転生者は神の夢を見る(sideシャロン)
四歳の誕生日を迎えたある朝、鏡に映る姿を見て思った。
(うわー、金髪碧眼垂れ目の超美少女! 何かの小説か、ゲームの主人公? 悪役令嬢ではないよね?)
ぱちぱち、と自らの思考に驚いて、シャロンは瞬きをする。
「げぇむ? あくやくれーじょー?」
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
耳慣れない言葉を呟いた途端、髪を梳かしてくれていた侍女に尋ねられた。
「いいえ、なんでもないわ」
言わないほうがいい、と何故か思って、ついそう答えていた。
侍女は頷いて、世話を続ける。
「もし御髪が絡まって痛い時は、教えてくださいね」
「はぁい」
ふわふわとなびく金色の髪は父譲り。
くるりと長い睫毛の下の翡翠の瞳と、くっきりした目鼻立ちは母譲りで、年の離れた兄を持つシャロンは、産まれた時から可愛い可愛いと周囲にもてはやされて過ごしてきた。
おまけに家は、少し遡れば王家とも血縁のある、由緒正しき公爵家。
お姫様のように周りがちやほやするので、それを当然と思って生きてきた。
シャロンは少々、我儘な所のある幼女だった。
今日、この時まで。
(うわ、可愛いけど我儘娘なら、やっぱり悪役令嬢かも。断罪とかされて、悲惨な目に遭ったりして)
そんな思考と共に、脳裏を全く知らないイメージがいくつも駆け巡った。
貴族の子女が通う学園で、身分を傘にして女生徒を脅し、将来を約束した婚約者に棄てられる――はたまた、きらびやかな王宮で、舞踏会を目前にして王子に国外追放を言いつけられる――などなど。
悪役扱いされているのは、シャロンの未来予想図らしき、縦巻きの金髪の意地悪そうな女性だ。
「……え? え?」
「お嬢様? どうなさい――お嬢様!?」
困惑しているうちに、ぶっ倒れた。
侍女の悲鳴と共に視界は暗転し、意識はどこか遠くへ溶けていく。
馬のいない馬車が大地を走り、鳥のような鉄の塊が空を飛ぶ。
小さな箱の中で動く絵物語を見て、小さな手帳を指先で操作して文字を読む――自分?
「……なんだ、そうか……」
ぼそりと呟きながら目を覚ますと、「お嬢様!」とほっとした様子で侍女が顔を覗き込んできた。
何でも三日の間、高熱で寝込んでいたらしい。
「誕生祝いの宴は延期になりました。お元気になられたらまた場を整えられるそうですよ」
「うん……」
そして、医者や親を呼んでくると、急いで侍女は出ていった。
広い天蓋にかざした自らの小さな手を見て、ぽつりとシャロンは声を漏らす。
「私――ニホンじゃない所に、転生したんだ」
熱に浮かされた結果、シャロンは『前世の記憶』なるものを思い出したのだ。
地球という星の、日本という島国で暮らしていた女性のことを。
それは、別の人間の人生を物語として読んだような、外から映像として見ているような、不思議な感覚だった。
シャロンはシャロンだ。この世に生まれ落ちた時から変わらない。
影響は受けても、この人生は前世の続きではない、という区別はついていた。
けれど、その日思い出した、シャロンではない別の女性の視点は、彼女の人生を――主に趣味思考を一変させた。
「シャロン嬢は本当に、年の割に礼儀正しくて素敵なレディね」
