第23話 直感
オレはマリアと共に出かけた。
事務所を閉め、オレは書類カバンを手にしていて、マリアはオレが渡した事務所のカギをポケットにしまう。
事務所のカギを、マリアに預かってもらう。もうすっかりお馴染みになったやり取りだ。
この一連のやり取りを、儀式のようにやり終えると、オレたちは歩き出す。
「ご主人様、本日はどのようなお客様なんでしょうか?」
「今回の依頼主は足腰が弱いお年寄りなんだ。ベッドでほぼ寝たきりの状態らしい」
オレは電話で聞き出した依頼主の情報をマリアに話す。
依頼主は老人だが足腰が弱く、ベッドで寝たきりなのだから、こちらが出向いていかないと仕事ができない。そして今回の仕事の内容は、遺言状の作成だ。
それはつまり、依頼主はもう長くないかもしれないということだ。
今回オレが請け負った仕事は、依頼主と遺される人々を繋ぐことになるかもしれない。非常に責任が重い仕事だ。
しかし、老人が示した報酬は莫大な金額だった。
そこまでしてでも、オレに遺言状の作成を依頼してくるとは。
代書人としては、光栄なことだ。責任は重いが、それに見合うだけの仕事であることも間違いない。
さぁ、仕事をするぞ!
オレはそんな気持ちを抱きながら、マリアと共に依頼主の家へと向かった。
オレとマリアは、老人の家に辿り着き、玄関のベルを鳴らす。
少しして、一人のメイドがドアを開けた。
「代書人のシリウスです。ただいま参りました。こちらは、私のメイドのマリアです」
「お待ちしておりました。私は雑役女中のプロキオンです」
プロキオンと名乗った雑役女中が挨拶する。
「依頼人のアグニ氏はどちらに?」
「はっ、はい! こちらでございます……どうぞ」
プロキオンが思い出したように、オレたちを家の中へと案内していく。
どういうわけか、プロキオンの歩き方は少しぎこちない。
しかし、オレはあまり気にすることなく、家の奥へと進んでいった。
「ご主人様、お客様が参りました」
「通すのじゃ」
部屋の中から聞こえてきた声で、プロキオンが扉を開ける。
ドアの向こうにあったのは、オレが想像していたような光景だった。
窓際に置かれた、少し大きなベッド。
そのベッドの上で横になっている、1人の老人。手元には宗教書が置かれていて、ベッドの傍らには杖が立てかけられている。埃をかぶっている様子はない。どうやら寝たきりになっているとはいえ、まだ少しは動けるみたいだ。
「ご主人様、代書人のシリウス様と、お連れ様のマリア様です」
「こんにちは。代書人のシリウスです。あなたが、アグニ氏でございますか?」
オレが問うと、老人はベッドから上半身を起こした。
「いかにも、ワシがアグニじゃ。せっかく来てもらったのに、ベッドの上からで申し訳ないのぅ、お若いの」
アグニと名乗った老人は、申し訳なさそうに頭を下げる。
オレは恐縮してしまい、慌てて口を開いた。
「い、いえ、お気になさらないでください。こういうことには、慣れていますから」
「すまんのぅ。そなたを呼んだのはほかでもない。遺言状の作成を、お願いしたいのじゃ」
「もちろん、お作りいたします」
オレはジャケットのポケットから、万年筆とメモ帳を取り出した。
すぐに遺言状を作るわけではない。まずは何を遺言にしたいのか、それを聞き取ることから始める。依頼人が危篤状態ならまだしも、意識がはっきりしていて会話が成立するのなら、間違いをなくすためにもまずはメモを取る。こうすることで、オレはいくつもの遺言状の作成を請け負ってきた。
「ありがとう。プロキオン、お客様にイスとお茶の用意を」
「はっ……はい! ご主人様!」
プロキオンが返事をして、部屋を出ていく。
マリアはそれを目で見送り、オレへと視線を戻した。
すぐにプロキオンが、2人分のイスを持って来た。
「お茶も、すぐにお持ちします」
「ありがとうございます」
「さぁさぁ、お2人ともイスに掛けてゆっくりしてください」
アグニ氏からの勧めで、オレはイスに腰掛けた。
そのときだった。
「あっ……!」
マリアが、小さく声を上げる。
「マリア、どうかしたか?」
「何かあったかのぅ、メイドさん……」
オレとアグニ氏が、マリアに訊く。
「……いえ、なんでもありません」
「そうか……」
マリアがイスに腰掛けると、アグニ氏が口を開いた。
「それでは、頼もうかのぅ」
「はい、お任せ下さい。マリア、証人を頼む」
「はい、ご主人様」
マリアが返事をすると、オレは万年筆のキャップを外した。
メモ帳に試し書きをしてインクが出るようになると、オレはアグニ氏に向き直る。
「それでは、まずは――」
一通りアグニ氏が話し終えると、オレはメモの内容を元に、遺言状を書き上げていった。
「……はい、これで完成です」
オレは完成した遺言状にサインを入れる。
