第21話 温泉旅行~前編~
「終わったあ!!」
オレは最後の書類を書き上げて万年筆にキャップをつけると、万年筆を机の上に放って身体を伸ばした。
1週間かかって、オレは大量書類作成依頼の仕事を片付けた。
本来なら代書人3~4人で作っていく書類の数々を、オレは1人で全て作った。
当然、それだけの書類を作り上げていくのだから、疲労も他の仕事より多い。今のオレは、何をするにも億劫になりそうなほどに疲れていた。
もう今日は働きたくない。
というか、しばらく労働はしたくないな。
身体も脳も、黄色信号を出している。
「ご主人様、お疲れ様でした」
マリアが予定していたかの如く、紅茶を持ってきてくれた。
「あぁ、ありがとう」
オレは紅茶を受け取り、すぐに一口飲んだ。
砂糖を多めに入れてあるらしく、紅茶は甘かった。そして柑橘系の爽やかな香りが、オレを癒してくれた。
「美味しい紅茶だ」
「砂糖を多めに入れてみました。そして、疲れに効果があるというレモンを効かせてみました」
「さすがマリア。これは至福の一杯だ」
「ありがとうございます、ご主人様」
マリアがそっと、頭を下げた。
思えばここ数週間、オレもマリアも働きづめだった。
仕事がない日は無く、大量書類作成依頼を受けるまでにも、多かれ少なかれ仕事はあった。依頼をこなせばこなすほど、おカネは入ってくるから、オレは寝る間も惜しんで働いたりもした。
そしてオレを支えてくれるマリアも、よく働いていた。オレが任せている家事一切と生活必需品の買い出し、料理やそれほど労力を必要としない力仕事。時折、大量書類作成依頼の合間に簡単な事務作業を手伝ってもらったりもした。マリアが読み書きができるメイドで本当に良かったと、オレは何度思ったか分からない。
また、働いている時間は、オレよりもマリアのほうが多いはずだ。オレは仕事が少ないときは、新聞を読んだりして休憩していることもあったが、マリアの仕事はいつも一定だった。
食事を作ったり掃除をしたり、洗濯をしたり買い物をしたり……。そういった家事全般は、生活していく上で避けては通れないことばかりだ。そしてオレはそれを、マリアに一任させていた。
きっとオレと同じかそれ以上に、マリアは疲れているに違いない。
「……温泉に行こうか」
オレがそう云うと、マリアはそっと頷いた。
「かしこまりました、ご主人様。お出かけしている間は、わたしが留守番を務めます」
「えっ?」
首をかしげるオレをよそに、マリアは続けた。
「ご主人様はどうぞごゆっくり、身体の疲れを癒してきてください」
「違う、違うよマリア」
オレがそう云うと、今度はマリアが首をかしげた。
「ご主人様……?」
「マリアも一緒に、温泉に行くんだよ」
そう告げると、マリアは信じられないといった様子で目を丸くした。
「わっ、わたしもですか!?」
「そういうこと。明日出発しようと思うんだけど、マリアの予定は?」
「明日は……いつも通りのことをしようかと、考えておりました」
つまり、マリアの特別な予定は何もない。
いや、マリアは基本的に自らどこかに出かけたいなどとは云わない。メイドとして、そんなことをするのはおこがましいと思っているのかもしれない。
だが、オレが誘ってきたときは、断ってくることは1度も無かった。
「それじゃあ、明日の午前中に出発しよう。泊まる場所の予約はしておくから、荷物をまとめておくように」
「はっ……はいっ!」
マリアは元気よく返事をする。
どうやら、喜んでいるみたいだ。
オレは左右にブンブンと激しく振られるマリアの尻尾を見て、そう推察した。
翌日。
荷物をまとめ終えたオレがトランクを持って降りてくると、それに続くかのようにしてマリアも降りてきた。
デネブ伯爵のところに出張したときに使ったものと同じトランクを、マリアは両手で抱えている。
どうやら、準備は整っているらしい。いつでも出発できますと、マリアは表情で訴えていた。
「よし、そろそろ出発しようか。マリア、準備はいい?」
「はいっ、ご主人様!」
マリアはトランクを持ち直すと、勝手口の方へと向かおうとする。どうやら、車庫に置いてある自動車に向かおうとしていたようだ。
そんなマリアを、オレは止めた。
「マリア、今回は自動車は使わないよ」
「それでは、馬車を使うのですか?」