「まあ、ありがとうございます。最近急に落ち着いてきまして……」
お茶会にて、母である公爵夫人が娘のシャロンを褒められ、喜んでいる。
(よかった、だいぶ評判は上々のようね)
前世を思い出して一年が経ち、涙ぐましい努力の甲斐あり、『我儘なお嬢様』から『素敵な淑女』を目指し始めた、という設定は中々形になってきたようだ。
前世で流行っていた断罪される悪役令嬢にも、ざまぁとやらにも興味はない。不安の芽は摘んでおくに限る。
せっかく高い身分の令嬢として産まれ、様々な知識を得られる立場にいるのだ、活用しなくては勿体ない。
自分を磨き上げることは大事だと、喜んで学びを深めていた。
そんなある日――シャロンは、全てを賭けても手に入れたい、至高の存在と出会うことになる。
始まりは、一冊の童話だった。
『かみさまのはなよめ』という子ども向けの話の内容は、この国の建国の由来を簡単に記したもの。
『むかしむかし。
あるところに、雨がふらないせいで、たべるものにこまっている人たちがいました。
どうか、どうか、雨をふらせてください。
人びとのいのりがつうじたのか、水のかみさまがやってきて、雨をふらせてくれました。
やっと雨がふり、人びとはおおよろこびです。
ゆたかになった人びとは、むらをつくり、まちをつくり、くにをつくりました。
かみさまの力で、まものからもまもってもらえる、すてきなくにです。
ある日、かみさまは、雨をふらせ、人びとをまもるかわりに、おねがいをしました。
「だれか、わたしの花よめになってほしい」と。
ずっと一人ぼっちだったかみさまは、いっしょにいてくれるおよめさんがほしかったのです。
けれど、人びとはこまりました。
かみさまは、人とはちがうところにすんでいるので、こわがって、どのむすめも、かみさまのところへいきたがらなかったのです。
けっきょく、人びとのなかでいちばんうつくしいむすめが、なきながらむかうことになりました。
むすめはかみさまのところへいき、二どともどってはきませんでした。
それからときどき、あたらしいかみさまの花よめがえらばれて、かみさまのもとへむかいます。
かみさまの花よめのおかげで、かみさまはいまも、このくにをまもってくれるのです』
衝撃を受けた。
この国を守護する神がいて、乙女が花嫁として捧げられるという、一見人柱のような、中々にヘヴィーな内容に、ではない。
その話が示すことに、だ。
今も数十年に一度、前の花嫁が人として寿命を迎えただろうと思われる頃に、神に捧げる花嫁を選出しているのだと知って、じわじわとこみ上げてきたのは、歓喜だった。
(リアル異類婚姻譚、最高!!)
ガッツポーズまでしてしまった。
シャロンの前世の女性が好んで読み漁ったのは、人と人外が結ばれる話だったのだ。
神、あやかし、魔族、天使、悪魔、獣人、はては異形――そんな相手と愛し合いされ、めくるめく溺愛の日々へ。
生贄から相思相愛になる話とかもう、好みのドンピシャだった。
前世培われたマイナーな性癖は、そっくりそのままシャロンに受け継がれてしまったのである。
あいにくと、前世で人外に出会うことはなかったが、この世界の神は実在する。
(えっ、さみしんぼで人を守る神様とか、属性が花丸すぎるのでは?)