遺言状の内容は、アグニ氏が亡くなった時に、自らの財産を全てとある慈善団体に寄付するという内容だった。もちろん、オレはこの内容を他の人に口外したりはしない。そんなことをすれば、自分の信頼を一気に失うことに繋がってしまうからだ。
「もうワシはそんなに長くはないじゃろうから、今のうちに身の回りを整理しておこうと思ってな」
「長生きしてください。それでは、後はここにサインをお願いします」
「うむ……」
オレが遺言状と万年筆をアグニ氏に差し出し、アグニ氏がそれを受け取る。
そしてオレが指定した箇所に、アグニ氏が直筆でサインを入れる。
これで、遺言状が完成した。
オレは出来上がった遺言状と万年筆を受け取ると、遺言状を封筒に入れて封?で封印を施す。
公式な文書であることを示す封?が、封筒を確かに封印した。
そして遺言状が入った封筒を、アグニ氏に手渡す。
「おぉ……これでもう、いつあの世へ行っても大丈夫じゃ。ありがとう、シリウス殿」
「まだまだ人生は長いですよ。元気でいてくださいね」
「うむ。なんだか重荷を下ろしたような気分じゃ。それで、お支払いは……?」
「また後日、請求書をお持ちしますので、その後にお支払いをお願いします」
オレはアグニ氏にそう告げると、マリアと共にイスから立ち上がった。
そしてプロキオンに見送られて、アグニ氏の家を後にした。
「ご主人様」
アグニ氏の家を出てからしばらくして、マリアがオレに話しかけてくる。
「あのメイドさん、変です」
「変?」
オレはマリアの言葉に首をかしげた。
「きっと……あのメイドさん、あのおじいさんに虐待されています!」
「虐待!?」
マリアの口から飛び出した予想外の単語に、オレは思わず声が大きくなってしまう。
幸い、近くにいた人はマリアだけだった。
「……マリア、あのアグニ氏は寝たきりだっただろう?」
オレは確認するようにゆっくりと、マリアに話した。
「寝たきり状態の高齢者が、虐待をすることなんてできないよ」
「違います!」
マリアが再び口を開き、オレの言葉を否定する。
普段大人しいマリアにしては珍しかった。
「あのおじいさんは寝たきりなんかじゃありません! それにあの杖は、警戒杖です!」
「警戒杖だって!? どうして分かるんだ!?」
オレはマリアの言葉が信じられなかった。
どうしてマリアが警戒杖のことを知っていて、しかもそれを見た目だけで判断できるのか。
「過去に救貧院に居た頃、警戒杖を持った人が職員の中にいました。それにプロキオンさんの足や手には、わずかですがアザらしいものがありました! ご主人様!」
マリアは少々涙声になりながら、オレに訴えてくる。
「このままでは、プロキオンさんが殺されてしまうかもしれません! 早く警察に連絡しましょう!」
マリアの目を見ていると、それに応えたくなってしまう。
しかし、そうすることはオレにはできなかった。
「マリア、気持ちは分かった。だけど、今のまま警察にタレコミをしても、相手にしてもらえないよ」
職業柄、オレは警察と接する機会もあるし、時折警察から依頼を受けることもある。
だからこそ、他の人が知らないようなことも、よく知っている。
「警察が動くには事件が起こるか、決定的な証拠があるか、現行犯じゃないといけない。今の状態じゃあ、どれもが欠けているからね」
「そんな……!」
マリアの表情に、悲しみの色が鮮明に表れる。
「それに、最も大切なことをまだしていない」
「ご主人様……?」
「……まだ今回の仕事の代金を、回収していないんだ」
そう、これだけは何があっても忘れてはいけない。
オレは代書人であり、同時にシリウス代書人事務所の経営者だ。代金の回収だけは、何があったとしても行わなければならない。仕事に対する報酬が支払われないと、商売あがったりだ。
「代金を回収しないことには、収益が無くなってしまう。そうなると自分はもちろん、マリアをメイドとして雇い続けることも難しくなるかもしれない。まずは、アグニ氏から今回の仕事の代金を回収しなくてはいけない」
「ご主人様……」
マリアがガッカリしたらしく、力なく狐耳をペタンと垂らした。
「さぁ、事務所に戻ろう」
「はい……」
オレはマリアを連れて、事務所兼自宅へと向かった。
後ろをついてくるマリアは、その後一言も喋らなかった。
事務所に戻ってくると、オレはさっそく請求書の作成に取り掛かった。
タイプライターを使って文字を打ち込んでいき、請求書が出来上がっていく。そして完成した請求書を卓上に置かれた未処理の書類ケースに入れる。すぐに発送したりはしない。後で見て、間違いがあったら修正するためだ。
「ご主人様……」
請求書を作り終えると、マリアがやってきた。
「どうした?」
「夕食のお買い物に行って参ります」
「そうか。いってらっしゃい」
マリアの声は、まだ暗かった。
先ほどのプロキオンのことを、まだ引きずっているらしい。
事務所のドアが、パタンと閉まる。
