任務遂行の間に
「なんで俺がぁ。」
文句を言いながら如月がそっぽを向く。女子高生さながらの言葉の強弱にすこし呆れる。上目使いは女の子の特権だと思うなよと言わんばかりの態度の如月は残念なことに立派な成人男子だ。
「適任なのだが、無理ならいい。」
「無理なんて言ってないけど。ご褒美チョーダイ。」
「褒美か。どうする?メグ。」
「謝礼はします。」
「ちょっと!女装男から謝礼なんていらないよ!だいたいなんだよ、吹っ切れたみたいにぴらぴらの服着やがって!ご褒美って言ったらカオリのチューでしょ!?」
「カオの頼みごとでないのにカオが褒美を出す筋合もなかろう。わしが如月の代わりに行ってこよう。」
如月の隣で黙っていたヒスイが口を開く。どうしてこういつも幼児らしからぬ言葉がでてくるのだろうか。
「ヒスイ、取ってくるものは少し重いからな。あと少なくとも5年ほど育たねばヒスイでは運べないだろう。」
それに忍び込む形で行って、通帳、印鑑などの重要書類を取ってくるのだ。大人の判断力がいる。私のチューでいいなら如月にくれてやっても構わんだろう。
「ほっぺでいいのか?」
そう言うと如月が嬉しそうに目を輝かせた……が。
「カオ。わしと結婚してくれる約束をしたのではないか?ならば、今は婚約中だ。そのような不貞は許さないぞ。」
……思わぬヒスイからのヨコヤリだ。しかし、不貞ってどこで覚えたんだ。最近は家でサトが昼ドラばかり見ているからな。毎日毎日、あり得もせんことばかり起こる話で確か昨日は実の兄妹であることが発覚して海で無理心中、その後は記憶喪失らしい…しかも二回目の。さすがに録画で見るように言っておかねば教育に悪かろう。ヒスイと結婚……確かにそんなことを約束したな。ヒスイが年頃になったら迫りくるおばちゃんに尻尾巻いて逃げるだろうが今は約束に違いない。どうするか、と思っているとヒスイが如月を諭す声がする。
「如月、無理矢理そのような行為を相手に強要しても嫌われるだけだぞ?メグの頼みを聞いて株を上げるくらいでないと男ぶりは上がらん。」
「う、はい。」
なぜだか最近如月がヒスイの前では素直だ。目をつぶれば侍従関係の様に聞こえなくともない。20も違うのに如月……。
「では、わしと如月が行ってこよう。ほら、カオも如月の活躍に歓心するに違いない。」
「わ、わかった!頑張る。」
……どっちが小さい子かわからん。が、如月が行ってくれるのは助かる。私もサトもメグの母親に顔が知られているし、口先八丁の如月なら何があっても上手くやるに違いない。
私がメグが取って来てほしいものリストを如月に渡しているのを見つめる後ろでサトだけがヒスイを恨めしそうに眺めていたがその時は別段何も感じなかった。
*****
メグは母親に「探偵が調べた月一で会っていた人物が門田カオリとは違って門田薫という男である」と説明した。母親も道場まで押しかけてサトと勘違いしたのもあってかすんなり信じたらしい。写真の人物が「男」に十分見えたことが私には複雑だがこの際それは置いておく。男友達と会っていたのだから当然母親は別の「女」の影を探すのだが、ここでメグは架空の彼女と外国へ逃亡したと見せかける航空券をワザとちらつかせて見せた。……母親はメグが今海外にいると思っている。
「メグ、いくらなんでも暫らくしたらばれるぞ。」
「……1、2ヵ月時間が稼げればいいんです。私は自由になることに決めました。ここで暮らしてみてこんな私を受け入れてくれる人がいるってわかったんです。母は私の見合い相手に申し訳ないとしか思ってません。認めたくはなかったけれど、レールを外れた私は両親には興味がないと思います。父親の息のかからないところで仕事を見つけたら本当のことを両親に話します。」
「決心したのだな。」
「私は私の本質に従います。ここのみんなに認められて勇気が出ました。」
メグははにかんで笑った。吹っ切れたようないい笑顔だ。確かに今カミングアウトしては父親の逆鱗に触れて監禁でもされかねない。メグの父親は頭の固い人物だ。メグが怯えているのも厳しい父親の影響が大きいだろう。
「でも、如月さんが行ってくれるとは思いませんでした。私は……嫌われているようですから。」
「……如月はメグを嫌っているというより、メグの立場を嫌っているんだ。」
そういうと隣で聞いていたサトが不思議顔で尋ねてきた。
「幸太郎がメグのことライバル視してるだけじゃないの?」
「もう少し、複雑かな。サトは如月の生い立ちは知っているよな。」
「飯塚病院の相談役の愛人の子供なんでしょ?」
「では、どうして小学3年生の時に引っ越してきたか知っているか?」
「……そういえば、荒れてたとしか聞いてないな。」
「如月と院長の一人息子は同い年でな。小学校が一緒だったので院長の息子に酷いじめを受けていたんだ。それを知った如月の母は如月に泣いて謝ったそうだ自分が愛人だったばかりにってね。それからこっちに越してからは落ち着いていたんだが、高校になったときまた如月は酷い目に合ったんだ。」