およそ幼女が辿るには似つかわしくない思考だった。
にこにこと愛らしく微笑んで絵本を読む少女は、「神様萌えー!」と親が知ったら泣くような妄想を脳内で展開していたのだ。
もちろん、そんなことはおくびにも出さなかった。
多少影響された前世の言葉遣いは、上品なお嬢様言葉に変換され、振る舞いも洗練されたものだ。
シャロンの美貌は満点といっていいし、物語とは違い、実際は神力と呼ばれる力が強い者が選ばれる傾向にあるらしい。
神力はその名の通り神の力。
または神と繋がる為の力だ。
魔物と戦い、人を癒し、国を守るためのもの。
主に貴族が生まれつき授かる力で、七歳の洗礼式でどれくらい力があるのかを判定するのだ。
シャロンは公爵令嬢なのだから、きっと大丈夫だと意気揚々で花嫁になる気でいた。
そんな中、両親が深刻な様子で、
「まもなく神の花嫁候補が集められるらしい」
「このままシャロンを送らなければならないのでしょうか、たった一人の娘ですのに……」
「――この際、娘が多い遠縁の家から養子に迎えて、代わりに行かせるか……」
――なんて話しているのを聞いて、シャロンは焦りながら、しかし堂々と両親に言った。
「そんな不誠実な真似はできません。国を守ってくださる神様のお力になるなんて、素晴らしい役目ではありませんか。私は喜んで神殿に参ります」
「シャロン……」
「でもね、シャロン。私たちはあなたが大切で――」
「お父様、お母様。実は、私は神様とお話がしてみたいのです。こうして平和に過ごせるのも神様のおかげではないですか」
「ううん……」
両親はたいそう困っていたが、それからも攻め続け、何とか養子は阻止した。
そして七歳を迎え、うきうきとはじめて訪れた洗礼の場。
神殿の硝子の窓から射し込む光を受けながら跪き、祈りを捧げるシャロンの姿は、幼くも優美で気品に溢れ、一枚の画のようだった。
――見た目は。
(神様の像、憂いのある美人でとても美しいわ。実際はどれほど素敵なのかしら。いえ、ヒトとは違う見た目でもそれはそれでオイシイわ……。あ、失礼いたしました。はじめまして、シャロンと申します。どうぞよろしくお願いいたします。僭越ながら花嫁に立候補いたします。神力も歴代最高値でした。私以上に相応しい心構えの者はいないと自負しております。誠心誠意お仕えさせて頂きます、何卒――)
『――随分と騒々しく、変わった娘だな……』
突然、頭の中に、自分とは違う声が響いた。
それは、人の声とは明らかに違い、美しさと畏敬を抱くような厳かな音色を持っていた。
手を組んで目を閉じ祈っていたシャロンは、ばっと刮目して神像を見つめる。
『な、何だ。じろじろと……』
(――もしかしなくても、水神様でいらっしゃいますでしょうか)
『そうだ、が………』
(やっぱり! 神殿でお祈りすれば神様に届くのですね! 美しいお声を聞けて感無量です!)
『――そなた、我の声が聴こえるのか』
それはとても、呆然とした声音だった。
神様はやはり声まで美しいのだと感激に震えるシャロンと、国を守る水の神は、そうしてはじめて意思疎通をしたのだった。
『……娘、私の声が聞こえるなら、もう花嫁はいらぬと伝えてくれぬか。これ以上、哀れな娘を増やしたくないのだ』
何度目かに言葉を交わした時、神はそう言った。
こちらからもどうにか神託を下すので、と。
今まで何度もそう伝えてきたのに、どうやってもうまく伝わらないのだと。
「え、いやです」
心の中だけでなく、シャロンは思わず口に出してずばっと断った。
(――私は神様のお側にいたいのです。花嫁制度をなくされると非常に困ります。私がそちらに嫁いだあとなら大歓迎ですが。まあ花嫁でなくてもお側に行けるならそれでも構いませんが、そうすると、どの道同じではありませんか?)