窓を見ると、市場の方へ向かっていくマリアが見えた。その横顔は、今にも泣きだしそうなほど、悲しみに満ちている。
やれやれ。
マリアは優しいところがいいけれど、たまに優しすぎて困るんだよな。
長所は短所でもある、ということか。
面倒だけど、このままというわけにもいかない。
オレだってあの状況を見て、何も感じないほど鈍感なわけじゃない。
「……こういうときに頼れるのは、プライベート・アイだけだな」
オレはそう呟くと、机の上に置かれた電話機の受話器を持ち上げた。
ダイヤルを回していき、やがて呼び出し音が耳元で聞こえ始める……。
その日の夜。アグニ氏の邸宅。
「この下女が!!」
アグニ氏がベッドのわきに置いていた杖を何度も振り上げては、叩きつけていく。
杖で叩かれているのは、メイドのプロキオンだった。下着姿にされていて、プロキオンは何度も杖で殴られていく。
「客人に対してワシが云う前にお茶を出さんとは、どういうことだ!!」
「ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ!!」
アグニ氏はベッドの上で寝たきりになっていたとは思えないほどよく動き、杖でプロキオンを殴り続ける。
そこに病弱で死期を悟った老人の姿はどこにもない。何度もプロキオンを殴り続けるが、杖は折れたり曲がったりする様子を見せず、プロキオンの肌には青や赤のアザが生まれていく。
「フンッ!」
「がはっ!」
振りかざした杖が腹部に食い込み、プロキオンが少量の血を吐いた。
しかしなお、アグニ氏はプロキオンを杖で殴り続ける。
そして数十分ほど後になって、やっとアグニ氏は杖を置いた。
「はぁ……はぁ……」
乱れた呼吸を正しながら、アグニ氏はプロキオンを見下ろす。
全身に傷とアザができたプロキオンは、怯えた目でアグニ氏を見上げている。
「次はこんなものじゃすまんぞ! わかったか!?」
「はい……気を付けます。ご主人様……」
プロキオンが消えそうなか細い声で訴える。
「わかったらさっさと失せろ! 下女が!」
吐き捨てると、プロキオンは傍らに放置されていたメイド服を手に、そそくさとアグニ氏の部屋から出た。
廊下に出ると、涙を流しながらプロキオンは使用人部屋へと戻っていく。
生き地獄。
その言葉以外にどう表現したらいいのか分からない光景が、そこにはあった。
「……ふむ」
それを見つめていた1人の男は、手帳に万年筆を走らせた。
メモを終えると、手帳と万年筆をポケットに入れ、同じポケットからタバコとマッチを取り出した。マッチを擦ってタバコに火を移し、マッチの火を消して、消えたマッチをその場に投げ捨てる。
男はプロキオンが使用人部屋に入っていくのを見届けると、口からタバコの煙を大きく吐き出した。紫煙が夜空に消える前に、男はその場から離れた。
タバコをふかしながら、男は夜の闇へと消えていった。
ご主人様と、あのアグニという老人の家に行ってから数日後のことでした。
「マリア、集金に向かうぞ!」
突然、ご主人様が私を呼んでそう告げました。
「ご主人様、私も一緒にですか?」
「もちろんだ」
その言葉に、私は耳を疑います。
ご主人様が私を集金に同行させるなんて、初めてのことです。
それに直接集金に伺うことさえ、初めてのことです。
いつもなら、請求書を送ったりするだけでおしまい。直接集金しに行くなんて、私がご主人様の下でメイドを始めてから、数えるほどしか行われたことがありません。
「支度して。すぐに出発するから」
「は……はい!」
疑問に思うことはありましたが、私はすぐにご主人様の方針に従います。
私は、ご主人様のメイドです。よほどのことが無い限り、ご主人様のやり方に反する行為はしません。
すぐに準備を整え、私はご主人様と共に事務所を出て歩き出しました。
「ご主人様、どこの集金ですか?」
「先日、遺言状を作成したお客さんの所だ」
ご主人様の言葉に、私の身体中を緊張が突き抜けました。
あのプロキオンさんを虐待していた、あのアグニという老人の家です。
私はご主人様の後ろに隠れるようにして、後をついていきました。
ご主人様が玄関のベルを鳴らし、プロキオンさんが出迎えてくれます。
プロキオンさんは以前お会いした時よりも、ひどい傷を負っているようでした。
顔にもアザや傷跡があり、虐待されていることは間違いありません。
「代書人のシリウスです。今回は、集金の件でお伺いいたしました」
「はっ、はい! どうぞ……」
プロキオンさんが、すぐに私たちを中へと案内してくれます。
よく見ると、プロキオンさんの手には包帯が巻かれていました。細い指をぐるぐる巻きで包み込む包帯には、かすかに赤い染みがあります。血がにじんでいることが、嫌でもわかりました。
ご主人様、どうしてここまでプロキオンさんが虐待を受けているのは明らかなのに、助けないのでしょうか?
