃げてやってくんない?」

「なんで俺が。そんな面倒な事をしなきゃなんねぇ」

 渋い表情でラードルフは断る。面倒ごとはごめんだ。

「この際親バカ全開で言うけど、うちの子かわいいよー? すんごくかわいいよー? ヒゲーって慕ってくれるかもしんないよー? 悔しいけど、そのうちパパーって呼んでくれるかもよー?」

「俺の娘は、アンジェリカだけだ!!」

 今出るだけのありったけの大声で男の言葉を遮る。そのまま逃げるように部屋を出た。

 むしゃくしゃする腹の中を抱えながら、頭を抱える。


 ―――見透かされていたなんて。


 子どもと戯れる奴を羨ましいそうに、絶対の信頼を寄せられるアイツを怨めしげに、じっとりとした視線をやっていた事など、全てお見通しだったらしい。

 妻も娘も家も思い出も、すべて焼いた。その時、木こりのラードルフも焼けた筈だった。筈だったのに……。

 そしてそれが、奴との会話となってしまった。

 奴はコロリと、呆気なく逝った。厄介な秘密を勝手にラードルフに押し付けて。


 俺に一体どうしろという?

 なにをしてほしい?

 娘さえ妻さえ見殺しにするしか出来なかった俺に、何ができる?


 父親と死別し、不安げな奴の娘を前に、ラードルフは慰めるどころか、ひたすら距離を取る事しか出来なかったのである。



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