転職
偶に、こういうことがある。
目の前の敵を、凄惨に残虐に一方的に、趣向を凝らして殺す。
木刀で頭を潰す、首を折る。真剣で袈裟に斬る、心臓を貫く。
師匠から五百年かけて学んだ剣術を活かして、人を殺す。
護衛として、戦士として、最強を志して最強に至ったが故の武を用いる。
出来上がるのは、普通に死体だ。
鮮やかな剣術によって、しかし相手は普通に死ぬ。
一切飲食を必要としない仙人である俺が、日々を一生懸命に生きている人々を殺傷する。
そんな痛ましい殺人を披露する、その卑しさ。
死体を弄ぶように、生者の体を玩弄する。
自分が昔目指した地位を、俺は冷ややかに客観視していた。
しかし、その一方で、こういうことがある。
俺は、金丹を呑んだ。
その上で、お嬢様の前に進む。
ある意味でまっとうなのは、耳と鼻を削ぎ落とされ、目をえぐられたブラック王子だけだ。
彼の悲鳴が、彼の絶叫が、彼の悶絶だけが、ごくごく普通の反応だった。
できるだけ痛みがないように斬ったわけで、彼はそんなには痛くないはずだが、それでも喪失は激しい。
耳たぶがなくても音は拾える、鼻を落とされて呼吸が辛くてもそんなに致命的ではあるまい。しかし、目はダメだ。
彼は俺の手によって暗闇の中にいる。
決して光を得ることができないと、彼は理性と本能で悟っている。
その彼だけが、普通だった。
それ以外のすべてが異常だった。
俺が異常なのでもなく、他の切り札たちが異常なのでもなく、八種神宝が異常なのでもない。
俺は殺人を行い、拷問を行った。
まさに非人道的な振る舞いであり、この場にそぐわない血生臭い行いをした、石を投げられて然るべき、唾棄されるべき男である。
その俺が、いつか俺が夢見た英雄のように、周囲から驚愕と尊敬の目で見られている。
仙人の知覚を用いるまでもないことであり、しかし仙人の知覚によって更にわかりやすくなっている。
このパーティー会場にいる来賓や、楽団、あるいは給仕。
ゲストもホストも、誰も彼もが俺を見ている。
劇の観客として、俺を見ていた。
最強の剣士が、その武勇で名も無き剣士を切り払い、彼らの守っていた王子を誅する。
そんな劇を、彼らは固唾を呑んで見守っている。
現実味がなさすぎる、実感が薄すぎる、鮮やかを極めた殺人を芸術のように眺めていた。
誰も顔を歪めることなく、感動ではなく戦慄によって震え、しかし目が釘付けになっていた。
偶に、こういうことがある。
それを、俺は複雑な心境で俯瞰する。
祭我はこれに憧れているのかもしれないが……この流血が、賞賛や畏敬につながることを、俺はそんなに嬉しく思っていない。
師匠が目指したものは、俺に引き継がれたものは……。
おこがましいことに、ただの稽古や試合こそが……あの学園長が作った、剣士たちの青空道場こそが……。
いいや、語るまい。
俺はソペードの剣。
アルカナ王国最強の剣士にして、ソペードの切り札。
ソペードが俺を裏切らない限り、レインを守って育ててくれる限り、俺はそうあり続ける。
「奥様、ブラック王子の耳と鼻を切り落とし、目を抉って並べました」
俺は、敵から奪った剣を横にしていた。
それを台座のようにして、その上に彼の一部を陳列していた。
俺は、それを捧げる。まるで供物のように。
気功剣法、数珠帯。
それは、剣に触れている物を繋ぐ術。
相手と撃ちあった時に絡めとることもできるし、相手の投擲武器を受けてくっつけることもできる。
それによって、俺は彼の耳たぶと鼻と眼球を並べていた。
刃の根本で耳を削ぎ、中程で鼻を落とし、切っ先で眼球をえぐった。
そのまま貼り付けて、お嬢様に捧げていた。
「サンスイ」
トオンは、その剣技に見惚れていた。
お嬢様は、凄惨な死体や王子の醜態を見て、機嫌を直していた。
自分の結婚式を台無しにされたことで怒り狂っていた、俺が妹の如く守ってきた彼女は、普段の調子に戻っていた。
「貴方、ふざけているの?」
その言葉に、周囲は唖然としている。
正直、俺も少し驚いた。
お嬢様の視線を感じて、俺はその事実に震撼する。
