4.疾走
どうにも収まらない全身を支配しているかのような不快な感覚を、馬を走らせて風を切りながら全力で追い出そうとするがうまくいかず、怜は苛々を募らせた。
「レイラ様、どうかなされたのですか?」
不穏な空気を纏う怜を気遣うように、隣に並ぶフローディアから声をかけられ、怜は短い息を吐いて少し速度を緩めた。
「この辺りか。」
問いには答えず辺りを見渡せば、一際大きな建物が目に入る。
「えぇ、あれでございます。」
皇宮ほどの大きさはないものの、見た目だけはいかにも贅を尽くした煌びやかな建物で、一見すると簡素な石造りの皇宮よりも遥かに貴族の住居らしい建物だ。怜は馬からおり、手綱を引きながら周辺をみて廻る。
「お兄さん、お姉さん、安いよ!!!これなんかどうだい!?」
少し離れた大通りでは商人が大声を張り、帝都全体がそうであるように、ここも普通に活気で満ちている。
「この辺り一帯はディーゼクト公の領地ではないのか?」
拝金主義だと聞いて、何となく圧制に苦しむ民をイメージしたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「帝国全土、陛下の領地ですわ。」
「では貴族の収入源は?」
「人それぞれですが、ディーゼクト公の場合ですと、帝国商議会といって商人達を束ねる組織をお持ちでして、ディーゼクト公が陛下から借りた領地を商人達に貸して、その賃借料を収入とされております。あとは商議会法により、売上の数パーセントが公に収められているようですね。」
「全ての商人がディーゼクト公の配下にあるってこと?」
「いえ、実は同様に商人を束ねる青年商工会という組織を数年前にレーバルド様が立ち上げられまして、近年はそちらに移籍される商人が増えてきているようですわ。」
レーバルド公の名を少し恥ずかしそうに口にするフローディアに怜は思わず口元を緩める。よく見れば頬もほんのりと色づいているようだ。
「青年商工会と帝国商議会はどう違うの?」
「帝国商議会は先祖代々から受け継がれてきた格のある商家か、もしくは相当な売上のある商人しか入会できないのですが、青年商工会はもともと、若手の商人達を応援する意味合いでレーバルド公が作られたもので、商工業を営む国民全てに門戸が開かれております。最初は小さな組織だったのですが、陛下がレーバルド公にお貸ししている敷地が、商売を営むのに非常に良い立地であることや、売上げの一部を納付する必要がない点などから、少しづつ大きくなっていきました。中には大成を収めた商人もおりまして、今では帝国商議会より在籍者の規模も商人の売上も上回りつつあるようですわ。」
「レーバルド公の収入源は?」
「青年商工会では売上を収めるのではなく、年会費を納めることになっておりまして、それが一つの収入源のようです。ですがこちらは少額のようですから、そんなに大きな収入源ではないですね。土地の賃借料についても陛下からお借りしている金額と同額で商工業者に貸し出しているそうですので、利益はないようです。ですので、おそらく公自身が商いをされておりますから、そちらが主な収入源になっているのではないかと。貴族が商人の真似事など、と今でも批判が多いのですが、レーバルド様はあまりお気になされていないようです。」
レーバルド公がどのような商いをしているのかも気になるが、それよりも話を聞く限りではディーゼクト公は青年商工会の影響で年々収入を減らしていることになる。相当に腸を煮え繰り返しているのではないか。さらに詳しく話を聞こうと口を開きかけた時、おい、と低い声で呼ばれてはっと振り返る。フローディアが庇うように怜を背に回すが、声の主を見て彼女はすぐに肩の力を抜いた。
「商工会の……えぇっと確か、ライネル殿?」
「あんさん何してんだ!このあたり周辺はディーゼクト公の息がかかってんですぜ!あいつが毛嫌いしているレーバルド公の婚約者がこんなとこウロウロしてちゃいけませんよ!」
「こ、婚約は解消に向けてすすめているし、そ、それに私はこれでも軍人だ!」