『……なぜ……』
(はじめは人ではない方とお話をしてみたかったのですが、この短い時間でも神様のお人柄……性格はわかります。もしかして、花嫁達を皆違う国などに逃がしてあげたりしていませんか)
『――どうしてわかった……?』
そりゃまあ前世の物語のパターンでいえば、食い殺したり壊したりして後悔するか、哀れに思って逃がすかの二パターンが多いので! とは言わず、予想が当たったシャロンは密かににんまりと笑ったものだ。
どう考えても溺愛系旦那様の素質あり、と。
ついでに寂しがりの気質あり。
これはもう、シャロンがどろどろのでろでろに甘やかして躾けて依存させるしかない――だなんて、厄介な相手にロックオンされたと、神は知らない。
見た目も属性も意外と押しに弱そうな性格も全て、シャロンの為に存在してくれている特別なプレゼントのようだ。
いつか、シャロンも神の為に産まれてきたと思ってもらえれば、それ以上の喜びはない。
結局その年正式に、まもなく神の花嫁の候補として貴族の娘たちを招集する、と神殿から通達がなされた。
シャロンは公爵家の唯一の娘なので、あと二年ほどあるとはいえ、幼い娘を神殿に行かせることを、最後までやはり、兄と両親は渋った。
けれどシャロンはありとあらゆる説得、討論、ストライキまで起こし、ついに家族から諦めと共に了承を得たのだった。
それが幸せというならもう止めまい、と。
結局、家族はシャロンに激甘だった。
神様に仕えたいという真摯な願いが通じたのだとシャロンは喜んだが、それを伝えに足を運んだ神殿では、神は家族に同情的だった。
『まだ七つの娘に、得体の知れぬ神の元へ嫁に行くと力説されるとは、哀れな……』
(国の守護神様のどこが得体の知れないのですか? 私の敬愛する方を貶めるのは御本人……御本神? でも許せません)
『……そうか……』
(それにそちらへ伺うには、あと十年ほどは掛かるそうです。残念ですが)
『……我はさすがに幼女は娶らぬ』
(神様からすれば皆幼子のようなものではないですか?)
『………』
(ああ、ごめんなさい。傷つけてしまいましたか? 私は年齢差がいくらあっても気にしませんから)
『……そなたはなぜ、私のもとへ行きたいと願うのだ。人とは違うというのに』
そりゃまあ、あなたがどストライクだからに決まってる、とシャロンは微笑んだ。
(お慕いしておりますから)
『……そなたはまだ幼い。もっと人の世に目を向け、人の営みの中で過ごすべきだろう』
(い、や、で、す。お伝えした通り、私には成人を過ぎてからも人として生きていた前世の記憶がありますから、人の世はもうお腹いっぱいです。何よりこちらには、神様がいらっしゃらないではありませんか)
『………だが……』
シャロンの身を案じる神は優しく愛おしいが、喜んでやって来る相手なのだから気にしすぎだとも思う。
それほど、今までの花嫁達との相性が悪かったのだろうが。
人ではないが、自己肯定感が低いように感じてしまう。
はじめて声を交わしたあの日からずっと、シャロンは神への敬愛を隠さずに接してきた。
今までシャロンのようにはっきりと神の声を聞くことができる者はいなかったようで、たまにいくらか言葉を拾える者がいても、曲解して解釈したりと大変だったらしい。
神石と呼ばれる特殊な石を光らせることで、神託を下したと伝えることはできても、今までの神官達はうまく言葉として受け取れなかったのだ。
『はじめの頃はもう少し伝わったのだが、代を重ねるにつれて悪化していった』と神は言った。
花嫁を辞めるといったのに、別の生贄を求めているとされた時は苦労した、と語る神は、声だけでも何とも哀れだったものだ。
(ああ、よしよしして差し上げたい……)
と胸キュンしたのはつい先日のこと。
神の声を正確に受け取れる特性は、神力が強いことだけでなく、いわゆる『転生者特典』なのかもしれないと思い、早々に前世のことは話していた。
人知の及ばぬことに理解があるからか、あっさりと受け入れてもらえたことは拍子抜けでもあったが、嬉しかった。
(人間だったら壺とか買わされそう。そんな所も良い)
なんてほのぼの癒されつつ、神にとってシャロンと話すことは、とても有意義だと会話を楽しんでくれていると思っていた。
――それなのに、今さらになって花嫁候補になるな、とは。
(もっと他に目を向けた方がと仰りますけど、私と話すのは楽しくないですか?)
『……そうではないが……』
(私に他に縁談があってもいいんですか?)
『そ、うなのか?』
(これでも公爵家の娘ですから。婚約の打診はいくらでも来ています)
『………』
(でも、私は神様がいいのです)
『……なぜ……』
(人の子を愛しく思い、大した見返りもなく見守ってくださるその姿勢が好ましいのは勿論、おひとりで寂しい思いをさせたくないのです)
『寂しくなど……』
(寂しいから、花嫁をお求めになられたのでしょう?)
