軽い
「本当に、お嬢様なのですか……?」
シウ老人がマトイにそう呻く。
「シウ爺、本物の私だよ。ごめん、遅くなって。魔術が使えるようになるまで、かなり掛かった……」
マトイは、心底申し訳無さそうに、老人の前で眉をひそめる。
俺が気づかなかっただけで、マトイはずっとこの国のことを心で想っていたのだろう。
(確かに、ひどい有様だ……)
俺はざっと周囲一帯を見渡した。
数キロ先にエディーガーデンの城らしきものと、それを取り囲む城下町らしいものがあるが、そこを一歩出てしまえば、「完璧な荒野」としか言いようのない、荒れた平地が広がっているのだ。
まるで、人類が死滅したあとの風景のようだった。
これを見たら、エディーガーデンの国が「緑豊かな最古の国」などと、誰も考えないだろう。
「……でもまさか、大蜘蛛に襲われているのがシウ爺だとは思わなかった」
マトイが顔を上げた。
そうなのだ。エディーガーデンの国に入った俺たちは、荒野で襲われている一隊に気が付き、慌てて助けたに過ぎない。
それがまさか、マトイの昔なじみだとは思いもしなかったのだ。
「良かっ――た……」
「シウ爺……」
抑えられずに溢れたというように、シウの目から涙が溢れる。
つい一瞬前まで、死を覚悟していた老人なのだ。安堵のあまり、涙が堪えられなくなったのだろう。
「あの、……本当に、マトイお嬢様なのですか」
シウ老人の護衛らしき兵隊のひとりが、おもむろに近づいて来て言った。
「……そう。みんなもごめん。呪いを解く鍵を見つけるのが、思ったよりも大変で……」とマトイ。
すると、シウ老人の護衛十数人が、一斉に地面に膝を付いた。
「マトイお嬢様、二度と会えないものと思っておりました。……帰って、こられたのですね……」
「よしてよ。恥ずかしいから、顔をあげて」
「シウ様はずっと言っておられました。あの御方は必ず戻ってくる。あの御方は魔術の才能だけでなく、その精神も素晴らしいエルフなのだと……」
「シウ爺は、私に甘いから……」
恥ずかしがるマトイに、シウ老人とその従者たちは、湧き上がる気持ちを抑えられないというように笑顔で群がっていた。
(マトイ……)
(この国でものすごく慕われているんだな……)
ふと、
「マトイって、貴族だったんだな。知らなかったよ」
と口を挟むと、なぜか、全員が一斉にこっちを向いた。
「……お嬢様。……まだ身分を明かされていないのですか……? 」
とシウ爺が若干咎めるようにマトイを見つめる。
「い、言うタイミング、なかったから」
と、マトイはふてくされるように、ふいっと横に顔をそむけた。
それから、
「それより、……まずはあの敵を殲滅しよう」
とマトイは顔を上げて、新たに迫りくる魔物の群れを見遣った。
……確かに、この国では異常に魔物が繁殖していた。
そのとき、俺たちのもとに迫りつつあった魔物たちも、十や二十という数ではなかった。
(生体反応、感知――)
スキルを発動させ、周囲を探ると、数百、……いや、優に千を超えるかずの魔物たちが続々とこちらに向かっていた。
(これは……もはやフィールドに生息する敵の数じゃない……)
(どこかに巣があるか、異常繁殖を引き起こしている……)
「あんな数、どうやって――! 」
シウ老人の従者たちが、そうたじろぐ。
だが、
「私たちに任せて。……ピギー、アオ。準備は良い? 」
マトイが手のひらを空に掲げながら頷く。
そして俺たちが頷き返すと、
「上級怨式――光の雨」
突如、上空に膨大な数の光の剣を出現させ、掲げた手を振り下ろし、群がっていた数多の魔物たちを瞬く間に地面に串刺しにした。
「それじゃあ、私も」
隣に立っていたアオがちいさく呟くと、
「……おいでなさい、私の子たち、群がり、喰い尽くせ……」
と、両手の手のひらから次々と青蛇を産み出した。
その数はおそらくは数百匹に及んでいた。
アオの手のひらから零れ落ちた青蛇たちは、一斉に魔物の群れの方角に這っていった。
……それは、蒼い波に飲まれる映像に似ていた。
魔物たちの足元に青蛇の群れが近づいたかと思うと、魔物たちは、一瞬にして、手や脚を上向きに掲げながら、地面へと吸い込まれていったのだ。
だが、実際の波と違ったのは、魔物たちはこの世のものとは思われない、醜い断末魔を上げていた。
強力な酸に溶かされるように、魔物たちは足元から、莫大な数の青蛇に喰われつつあったのだ。
(すごいな、――アオたち……)
(だけど、俺も――! )
マトイが光の雨で突き刺した魔物の群れに向けて、俺は軽く地面を蹴った。
そんなほんの軽い一蹴りで、俺の身体はもう魔物の群れに近づいてきていた。
(軽い、ものすごく身体が軽い……)
俺のいたところから、魔物の群れまで、百メートル以上は離れていたのに、軽く地面を蹴っ飛ばしただけで、もう鼻先まで迫っている。
そして、俺は手に入れた古の戦斧を横に振った。
目の前にいた5,6匹の大蜘蛛が、身体を繋ぎ止めていた部品が突然失われたように、粉々になる。
(軽い、軽すぎる……)
道端で拾った木の棒を振るうぐらいの感じで戦斧を振るだけで、瞬く間に大蜘蛛が粉々に崩れていく。
まるで精密に描かれた大蜘蛛の絵を、消しゴムで消していくみたいだった。
(多分、この鎧と戦斧に、付与効果が付けられているんだ……)
(身体の動きが、誰か優れたトレーナーに補佐されているみたいだ……! )
だが、恐らくはそれにも増して、結晶の効果が圧倒的だった。
(あの量を喰ったんだ……)
(俺、以前とは比べ物にならないほど、……強くなっている! )
たった4,5振りするだけで、俺は4,50匹の大蜘蛛や爛れ馬の群れを粉に変えた。
そして、そのあいだもマトイの魔術は放たれ続けていた。
「上級怨式――緑の風」
マトイの放ったその魔術によって、至るところに緑色をした竜巻が生じ、魔物たちが上空に吹き上げられていた。
落ちてきた魔物たちは、次々とアオの青蛇の餌食となっていく。
そして俺は、戦場を駆け抜ける光となって、魔物の身体を吹き飛ばし続けていた。
……五分も経たないうちに、アオとマトイの三人で、周囲に群がっていた1800匹近い魔物は討伐し終わっていた。
見渡す限り魔物のいなくなった平地から、しゅるしゅると音を立てて、青蛇がアオのもとに還ってきた。
その口には、魔物の心臓、臓器、尻尾、――売れそうな部位が咥えられていた。
「ご主人さま。ついでに素材を回収しておきました」
とアオがにっこりと笑う。そして、
「あとでこっそり結晶に変えられてはいかがでしょうか」
と柔らかい声で俺にそう耳打ちした。
(アオ……)
(そんな便利な機能があったのか……)
そして、
「思ったより、余裕だったな……」
と俺がすっきりとした平地を見渡しながら呟くと、
「つ、強すぎる……」
と、シウ老人と、その従者たちが、唖然とした顔でこっちを向いていた。
……これが、のちにこのエディーガーデンの国を復興させる【子豚】と呼ばれるパーティーの、快進撃の始まりだった。
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