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二部最下位の泥舟サッカークラブを買い取った俺、クラブビルドシステムで世界一のメガクラブに育て上げる  作者: 園路 遥々


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第24話 冷酷な勝利

『ヴァンテール、勝利の裏でベテラン酷使か』


 その見出しは、朝を待たずにネットの海で燃え上がった。


 クラブハウスの広報室には、酸化して酸味の増したコーヒーと、誰も口をつけていない菓子パンの甘ったるい匂いが澱んでいた。


 三枝玲奈は黒いタブレットをデスクに置き、液晶画面を滑らせていく。スクロールされるコメント欄は、悪意と、それ以上に厄介な正義感で満ちていた。


『勝ったのは嬉しいけど、藤代を壊す気か?』


『美談にするなよ。ベテラン酷使は最悪のマネジメント』


『若いオーナーが数字だけで選手を使い潰してる典型だろ』


『いや、六十五分で下げてるならむしろ管理してる方じゃないか?』


『でも、あの膝に手をついてる写真、かなりヤバいぞ』


 有栖川真白は、プリントアウトした記事に赤ペンを走らせていた。


 記事のアイキャッチに使われているのは、藤代誠二がピッチで膝に手をつき、苦悶の表情を浮かべている瞬間の一枚だ。


 その数分後、彼が自分の足でベンチへ戻り、篠宮藍から手渡された氷嚢を受け取った場面は、当然のように切り捨てられている。


「実に見事な切り取り方ですね」


 真白の声は静かだった。だが、赤ペンの先が紙を強く削っている。


「藤代さんを英雄にも被害者にもできる。成瀬様を冷徹な戦術家にも、選手を酷使する無能なオーナーにもできる。読む側の怒りの温度に合わせて、どちらにでも転がせる構造です」


 三枝が冷ややかに頷く。


「だからこそ、絶対に感動美談にはしません」


「いや、しかし……」


 営業担当の若槻航が、すがるように顔を上げた。


「藤代さんの不屈の復活劇として仕立てれば、ストーリーとしてはかなり刺さりますよ。走れないベテランが、走らずに知略でチームを勝たせた。スポンサー向けの営業資料としては最高のフックに――」


「駄目です」


 三枝が即座に、その言葉を叩き切った。


「ここで『痛みに耐えて勝利へ導いた』なんてナラティブを公式が提供したら、次に藤代さんが痛みを隠した時、誰も止められなくなります」


 若槻はぐっと言葉を詰まらせ、口を閉じた。


 言い返せる理屈がなかった。


 部屋の隅で、篠宮が医療記録のファイルを頑なに抱いている。


「痛みに耐えたことを称える広報など、医療側としては絶対に許可できません」


「分かっています」


 三枝は短く応じ、デスクの上のキーボードを叩いた。


「出すのは感動ではなく、管理です」


 窓際に立つ成瀬隼人は、スマートフォンで件の記事を睨んでいた。


 仕掛けたのは、ライターの犬飼毅。


 怒りがないと言えば嘘になる。


 だが、こちらが感情的に反応すれば、相手の思う壺だ。


 真白が、成瀬の前に新しくプリントした用紙を滑らせた。そこには太いゴシック体で、三つの決め事が短く印字されていた。


『挑発しない。保証しない。逃げない。』


「追加会見の時間は十五分です」


 真白が時計を見る。


「前回同様、長く話せばそれだけ燃料を与えます。今回は特に医療情報に関する質問が集中するはずです。答えすぎても、答えなさすぎても危険な領域です」


 法務の白鳥千景が、手元の契約書の束をパチンと閉じた。


「個人の医療情報を詳細に開示することはできません。本人同意があっても、出し方を間違えれば今後の選手管理、ひいてはクラブの労務管理全体に悪影響を及ぼします」


「では、我々は何を提示する?」


 成瀬の問いに、三枝が編集済みの映像画面をプロジェクターに投影して答えた。


 画面に映し出されたのは、三つのシークエンス。


 一つ目は、北関東戦、試合通算六十五分。第四審判がボードを掲げ、藤代がピッチを去る場面。


 二つ目は、試合前日のミーティングルームのホワイトボード。戦術指示の横に、太い赤ペンで「65」とだけ書かれている。


 三つ目は、神田太陽がオフサイドラインの手前で、ほんの一瞬、身体を制動させて待つ映像。藤代のパス、神田の走り出し、相手センターバックの肩の向き。そこだけが、無駄なくスローモーションで切り取られている。