「え~と、相談役が幸太郎のお父さんで院長がその息子だから義兄の子供が同い年?ややこしい。で……またいじめられたの?」
「いや、そうではない。如月は昔から勉強が出来てな。将来は医者になるのが夢だったんだ。」
「へ~。初めて聞いた。そう言えば賢かったな。あれ?でも薬剤師になったよね?」
「院長の息子がどうしようもなくてな。一度で医学部に入るのは無理で……如月に嫉妬したのか父親に頼んで如月の邪魔をしたんだ。院長は医者になるなら一切の援助を断ると言ってきた。」
「そ、それって酷い!自分が出来ないからって!」
「もっとひどいのは薬学に進んで飯塚病院に勤務することを強要したんだ。だから今でも悪い状況なのに院長の息子がインターンを終えたら不本意でもその下で使われることになるな。」
「別の病院にいったらいいのに。」
「如月は母親を捨てられん。飯塚からの援助だけが贅沢を覚えてしまった彼女の生活の頼りなのだから。」
「……。」
「大丈夫だサト。如月は策士であるからな。もう何か考えているに違いない。」
「なるほど、だから私の立場が嫌いだってカオリさんが言ったんですね。私が何も考えずに親のレールに乗ってきたから。」
「如月はレールを外される側だからな。メグはメグなりに苦労していることは如月はわかっている。でも、わかっていても人間割り切れることばかりではない。メグは如月のコンプレックスの塊みたいなものなんだ。どうしても嫉妬してしまうのだろう。」
高校からまた如月は荒れてしまった。でも奴は数か月で戻って薬学部を目指した。あれでいて強い心を持っているのだ。
ふう、と三人でお茶を飲んだ。それぞれがきっと如月のことを想っているに違いない。結局憎めない奴だ。
******
如月とヒスイが出かけてから午後はのんびりとしていた。メグも仕事のことで出かけて行ったし、稽古も休日でサトの三男トモもお昼寝中……久しぶりにゆっくりとサトとお茶を飲んでいた。しかし、その安らぎのひと時に思わぬ訪問者がやってきた。
「お久しぶりね。カオリさん、サトリさん。」
威圧的な態度は前からなのだが、前にも増しての迫力だ。
「そっちから一方的に絶縁したんじゃ無かったの?今更何の用があって……よくもまあ、ここの敷居を跨げたもんだね?」
あからさまに嫌な顔をしたサトが応対した。私の眉間にもしわが寄っていることだろう。
「……事情があるのよ。でなけりゃこんなとこ、わざわざ私が訪ねてくるわけがないでしょ。上がらせていただくわ。」
しかし引くような相手ではなく、勝手に応接間まで入ってきた。最近お客は遠慮がないらしい。
「ふん、あの鬼婆の指図かなんかでしょ?取り敢えず、私たちを巻き込まないでよ。ほら、帰れ!」
ぐっと言葉を堪えてサトを睨んでいるこの黒髪の美しい娘の名は「柴山璃音」という。私たち姉妹のハトコと言ったらいいのかバア様の妹の孫だ。どうしてだかは知らないが柴山家は代々女主人が受け継ぐらしく、バア様は大切な長女だった。ジイ様はそんな大事な跡取り娘のバア様と駆け落ちし、そちらの一族から私たちは総スカンをくらっている。あっぱれ、ジイ様。両親が亡くなって私たちを引き取るかどうか打診されたときも「汚点である娘の孫は無関係である」とはっきり言い、絶縁を宣言するような一族だ。今思えば年端もいかぬ子供に酷い言葉だが。
サトが二十歳を過ぎた時に一度だけ私たち姉妹は本邸に呼ばれたことがある。由緒正しそうな古く立派な日本家屋で裏山の崖のようなところに隣接された神社さながらのつくりだったのを覚えている。そこで私たちは半ば強制的に祖母の妹にあたる柴山家当主に財産放棄の書類に判を求められたのだ。そんな強引なやり方をしなくとも持って来ればいつでも判などついたというのに。……まあ、そんなときに盛大に最後まで律儀に私たちを罵倒し続けたのがこの璃音で、サトが目くじら立てて追い返そうとしたとしても当たり前の人物なのである。
「お茶ぐらい入れてくださっても良いじゃない?仮にも親戚なんだから。」
「何言ってんの?頭でも打った?「元親戚」。今はまったく赤の他人。」
「……血統は変えられないわ。」
「はあ?」
「サト、お茶ぐらいは入れてやれ。璃音も飲んだら帰ってくれ。悪いが聞く耳もたん。」
「ふん。」
サトが思い切り出がらしのお茶をジイ様が愛用していた歴代首相の顔のついた湯呑になみなみと入れた。因みにこの湯呑、首相が変わるたびにジイ様が買い足して5,6個は家に転がっている。最後の方は「もう、買わん。」とジイ様は怒り出していたが。
「単刀直入に言いますと、カオリさんを本邸の方に招待するよう母に言付かりました。」
ようやく席に座れた璃音が意を決してサトの入れたお茶を飲み干して言った。
「ばっかじゃないの!行くわけないじゃん!」
「もう、決まったことです。」
「それは、どういう……。」
「また、強引につれて行こうったっれ、そうはいからいろ……れれ?」
サトの言葉尻が揺れる。
「別に、了承を取っていくつもりはありません。」
「ら……らりを……??」
呂律が回らなくなったサトの非難の声を聴きながら私の目の前の世界が……
ぐにゃりと揺れた。