第20話 港での仕事
オレはマリアと共に、この町の港へと足を踏み入れた。
巨大な船に、船から積荷を揚げ降ろしするために動いている巨大なクレーン、次々に船から水揚げされていく大量の荷物、腕っぷしの強そうなガタイの良い港湾労働者たち……。
港に仕事で来ることは、これまでにも何度かあった。
そして毎回来るたびに、オレは世界が広いことを目の前に突きつけられているような感じがした。
「ご主人様、ここが港ですか?」
「そうだ。マリアは、港に来るのは初めてだったな」
マリアは先ほどから、オレの隣を歩きながらキョロキョロと辺りを見回している。
無理もないか。オレも初めて港に来たときは、目に飛び込んでくるもの全てが新鮮だった。マリアのようにキョロキョロと辺りを見回しながら歩き、港湾労働者からどやされたこともあった。
「港でのお仕事なんて、初めてです。どんなことをするのですか?」
「書類作成に変わりは無いけど、ちょっと専門的な書類なんだ。とりあえず、港湾管理組合というところに行こう。今日はそこで、出張書類作成を依頼されたからな」
オレは歩きながら、港の中でも陸地よりにある大きな建物に向かって歩みを進めていく。
港湾管理組合の建物は、港の中にある建物の中では唯一のビルだ。
ビルとはいっても、そんなに高い建物じゃない。せいぜい、3階建てだ。
しかし港の中では、他の建物と違って唯一赤レンガで作られているモダンな印象の建物だ。だから目立つし、港の中でもそれが特別な存在であることがひと目でわかる。
そしてその建物の中に、港湾管理組合の事務所もある。
今日の仕事は、そこで行う約束になっている。
オレはマリアと共に、赤レンガの建物へと向かっていった。
港湾管理組合の事務所となっている、赤レンガの建物。
その見た目から、海の男たちの間では港湾管理組合のことを『赤レンガ』と呼ぶこともあるほど、特徴のある存在として港に君臨している。
事務所の扉を開け、オレは入ってすぐのところに置かれている呼び出しのベルを鳴らした。
「はぁい! 少々お待ちください!」
奥から声がして、1人の作業服を着た中年の男が出てくる。
作業服はほとんど汚れておらず、男が現場作業をしているわけではないことを物語っていた。
作業服だけでなく、腕も細く、顔つきも険しくはない。事務方の人間であることが、なんとなく分かった。
「代書人のシリウスです」
「これはこれは、お待ちしておりました」
作業服の男は、丁寧なお辞儀をしてくれる。
「私は港湾管理組合のアルビレオです。ところで、そちらのメイドさんは……?」
オレの後ろにいるマリアが気になったらしく、覗き込むようにオレの背後に視線を向ける。
「私が雇用しているメイドのマリアだ。私の補佐をするために、連れてきたんだ」
「かしこまりました。しかし、注意してください」
アルビレオは頷くと、オレに視線を向けた。
「港には屈強な海の男たちが大勢います。そして彼らは、女性に接する機会が少ないので、女性に飢えている者も大勢居ります。なにしろ、港に女性はほとんどおりません。彼らを侮辱しているわけではありませんが、くれぐれもご用心ください……」
アルビレオが真剣なまなざしでそう告げてくる。
確かに、本人たちには悪いが、ここではマリアを1人で歩かせるようなことは、しないほうがいいだろう。
オレは頷くと、アルビレオに案内されてマリアと共に港湾管理組合の事務所へと足を踏み入れた。
「こちらでございます」
アルビレオによって連れてこられたのは、港湾管理組合の事務所の奥にある部屋だった。
そこには事務机が用意され、すでに数多くの書類が事務机の上に重ねられている。
「なんとか本日中に、税関に提出する書類を作っていただきたいのです!」
「これは……すごい量だ」
オレは書類を手にして、呟く。
輸出入に係る書類、関税に係る書類、輸出入の際に行われる検疫検査に係る書類、内容物の証明書、特別な許可を必要とする品物を輸入する際の申請書、そしてそれらに付随する書類……。
あまりの多さに、オレは気が遠くなりそうだった。
港湾管理組合が扱う書類は数多くある。そのことはオレも知っていたが、こんなにたくさんの種類の書類を、一度に見せられたのは初めてだ。これまでは、多くても2~3種類だったのに、今回はその倍以上はある。
本来なら、もう1人か2人ほど代書人が必要な量だ。
それもオレのような普通の代書人ではなく、海事代書人というより専門性の高い代書人の領域となる。
だが、ここまで来て仕事を放棄するわけにはいかない。
自ら信用を失うようなことはしない。
報酬を受け取ってやるからには、たとえ量が多くても、必ず依頼人に応える。
それがオレのプロとしてのポリシーだ!