「いいや、今回の移動手段は、汽車だ」
オレの言葉に、マリアは狐耳をピンと立てた。
汽車を使うとは思ってもいなかったらしい。
「汽車を使うんですか!?」
「そうだ。さぁ、早くしないと乗り遅れる。行こう」
そう云って歩き出すと、マリアは後れを取るまいとばかりに、オレについて歩き出した。
駅に到着したオレは、自分とマリアの分の切符を購入する。
オレとマリアが乗る列車の切符には「EXPRESS」の文字が並んでいる。つまり、急行列車だ。
急行列車に乗るなんて、何年ぶりだろう。ここ最近は仕事でも、列車を使うことはほとんどなかった。オレは久々に乗る列車に、どこか気持ちが湧きたっていた。
マリアに切符を手渡し、改札を抜けると列車が来るホームへと向かう。
ホームには、すでに列車が停まっていて、列車の中は乗客たちが行き交っている。
「オレたちが乗る客車は……おっ、あそこだな!」
切符に記された客車を見つけたオレは、マリアを連れて客車に乗り込む。客車の中を移動し、オレたちが購入した切符に記された座席を見つける。窓際の、見晴らしの良い座席だ。
そして特徴は、座席のある場所が個室だということだ。
荷物を網棚の上に置き、オレとマリアは座席についた。
「列車の中にも個室があるなんて……!」
「オレも初めて使ってみたが、これは想像以上だ」
扉もついていて、この個室が長距離移動用だということが、なんとなく分かった。
座席の長さも、横になった時にちょうど良い簡易ベッドになる長さだ。
「まもなく出発時刻となります。ご乗車の方はお急ぎください。お見送りの方は、列車より離れてください」
駅員のアナウンスが聞こえてくる。それからすぐに、ドアが閉められる音がした。
その直後、開けた窓から蒸気機関車の汽笛が聞こえてきた。ガシャン、という金属が動く音がして、ゆっくりと列車が動き出す。窓の外の景色が動いていき、その動くスピードはどんどん上がっていった。
やがて駅を出て、市街地の景色へと移り変わる。さらに市街地を抜けると、田園風景が続いていく。
もうすっかり、街を離れてしまったな。
ここに来るまで、いくつかの駅を通り過ぎた。
オレはふと、向かい合わせの席に座っているマリアを見た。
マリアは外の景色に夢中になっているらしく、窓の外を眺めている。
すると、オレの視線に気づいたらしく、マリアはオレに向き直った。
「ご主人様、どこまで行くんですか?」
「ちょっと、遠くにな。そこにいい温泉宿があるんだ」
「温泉宿……楽しみです」
マリアの表情が柔らかくなる。
「そういえば、マリアは汽車に乗るのは初めて?」
「いえ、以前に一度乗ったことがあります。救貧院から逃げ出す時に、最終列車に行先もみずに飛び乗って……それ以来です」
「……あの夢で見た救貧院か」
「はい……あの時は逃げるのに必死でした。でも、今は違います」
マリアは尻尾を振りながら、続けた。
「今は逃げるために汽車に乗ったわけじゃないのが、嬉しいです。それに鉄道の旅は初めてなので、何があるかとても楽しみです!」
そのとき、個室のドアがノックされた。
オレが立ち上がってドアを開けると、そこには車内販売のワゴンを押した中年女性がいた。
「弁当やお飲み物はいかがですか?」
女性が押しているワゴンには、弁当や飲み物、お土産、お菓子、雑誌や新聞などが所狭しと詰め込まれている。子供から見たら、きっと宝の山に見えるに違いない。
オレは窓際に座っているマリアに、顔を向けた。
「マリア、せっかくだから弁当を買おうか」
「はっ……はいっ!」
オレの提案に、マリアは驚きつつも尻尾を振りながらそう答えた。
駅弁とお茶を購入したオレとマリアは、駅弁を食べつつ景色を眺めながら西へ西へと鉄道の旅を続けていった。
そして昼過ぎに、オレとマリアは海沿いの温泉がある街に到着した。
古くから温泉のある港町として栄えてきたこの街は、疲れを癒しに来る人たちのために、海鮮料理も発達していった。温泉と美味しい料理があれば、必然的に温泉宿が商売として成り立つようになる。
「さぁ、到着したぞ」
オレはマリアと共に、駅を出た。
駅を出た瞬間から、温泉のある街特有ののどかな空気にオレたちは包まれる。
「ご主人様、どちらにご宿泊するのですか?」
「こっちだ」