「藤代さんを限界まで引っ張って無理に勝ったのではない。最初から六十五分で下げる設計のコンディション管理だった、と示します」


 三枝は画面を静止させた。


「この勝利を『痛みに耐えた根性の勝利』ではなく、『走れない選手を、走らせないまま機能させた勝利』として再定義するんです」


「藤代さんのコメントは?」


 成瀬が聞くと、篠宮が険しい顔をした。


「本人をここへ歩かせるのは許可しません。完全休養です」


「では、医療室で短く録ります」


 三枝は即答した。


「立たせません。座ったまま、三十秒以内。感動的な言葉はいりません。痛みに耐えたとも言わせません」


「それなら許可します」


 十分後。


 医療室で録られた短い映像が、広報室のモニターに映った。


 藤代はベッドに腰掛け、右膝に氷嚢を当てている。表情にはいつもの食えない笑みが張り付いていたが、足を組む余裕はない。


『俺の膝、ずいぶん人気者らしいな』


 画面外から篠宮の声が飛ぶ。


『余計なことは言わないでください』


『はいはい』


 藤代は肩をすくめ、それからカメラではなく、少し横を向いて言った。


『走れない俺を、走らないまま使った。それだけだ』


 広報室の空気が、一瞬で引き締まった。


「使います」


 真白の手元で、赤ペンがその言葉を猛然と書き留める。


 若槻が小さく唸った。


「短すぎませんか?」


「短いからこそ効くんです。余計な美談を挟み込む隙を与えない」


 三枝が即答した。


 篠宮も画面を見たまま頷いた。


「これなら、医療側も許可します」


 その時、ドアの隙間から神田太陽が恐る恐る顔を覗かせた。


「あの……俺も、何かSNSとかでコメント出した方がいいですか?」


 三枝が秒で突っぱねる。


「絶対に言わないでください」


「えっ」


「今のあなたは熱量が有り余っている。余計な熱は、こういう局面ではただの燃料になります」


 神田はショックを受けたように口を半開きにした。


「俺、そんなに信用ないですか……?」


「信用していますよ。だから、あなたの言葉ではなく、あなたの技術に喋らせます」


 三枝は先ほどの神田の映像を再生した。


 神田が飛び出したい衝動を、肉体ごとぎりぎりで踏みとどまらせる。


 わずか半歩。


 相手ディフェンダーの肩が内側を向いた刹那、爆発的な初速で消える。


 オフサイドではない。


 そこへ、藤代の針の穴を通すようなパスが落ちる。


「これを出します」


 三枝は言った。


「根性と気迫でもぎ取ったゴールではなく、徹底したライン確認と、出し手との戦術的約束事によって生み出されたゴール。そう世間に見せます」


 神田は画面を見つめていた。


 自分が歓喜のガッツポーズを決めている場面ではない。


 その手前の、泥臭く待った瞬間。


「……俺、ここをクローズアップされるんですか?」


「不満ですか?」


「いや……もっと、シュートのインパクトの瞬間とかの方が派手かなって」


「シュートだけを見せれば、それは勢いのゴールです。ですが、この半歩のタメを見せることで、あなたの戦術的成長の証明になる」


 神田はしばらく黙って画面を見つめていたが、やがて胸を突かれたように、小さく、しかし力強く頷いた。


「……分かりました。お任せします」


 続いて白鳥が別の資料をデスクに広げた。


「若手CBの警告についても論点を整理します」


 画面には、後半の激しい接触プレーが映し出される。遅れて出した足が、ボールには触れているものの、相手の軸足を刈ってしまっている。


 メディアが荒れた泥仕合として煽れば、すぐに火がつくシーンだ。