『………』
沈黙は時に雄弁に物を語る。
仕方のない方だなぁとシャロンは微笑んだ。
何故見返りもなく、人間の為に力を貸してくださるのかと、神に問いかけたことがある。
『神は人の信仰がなければ存在し得ない。信仰によって力を増すからだ。人の営みは興味深く、祈りは心地良い』
人間を愛しく思っているのだ、と神がどこか憧憬を滲ませて言った声の熱量は忘れられない。
信仰心よりもよっぽど、人が好きで人に好かれたいという思いのほうが強そうなのに。
シャロンは神のあまりの純粋さに身震いがするほどだった。
運が良かった。誰かに取られる前に、先に出会えたのだから。
(早く私に依存させて、他の候補に目移りさせないようにしなきゃ)
幸いにして、シャロンが伝えたいことしか神には伝わらないようだったので、その後も熱心に神殿に通い、祈りを捧げて会話した。
(好きです、愛してます、幸せにします)
――シャロンはぐいぐい押した。
彼女は見た目に反して肉食系女子なのだ。
熱意に押されて寂しんぼうの神様は、段々シャロンに絆されていった。
そうこうしているうちに、あっという間に花嫁候補が集められ、日々を神殿で過ごすようになった。
実家にいた頃よりも頻繁に祈ることができ、神と会話が出来てシャロンは有頂天になっていた。
巫女見習いとして完璧に振る舞う合間に、可哀想な身の上ながら、神力も強く向上心溢れるリゼルという寄子の家の少女を気に掛け。
これまたその子に恋をしている親戚の、年上だというのに弟のような騎士見習い、アルベルトに発破をかけたりして、楽しく日々を過ごした。
神力も作法も当代一のシャロンは当然ながら筆頭巫女に選ばれ、このまま愛する神の花嫁となり、溺愛コースまっしぐら、と信じていたのに。
「巫女リゼルにも神紋が浮かび上がったぞ、どうなっているんだ!」
最後の試練を終え、花嫁の証である神紋を右手の甲に得て、にこにこしながら戻ってきたシャロンだったが、その言葉を聞いた時、表情がすこんと抜け落ちたのを感じた。
「は?」
どす黒い声が出た。
そんな声が出せるなんて自分でも知らなかった。
聞けば左手に、シャロンが授かった神紋とよく似たものをリゼルも得たのだという。
「……シャロン嬢、神は……二人も娶るって?」
「そんなこと聞いてないし許さないわ」
シャロンは激怒した。
必ずかの乙女心をもて遊ぶ邪智暴虐の神を躾なければならぬと決意した。
尋ねたアルベルトはやや怯えていた。
「何を考えていらっしゃるのか今すぐ問い質したい所だけれど、その結果、私が何を言っても、神殿側は証拠がなければ受け入れられないでしょうね」
「……そうだね……」
「騒然としていて聖堂にも暫く行けそうにないし、直接確認しに行くわ」
「――当日?」
「ええ。何とかリゼルの前に行くことにするから。アルはまず、リゼルともう一度話をした方がいいんじゃない?」
「ああ……」
はあ、とアルベルトがため息を吐く。
泣きそうな声だが、泣きたいのはこっちだ。
思わず八つ当たりをこめて背中をベシッと叩いた。
「ほら、背筋を伸ばして! 聖騎士の名折れよ!」
「そうだよな……」
「二人だけで話を出来るようにするから」
「ありがとうございます……」
リゼルとアルベルトはお似合いの二人だしどう考えても両片想いだ。
このまま上手くいくだろうと思っていたのに、それに水をさすような、わけのわからない展開にした神は何を考えているのか。
微笑みながら一日怒り続けたシャロンに、周りが怯えていたように見えたがきっと気の所為だ。
まあ、好きな男――男神と言っていた――を横から取られそうになって、黙っていろだなんて土台無理な話だ。
(場合によってはちゃあんとしつけ直して差し上げないと。私から逃げられないように)