オレはキョロキョロしているマリアの手を掴み、歩き出した。
「わっ! ご主人様っ!?」
「あっ、ごめん!」
慌ててマリアに歩幅を合わせ、オレたちは高台に向かって歩いていく。
マリアを連れてやってきたのは、少し高台にある旅館だった。温泉に入り放題なだけでなく、海も見えて美味しい海鮮料理を出してくれることで、有名な旅館だ。普段でも予約を取るのが難しいといわれていたが、思ったほど難しくは無かった。
チェックインを受付で済ませると、すぐに仲居さんがやってきてくれた。そしてオレとマリアを部屋に案内してくれた。
部屋に入ると、予想していたよりも広い部屋にオレたちは驚いた。大きく開かれた窓からは海や港が一望できる。
解放感があって、まるで大金持ちになったような気分がした。
「館内着はこちらに置いてあります。温泉はいつでも入浴できますので、ご自由にお入りください。何かありましたら、こちらのベルを鳴らしていただければ、スタッフの者が参りますので、困った時はお使いください」
「ありがとうございます」
「それでは、どうぞごゆっくりしていってください」
仲居さんが去っていくと、オレとマリアは荷物を降ろし、上着を脱いだ。
「いい部屋が取れて、本当に良かった」
オレはソファーに腰掛け、窓の外を見る。
青い海が広がっていて、別荘に来たかのような錯覚に陥ってしまいそうになる。
ふとマリアを見ると、落ち着いた様子がない。
あちこちをキョロキョロと見回している。
「……マリア、どうかした?」
「こんなに立派なお部屋に……わたしは本当に泊っても、いいのでしょうか?」
その言葉で、オレはマリアの心情を察した。
マリアは自らがメイドということを意識しすぎている。そのことを伝えて、マリアの気持ちを切り替えさせないと、床で寝るとか云い出すかもしれない。
そうなってしまったら、なんのために温泉旅館に来たのか分からない。
オレはソファーから立ち上がると、マリアの前に立った。
「いいんだよ、マリア」
そっと、マリアの頭に右手を置いた。
「マリアはメイドだけど、この旅館にとってはオレと同じお客さんだ。それに、今回は休暇で来たんだ。普段のことは忘れて、ここに居る間は思う存分羽を伸ばそう」
「……はい!」
「さて、さっそくだけどオレは温泉に入りに行ってくるとするか」
オレが部屋に備え付けられていたハンドタオルを手にすると、マリアも同じようにハンドタオルを手にした。
「わ、わたしも温泉に行きます!」
「それじゃ、鍵を持って行かないとな」
マリアに鍵を手渡し、オレはもう1つのカギを手にする。
着替えの服を手にし、温泉に向かう。着替えの服はオレが半袖半ズボンの上下で、マリアはゆったりしたワンピースだった。共に麻でできているらしく、肌触りは良い。
「ご主人様、温泉に入るなんて初めてです。みんなでお風呂に入るなんて、なんだかすごいですね」
「そうか。オレは何度か入ったことがあるんだが、シャワーだけとは違って、温泉に浸かるのは気持ちがいいぞ。一時は毎週のように、温泉に通っていたこともあった」
「すごいです! 毎週、こんなに遠くまでなんて!」
「いや、近場だよ。宿泊しなくてもいい温泉なら、もっと近い場所にもあるんだ」
オレはマリアとそんな他愛もない会話をしながら、温泉までやってきた。
温泉は入り口で、男女に分かれている。そしてここには、混浴の温泉はない。男と女は、ここで強制的に別々の温泉に入らなければならないのだ。
「マリア、温泉の入り方は分かる?」
「はい。なんとなくですが……」
「そうか。分からなくなったら、近くの人の動きを見て、その動きを真似すれば大丈夫だ」
「ありがとうございます、ご主人様」
「それじゃ、また後で」
オレはそう云ってマリアと別れ、男湯へと足を踏み入れた。
温泉から出るころには、すでに夜になっていた。
麻の衣服に着替えたオレは、温泉の入り口近くで、マリアが出てくるのを待つ。
「ご主人様」
突然、オレは背後から声をかけられた。振り返ると、そこにはワンピースに身を包んだマリアがいた。
メイド服のマリアばかり見ていたためか、相手がマリアだと認識するまでに、若干のタイムラグが発生した。
「温泉、気持ちよかったです」
「よし。それじゃあ、そろそろ夕食を食べに行こうか」
「はいっ!」