「自分の礼服を汚さないように立ちまわったわね!」
そうだった。俺は儀礼用の剣を乱雑に使ってへし折り、王宮の絨毯を汚したわけであるが、自分の服だけはシワが残らないように立ちまわっていた。
まさか、気づくとは……。
「申し訳ございません、奥様」
「貴方、私に恥をかかせたわね! ソペードは護衛に礼服を新しく仕立てられないほど清貧に耐えていると、各国の貴人に示してしまったのよ!」
さすがお嬢様、目の付け所がおかしい。
自分の護衛である俺が完勝するのは当然として、その服に汚れがないことで怒り出すとか……。
まさに、普段通りである。
お嬢様は、口でも顔でも怒っているし、内心でも少し怒っている。
しかし、心の底から激怒しているわけではない。
周囲に対して、俺のデタラメさを喧伝しているのだ。
俺は嬉しく思っていないが、お嬢様なりの気遣いである。
いや、気が違っている、というべきなのかもしれない。
「金丹の効果を切らしてみせて、わざとらしく危機を演出するなんて……あざといのよ! あの程度の仕込みで、私が満足するとでも思ったの!」
「お許しください」
「私に恥をかかせたこの罰、決して軽くないわよ!」
割と真面目に思うのだが、周囲の人がやたらこの状況を劇のように感じているのは、お嬢様の横柄な発言によるものではないだろうか。
凄いなあ、自分の命令で異国の王子が耳と鼻と目を失っているのに、服に汚れがないことで怒り出すなんて。
それと、もうひとつ気になることがある。ハピネの隣にいる、祭我のことだ。
なんかあいつ、まだ青ざめている。まさか、まだ終わっていないというのだろうか、この悲劇は。
「なんの騒ぎだ」
あえて、喪失に悶えている王子にも聞こえるように、お兄様が大きな声とともに人をかき分けて前に出た。
その姿も、完全に劇の役者である。
「……なるほど、サンスイ。ドゥーウェに命じられたとはいえ、オセオ・ブラック王子に怪我を負わせたのか」
「その、とおりだ……!」
苦悶の中、矜持によってブラック王子は叫んでいた。
無理もあるまい、そりゃあ怒る。自分に非があるとわかっていても、これは怒って当然だ。
「お前たち……我がオセオはこの屈辱を忘れはしないぞ!」
凄いと、俺は素直に感心する。
彼は暗闇の恐怖に耐えながら、しかし俺達へ呪いを吐く。
「何が最強の剣士、何が伝説の剣の主、何が天罰の魔法使い、何が革命家、何が適合者! 貴様らが個の武勇を、一人か二人の英雄を祭り上げている間に、我らオセオは臥薪嘗胆の気勢によって、国力を飛躍させる! これより十年先、アルカナは繁栄するだろうが……怯えるがいい、蛮人の血を混ぜた愚か者ども! お前たちの死んだ百年後、貴様らの子孫は、我がオセオの後塵を拝し続けるのだ!」
それを、俺達五人は笑わない。
おそらく、それは非現実的なことではない。
むしろ、魔法やらなんやらよりも、よほど現実的なことだった。
百年あれば、科学技術の類は飛躍的に発展する。
俺達は、その歴史を刻んだ星から、この世界に訪れたのだから。
「……ブラック王子、立てますかな?」
「……ふん!」
眼球を失ったブラック王子の手を、お兄様は掴んでいた。
それが介助であると悟った彼は、顔を抑えながら立ち上がる。
「このことは……当然抗議する! 覚えておけ、ソペード!」
本当に、悲しいことである。
彼は前が見えないのでわからないが、お兄様の『顔』は困っていないし詫びてもいない。
ただ、残酷な顔で品定めをしているだけだった。
「なんだ、立てるのか」
本当に、そう言っていた。
お兄様は立とうとする王子の腕を放し、あろうことか前蹴りを入れていた。
前が見えない状態で、支えを失って、更に腹部へ不意の一撃、
彼は無様に尻もちをついた。
「……な」
「これで、立てないな」
王子の股に、お兄様の剣が刺さる。
ある意味、男にとって首から上よりも大事な者が切除されていた。
なるほど、祭我はこれを見たのか……。
「サンスイ、お前はいつも妹に甘いな。命令に忠実なことは、とても素晴らしいことだが……」
