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家庭の味






 コトコトコトコト。鍋が湯気を立てている。その側で包丁とまな板がダンスでもしているように、軽やかな音がしている。幼い頃、それが朝の当たり前の風景だった。





 当然、その音の主は母であった。必ず白米と味噌汁に卵焼きと焼き魚があって、好きでは無かったけれど漬物も有った。それが当たり前の朝食だと思っていた。


 大人になり、独り暮らしをしている時は外食かコンビニに頼りっぱなしだった。その食生活に不満は無かった。自分で選んだ生活だったのだから。


 しかし、結婚をして知った。


 自分が如何に贅沢な朝食生活を送っていたのか、と。


 今更ながら母に感謝をする気になった。毎日、いつもと変わらない朝食をありがとう、と。


 別に、奥さんとなった人に不満があるわけじゃない。ただ、食生活の違いというものを、まざまざと知ったというだけの話だ。


 「仁。おはよう」


 「おはようゴザイマス、香里さん」


 笑顔で起こしてくれるこの人が、奥さん。旧姓を水野といって、3年ちょっと前まで、直接の上司だった人。そのせいか、結婚をした今でも、ちょっと緊張をしてしまう事がある。


 夫婦なのに。


 まぁ仕方がないのかもしれない。水野香里と言えば、うちの雑誌社でも有名な鬼編集長と呼ばれた人なのだから。


 男よりも男らしい。

 仕事の鬼。


 という形容詞がつく、キャリアウーマン。しかも、年上なので姉さん女房というヤツだ。


 だけど、実際は純粋で可愛らしい部分を持っていることを知っている。その事を、香里さんが片思いをしていた伝説の編集長以外は、自分だけが知っている。鬼編集長の姿しか知らない同僚に対する優越感は、なんとも言えない。


 まぁ、1割くらい、そんな可愛い香里さんを誰にも見せたくないって思ってたのは事実。


 紆余曲折の末、結婚をしたわけだけど。香里さんは家事は苦手だ、と付き合い始めた最初に申告をしてくれたのだが。


 本当に苦手だった。


 それでも、克服をしようと結婚するまでの間、特訓をしていたという。そんな健気な事を言って、覚えた成果を披露してくれた時は、本当に感動をした。


 もちろん美味しかった。それ以上に感謝の気持ちもあったけれど。だけど。


 朝食は、パンより米が良い。と思うのは我が儘か。


 香里さんは、朝はパンを食べたい人だと知って、うっかり「毎日でも構わない」なんて言ったら、本当に毎日になってしまっていた。自分で言い出した事だから、前言撤回も出来なくて、困っていた。


 これから香里さんと実家に里帰りをする事になっている。仕事上、マトモに休める時など無いから、行ける時に行かなくてはならない。


 「ねぇ、仁。本当に、手土産って何でもいいわけ?」


 車での帰省中、3回目の質問に、同じ答えを告げた。


 「本当に、何でもいいから。親父は日本酒が好きだけど、菓子も食べるし、お袋は、菓子は何でも好きだから」


 「でも……」


 結婚をしてから気付いたのだが、香里さんは、仕事に関する事なら即断即決の人なのだが、こういう事はわりと優柔不断だ。


 但し、一か八かの賭けとか、大勝負の場合は、運が強い。更に外堀を埋める事も忘れない為、味方が多い。……カッコイイ人なんだけど、どっか弱いんだな。


 そんな香里さんは、さっきからブツブツ呟いている。聞いてみると。


 「やっぱり和菓子の方が良かったかしら。ううん。ここのクッキーは美味しいと評判だし。でもでもケーキという選択肢もあったわけだし」


 聞いていたら笑ってしまった。


 「何を笑っているのよ」


 香里さんがプッと頬を膨らませる。


 「いや、だって、色々考え過ぎなんだから。気楽に行こうよ。これから先、何年も何十年も家族として、やっていくわけだし」


 そう言うと、香里さんが落ち着いたように笑った。


 「確かに、そうね。ただね、私、仁の実家に行ったら教わりたい事があって。だから、最初が肝心かなって思ってね」


 「教わりたい事?」


 尋ねると、香里さんはフフっと笑って答えなかった。


 実家に行くと両親は喜んでくれたし、香里さんと仲良く談笑をしている。やっぱり、案ずるより産むが易しだよな。なんて思っていたら、いつの間にか香里さんとお袋が、台所に消えた。


 何しているんだろう。


 気になって覗いてみた。


 「……そう。私は最初に鰹節と昆布で出汁を取って、それから具材を入れて最後に味噌を入れて……」


 味噌汁の作り方? 確かに、香里さんって出汁を取るとか出来ないけど。なんでまた、味噌汁?


 疑問だらけではあるけれど、それでも2人が楽しそうならいいか。そう思ってそっとその場から離れる。本当は少し心配はしていた。香里さんの不安の気持ちを本当は理解していたから。


 それはそのまま明日の自分になるから。


 今夜は実家に泊まる。そのまま明日は香里さんの実家に行く。……明日、うまくやれるだろうか。


 でも香里さんが頑張ったのに、怖じ気づいてはダメだろう。あれこれ考えていても仕方がない。なるようになる。


 翌朝。


 コトコトコトコト。鍋から湯気。魚を焼いている匂い。……起きると、久しぶりに朝食の光景を見た。お袋が台所に立っている。


 「香里さん?」


 「あ、おはよう」


 お袋の隣で香里さんが、見学をしている。昨夜の味噌汁に続いて不思議な光景に、驚いてしまった。


 「仁。お前はどれだけ寝てるの。香里さんは朝早くに起きて来たというのに。同じ仕事をしていて、どれだけ生活習慣が違うのかね」


 お袋にため息をつかれてしまった。


 そう言われてみれば、香里さんは毎朝、パンとはいえ、きちんと朝食の準備をしてくれている。忙しさは同じくらいなのに。


 まだ妊娠をしていない香里さんは、仕事を続けている。自分も忙しくてそれが当たり前になっていたから、気付かなかった。仕事と家事を出来る限り両立させよう、と奮闘をしている香里さんの大変さに。


 甘えていた。


 毎朝パンだからって、何が悪いのだろう。きちんと食べられる事に感謝をするべきだったのに。苦手な料理を頑張ってくれているのに。


 結婚をしたから、お袋と同じ食事が出てくる。と安易に考えていた自分が情けない。そうじゃないだろう。香里さんが頑張っていることを念頭に置かないとダメなんだ。


 頑張ってくれている香里さんに、感謝をしているつもりだったけど、どこかで当たり前に思っていたらしい。


 頭を掻いて、お袋と香里さんに頭を下げた。







 「ね、仁。今、お義母さんに、仁が食べていた家庭の味を教わったわ。帰ったら作ってみるわね」


 笑顔の香里さん。


 「週に1回でいいから、お願いします」


 もう一度、香里さんに頭を下げた。やっぱり香里さんは、カッコイイ女性だ。






この2人本当に好きなんだなぁって思い浮かんだ時にしみじみした記憶があります。エブリスタの読者様がこの2人出てくると嬉しいって喜んでもらえた記憶もあります。だからついついお題を見てこの2人が思い浮かぶと執筆してましたね。


お題は「里帰り」でした。

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