オレとマリアは温泉からそのまま、旅館の中にあるレストラン『潮騒』へとやってきた。
すでにレストランの中は食事をしている人が大勢いたが、幸いにもオレたちは空いている席へと案内された。2人で使うには少し大きすぎるテーブルを、オレとマリアは囲んだ。
「当レストランをご利用いただき、誠にありがとうございます」
ウエイターがやってきて、オレとマリアにメニューを手渡してくる。
「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのベルを使ってお呼びください」
小さな卓上ベルを置いて、ウエイターは去っていく。
オレとマリアはメニューを広げ、料理の写真を眺めながら、何を注文しようか思案する。お腹が空いているためか、どの料理もとても美味しそうに見える。
「ご主人様、色々あって迷っちゃいます」
「これだけあるから、なかなかどれか1つを選ぶのは難しいな」
メニューに並んでいる料理は、どれもこれも美味しそうなものばかりで、オレとマリアはどうしても迷ってしまう。
しかも風呂上がりだ。お腹は空いているが、肉料理のようなあんまり重いものは、食べる気になれない。
だが、このレストランのメインメニューは海鮮料理だ。
肉料理のように重いものは少なく、あっさりした料理が多い。
だからこそ、迷ってしまうものである。
「ご主人様、私はこれにします!」
マリアが示したのは、海鮮料理のフルコースだった。
いつもは控え目なマリアがフルコースを選ぶなんて、珍しかった。
「それにするのか?」
「はい。……いけませんか?」
「オレも、それにしよう!」
マリアが選んだ海鮮料理のフルコースは、とても美味しそうだった。
オレは迷うことなく卓上ベルを掴み、鳴らした。
すぐにウエイターがやってきて、オレとマリアは海鮮料理のフルコースを注文した。
運ばれてきた海鮮料理のフルコースは、この世のものとは思えない美味しさだった。
フルコースということもあり、オレたちが1品食べ終えると、それを見計らっていたかのようにウエイターが次の料理を運んでくる。コース料理に含まれている料金で出される酒も美味しく、普段は酒を飲まないマリアも、今宵ばかりはお酒を口にしている。
「ご主人様……とっても美味しいです」
「うん。私もこんなに美味しい海鮮料理は初めてだ」
フルコースだが、湯上りの身体にも負担になりにくい。これはよく考えて構成されているフルコースだな。
お酒の力もあるのかもしれないが、食べ進める手が止まらない。
「お酒も……よくお食事に合います。初めて飲みましたが、お酒ってこんなに美味しいものだったんですね」
マリアがそんなことを云って、お酒を飲み干した。
少し酔いが回ってきたようで、マリアは頬を紅くし、トロンとした目をしている。
そんなマリアが、オレにはとても魅力的で、いとおしく感じられた。
どうしてだろう。
今までこんな気持ちになったことは、一度だってない。なぜならマリアはメイドだ。彼女や妻ではない。オレはマリアを、女性として見てはいけない。
あくまでもオレは、マリアの雇用主であって、マリアの男ではないからだ。
「……ご主人様?」
マリアがフォークとナイフを置き、オレの顔を覗き込むように見つめてくる。
「どうしたんですか? 食事、進んでないみたいですよ?」
「あ……あぁ、なんでもないよ」
オレはそう云い、お酒を飲んだ。
きっと、何かの間違いだったのだろう。そういうことに、しておこう。
お酒を飲み干すと、急に辺りが薄暗くなった。
そしてレストランの奥にある舞台らしき場所に、スポットライトが当てられる。
「レディースアンドジェントルメン! 今宵は潮騒でのディナーをお楽しみいただき、誠にありがとうございます!」
舞台の上に、白いスーツを着た男が現れる。
「これよりは、大道芸人による華麗なるショー、そして有名なトロット楽団による生演奏を披露いたします。どうぞ皆様、お食事をされながらお楽しみくださいませ!」
辺りから拍手が起こり、舞台の上には大道芸人が現れた。大道芸人たちは音楽に合わせながら、次々とショーを展開していく。オレはマリアと共に、食事をしながらショーに見入る。
大道芸人のショーの後は、トロット楽団による生演奏の中、オレとマリアはフルコースを堪能した。