顔を真っ赤にして目をさ迷わせながらでは、どんなに声を張り上げても、軍人としての威厳はどこにも感じられない。そんな彼女を微笑ましく思いながら怜は一歩前に出る。
「フローディア落ち着いて。ライネルさん?ごめんなさいね、フローディアには私が頼んで付いて来てもらいましたの。」
ようやくフローディアの後ろにいる小柄な怜に気付いたライネルは目をぱちくりとさせる。ついで、彼女の纏う皇帝陛下の気配に気付き慌てて膝をついた。
「し、失礼しました!!!!皇帝陛下の大事な方がご一緒とは気付きませんで!!!」
大事な方、という表現に怜は口元をピクリと引き攣らせる。
「私はただの留学生ですので、どうぞお顔をお上げになってください。」
少し不機嫌になった怜の声に、男は慌てて顔を上げる。
「フィオールからいらしたお姫様でしたか!こんなところで何をしているんです!それでなくともディーゼクト公には黒い噂が絶えないんですぜ!ガルドとの繋がりも噂されているぐらいでさぁ!」
「ガルドとの?是非その話を詳しく聞きたいのですが、その前にあなたはこちらで何をなされていたのですか?」
大通りから一筋離れた少し細い路地裏の、さらに細く枝分かれした普通は通らないような瓦礫の積みあがった道ならぬ場所から彼は声をかけてきたのだ。怜が訝しがるのも当然だった。
「いや、ちょいと不穏な噂を聞きつけましてね。商売を妻にまかせて、ここ2、3日ディーゼクト邸の様子を見てたんでさ。」
「不穏な噂とは?」
「へぇ……。本当にたんなる噂ですよ?どうも人族を集めていると。」
「人族を?」
そういえば、と怜は思い出す。今まで吸血族と魔族にしか会わなかったからすっかりと忘れていたが、この世界には魔力をもたない人族という種族もいたのだと。
「何のためにですか?」
「そこまではわかっちゃいませんがね。これがどうもガルドとの取引で集めているんじゃないかと。」
「人身売買ということですか?」
「まぁ、普通は人族なんて奴隷にすらなりゃしないんですがね。魔力を持たないんじゃ使い道がない。何度も言いますが単なる噂なんで確証はないんでさ。見張っている間に馬車が何代もディーゼクト邸に入っていきましたがね、中身はこの距離じゃ確認できません。それよりガルドとの関係をつかめないかと思ったんですがねぇ。」
「その噂の出所は?」
「青年商工会の面子なら誰もが知っていることですぜ。見張っているのは俺だけじゃぁ有りませんよ。あちこちで有志が見張ってまさぁ。」
「それは、青年商工会にとって、帝国商議会が商売敵だからですか?」
ライネルは怜の発言に豪快に笑う。
「青年商工会のやつらだって俺にとっては全員商売敵ですよ。そうではなくて、ディーゼクト公がレーバルド公の敵だからでさぁ。レーバルド様は俺のようなただの庶民に融資してくださった。極貧だった俺がここまでこれたのはレーバルド公のお陰なんですよ。その公が何度も何者かによって害されかけていると知ったら、同じように恩義がある者達はそりゃ立ち上がりますよ。レーバルド公は貴族どもに特に嫌われておりますが、取り分け一番煩わしく思っているのはディーゼクト公であることは間違いありやせん。」
「なるほど……。」
怜は辺り一帯に神経を研ぎ澄ませて見るが、ガルドの気配は感じられない。このままこの周辺を探索したところで得られるものはなさそうだ。
「残りの有志の方々の話も聞いてみたいのですが、可能でしょうか。」
怜は跪いたままの男にそっと近づきその手をとって頼み込む。ライネルは途端に顔を紅潮させて必死で首を縦に振る。
「で、では場所をかえましょう!商工会の本部にあ、案内しますんで!よ、よいしょ。」
狼狽しながら立ち上がる男にフローディアは呆れたようにため息をつく。自分もレーバルド公の前だと同じような様子だとは気付いていない。
「フローディア、構わない?」
怜に聞かれて彼女は仕方なく頷く。本来ならレーバルド公と鉢合わせしそうな商工会の本部には近づきたくないが、今日は貴族会議があるので、彼が本部に来ることはないだろう。