私はご主人様が何をお考えなのか、知りたいです。
プロキオンさんを助けられないのだとしたら、それはどうしてですか?
私たちにできることは、何もないのでしょうか?
私の頭の中では、プロキオンさんとかつて救貧院で虐待を受けていたころの私の姿が重なりました。
なんとしてでも、プロキオンさんを助けたい!
そんな思いで、私の胸はいっぱいです。
でも、私は決してご主人様にそう意見することはありません。
私はご主人様を最後まで信じます。
きっと、何かご主人様は考えているはずですから。
ご主人様が、プロキオンさんが開けた扉の向こうへと入っていきます。
その部屋には、あのアグニというプロキオンさんを虐待している老人がいます!
プロキオンさんの表情に、緊張の色が浮かぶのがよく分かりました。
私も、それにつられるかのように緊張してしまいます。
ご主人様がそっと、懐から封筒を取り出しました。
「こちらが、先日の遺言状作成の依頼の請求書になります」
ご主人様が差し出した封筒をアグニさんが受け取り、中から書類を取り出して広げました。
その直後のことです。
「なんじゃこりゃ!?」
突然、アグニさんが絶叫しました。
とても老人とは思えないような大声で、私とプロキオンさんは思わずビクッと身体を震わせます。
アグニさんが、ご主人様に封筒から取り出した書類を突きつけます。ご主人様は請求書と仰っていました書類です。
ご主人様の後ろから覗いてみますと、請求書には数字が並んでいました。内容はあまり詳しいことは分かりません。しかしアグニさんは、目をひん剥いていて、ものすごい形相でご主人様を睨みつけています。相当怒っていました。あそこまで老人の大激怒した表情を見たのは初めてでした。
「見積書よりも金額が高いではないか!?」
「最初にお伝えしたと思いますが、見積書はあくまでも『このくらいになる予想です』というものです。見積書の金額を上回ることもあると、お話ししていますが?」
「それは分かっておる! しかしなんじゃこの法外な金額は!? まさかモグリの代書人じゃなかろうな!?」
「もちろん、正式な代書人です」
ご主人様は、懐から一冊の手帳を取り出しました。
代書人手帳です。ご主人様が国家試験に合格して正規の手続きを経て代書人になったことを証明する、唯一のものです。当然、ご主人様はモグリなどではない立派な代書人です。
失礼なことを云う老人です。
「こちらの請求書には、調査費用が含まれております」
「調査費用じゃと!? 一体何のことじゃ!? ワシは調査など依頼しておらんぞ!!」
「別件で、あなたのことを知り合いの探偵に調べていただきました。その結果、あなたがメイドを虐待していることが判明しました。その調査の費用です」
「なんじゃと!?」
アグニさんの目が、泳ぎました。
動揺していることが見て取れます。
私はご主人様の発言に驚きつつも、安心していました。ご主人様を信じて、本当に良かったです。
ご主人様は、プロキオンさんを助けるために私も気づかないうちに動いていました。
「メイドを虐待だと!? そんなこと、ワシは一切しておらん!!」
アグニさんは、なんとか逃げ切ろうと嘘をつきました。
嘘をついて逃げようとするのは、いかにも悪人らしいことです。
「お前、ワシを侮辱する気か? それとも脅して金を騙し取る気か? そういうことなら、金は払わんぞ!?」
ご主人様のことを、そんな風に云うなんて!!