最後のデザートまで食べ、生演奏が終わってから、オレとマリアは部屋へと戻った。
部屋に戻ってくると、マリアはベッドに腰掛けた。
「ふぅ、食べ過ぎちゃいましたぁ……」
いつもはどこか緊張した面持ちでいることが多いマリアだが、お酒のせいか今はどこか抜けているように見えた。
「お腹いっぱい食べられて、幸せですぅ」
「それは良かった」
オレはそっと、壁に掛けられた時計を見た。
現在の時刻は21時。夜の9時だ。温泉は24時間、いつでも入ることができるため、今からもう1度入っても問題はない。ちょっと酔い覚ましに温泉に浸かってくるのも、温泉旅館に泊まった時しかできないことだ。
「さて……オレはこれから、もう1回温泉に入ってくるけど、マリアはどうする?」
「わたしは、部屋で休憩してますぅ」
マリアは身体を左右に少しだけ動かしながら、そう答える。
オレが思っているよりも、飲んでいるようだ。もしかしたらマリアは、酒には強くないのかもしれない。オレが温泉に入っている間に、気分を悪くしないか少し心配だ。
「ご主人様ぁ、わたしは大丈夫ですぅ。遠慮なさらず温泉に入ってきてくださいぃ~」
「本当に、大丈夫か? だいぶ飲んでいるみたいだが……」
「大丈夫ですぅ。ご主人様ぁ、しばらくしたら酔いも覚めますぅ」
「そ……そうか。それじゃあ、行ってくるよ」
オレは少し心配しながらも、カギとタオルを手にして、温泉へと向かった。
「ふぅ……気持ちよかったぁ」
温泉から出てきたオレは、カギを使って部屋のロックを解除し、中に入る。
どうか、マリアが無事でいますように!
そう願いながら部屋に上がり、ベッドが置かれた部屋へと入る。
マリアは、オレが温泉に行く前とほとんど同じ位置にいた。
酔って気持ち悪くなったり、酔いつぶれて寝ているようなことがなくて、良かった。
しかしマリアは目を瞑って、少しだけ顔を前後に揺らしている。
眠るまで、秒読みといったところだろうか。
「マリア」
「んぁっ……ご主人様ぁ……?」
マリアが目をこすりながら、オレを見上げる。
「マリア、もう眠る直前じゃないか」
「大丈夫です……」
マリアは、落ちそうになるまぶたを動かした。
「ご主人様が寝ていないのに、メイドのわたしが先に眠ることなんてできませんから……」
そう云いつつも、マリアは大きなあくびをする。
時計を見ると、もう22時半を過ぎている。そろそろ眠っても、いい時間だろう。
オレも、少しずつ眠くなってきた。
「じゃあ、そろそろ眠ろうか。久々に、1つのベッドで寝るか?」
オレがそう聞くと、マリアは驚いた様子を見せたが、すぐに元に戻った。
「はい……ご主人様がお望みでしたら」
マリアはそう云って、オレが座っているベッドに入ってくる。嫌がられるかと思ったが、そんなことは無かった。
そっと胸を撫でおろし、オレは部屋の明かりを消した。ベッドのわきに置かれた、小さな電気スタンドの灯りだけを点け、マリアがいるベッドに入る。
「マリア、狭くないか?」
「大丈夫です。……ご主人様」
「マリア……?」
「……ご主人様、わたしを抱いても……いいですよ」
オレは首をかしげた。
マリアが何か云っているみたいだが、声が小さくて聞こえなかった。
「マリア、何か云った?」
「い、いえ! お、おやすみなさいませ、ご主人様……」
「あぁ、おやすみ、マリア」
オレは電気スタンドに手を伸ばして、スイッチを押した。
灯りが完全に消え、辺りは真っ暗になってしまう。
すぐに隣から、マリアの寝息が聞こえてきた。
お酒の力だろう。あっという間に、眠ってしまったようだ。
それにしても、マリアからはいい匂いがする。
お酒を飲んだ後は、誰しもが酒臭いにおいを漂わせているものだが、マリアは違う。
いつもと同じ、マリアの匂いしかしてこない。
ちょっとした出来心から、オレはマリアの髪の毛を手に取り、匂いを嗅いでみた。
マリアのなんともいえないいい匂いが、オレを包み込むようだった。
あぁ、何て落ち着く匂いだろう。
ずっとずっと、嗅ぎ続けていたい……。
こうしてオレは、マリアの匂いに包まれながら眠った。
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次回更新は、8月24日の21時を予定しております。