年齢指定物の神へのお仕置きを何パターンも考えているとは思えない柔和な笑顔を貼り付けているシャロンだったが、どことなく圧が漏れていたのか、いつもより遠巻きにされたのだが、人生最大の危機に、そんなことは知ったことではないのだった。
シャロンは最愛の神の妻の座を、誰かと共有するつもりは微塵もないのだ。
シャロンと出会う前の過去は、まあ許してあげるが。
今までの花嫁は皆、神域や神の神々しさに耐えきれず衰弱したり精神を可笑しくしたり泣き続けたりと、早々に逃がしてやったようで、真の花嫁になれた者はいないと神から聞いていた。
なので、シャロンこそが神の本当の花嫁になり、未来永劫その座を明け渡す気はないのだ。
翌日訪れた神域は、森の中の通路を抜けた先の湖だった。
水面に躊躇いなく足を踏み出せば、不思議なことに通路が現れ、シャロンを導いていく。
ちょうど湖の中心に辿り着いた時、瞬く間に景色は一変した。
――そこは、幼少期から過ごした神殿によく似た、けれど遥かに神聖な雰囲気の佇む聖殿だった。
陽の光でさえも、今まで感じていたものとはどこか違って感じる。
あまりにも神聖で、神々しく――圧迫感すら感じる。
向こうから、ひとと似た姿の者が現れた。
一目見た瞬間に気付いた。
それが、己の夫であることに。
「――神様……!」
「シャロン」
直に聴くその声音はあまりにも優しく響いた。
シャロンは襲い来る圧倒的な神の力の息苦しさにも屈せず、足を進め、感無量といった表情で神の元へと辿り着き――夫を襲って締め上げた。
物理的に口を塞いで無理矢理神から力を絞り取り、自分の存在をその場に馴染ませたのだ。
「な、何をする……」
よろりとその場に倒れ込みかける、息も絶え絶えな超美形長髪人外。
色気がヤバい。息苦しさに喘ぐような声の威力、えげつない。
ついそんな下品なことを考えてしまったが、シャロンは真顔で問い詰めることは忘れなかった。
(神様と感動の初顔合わせをする予定だったのに)
もっと抱擁して、ゆっくり愛を確かめ合おうと思っていたのに。
全てを狂わせたのは夫のやらかしだ。
シャロンの夢を壊さざるを得なかった神の所業について問いただす。
「それはこちらの台詞ですが? 前に言いましたよね、私浮気は絶対に許しませんよと」
「ち、違う。私の花嫁はそなただけだ」
「へえ……じゃあリゼルのあれはなんです? 私の印とそっくりですが?」
「こら、どこを触って……あ、あれは保護すべき者に与える印だ!」
「新婚早々おいたをした夫は身体で躾けようかと」
「シャロンが気にかけている娘だから、我も助けになればと思っただけだ! や、やめなさい! こんな所で!」
「潔斎の時、リゼルもあなたの声が聴こえたってことですか? ……私だけの特権だと思ってました」
神官の服に似た神の衣に手を掛けるのは何だか背徳的ではあったが、悪いのは全てあちらだとシャロンは止めようとしない。
「いや、あの娘はたまたま伝わったようなものだ! こら、やめ……っ! ――シャロン!」
「……なんですか」
本気の抵抗をされて憮然と答える。
「その、リゼ、」
「他の女の名前をここで口にしないで」
血を這うような声だった。
「――そなたの可愛がっている娘が、危険なようだ」
「え?」
神は怯え、やや涙目で、すいと目の前に水盆のようなものを空中に浮かせる。
そこには、神域の湖の近くまでやってきたリゼルの姿。それに、過去何度も彼女に嫌がらせをしていた巫女見習いの姿が見えた。木々に隠れていてリゼルは気付いていないようだ。
その所業から資格なしとして巫女に選ばれることなく、巫女見習いのまま、大した仕事も与えられなかったらしい娘には、神域に近寄る権限はない。