この老人、許せない!!
私は怒りが満ちてきましたが、動けません。
嫌でも目に入る警戒杖が、怒りの感情を抑え込んで、私に過去の恐怖を蘇らせました。
すると、ご主人様が懐から1枚の写真を取り出しました。
「こちらが、その証拠です」
「それは……!!」
ご主人様が取り出した写真を見た途端、アグニさんがベッドから降りてご主人様に掴みかかってきました。
私はご主人様をかばおうとしましたが、アグニさんの動きは予想以上に早く、とてもご主人様とアグニさんの間に割って入ることはできませんでした。急いで私は、プロキオンさんを連れて距離を取りました。
「よこせ!! その写真を、よこせ!!」
「おや? 寝たきりになっていたはずではなかったのですか?」
「……!!」
ご主人様の狙いが、私には何となくわかりました。
挑発することで、相手を思うように動かして相手の本当の状態を暴いたのです。これは孤児院に居た頃、看守役の職員が反抗的な収容者をねじ伏せるときにやっていたことと、同じでした。
状況を理解したアグニさんは、まるで蒸気を上げて熱暴走を起こしたボイラーのように、真っ赤になっています。
尋常じゃない怒り方です。
「この若造が……調子に乗りおって……!」
アグニさんが、ベッドの脇に置いてあった警戒杖を手にしました。
このままでは、ご主人様の命まで危ないです!
「死にさらせ――!」
危ない!!
私はとっさに、ご主人様をかばおうと身体が動きました。
しかし、私はご主人様の前に出ることはできませんでした。
カチャリ。
その音に、アグニさんの動きが止まってしまいます。
「ぐっ……!」
ご主人様が、アグニさんの眉間に拳銃を突き付けていました。
以前、ご主人様が見せてくれた拳銃。確か、コルト・ローマンという名前の拳銃です。
銃を眉間に突きつけられたアグニさんは、顔色を青くして、冷や汗をダラダラと流し始めました。
私も孤児院に居た頃、拳銃を眉間に突きつけられたことがあります。アグニさんが味わっているであろうその怖さは、よく分かります。
でも、私はご主人様を止めようとはしませんでした。
アグニさんは、今感じているかそれ以上の恐怖を、プロキオンさんに味合わせてきたからです。
それは決して、許されるようなことではありません。
「……くそぅっ!!」
カラン。
アグニさんは、観念したらしく警戒杖を手放しました。床に引き寄せられるように倒れていった警戒杖は、断末魔の悲鳴を上げるような金属音を立てて転がります。
「……分かった。料金を支払う」
「分かりました。それでは現金で頂きましょう」
ご主人様は、アグニさんが金庫から現金を取り出し、請求書に記載された金額を支払うまでコルト・ローマンの銃口を向けたまま下ろしませんでした。
「これで……見逃してくれるんだよな……?」
微かにそれを待ち望むように、アグニさんがご主人様に尋ねます。
どこまで往生際の悪い人でしょうか。こんな人を見たのは、初めてです。
しかし、ご主人様はそれを許したりはしませんでした。
「……マリア、警察と使用人保護団体に連絡を」
「はいっ!!」
ご主人様の言葉に、私はすぐに答えます。
この時ほど、私は支持を待ち望んでいたことはありませんでした。
私はすぐにプロキオンさんに訊いて電話を借り、警察と使用人保護団体に連絡しました。
それからどうなったのかを、ある程度オレが記しておく。
アグニ氏は、警察に使用人虐待の容疑で逮捕された。
これから警察と使用人保護団体職員の立ち合いの元、取り調べが行われるらしい。
アグニ氏から虐待を受けていた雑役女中のプロキオンは、使用人保護団体のシェルターに入ることとなった。
警察と使用人保護団体職員の会話によると、身体の傷の治療だけでなく、心のケアもしなくてはならないようだ。
プロキオンは礼儀正しく、オレとマリアに別れを告げてくれたが、それはまだ解放されたという現実を受け止め切れていないだけなのかもしれない。これまで通りの自分を意識して動いていきながら、少しずつ今まで表現できなかった自分を表に出せるようになっていくだろう。
そしていつか、使用人保護団体はプロキオンの件でオレに仕事を依頼してくるかもしれない。
そうなったら、喜んで仕事を引き受けたいものだ。
しかし、それで終わりではなかった。
プロキオンを助け出したオレとマリアを待っていたのは、警察署での事情聴取だった。
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次回更新は、8月26日の21時を予定しております。