「報酬はお約束通り、お支払いいたします!」
「わかりました。さっそく仕事に取り掛かります」
オレは書類カバンを置き、事務机に向かった。
それを見たマリアも、イスを持ってきて万年筆を手にした。
昼を過ぎた頃。
オレとマリアは、書き上げた全ての書類に目を通し、チェックしていく。
まずマリアが記入漏れやおかしな箇所がないかチェックし、最後にオレが全ての書類をチェックする。
ダブルチェックをすることは、これまでにも何度もやってきた、ミスを減らすための手順だ。
そして今、オレは最後の書類に目を通し、記入漏れや記入ミスが無いことを確認し、チェック済みの書類の山に置いた。
これで、全ての書類が完成した。
「で……できた……!」
「お……お疲れ様でございます……ご主人様」
オレとマリアは万年筆を置き、すっかり凝り固まった肩をほぐし、腕をマッサージする。
しかし、オレの仕事はまだ終わったわけじゃない。
これからこの書類の山を、アルビレオに手渡しに行かなくてはならない。
無事に引き渡して、後日報酬が降り込まれてから、やっと仕事が完了したことになる。
「よし、これをアルビレオに引き渡してくるか!」
「はい!」
オレとマリアは書類を手にすると、アルビレオの元へと向かった。
「ありがとうございました!」
出来上がった書類を手に、アルビレオが深々と頭を下げる。
「シリウスさんにお願いして、本当によかったです! 海事代書人が拒否した書類を、こんなに短時間で書き上げてしまうなんて……!」
「それでは後日、請求書をお送りさせていただきます。記載されている口座に、3日以内に振り込んでくださいね」
「はいっ! 報酬はお約束通りにお支払いいたします!」
「それでは、またのご依頼をお待ちしております」
オレはアルビレオにそう云うと、マリアと共に荷物を手にした。
さて、これから食事を食べに行くとするか。
港湾管理組合の事務所を出たオレとマリアは、港を歩いていた。
「ご主人様、ずっと建物の中に居たせいでしょうか? 外が広く感じられます」
「あぁ。そうかもしれないな」
オレはそう云って、歩きながら海を見た。
港の向こうに広がっている海は、水平線まで続いている。
思わずオレは、立ち止まってしまった。
「ご主人様……?」
「……マリア、少しここで休憩していこうか」
「……はい、ご主人様」
近くに置かれていたベンチに、オレとマリアは並んで腰かけた。
海から吹いてくる風は、潮の香りを運んでくる。
時折響いてくる船の汽笛が、妙に心地よかった。
「ご主人様、あの海の向こうには、わたしたちが暮らしている国とは、全く別の国があるんですよね?」
「あぁ、そうだ」
マリアの問いにオレは頷く。
「わたし、一度でいいので他所の国に行ってみたいです。……あっ、すみません、忘れてください」
「マリア、いつか海の向こうまで行ってみようか」
オレがそう云うと、マリアは驚いたような表情をしてから、笑顔になった。
「ありがとうございます、ご主人様。お気持ちだけでも、嬉しいです」
そう云ったマリアに、オレは少しガクッとなった。
気持ちだけじゃ、なかったんだけどな。
休憩を終えるころには、オレもマリアもすっかり腹が減っていた。
事務所に戻るまで、持ちそうにない。
しかし、オレはあまり心配はしていなかった。
それは、オレたちのいる場所が港だったからだ。
「この港には、美味しい食堂があるんだ」
オレは歩きながら、マリアにそう云った。
「そこでお昼にしようか。もちろん、オレ持ちだ」
「はいっ、ご主人様! ありがとうございます!」
マリアは目を輝かせて、オレにお礼を告げる。
他愛もないやりとりをしていると、食堂の近くまで辿り着いた。
食堂は港の中にあり、水揚げされた新鮮な魚介類を使った料理が中心の店だった。
前に一度、仕事で来た時に食べたことがあったが、その美味しさは格別なものだった。
きっとマリアも、気に入ってくれるだろう。
オレはマリアと共に、食堂『バッカニア』へと足を踏み入れた。
食堂の中では、船乗りや港湾労働者たちが食事をしていた。
昼間から酒を飲んでいる者もいるらしく、外の静けさとは裏腹に、中は騒がしい。
「ご主人様、あそこが空いています!」
マリアが指し示した場所に、オレたちは座った。
席に座ると、すぐに食堂の給仕をしている女性が現れた。
「いらっしゃい。何にする?」
メモを手にした給仕の女性が聞き、オレとマリアはメニューを開く。
注文する料理を決め、給仕の女性に伝えると、すぐにメモの上をペンが走った。
「それじゃ、ちょっと待っててね」
注文を終えると、給仕の女性は去っていった。
オレとマリアは料理が運ばれてくるまでの間、しばらく騒がしい店内で待つことになった。
「なんだか、にぎやかな場所ですね」
「マリアは、こういう場所は苦手?」
「いえ、わたしはご主人様と一緒なら、どんな場所でも平気です!」
マリアはそう云ったが、視線は泳いでいた。
食事を終えたら、なるべく早くここを出よう。
オレはそう思い、給仕の女性を見つけるたびに「早く料理を持ってきてくれ」と目で訴えた。
料理が運ばれてきたのは、注文から10分くらい経ったころだった。
注文した料理を見たマリアは、先ほどまでの落ち着かない様子はどこへやら。今ではすっかり、目の前の海鮮料理に目を奪われている。
「さて、食べようか」
「はいっ!」
マリアはすでに、フォークを握り締めている。
もう待ちきれない様子だ。いつもの控えめなマリアとは違うマリアが、そこにはいた。料理を目の前にして、目をキラキラさせている。
その後のことは、オレは今でも時々思い出してしまう。
マリアはまるで飢えた子供のように、次々に料理を口に運んでいった。その速さは恐ろしいほどで、オレも周りの港湾労働者や船乗りたちのことも、今は視界にない様子だった。
よほど美味しかったのだろう。
ここにマリアを連れてきて、本当に良かったとオレは思わずにはいられなかった。
また港での仕事の依頼があったら、必ずここに立ち寄るようにしよう。
オレはそう決めてから、運ばれてきた料理を食べ始めた。
会計を済ませて外に出ると、2時を過ぎていた。
少しだけゆっくりしすぎたな。
「ご主人様、とっても美味しかったです」
マリアが歩きながら、オレに顔を向けた。
「ご馳走様でした。ありがとうございました!」
「気に入ってくれて、良かった」
オレはそっと、マリアの手を取る。
「また港での仕事が入ったら、食べに行こう」
「……はい!」
マリアが元気よく、頷いた。
こうしてオレとマリアは、大満足で事務所兼自宅へと帰っていった。
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次回更新は、8月23日の21時を予定しております。