勝手に忍び込んだのだろう。
先ほどシャロンが通った時にはいなかったと思う。
一族郎党罪に問われる類の大罪だ。
何という無礼を、と眉をはね上げたシャロンが見ている前で、何と、リゼルが巫女見習いに突き飛ばされた。
「あ!」
行先は崖の下。
神の守護の届かぬ森の中。
「な、なんてことを……! 神罰ものよ!」
「罰を与えて良いのか?」
「当たり前です!」
「そうか」
ドーン、とどこかで、激しい音がした。
「っ!?……今のは……?」
「雷を落とした」
「え、あの愚か者にですか?」
「ああ」
「………」
思い切りの良い容赦のなさは、流石神と思わざるを得ない。
しかし、自分の家に不法侵入者がいて悪さをしたならまあ、スタンガンくらい食らわせても正当防衛だろう。
寧ろ侵入した時点で処されても文句は言えまい。
「私が、こわいか?」
水盆をいくら覗いてもリゼルは見えない。
神が何故そんな愚問を聞くのか分からないが、今は妹分が一刻を争う。
巫女は魔物から身を守る術を持たないし、森の中では神も助けられない。リゼルも自分では何もしてやれない。
「いえむしろ格好良くて惚れ直しましたけど! リゼルを助けないと! アルベルトを助けに行かせることは可能ですか!?」
「……あ、ああ。今だけなら」
「ありがとうございます! ええと、何かアルベルトに声をかける方法は……っ。――あら? 何か、神力を感じるものが……?」
アルベルトの胸元から見えたのは、リゼルが母の形見だと大事にしていた、小さな赤い宝石。
価値の低い平民の間で取引されるような指輪だと言っていたが、こうして神域から確認すると、それが小さくても神力を溜める性質をもっていることに気付く。
毎日身に付けていたリゼルの神力を帯びていることも。
「神石だな。リ……あの娘が、あれを持っていたから気になったのもある」
「……あの石を経由して、アルベルトにリゼルの居場所を辿らせることは可能ですか?」
「ああ。あの娘の命があれば」
神石は神力を溜めることができる。
神域近くでしか採掘されず、水神の加護の濃い国内でしか使えない、通常は神殿でしか取り扱われておらず、魔物を寄せ付けない結界の核となるものだ。
いつの時代か、何らかの原因で市井に流れたが、神力を持つ者は少ないのでただの小さな宝石として安価で取引されたのだろう――と後に神と結論を出すことになるが、この時はそれどころではなく。
シャロンは焦り、神の力を借りて、神域の門前に立っていたアルベルトのもとへ、急いで神託を降ろした。
「リゼルが神域の外の森に落ちたの! 早く助けに行って! 今だけ通行を許すと神も仰せよ。指輪に道を示させるわ!」
言うが早いか、血相を変えてアルベルトは門の中に飛び込んでいった。
水盆を見ていると、指輪が光って示す先、崖下へと躊躇いなく駆け下りていく。
そうして、すぐに見えなくなった。
「――リゼル。リゼル……! 無事でいて……!」
思わず祈った。
とはいえ神は隣にいるもので、加護外の場所では神紋を通しても僅かなものとなると気付く。
祈るのをやめて捜索隊が出るのかを確認することにした。
リゼルの護衛騎士が神殿に報告し、すぐさま救出へ向かう人員が派遣されていたので安心した。アルベルトに触れていたことで同時に神託を受けたらしい。仕事が早い。
その後、無事にリゼルとアルベルトが連れ戻された様子を見て、シャロンは心底ほっとした。
あとあと面倒だったのは、神託を素直に聴ける神官がいないため、なかなか神殿側とうまくやり取りが出来なかったことだ。
男子禁制の神域に踏み入ったアルベルトの規律違反を処罰すべきか、某巫女見習いの処遇をどうするかなど揉め――結果的に、神とシャロンの意思は、リゼルの神紋によって無事に神殿に伝えることが出来て落ち着いた。