 だが、白鳥は感情を排したトーンで言い切った。


「これは激闘の代償ではなく、純然たる管理上の課題です。累積警告、出場停止リスク、守備陣の組み合わせ、次戦以降の選手層に関わるエラーとして処理します」


 真白が原稿の「激闘」という文字に力強くバツ印をつけた。


「広報資料において『激闘』『死闘』の文言は禁止ですね。痛みやカードを美化することになります」


「禁止です」


 三枝も同意する。


「使うキーフレーズは『管理』『制限』『再発防止』『次戦への備え』。勝利を誇示するのではなく、クラブとして選手を守る明確な一線を引いている姿勢を示します」


 一連の冷徹なシミュレーションを見届けていた若槻が、深く、重いため息を漏らした。


「……血も涙もない、冷たい広報ですね」


 三枝はプロジェクターの画面から視線を外さないまま、硬質な声で返した。


「冷酷に見えるくらいでちょうどいいんです。今、私たちが不用意に熱い言葉を口にしたら、藤代さんの膝まで一緒に燃え尽きることになります」


     *


 午前十一時。


 会見室には、重々しい機材と黒いカメラのレンズ群が隙間なく並んでいた。


 最前列には、犬飼毅が陣取っている。細い目をさらに細め、獲物を前にした獣のような薄笑いを浮かべていた。


 成瀬は会見台の前に立った。


 斜め後ろには真白。壁際からは三枝が鋭い視線を走らせている。手元のマイクの横には、赤字で埋め尽くされた会見原稿。


 冒頭、三枝の操作によって前方のスクリーンに映像が流された。


 試合前の「65」のホワイトボード。試合通算六十五分での藤代の交代シーン。神田のラインコントロール。若手CBの警告場面と、一部を伏せたクラブの規律管理表の説明図。


 流れるようなデータ開示に、記者席が小さくざわついた。


 成瀬はマイクを引き寄せ、低く、よく通る声で口を開いた。


「北関東戦における藤代誠二の起用、およびチームマネジメントについてご説明いたします」


 一斉にフラッシュが焚かれる。


「藤代の起用に関しては、試合前から最大六十五分という制限時間を設けておりました。これは試合展開やスコアに関わらず、事前にメディカル部門と合意していたガイドラインです。結果として、計画通り六十五分で交代させています」


 すかさず犬飼が手を挙げた。


「しかし成瀬代表、藤代選手はピッチ上で膝に手を突き、明らかに苦痛の表情を浮かべていましたよ。あれは勝利のためにベテランを限界まで使い潰した、そう捉えられても言い訳ができないのでは?」


 壁際の三枝の視線が一段と鋭くなる。真白の赤ペンを握る手が止まる。


 成瀬は遮るように、一拍の静寂を置いた。


 そして、犬飼の目を真っ向から見据えて言った。


「限界まで使うための六十五分ではありません。限界を超えさせないための六十五分です」


 会見室の雑音が、ぴたりと止んだ。


「彼を刹那的な英雄として消費するつもりは、我がクラブにはありません。ここで、藤代本人のコメントを提示します」


 三枝が短い動画を再生する。


 画面の中の藤代は、膝に氷嚢を当てたまま、どこか気怠そうに、しかし明瞭に告げた。


『走れない俺を、走らないまま使った。それだけだ』


 短い。


 飾り気もない。


 だからこそ、メディアが望む悲壮な美談が介入する余地を遮断していた。


 別の記者が、気圧されたように手を挙げる。


「では、次戦も藤代選手を起用する可能性は?」


「今後の検査結果と、メディカルスタッフの判断を最優先します。現時点では先発起用を前提としていません。仮にベンチ入りさせる場合も、出場時間と状況には厳格な制限を設けます」