ライネルが近くにとめている馬車を取りに行く間、怜はじっと路地裏からディーゼクト邸を見つめていた。ふと、一台の馬車が大通りをゆっくりと横切り、邸へと向かっていることに気付く。彼女は不穏な笑みを浮かべて軽やかに馬に飛び乗る。
「レ、レイラ様?!」
「フローディアは後から慌てた様子で追いかけてきて。」
「え?!」
フローディアが本気で慌てているのを余所に、怜は思い切り馬を蹴り上げる。大きく嘶いた馬はそのまま混乱した様子で暴れながら大通りへと駆け出していく。怜は振り落とされないように馬の背に身体全体を伏せ、手綱を握り締めながら大きく息を吸い込む。
「誰か!!!!!誰か助けて!!!!」
大声を張り上げながら、大通りを行き交う人々が馬に引かれないよう体重を左右に振り分けなんとか馬をコントロールする。目指すはディーゼクト邸に向かっている馬車。馬に振り落とされた振りをしてホロの上に落ちることができれば万々歳だが、馬車にぶつかるだけでも荷台が倒れて中身がある程度わかるだろう。その場合は馬が駄目になってしまうかもしれないが。怜の心は少し痛むが、彼女はひるまず突進していく。
「馬が暴れているぞ!!!」
「馬車にぶつかるわ!」
人々の叫び声が怜の耳を打つ。
「全く無茶をなさるお方だ。」
暴れ狂う馬の横を誰かが並走しているようだ。随分と落ち着いた声音で、彼女の馬の手綱へと手を伸ばしている。怜は内心余計なことを、といらだちながら、逆にそれを利用し、彼が怜の馬の手綱をとった瞬間に反対側へわざと身体を投げ出す。馬車までは少し飛距離が足りないため、魔力を地面に叩きつけて何とか荷台のホロへと落下する。
「キャァ!」
着地の衝撃と同時に、中から複数人の悲鳴が聞こえた。人がいる。だか一切の魔力が中からは感じられない。
(噂は本当だったのか?中にいるのは人族?)
怜が疑問に思った瞬間、ぐんと馬車のスピードがあがる。怜は思わず舌打ちした。荷台に人が落ちたら普通の馬車なら止まるだろう。
「まずいですよ!」
「いいからこのまま邸へ急ぐんだ!」
御者達の会話から察するにやはり、荷馬車の中にいる人達は決して来客というわけではなく、隠したい何かなのだろう。さてどうしたものかとあたりを見渡せばフローディアがいない。代わりに馬車の横に付いた先ほどの男が無理やり怜の腕を取るや引きずりおろし、自分の前に抱いた状態で馬車からさっと離れた。
「ま、待て!」
「今はまずい!とにかく邸へ急ぐんだ!」
御者の声もどんどんと遠くなる。追っ手かとも思ったが、この男に殺気はない。暗い路地へと入り込んでから、彼は馬から飛び降りて、ついで怜を抱き上げて馬から下ろす。
「姫様、お怪我は。」
「ありません。皇帝陛下の使いの方ですか?」
「えぇ。もうしばらくでドルツィエ隊長もこちらにいらっしゃるでしょうから、お二方でライネルの元にお戻り下さい。急に姫様がいらっしゃらなくなって、彼はきっと狼狽していますよ。」
「あなたは?」
「私は表立っては行動できませんので。けれども常に姫様のお側におりますのでご安心を。では失礼。」
彼はとんと地面を蹴り上げると屋根の上へと消えてしまう。そうして気配までもが全く感じ取れなくなる。残された馬は良く見るとフローディアの馬で、ということは皇宮からはもしかして彼は自分の足で走って怜とフローディアに付いてきていたのかとか多くの疑問が浮かぶが、名前すら名乗ってくれそうになかった彼についてあれこれ考えるのは無意味だろう。
「レイラ様!」
フローディアが駆け寄ってきたので、彼女にひとまず謝る。涙目でもう二度と無茶はしないで欲しいと哀願されて、こくこくと頷きながら、頭の中はホロの中から聴こえた人の声のことで一杯だ。
「さぁ、レイラ様、ライネルのもとへ参りましょう。」
「うん。」
まずは商工会で情報を集めよう。もし人族がディーゼクト邸へ集められているのだとしたら、それは一体何のためなのか。ガルドと関係はあるのか。ひいては、愛や怜にどういう影響を及ぼすのか。情報が無いことには何もわからないのだから。