今度こそ、王子は気絶していた。
泡を吐いて、股を抑えて、そのまま倒れている。
「今回の騒動は、ソペードにとどまらず、バトラブと王家に唾を吐く行為だ。それに対して、妹の命じた分で済ませるとはどういう了見だ」
「お許しください」
「アルカナ王国に唾を吐けばどうなるのか。二度と立ち上がれなくなるまで傷めつけることこそが、お前の役割であろう」
俺は気配を感じているのだが……王族の方もバトラブの方も、みんな『そこまでしなくても』という気配を発していた。
とはいえ、示威には十分であろう。むしろ、やり過ぎなぐらいである。
ソペードの婿を猿と呼べば、一国の王子であっても許容されない。男子の繊細な部位を切り落とされるのだと、世間に知らしめていた。
なんて物騒な国なんだろう。蛮族呼ばわりされても、そうおかしくあるまい。
「ドゥーウェ」
「はい、お兄様」
「トオン」
「はっ、当主様」
「サンスイへの罰は私が与える、良いな?」
現役当主の言葉を聞いて、結婚する二人は頷いていた。
そして、俺は嫌なことに気づいていた。
そう、未だに祭我が青ざめているのだと。
「サンスイ」
お兄様は、清潔なハンカチで王子の『棒』と『球』を丁寧に包んで、俺に渡していた。
ものすごく受けとりたくないが、俺は受け取ることにしていた。
「お前が持っている分も含めて、『王子』の部位をすべてオセオ王に返却しろ」
そんな、封印された邪神みたいな扱いを、この『部位』にするのか。その場合、封印されるべきはむしろ俺では。
息子の息子が、目と耳と鼻とセットで帰ってくるのか……。
オセオの王様がどんな人だったとしても、そこまでひどい目にあう必要性を俺は感じないのだが。
「良いな、お前が、直接渡してこい。意味はわかるな?」
「承知いたしました」
「絶対に受け取らせろ、それまでアルカナ王国に戻ることは許さん」
アポイントメントなしで、突撃してこいと……。
いや、アポイントメントがあっても嫌だな。
そんなアポイントメント、絶対に拒否されるだろう。
「当然だが、妨害するすべてを駆逐せよ。息子が父の元へ戻るのだ、変わり果てた姿であっても、それは達成せねばならん。また、一切の虚言も禁じる。お前がなしたすべてを、立ちふさがるものに告げて進むのだ」
どうしよう……お嬢様よりも邪悪なことをおっしゃっている。
まさかさっきまでの暴虐が、前哨でしかなかったなんて。
「サンスイ、私の結婚式が始まるまでに、必ず帰ってくるのよ」
ダメだ、お嬢様もノリノリだ。
言っていることは感動的だが、最悪の未来しか見えない!
トオンは戦慄しているが、さっきの暴言を自分の父が聞いていればと思うと、なかなか意見できずにいるようだった。
お兄様もお嬢様もトオンを家族に迎えて、全力で守るつもりのようだが……トオンはそんなに喜んでいない。
「では行くが良い、我がソペードの切り札よ」
「はっ!」
でも俺は剣術を極め心技体を極めているので、嫌でも真面目に返答が出来るのだった。
そんな自分が嫌になる。ノーと言える日本人になりたい。
「おい、お前たち! 法術使いを呼んでこい、怪我人がでたぞ。欠損が多く重体だ!」
静かに退出し始めた俺の背で、お兄様が周囲の者へ指示していた。
怪我人が出たのではなく、出したの間違いでは……。
「それから、オセオの侍従を呼んでこい!」
俺はオセオ・ブラックの耳と鼻と目と棒と球を持って、部屋を出ていく。
なんて嫌な宅配便なんだろう、服を汚さなかったことでこんな業務をすることになるなんて……。
「オセオ・ブラック王女が出血し倒れたとな!」
そっか、オセオ・ブラック王子は転職したんだな。なんて嫌なクラスチェンジなんだ……。
ファンタジー要素も魔法要素も一切ない『去勢手術』に、俺の心は冷えきっていた。
もしかして、このパーティーの参加者は、今後ソペードとのお付き合いを考えなおしてしまうのではないだろうか。
貴族になるって、大人になるって、辛いのだ。
そう背中で語りつつ、とりあえずこの『部位』を封じる袋を探すことにした俺だった。