「これだけの勝利に貢献した中心選手を、次の重要な一戦で使わないかもしれない、と?」


「勝利に貢献してくれた大切な選手だからこそ、クラブが守るんです」


 成瀬の背後で、真白が小さく、深く息を吐いた。


 犬飼が忌々しそうに口元を歪め、皮肉っぽく声を響かせる。


「……ずいぶんと冷たいロジックですね、成瀬代表」


 成瀬は視線を逸らさなかった。


「はい」


 迷いのない即答に、再び記者席が揺れる。


「冷たい判断だと思います。ですが、クラブ運営には、熱い言葉や情緒だけでは決して守れない一線があります。選手の膝も、累積カードも、次戦の勝ち点も、直近の支払日も、感動の涙で消えてはなくならない現実です」


 犬飼の顔から、完全に笑みが消え失せた。


 成瀬は淡々と、しかし容赦なく言葉を重ねる。


「北関東戦で警告を受けたCBのプレーについても、我々は激闘の証などという曖昧な言葉で処理しません。次戦以降の明確な管理課題として扱います。選手を糾弾するためではなく、同じエラーを繰り返さないための組織的アプローチです」


 神田の映像が流れる。


 半歩待つ。


 消える。


 背後を取る。


「また、神田の得点も、単なる勢いや根性によるものではありません。半歩待ち、相手の守備陣形を見極め、オフサイドラインに肉体を残し続けた技術的結果です。私たちはこの勝利を美談として消費せず、次も再現できる構造として評価します」


 会見は、予定通りきっかり十五分で幕を閉じた。


 真白が時間と同時に資料を閉じる。


「以上をもちまして、本日の会見を終了いたします」


 犬飼が食い下がろうともう一度手を挙げかけたが、三枝の冷徹な声がそれを遮った。


「本日の公式説明はここまでとさせていただきます。詳細な追加資料およびスタッツは、この後クラブ公式に掲載いたします」


 会見室の重い扉を出た直後、若槻のポケットの中でスマートフォンが激しく震えた。


 画面を見た瞬間、彼の顔からいつもの営業用の笑みが消えた。


「……成瀬代表。小口ですが、保留になっていたスポンサー候補の社長からです」


 成瀬が足を止め、振り返る。


「出てください」


 若槻は緊張で強張った指で通話ボタンを押した。


「あ、お世話になっております! ヴァンテール海浜FCの若槻です。はい……ええ、ただいまの追加会見を、配信でご覧に……? はい。はい……っ」


 若槻の眉が、跳ねるように上がった。


「次のホームゲーム、ですか。ええ、今週末です。看板の枠ですが……バックスタンド側の小さいサイズでしたら、まだ何枠か調整可能です!」


 廊下にいた全員の視線が、若槻の一挙手一投足に集中する。


 若槻は大きく息を吸い込み、声を震わせた。


「はい! 看板を一枚、確かに承りました。ありがとうございます! すぐに契約書類の手配を進めます!」


 通話が切れる。


 若槻はスマートフォンを両手で握り締めたまま、信じられないというように呆然と笑った。


「次の試合……看板を一枚だけ出させてくれ、って。あの社長、『感動だの根性だの言ってる泥舟には金を出せないが、あれだけ冷徹にリスク管理ができるクラブなら、投資する価値がある』って……!」


 真白が、胸元で赤ペンをぎゅっと握りしめた。


 三枝は徹夜明けの疲れ切った顔のまま、それでも満足そうに、小さく口元を緩めた。


「私たちの冷たい広報で、信頼の看板が、まずは一枚戻ってきたわけですね」


 成瀬は、静まり返った会見室の扉を振り返った。


 勝利の代償は冷酷だった。


 だが、その冷酷さを一切誤魔化さずに曝け出したからこそ、首の皮一枚、この冷酷なビジネスの世界で生き残るための看板が戻ってきたのだ。


 泥舟は、まだ沈んでいない。


 まずは、看板一枚分だけ。



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【現在地】 ヴァンテール海浜FC

国内プロ二部リーグ:20位/20クラブ

成績:3勝7分10敗

勝点:16

状態:降格圏。冷たい広報で信頼の看板が一枚戻るが、順位表はまだ底のまま。

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