神紋を通せば、神の意思を人の側へ伝えることができたのだ。
神域にいながらリゼルと話が出来て、シャロンは大喜びした。
どうも、神の花嫁に似た神紋は、神ではなく花嫁の為のものだと神語で表されていたらしい。
誰も解読できる者がいないのでわからなかったが。
――はじめから、神はリゼルをシャロンの付き人、話し相手のようにしようかと思っていたそうだ。
「早く教えて下されば良かったのに」
「その時間を与えなかったのはそなただろう……」
「そうでしたっけ?」
「………」
不満そうな神の頬に、シャロンは笑いながら口づける。
途端に機嫌が良くなるのだから、可愛い夫である。
リゼルは初めての『神託の巫女』――神の花嫁であるシャロンの巫女、という立場を得て、神殿でも不動の地位を得た。
シャロンもおしゃべりする相手が出来て楽しいし、リゼルはアルベルトとも心が通じ合い、間もなく結婚することになっている。
(やっとくっついたわね。やきもきしたわ)
殺人未遂の元巫女見習いは神殿から破門され、市井に落とされた。神罰の雷で醜い傷跡と破門の印残ったことで、誰が見てもわかる有様で。
この国で破門された者は同じ人間として扱われることはない罪人だ。
かと言って国の外には魔物がいる。
行き着く先はたかが知れていた。
シャロンは今、神域にて念願のラブラブ新婚生活を満喫していた。
「シャロン」
「――あらやだ。真名で呼んでくださらないの?」
神の膝の上に座り、くすくすと笑いながらシャロンは囁く。
この国では、貴族の女性は真名ではなく、通称の名を使う。
かつて、神の花嫁として選ばれた娘が、神に真名を捧げる為に始まった風習が、今では、夫となる人物にしか本名を告げない、という形となり、今でも続いているのだ。
真名を尋ねるのは、求婚の合図。
人のその習慣を話していたために、シャロンも神域に赴く前、神から真名を問われていた。
「――シャルロット……愛している」
「私もです。愛しい旦那様」
神の名もまた、シャロン――シャルロットのもの。
他の誰にも教えることはない。
シャロンは思う存分、神を愛でた。
名実ともに花嫁となったことで、神域で過ごす分、身体が人とは違うものになっていくらしいが、永く神といられるなら願ってもない。
溺愛される異類婚姻譚は最高だった。
ただ少し、ひやりとすることもあるが。
「他の人ではないものがいたらよそ見をするのか」
「我ではない神が良いというのか」
ついつい神の世で他の人外に気を取られてしまうと、そんな嫉妬にまみれた旦那様のどろどろとした感情が飛んでくる。
あの元巫女見習いへ容赦なく雷を落としたように。
神は純粋で、時に残酷で、きまぐれだ。
人とは違うのだと痛感することもある。
それでもやっぱり、シャロンは彼女だけの神様に首ったけだ。
神にどんな好き勝手をしても、何も咎められないのは、彼女が神に寵愛されている証。
「あなたに私しかいないように、私にもあなたしかいませんよ」
深く深く、何度だって、神にシャロンを刻みつける。
何とも自由な娘だ、と呆れたように言った貴方から、もう離れるつもりはない。
――ああ、でも、たまの里帰りくらいは許してもらおう。
少しくらい距離を置くことも恋のスパイスとして大切だから。
(だって私は、名前の通り自由な娘なんですもの)
私の名前はシャルロット。
あなたのために産まれた娘。
――これは夢見た神の愛を手に入れた、とある転生者の物語。
めでたし、めでたし。
お読み頂きありがとうございました。
つよつよ転生女子シャロンの割れ鍋に綴じ蓋な異類婚姻譚でした。
面白かった、シャロンのお話が好きだったと思って頂けたら、応援頂けるととても励みになります。




