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光速


 「敏捷性がカンストした、……というのは、どういう意味ですか……? 」


 ムラサミが困惑した表情で俺に言った。

 俺たちに会ってからわからないことだらけだという感じだが、「カンスト」という用語も含めて、このことは尚更意味がわからないらしい。


 「カンストというのは“カウンターストップ”のことで、要するに“これ以上上がらない”ということです」

 「つ、つまり……? 」

 ムラサミはまだ良くわかっていないようだ。

 「……これは実際に見せた方が早いかも知れません」


 俺はそう言うと、森のなかに「生体反応感知」のスキルを使った。

 即座に、周囲に生息する魔物の位置が感覚として伝わってくる。


 「僕も初めてだからどうなるかわかりませんが……」

 「は、はあ……」


 敏捷性がカンストして初めてのことだ。

俺は“全力”で地面を蹴ってみた。

 すべての力を籠めたとき、どれくらいの速さが出るのか確かめて見たかったのだ。



 

 それは文字通り“別次元の世界”だった。




 気がつくと俺は数百メートル先の木の間を駆け抜けていた。

 あまりにも時間感覚が濃密なために、辺り一帯のすべてが静止しているようにすら見えた。

 風に揺れる葉、まだ俺に気がついてさえいない魔物、今まさに枝から離れた落ち葉。

 それら全部が、静止しているに近いほどスローになっていた。



 (は、速い……)


 (すべてが止まって見えるほど、速い……)


 俺は森のなかに生息している魔物を次々と古の戦斧で薙ぎ払っていった。

 紅の吸血鬼、群れを成している爛れ馬、腐り木、不気味花、人食い岩石、爛れの巨木、――それらすべての魔物が、俺が近づいたことさえ気がついていなかった。


 唯一、俺の動きを目で追いかけていたのは、マトイだけだった。


 (マトイだけが、俺のことを見ている……)

 

 (ほかのひとは気がついてもいないのに……)


 

 (この娘は魔術量が多いだけじゃない……)


 (ほかにもまだまだなにか特別な儀法を隠し持っているのか……? )


 

 と、マトイの底の無さに驚きながらみんなのもとに戻ると、


 「一瞬で消えて、……戻ってきた」

 とムラサミが呟いた。

 「これが、カンストした、ということです」

 と俺は言った。

 「私は、長年この国で騎士をやっていますが、あれほど速く動く冒険者は初めて見ました……」

 「そ、そうですか」

 「す、すごい、光速の斧使いだ……」

 と、まるで新種の生き物を見るような目でムラサミは俺を見下ろしていた。

 俺自身、新しく備わった自分の力に驚いていた。


 (今度こそ明らかに、むちゃくちゃ強くなっている……)


  俺は自分の強さを確信し、湧き上がる達成感に手が震えていた。


 (……もはや俺、相当強いぞ……! )




 


 ……



 森に潜伏するあいだ、俺たちは夜になるたびに野営をした。

 焚き火を起こして、代わる代わるに見張りをしながら、食事や仮眠を取って休息を取るのだ。

 余裕があるときはみんなで結晶を喰い、軽い酔いのなかでちょっとした宴のようなものを催した。

 そういうとき、話は必ず少ししんみりしたものになった。

 

 「まったく、面目ありません。国がこんなになるまで放っておいてしまって」

 少し酔ったのか、ムラサミがそう零した。

 「ムラサミ、私も気持ちは同じだよ。私の愛するエディーガーデンがここまで荒廃してしまって、マトイお嬢様には申し訳ない気持ちでいっぱいだ」

 シウも少し酔って、そう零す。

 マトイは見張りに立っていたから、代わりに俺がふたりの相手をしていた。

 「国が悪化したのは、いつごろからなのですか? 」

 と俺が聞くと、

 「はっきり悪化したのはマトイお嬢様がいなくなってからですが、それ以前にも予兆はあった。……でも、イマイチ原因がはっきりいたしません」とシウ。

 「確かに、いくら誰も討伐しないとは言え、この魔物の量はかなり異常ですわ」

 と、俺に寄り添って座っていたアオが口を挟んだ。

 「魔物から見てもそうなの? 」と俺。

 「ええ。私たち青蛇は異常繁殖することはありますが、この魔物の量はそれに近い。でも、普通はそんなことは起きません。異常繁殖する魔物は種類が限られています。なにか、特殊な異変が起こっているのでしょう」

 「じゃあ、その原因を探り当てないとだな……」

 みんなでそう納得したとき、

 「……ところで、その蒼い皮膚の女性は何者なのですか……? 」

 とムラサミが言った。

 「私ですか? 」とアオ。

 「え、ええ……。とても容姿は美しいですが、人間には見えない。いったい、どのような御方なのでしょう……? 」

 「私はピギー様の下僕です」

 とアオがにっこりと笑って言った。

 「げ、下僕?? 」

 とシウがびっくりしてのけぞる。

 「ちょ、ちょっと待ってよ、アオ! ……この娘は青蛇の女王です。以前青蛇の群れを討伐したときに、洞窟の奥にいた彼女を拾ったんです」

 とアオの代わりに説明する。

 「青蛇の女王であり、この御方の下僕です。……正式な使役はまだですが、私は身も心もこの御方に捧げております。……それはつまり、正真正銘の下僕でしょう、ピギー様? 」

