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糸口

 夫と連れ添って20年以上の月日が流れていた。妻には夫に隠している事が有った。それを話す糸口を見つけようと、炬燵に入って、みかんの皮を剥き始めていた。


 「お! 美味そうなみかんだな。買って来たのか?」


 茶の間に夫が入って来た。妻が食べようと、皮を剥いていたみかん。夫が一つ口の中に放り込んだ。


 「美味しいですか? あなた」


 「うん。甘酸っぱくてな。人によっては青くて酸っぱいだけのみかんの方が好きって言うが、俺は程好く酸っぱさがある方が良い」


 何も知らずに、夫は呑気な事を言っている。妻は、これをきっかけ、とばかりに隠し事を話そうと、のんびりした口調で切り出した。


 「お父さん」


 「うん?」


 「あのですねぇ。実はずっと黙っていた事があるんですけどねぇ」


 妻の言葉に、本日初めて夫は妻を見た。


 「なんだ?」


 「実は、節約・節約と言って、お金が無い無いとずっと言っていましたけどね。本当は、有ったんですよ。ある程度は」


 そう言ってしまえば、妻の肩から荷物が降りたように、安心してしまう。みかんを口に放り込んだ。


 「……やっぱりそうか」


 しばらく妻を見つめてから、夫はポツリとこぼした。


 「やっぱり……って知っていらしたんですか?」


 妻は夫の呟いた言葉を拾った。


 「お前と連れ添って20年だぞ」


 フン、と鼻息を荒くして夫は照れくさいのか、新聞を読み始めた。


 「どうして気付いたのか、教えてくれませんか?」


 新聞を読む夫の横顔に疑問を投げかける。


 「無い無い。と言ってるわりには、子ども達の大学の学費を出していたり、たまには外食をしていたからな。こういう時のために貯金をしていた、と思っていた」


 新聞から目を離さないで答える夫。


 「なんだ、バレてましたか。でも、無いのも事実ですよ? だから、学費は出しても交通費とお弁当代は自分達でアルバイトをして捻出してくれていたんです」


 妻はフフフと笑い声をあげた。


 「なんだ、2人とも、アルバイトと遊びに夢中になっていたわけじゃないんだな」


 「そうですよ。あなたが知らないだけで」


 相変わらず、新聞から目を離す事の無い夫に、妻はまた笑った。


 「てっきり、アルバイトで稼いだお金は、ナントカって名前のグループだの、ナントカって名前のアイドルだのの為に使っているとばかり思っていたな」


 少し、思い出したのか、夫は新聞から目を離して遠くを見つめるような表情となる。


 「まぁそれは否定をしないですけどね。それでも遊びの為だけじゃなかったんですよ」


 妻の言葉に、夫は、そうか。と呟いた。


 「あらあら。みかんが無くなってしまったわね」


 妻が言い、立ち上がってみかんを取って来る。静かな夜だった。2人の子どもは、独立をしたり結婚をしたりして、この数年、夫婦2人きりの生活だった。


 寂しい思いもあるが、いつまでも親の脛をかじってもらっていても、困るのだから。


 「お父さん? もう、みかんは食べませんか?」


 「うん……。もう1個もらおう」


 昔のみかんは、随分と酸っぱいものばかりだったが、品種改良を重ねた結果、今のみかんは甘くて美味しい。つい、2・3個は食べてしまう。


 夫婦はそんなことを思いながら、しばし、みかんを食べることに集中した。


 「そういえばなぁ」


 「はい?」


 みかんを1個食べ終わった夫は、妻が長年黙っていた事を話してくれたのだから、と、次は自分が切り出す事にした。


 「俺もお前に黙っていたことがある」


 「なんです?」


 夫が切り出して、妻は首を傾げた。


 「実はなぁ。新婚当初、付き合いだ! なんて言って良く呑みに行ったが、全部が安い居酒屋じゃなくてな。たまに、スナック……所謂女性がいた飲み屋に行っていた。別に、気移りはしなかったけどな。ちょっと話すのは、勇気が要るから言わなかった」


 夫が大きく息を吐き出すと、妻がクククッと、おかしさを抑えるように笑った。


 「なんだ、いきなり。人が真面目に打ち明けている、というのに」


 夫は妻に笑われて、ちょっとムッとする。その顔を見たから、更に妻はおかしくなって甲高い笑い声をあげた。


 「今更そう言うから、可笑しくて可笑しくて。ごめんなさいね、お父さん」


 笑いながらの謝罪じゃあ、全く説得力の無い謝りである。


 「人がせっかく話しているのに、そんなに笑うようなことか」


 夫の言葉に、妻が笑いながら言った。


 「だって、ねぇ。気づいていましたよ、ちゃんと」


 妻がそう言うと夫は目を丸くした。


 「な、なんでだ!?」


 驚く夫に妻は、また笑う。


 「なんでも何も……。酔ったお父さんのスーツを脱がせて、ハンガーに吊るして……なんて、誰がやると思っているんですよ。私ですよ? 香水の匂いをさせたワイシャツを洗濯して、シワをアイロンで伸ばすのも、私なんですから。分からないだろうって、本当に思っていたんですか?」


 滔々と妻に説明をされて、夫はぐうの音も出なかった。妻は強し。


 「ん。んーんーん」


 なんだか良く分からない音を出して、夫は誤魔化した。


 「それに」


 「ま、まだ何かあるのか!?」


 妻が続けようとすると、夫は焦った。全く持って夫の威厳など、どこにも無い。


 「ええ、有りますとも。脱がせたスーツをクリーニングに出すのだって、私の役目ですからね。内外のポケットは、片っ端から中身を出します。上着の内ポケットから財布を出して、レシートと現金がきちんと数字が有っているか、と確認をします。他にも外ポケットに入っているハンカチとティッシュと共にもらってくる店名入りのマッチだって、私が出してましたからね」


 澄ました表情で言われてしまい、夫は誤魔化しさえも出来ない状態に陥っていた。


 ジットリと手に嫌な汗をかいている。


 ずっと隠していたつもりだったが、全部バレバレだったらしい。


 「す、すまん……」


 読んでいた新聞を片付けて、夫は頭を下げた。


 「もう、20年以上も前の事ですからね」


 妻が笑って夫を赦す。


 頭を上げたものの、居心地の悪さは否めない。こんな威厳が無い姿は、子ども達には見せられない。と夫は思っていた。


 「それにしても、なんで黙っていたんだ?」


 夫は、女の子がいるお店で飲んでいた自分に対して、何も言わなかった妻を不思議に思っていた。


 「あら、だって。今も言ったように、スーツを脱がせるのは私の役目ですから。浮気をしようものなら、たちまち解りますもの。女の子達の連絡先一つ知らないような人が、浮気なんて出来るとは思えない。だから、黙っていたのよ」


 夫は妻の知られざる部分を、20年以上経った今、初めて知った。


 妻はおとなしいだけの人ではなかった。むしろ、とても気が強い女性だった。







 いつものように静かな夜を過ごして、あとは寝るだけのはずだった。


 しかし、今夜のこの夫婦の夜は、妻の笑い声が響く夜となっていた。







お題は「みかん」でした。


熟年の夫婦ってこんな感じなのかなって思いながら書いた記憶があります。みかんから思い浮かんだ話がこういうのってどうなの?とも思いますけどね。

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