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命の恩人と言っても過言ではない女性、パトラには動けない時もよく面倒を見てもらった。感謝してもしきれない位である。
しかし、親しくなればなるほど増す罪悪感――――彼女自身を危険に晒している罪悪感はそれ以上にあったかもしれない。自分が死ぬわけにはいかないという思いから、彼は生を繋いだのだ。
このまま革命の余韻を終わらせるべきか思いよぎったこともあったが、彼にはするべきことがあった。使命と言ってもいいかもしれない。
革命が起きたと言っても実際はそれ程血なまぐさいものになるはずがなかった。
城の兵士、騎士さえ見捨てた王族は、ただひっそりと消えていくはずだった。
しかし血が流れたのは、門を開けて革命軍を歓迎した城の兵士を見て、相手は何を思ったか突然兵士を切り始めたことが原因である。場は混乱し、切られた者を見て反射的に剣を構えた彼らと革命軍で、争いになった。
・・・のが、二年続いた。本来流れるはずの無かった血が流れた革命だった。
状況を理解していた騎士団の者は皆死んだ。つまり、役職あるものは皆死んだ。
残るはダウスだけだった。彼は伝えなければならなかった。
二年の戦いは、ファンド夫妻の最初の誤解から始まった無駄なものであると。
死んでいった彼らは、崩れかけの王家に味方したのではなく、民衆と同じ心で革命を望んでいたことを。
汚名を晴らさねばならなかったのだ。
しかし。
ダウスは自身の調子がいつもと違うことを自覚し始めた。
怪我をしていることが原因かとも考えたが、回復に向かっている上調子がおかしくなったのは昨日から突然なのでそれは無いだろう。
もしやここに来て病気か――――病気なのか。
病へは対抗出来ないので仕方ないかもしれないが、もう少し長生きしてくれないと困るのだ。
不安が心を襲ったところで、彼が借りている部屋の扉が開いた。
「おはよう。調子はどう?」
「お、おはよう。ありがとう。もう傷は大丈夫かもしれない。」
「治るまで気を抜かないものよ。まあ、あれだけ切り傷があったのに殆どが治りかけだから、そう思うのも無理ないけれど。それに私に出来るのは清潔にすることと栄養補給、応急処置くらいよ。」
「じゅ、十分だ。」
「そう? でも念の為、お医者様にでも一度診てもらいましょうか?」
彼はそれが彼女の冗談であることを理解して、笑おうとした――――――が、何故か顔の筋肉が緊張して曖昧な笑みになってしまった。
その事でまた変に焦ってしまった。変だ。おれは昨日から、絶対に変だ。彼は心で繰り返した。
しかし依然、彼の顔は曖昧な笑みのままである。
「・・・ええと、何かあったの?」
「と、特になにもないが。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「口の中に何かできものが出来たの?」
「な、何故だ?」
「今日、随分噛んでるからよ。」
「・・・。」
変だ。
それは同時に、彼と彼女が思ったことであった。
夕食後、食事の後始末をパトラがしていると、ダウスが横からやってきて手伝ってくれた。
日常生活に関して、最早支障はない。
というか元気すぎて絶対に怪我人の三文字はこの人には似合わないと考える。
「皿洗いを代わろう。」
「ありがとう。でもちょっとだし、大丈夫よ。机を拭いてくれるかしら?」
「分かった。」
布巾を手に乗せると彼の手が一瞬強張った。
彼女は布巾に何か問題があっただろうかと考えたが、ほんの一瞬だったので気にしない事にした。
「今日は何の本の話だ?」
「え?」
瞬間、彼女は昨夜延々と話し続けてしまったことを思い出し、赤面してから、迷うように聞いた。
「今日も話していいのかしら?」
「是非。」
続いて、自身も気付かぬうちに顔が輝いた。同時に満面の笑みである。
「そうね、少し待って。今お茶を用意するから。」
彼女は慌しくカップを二つ用意して、小さな居間へ急いだ。
正面より隣の方が話しやすいわねと考えて、彼の隣に腰を下ろした。今度は、彼の体全体が一瞬強張ったことに気付かなかった。
「どの本の話がいいかしら?」
「ああ、昨日見た時に、淡い青の表紙の本があっただろう。あれはどんな話なんだ?」
「え・・・青の表紙・・・、『エンデ』のこと?」
「確かそんな題名だった。」
「読んだから話せるけれど・・・いいの?」
そんな風に前提して彼女は語り始めた。時間が経つごとに熱が入り益々魅力的になるのを知っているのは隣に座る彼だけである。
しかし、最も盛り上がるシーンでやはり彼は彼女の予想したとおり少しばかり動揺した。
そう、なんせこれは女性向けの有名な恋愛小説だからである。
「・・・で、その道を二人は歩いていって、物語が終わるの。どう? 面白かったかしら? 女性向けだから、少し退屈だったかも・・・」
話し終えたパトラは今話した内容に照れながら聞いた。
やはり、恋愛ものを男性に話すのは間違いだったかもしれない、お互いに何となく恥ずかしくなるのねと考えながら。
しかし彼に目を向けると、衝撃を受けたような顔をしていたのである。
「ど、どうしたの? どこか痛くなったの? 傷の包帯を替えましょうか・・・?」
「いや、大丈夫だ。」
彼はやはり半ば唖然としたように首を振った。
パトラは益々戸惑うしか無かった。
その晩、彼は自身の不調の理由を理解した。
そうか。おれは恋をしたのだ。
口の中にできものが出来ても噛みはしない
今更だけど作中に出てくる本の題名・内容とかは全部妄想の産物です