 とアオは動じずに俺に顔を寄せてふふっと笑う。

 ムラサミたちは、明らかに困惑していた。


 「……いろいろと言いたいことはあるけど、正式な使役ってどうやるの? 前も言ってたよね」

 と聞くと、

 「簡単です」とアオが俺を見つめた。「体液を交換するのです」

 「体液を、交換……? 」

 「はい。要するに、交わるのです」

 「要するに、交わる……?? 」

 「はい。ピギー様が私を抱いて体液をくだされば、正式な使役となります」

 「体液を、あげる……?? 」

 俺は改めてアオの全身を見た。

 アオは皮膚こそ蒼かったが、その造形は美しく整っていた。そしてなにより、妖艶な女性の色気があった。どこか高級娼婦のような美しさに似ていた。

 すでに顔が真っ赤になっている俺に、意地悪く顔を寄せながら、

 「……ピギー様がお恥ずかしいなら、簡易的にも出来ますよ。例えば、口で体液を交換するとか……」

 と言って、アオが自分の唇を舌なめずりした。

 一瞬、彼女の、艶めかしい、蛇のような舌が見えた。そして彼女はふふっと笑った。

 「私はより濃密な交わりの方が好きですけど」

 と付け足した。

 

 童貞の俺はなんて返したら良いかすらわからず、真っ赤になって俯いていた。

 ふふふと、アオはからかうように笑っている。

 「ピ、ピギー様も、いろいろとおありなのですね……」

 とムラサミも困惑してそう呟いていた。

 俺は終始、真っ赤になりながらひとり大汗をかいている。

 「ピギー様、そういうところも、可愛くて好きです」

 とアオが耳打ちした。

 「アオ、もう、本当にやめて」

 と言うと、

 「はいっ」

 と、わかっているのかいないのか、アオは元気にそう返答した。



 ……



 さらに夜が更けたとき、俺は人の話し声で目を覚ました。

 シウとムラサミが、ふたりだけで話をしている声だった。


 「……シウ殿、貴殿とこうして話を出来て良かった」

 「私のほうこそ。ムラサミ殿が下らない貴族の犬に成り下がったのではないとわかって良かった」

 とシウが答える。

 「……いや、私は多分、本物の貴族の犬に成り下がっていたのでしょう」

 「なにを言う」

 「いいえ、本当のことです。そうはならないよう気を付けていたつもりですが、……カラミ様に囲われ、高い報酬を頂き、ろくに国の周辺の警護もしなくなっているうちに、いつしか本物の犬になっていたのです」

 「……ふむ」

 「……心底、反省するばかりです」


 俺はなんとも言えない気持ちでこの話を聞いていた。

 だが、誠心誠意頭を下げるムラサミの誠実さに、軽く心が打たれてもいた。

 エルフであれ人間であれ、過ちを認め、心から謝罪することが難しいことを知っていたからだ。

 

 (ムラサミは昔たくさんのこの国の騎士たちに尊敬されていたとシウが言っていたが……)

 (その気持もわかるな……)

 (会ったときの印象は最悪だったが……)

 (こうして話をしたり、そばで接していると、このひとがすごく誠実で、生真面目なのがよく分かる……)

 

 俺は次第に、ムラサミというエルフに親しみを覚えているのだった。


 「なあに、失敗は誰でもするものさ……。君はまだ若い。いくらでも取り戻せる」

 とシウが渋い声で慰めている。

 「シウ殿……」

 「この国の将来を担うのは君らだ……。マトイお嬢様を頼むよ」

 

 ふたりが結晶で乾杯し合うのが聞こえた。

 俺はなにか、老兵と中年の騎士の、心の通い合う瞬間を見たような気分だった。


 「シウ殿、私はマトイお嬢様やピギー様に出会えて、本当に良かった……」

 「ああ、私も気持ちは同じだよ……」

 

 ふたりがそう言って確かめ合うのが、俺には妙に嬉しかった。




 ……



 それから、十分程時間が経ったとき、


 ――ピギー、起きているならこっちに来て――

 

 と、マトイから思考共有が飛んできた。


 ――起きているよ。……今行く――


 そう言って、マトイが見張っている崖の方角に行くと、


 「今、大物があっちに向かうのが見えた」

 とマトイが言った。

 崖から身を乗り出して遥か下を見下ろすと、巨大な蛙のようなものがのそのそと暗闇のなかを動いているのが見えた。

 「あれが多分、この一帯のボスだと思う」とマトイ。

 「……じゃあ、あれを片付けて、ここらへんは終わりだな」

 

 俺とマトイは、目を合わせて頷いた。


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